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ききょうくんとなずなさん  作者: Nas
二年生の頃のお話(前)
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60輪目 アキノキリンソウー励ましー

 翌々日の月曜日。

 いつもよりも早く起きた僕は、早朝とはいえ蒸し暑い台所に立ち、慣れないお弁当作りをしていた。

 屋上でピクニックみたいにサンドイッチでも食べたいね、といういつかの約束を果たす為に。


 たまごと、ハムチーズと、テリヤキチキンの三種類のサンドイッチ。

 それから、彩りよくおかずを詰める。卵焼きと、ミートボールと、プチトマト。初めて作った割には見栄えの良いそれに満足して、登校する準備をする。

 余った分は、明日僕が、もしくは母親が食べればいいと思い、冷蔵庫に入れ、一応ふせんも付けておく。


 身支度を終えた僕は、玄関で一度立ち止まり、胸に手を当てて、大きく深呼吸をする。


 ──うん。もう、大丈夫だ。


 昨日までとは打って変わって爽やかな気分で家を出た僕の足取りは軽かった。



「お、おはよー。久しぶりじゃね?」


 教室に入るなりクラスメイトに声を掛けられ、僕もそれに返事をする。

 本当に、悪く考える必要なんてなかったのだと、温かく出迎えてくれるクラスメイトに囲まれて思う。

 僕の記憶の中よりもだいぶ準備が進んだ教室を見渡すと芹さんはまだ来ていないようだった。

 荷物をおろして、休んでいた間に溜まった連絡事項を確認しようとした瞬間、


「なずなの彼氏さんっ!」


 久しぶりに聞く呼称とともに遠慮なしに勢い良く開けられた教室の扉。


「……志木さん?」

「ちょっと、来て!」


 珍しく慌てた様子の志木さん。何があったのだろうと思い、クラスメイトに準備を任せて彼女に着いていく。


「……どうしたの?」

「えっとね、登校中にね、なずなが倒れちゃって」

「……えっ、大丈夫なの!?」

「今は柳サンがついてる、から、多分大丈夫」


 ……そういえば、一昨日会った時は疲れた顔をしていた。

 お祭りに行った時は普通に楽しんでいるようだったから、忘れていたけれど。

 僕が、無理をさせてしまった。

 胃の辺りが重く冷える感覚がする。


「萩くんっ」


 僕を呼ぶ声とともに背中を叩かれる。珍しくちゃんと名字。

 志木さんは僕に、意思の宿る桃色の瞳を向けて言った。


「別に、苺花もなずなも、彼氏さんのせいだなんて思ってないから」

「あ、はい……」

「シャンとして、大丈夫だよ」


 軽くノックをして、保健室に入る。白い空間に、消毒液の匂い。

 ここに最後に来たのは、去年のゴールデンウィーク明けだっただろうか。


「……おう、苺花、と……二年」


 保健室に備え付けられたテーブルをさも自分の物のように使う柳先輩。

 いつもよりも不機嫌そうに見えるのは、きっと気のせいではないだろう。


「柳さんありがと〜。なずなは?」

「……普通に喋れてたしちょっと休めば大丈夫だと思う。とりあえずスポドリ飲ませて寝かせてきたから起こすなよ」

「わかってるよぉ。それくらい」

「また昼くらいに様子見に来てやって。オレは用事あっから」

「うん。柳さんが通りかかってくれて助かったよ」

「じゃあ、行くから」


 保健室を出ようとする柳先輩を思わず反射で引き留める。

 柳先輩は、ますます不機嫌そうな顔をして僕を見下ろした。


「なんか用?」

「いやっ、えっと……芹さんの事、ありがとうございます」

「別にお前の為じゃねぇし……っていうかさ」


 背を向けて柳先輩は続ける。


「嫌々引き受けたのかもしんねーけどさ、自分の役割くらいはちゃんと果たせよ。中途半端なことしてんじゃねーよ」

「ま、待ってよ、柳サンっ、そんな言い方しなくても……っ」


 フォローするように声をあげた志木さんを制して首を振る。


「志木さん、大丈夫……本当のことだから」


 柳先輩が突き当たりで曲がり、完全にその姿が見えなくなったのを確認してから志木さんは口を開いた。


「柳サンさ、めちゃくちゃ心配してたから……ちょっと当たり強かったよね。ごめんね」

「いや、志木さんに謝られることなんてなにも……」

「じゃあまあ、なずなが寝てるならここに居ても仕方ないし、教室戻ろっか」


 そう言った志木さんは、来た道の反対へと歩き出す。そちらからも帰れなくはないけれど、正規ルートで帰るよりも遠回りになるはず。


「志木さん?」

「んー?」

「そっち逆じゃ?」

「うんっ。ちょっとさ、遠回りして帰ろ!」


 そう言った志木さんは、にっこりと笑う。

 ──何か、話したいことでもあるのだろうか……そう思い僕も志木さんについて行くことにした。


「……柳先輩って、芹さんのことまだ好きなのかな……」

「んっ?」

「あ、いや……何となくそう思っただけで……」

「そっかぁ、知ってたんだね……うん、どうだろう? まあ、まだ好きなのかもね」

「だよね……」

「まーでも、柳サンはほんっとに最低なことしたからね〜」


 あはは、と軽い調子で話す志木さん。

 だからこそ、本当にうっかり口が滑ってしまった。

 ちょうど──去年の文化祭で聞いた、柳先輩の噂話。


「……彼女妊娠させちゃった、っていうの?」


 ぴたりと止まる志木さんの両足。

 振り向いた志木さんは、口元こそ笑っているように見えたけれど、これまでのイメージを覆す程に冷たい目をしていた。


「……誰に聞いたの?」

「え……と、風の、噂で……」


 一瞬出かけた藪沢くんの名前を飲み込んで答える。

 志木さんは、「そっかぁ」といつもよりも低いトーンで答えて、また歩き出した。


「ダメだよ〜? そんな、噂程度の話なんか信じちゃ。第一さ、柳サンがそんなことすると思う?」

「そう……だよね。ごめん、変なこと言って……」

「んーん。でも、なずなの前ではそれ、禁句だからね?」


 足を進めながら振り向いた志木さんと目が合う。


「志木さんって……」

「あっ、見つけた!」


 僕が言おうとしたことは、向こう側から歩いてきた人物によって遮られた。


「あ〜、藪沢くんっ!」

「二人してサボり?」

「違う違う〜。ちょっと、ね?」

「あ、うん。ちょっと色々……あっ、あと、藪沢くん、この間はごめん……」

「ん? あぁ、別に俺はあんまり気にしてないけど……むしろ芹さんの方が……」


 そう言いながら辺りを見渡す藪沢くんは、僕の隣に芹さんがいないことを気にしているのだろう。


「それは……解決したから大丈夫。ありがとう、色々と気にかけてくれたみたいで……」

「あ、じゃあ良かった。あん時は……ねぇ?」

「ねー! なずな、死にそうな顔しながらポテト食べてたからねぇ! まあ明太マヨ食べてたからどんくらい深刻なのか分かりづらかったけど!」


 顔を見合わせて笑い合う二人。曰く、放課後にファミレスで三人で話していたのだとか。

 話していた、というより僕のせいで落ち込んでいた芹さんを二人がフォローしてくれた、の方が近いのだろう。


「そういえば苺花に何か用だった?」

「あ、そうそう。本部からの借り物で教室に運びたいものあるんだけど、手伝って欲しくてさ」

「おっけー! じゃ、彼氏さんあとはよろしくねっ!」

「あ、うん。志木さんもありがとう」


 今来た道を戻ろうとする二人。少し歩き出してから志木さんは立ち止まり振り向くと僕に問いかけた。


「さっきさ、何か言いかけたよね?」

「さっき……あぁ、そんな大したことじゃなくて。志木さんってちゃんと自分の意見持っててすごいねって話」

「あー! そういうこと! ありがとね」


 今度こそ立ち去った二人の後ろ姿を見送って、僕も教室へと戻る。

 そして、昼休憩の時間──僕は芹さんのいる保健室へと向かった。


 二回ノックしてから、引き戸を開ける。すると、廊下よりもひんやりした空気が僕を出迎えた。


「──あ、萩くん」


 保健室の先生とともにひとつのテーブルを囲んでいた芹さんは僕の名前を呼んだ。


「芹さん……良かった……」

「ごめんね、心配かけて……」


 しゅんとした様子で飲み物の入った紙カップに目線を落とす芹さん。なんと声を掛けよう──そう迷っていると、僕の右手に下げられた荷物に気付いた芹さんが首を傾げた。


「それ、なに?」

「あ、これは……ほら、この間サンドイッチ食べたいねーみたいな話してたからさ」

「え! 作ってきたの? 食べたい!」


 ガタッと立ち上がった芹さん。いつもより顔色は良くないように見えるけれど、ご飯を食べるくらいの元気はあるようだ……と安心する。


「もう行くなら、無理しないようにね」

「はい、ありがとうございました。萩くん行こ行こ」


 僕の腕に触れる芹さんの細い指。触れたわずか数センチから、じんわりと熱が広がる。


「芹さん、今日お弁当は?」

「ん〜、今日は無いかな……」

「ふーん? 珍しいね」


 去年は夏休みでもずっとお弁当を持っていたのに──と思い出しながら言うと、芹さんは曖昧に笑った。


「まあ、ちょっとね」

「……じゃあ、ちょうど良かったかなぁ?」


 右手に持ったランチバッグを目の前に掲げて聞くと、隣を歩く芹さんは頷いて言う。


「自販機だけ寄ってもいい?」

「あ、うん。僕も買いたいかも。ところで、どこで食べる?」


 僕の質問に、空色の瞳を輝かせて芹さんは答えた。


「それはやっぱり、屋上でしょ?」

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