65輪目 マネッチアーたくさん話しましょうー
「それでは、どうぞお召し上がりください」
着物の裾を左手で押さえながら、右手で僕たちにお茶を差し出す冬咲さん。
お茶請けは、淡い色合いの花型の砂糖菓子ともなかのお菓子。
「いただきます」
「はい」
目の前に座る冬咲さんの、ひとつの揺らぎもない綺麗な正座。
それにつられて僕の姿勢も、見えない何かによって自然と正される。
「冬咲さんは普段から茶道とかやってるの?」
「そうですね。祖母が家で教室を開いているので」
「へえ、そうなんだ」
冬咲さんと会話を交わしながら両手でお茶を持ちあげてひと口含んだ藪沢くん……それに倣って僕も、濃い緑のお茶をいただく。甘味のない、純粋な抹茶の香りが口の中に広がった。
「そういえば僕、こういうお茶飲むの初めてかも」
「あー……言われてみれば、俺もそうかな? でも結構、美味しいね」
「ありがとうございます。お菓子の方も苦手でなければ是非食べていってくださいね」
"細かい作法は気にせずにお茶の味を楽しんでほしい"
冬咲さんは最初に言ったその言葉を守るように、場の空気を常に気にして会話を振ってくれていた。
個室の外に意識を傾けてみれば、隣接する部屋からも和やかな話し声が微かに聞こえてくる。
黒と赤の布地の着物を纏い、長い黒髪を綺麗に纏めて静かに座る冬咲さん。僕は、去年の文化祭のステージを思い出しながらお茶をひと口含む。
……全くの、別人みたいだ。
「私の顔に何か付いていますか?」
「あ、いや……ギター弾いてる時の雰囲気とは全然違うなって思って」
「そうですね……茶道とバンド。静と動。全く違うものですから」
それもそうか、と納得した僕に、まだ聞きたいことがあるらしく少し身を乗り出した藪沢くん。対照的……は僕たち二人もそうだな、なんて考える。
「冬咲さんってなんでギター始めたの? ちゃんと話したのは初めてだけど、あんまり結び付かないというか……」
藪沢くんの質問に、少し口を綻ばせて答えた冬咲さん。
「そうですね……好きなものは好きってハッキリと言った方が良いよって、苺花さんに背中を押してもらったから、でしょうか? 話すと長くなってしまうので、また何処かで機会があれば」
冬咲さんがそう締めくくった瞬間に鳴り響くチャイム。
確認する必要はないけれど──左手につけた腕時計で時間を見ると、文化祭終わりの十五時を差していた。
「あ、もうこんな時間か。長居しちゃってごめんね」
スマートフォンで時間を確認しながら立ち上がる藪沢くん。それにつられて僕も、立ち上がる。
「いえ、楽しかったですよ」
食器をそのままに、出入口まで見送りをしてくれた冬咲さんにお礼を伝えて教室に帰る道中。藪沢くんは僕にとあるひとつの質問を投げかけた。
「萩はさぁ、いつ芹さんにちゃんと告白すんの?」
「えっ!?」
その唐突な言葉に思わず荷物を落としそうになった僕のことを藪沢くんは特に気にする様子もなく話を続ける。
「いや、言ってたじゃん。冬咲さんもさ。好きならハッキリ伝えた方が良いって。ちょうど良いじゃん。文化祭マジック」
「文化祭マジック……いや、でもさ、芹さんからはっきり言われてるんだよ。恋愛する気はないって」
「ふーん? じゃ、言わないままでいいってこと?」
「……でも、そうだよね……言わなきゃ伝わらない、か……」
「恋愛する気ないって言ってもさ、もしかしたら違うかもしれないじゃん。萩なら」
「……そう?」
「そう! あ、ごめん俺こっちだから」
「あ、そっか。今日はありがとう」
藪沢くんと別れて一人になった僕は、ひとつ息を吐いて考える。
文化祭マジック、告白……そして、いつか花火の下で誓った"いつか伝えよう"という気持ち。
もしかしたらそのタイミングは、この文化祭なのかもしれない。
明日の後夜祭であがる、文化祭の終わりを告げる花火。それを見ながら──少し、ベタすぎるだろうか。
「萩くん!」
「わ、びっくりした〜」
突然の呼びかけと、背中を叩く両手。それは、先程まで考えていた人物──芹さんだった。
「なんで言ってくれなかったの!?」
「え? なに、が……?」
「幽霊出るなんて聞いてない!」
「あー……」
「会議終わってからの放課後、点検よろしく、だって」
了承しようとした僕の言葉は、ショートホームルームの始まりによって遮られる。明日の連絡事項を簡単に伝えるためだけのそれは、いつもの半分以下の時間で終わった。
部活の方へ向かう人、直帰する人、出し物の最終の練習をする人……いつもよりも騒めく廊下を抜けて会議室へと向かう。
「あ、まだ誰も来てない……」
「そうみたいだね」
適当な席に腰を下ろして、他の人の集合を待つ。
「あ……そういえば芹さんのお母さん、元気そうで安心した」
「うん……そのせいでなんかこっちが振り回されたけど」
優しい顔をして笑った芹さん。口ではそう言いつつも楽しかったのだろう——と想像するのはとても容易いことだった。
「明日で文化祭も終わりだねぇ」
両手の指を組んで前に伸ばしながらそう呟いた芹さんからは少しの名残惜しさを感じた。
でも、名残惜しいのは僕も同じだ。この夏は、色々、本当に色々あったから。
「うん……あのさ、明日の……」
「あ! なずな! 彼氏さん!」
扉が開く音と共に飛び込んできた元気で明るいその声。
なんだか間の悪い一日だ……と少し苦笑いをして、後ろに座った志木さんに返事をする。
そして、会議の始まる直前──芹さんは僕に問い掛けた。
「さっき、何言いかけた?」
「……後で、ね」
会議が終わっても、今日の仕事が終わったわけではない。いわく付きの教室に戻ってきた頃には、あんなに賑わっていた廊下の人はまばらになっていた。みんな帰ったか、他の場所に移動したのだろう。
「ほ、ほんとに入るの……?」
「……って、言ったのは芹さんだよね……?」
教室の電気は、明るくなりすぎないように覆われているから日の落ちかけているこの時間では余計に暗くなる。
唯一の懐中電灯は芹さんの手に握られているから彼女が腹を括らない限りは何も進まない……のだけれど、先程から同じ会話を繰り返している。
「僕一人で行ってこようか?」
「そ、それは危ないじゃん?」
「うーん、じゃあ、後ろついてきてくれればいいよ?」
「じゃ、目つぶってていい?」
「ええ……」
そんな押し問答を十分ほど繰り返しただろうか。不意に聞こえた足音。
その方向には、クラスのメカニック担当の風見さん──通称、ハカセが立っていた。
「ハカセ!」
「やあ、なずな氏、それから萩氏も。放課後の学校でデートかい?」
「違う違う、点検に……って、あっ」
毛先を緑色に染めたおさげを揺らして芹さんに歩み寄った風見さんは、その手に握られた懐中電灯を奪い取る。そして、迷いなく教室の──出口側の扉を開けた。
「あっ、ちょっと、ハカセ!」
「ん?」
扉を開けた先に、段ボールで作られた迷路の一箇所を取り外す風見さん。
その手には、どこから取り出したのか工具が握られていた。
「あぁ、そういえば言ってなかったね。これは、ボクが前日に取り付けた、最高傑作だよ」
幽霊の正体。それは、風見さんが勝手に取り付けた、人を感知すると空気砲が発射されて、その後に上から死神の顔が降りてくる装置だった。




