53輪目 エーデルワイスー勇気ー
とんとん、と紙の束をまとめながら芹さんは、カーテンの隙間から差し込んだ夕陽に目を細めて言った。
「とりあえずは順調だねここまで」
「うん、明日から少し空くけど、またお盆明けからよろしくね」
明日からのお盆休みに向けて着々と掃除が進んでいく教室を横目に書類をまとめながら、ひとつため息を吐く。
そんな僕のことを、芹さんは覗き込んだ。
「疲れた?」
「まあ……多少ね」
この夏休み、文化祭の準備にバイトに、オープンキャンパスに……と予定がない日が無いくらいに用事が詰まっていた。
それだけ充実していたという事なのだけれど。
「でも明日からはバイト漬けなんでしょ?」
「一応繁忙期だからね……」
クリスマスほどで無いにしても、お盆もバイト先のレストランの繁忙期にあたる。料理長たちは、お盆が終わってから長期休みに入るらしい。
「芹さんは……明日から帰省、だっけ?」
「うん、そう。まあでも、二泊三日とか、そんくらい。あっ、お土産買ってくるね」
「あ……うん。ありがとう」
じゃあ僕も、お盆明けにあるオープンキャンパス行った先でなにかお土産でも買ってこようかな──なんて思っていると、掃除をしていたクラスメイトから名前を呼ばれる。
「ちょっと、行ってくる」
「うん」
クラスメイトの手伝いをしながら、教室を見渡す。
教室の隅っこの方や、ロッカーの上には完成した装飾品や衣装、その他小物類が所狭しと並べられていた。
ここまで問題なく終えられて良かったな、と思うと同時に終わりが見えてきてなんとなく寂しい気持ちになる。
きっかけはジャンケンで負けたことだったけれど、なんだかんだ言って楽しかった訳だ。
掃除を終えて、窓を全て施錠し終わってから学校を出ると、グラウンドは鮮やかな夕陽に照らされていた。
お盆休み前最後の登校日だからだろうか。いつもより人の多い学校の最寄駅が見えた頃、芹さんは僕のワイシャツの腕の辺りを引っ張った。
「ん?」
「ちょっと、いい?」
「……うん?」
改札をスルーして踏切を渡る芹さんに着いて、僕も踏切を渡る。
確か、この向こう側にはいつぞやアイスを食べた公園があったはず。
どこに行くとも言わない芹さんの隣を歩きながら考える。
──ぶっちゃけ、芹さんは僕の事をどう思っているんだろうか。
その問題を解決するのに必要な知識は、藪沢家で読んだ雑誌と少女漫画……それから、その後個人的にネットで調べて得ている。
僕の服を引っ張って呼ぶ仕草は、藪沢くんにしているのを見た事がないし、浮張さんが居た時の奇妙な行動の数々も"嫉妬"だと一言で説明がつく。
これは、あまりにも都合の良い妄想だろうか。
それとも、勘違いなんかじゃなくて、芹さんも僕と同じ気持ちなのだろうか。
ぐるぐると考え込んでいると、いつの間にか公園に辿り着いていたらしい。
青々とした芝生が僕たちを出迎える。
芹さんに促されるままベンチに並んで座ると、彼女はリュックを漁り始めた。
「遅くなっちゃったんだけど」
はい、と渡された長方形の箱。黄色いリボンでラッピングされたそれは、少し重量感があった。
「誕生日おめでとう……ございました」
「あ、ありがとう……えっと、開けてもいい?」
「うん、いいよ」
するする、とリボンを解いて白い箱を開けると、中にはシンプルなデザインの黒いアナログ腕時計がおさめられていた。
「わ、腕時計……?」
「うんそう、腕時計ね、おすすめって言ってたから……グーグル先生が。これから使うだろうし、そんなに高くないやつだから気負わず使って」
「ありがとう……! 嬉しい!」
腕時計は今まで持っていなかったし、これは実用的で良いプレゼントだ……と、プレゼントのセンスに感動しながら丁寧に鞄の中に仕舞う。
早速明日から使おうなんて思うと、なんだかとてもワクワクした。
「あのさ」
「んー?」
僕の声に反応して、芹さんはキラキラと輝く澄んだ瞳でこちらを見上げる。
そんな目で見てくるのは反則じゃないだろうか──と思いながら、胸の中の淡い期待が膨らんでいく。
「えっと、芹さんて……」
絞り出さないと声が出ない自分がなんとも情けない。
"僕のこと、どう思ってるの?"
そう続くはずの言葉は、突然現れた気まぐれな訪問者によって遮られた。
「あっ、わぁ、三毛猫だ」
……来訪者──じゃなくて、来訪猫、だなと僕は自分で自分にツッコミを入れる。いつの間にか足元にいた恐らく野生の三毛猫は、芹さんのハイソックスに自らの小さな頭を擦り付けて戯れていた。
「随分人慣れしてるねぇ」
手を伸ばして猫を撫でる芹さん。猫は気持ちよさそうに目を細め、その掌を受け入れていた。やけに手慣れた様子で猫を撫でていた芹さんだったけれど、その気まぐれな毛玉が次の行き先に向かうと、僕の方に向き直って言った。
「あっ、ごめん萩くん。何か言いかけたよね?」
「あー……いや、何でもない……」
三毛猫の登場によりすっかり緩んだ空気。どうしてこうもタイミングが悪いのだろうか──と己の運のなさに内心落胆しつつもどこかホッとしたのも事実。
芹さんは、今は恋愛する気無いって言ってたし、と半ば強引に自分を納得させて気持ちを飲み込む。
「そろそろ帰ろっか」
「そうだね」
僕たちが立ち上がると、木陰からこちらを眺めていた猫は身体を震わせ公園の隅の草むらへと逃げ込んでいった。
*
──翌日。
今日から忙しくなるなぁと思いながら、少し残っている夏休みの宿題を持って家を出る。
勿論、腕時計も忘れずに付けて。
芹さんはもう奈良についている頃だろうか。
「おはようございます」
「おー、おはようさん。早いやん」
「あ、ちょっと……宿題をやろうと思って……」
休憩室に置かれた長椅子に鞄を下ろして、中からプリントと、大学や専門学校のパンフレットを取り出す。
──夏休み中に見学に行った学校のレポートを作成すること。それが、残していた宿題。とはいえ、手のひらサイズの紙に少し書けば良いので簡単なもの。
レポートを書き始めて数分後、料理長の視線を感じた僕は顔をあげた。
「……あの?」
「なんや」
「いえ……視線を感じて……」
「……そのパンフレット」
料理長が指差したのは、とある一冊のパンフレットだった。




