44輪目 アンスリウムー煩悩ー
静かに始まる、バイト先の店長に恋をする女子高生の青春ストーリー。
一巻の半分ほどを読み切った時、横でスマホをいじっていた藪沢くんが僕に問いかける。
「俺さ、部屋着に着替えてもいい?」
「ん? うん、いいよ」
立ち上がってベッドの上に畳まれて置いてあった服を回収する藪沢くん。僕の視界から外れて着替え始める彼のことは気にせず、再び漫画の世界へと没頭する。
──怪我でスポーツを諦めた少女が、アルバイトを始める。そこで出会ったのは、一回り以上も離れた冴えない男店長。
二人は、仕事以外のたくさんの時間を過ごし、お互いに惹かれあい、そして、捨てたはずの諦めきれなかった夢に向かって進み始める。少女は、再びスポーツの世界へと。店長は、昔デビューを夢見た小説を。
周りの人も巻き込みながら、季節を越えて、そして──……。
「藪沢くん、これめっちゃ良かった……」
「おー、読み終わんの早いな」
全五巻で構成されたその漫画を読み終えて、余韻に浸りながら感想を語る。
「なんていうかこの、みんなが前を向いて進んでいく感じと最終的に二人の関係が日常に溶けてなくなる感じが良かった……」
「あー、わかるわかる。最終的にくっつかないのが良いよなこれ……って、せっかくならもっと少女漫画らしい少女漫画渡せば良かった」
いつのまにかベッドに寝転がっていた藪沢くんが寝たままの体制でテーブルに手を伸ばす。
次に差し出されたのは、ピンクと白を基調にした、いかにも少女漫画ですといった表紙。
「これは結構王道系かも」
「そうなんだ」
「あ、てか背もたれないのキツくない? ベッド寄っかかっていいよ」
「……じゃあ、そうしようかな」
お言葉に甘えて、ベッドの側面を拝借する。ポジションが定まった所で、ぺらり、と表紙を捲る。あまり新しくはない漫画のようで、所々に染みが付いていた。
この漫画は、先ほどのものとは違って同い年二人の恋愛の物語。全三巻か、と積まれた漫画の中から同じタイトルを探し出して把握する。
勉強もできてスポーツも出来る、親がお金持ちの負け知らずの小学生の男の子の前に現れた一人の転校生。無表情で貧乏なその女の子は、主人公の男の子の事を、勉強でもスポーツでも追い抜いていく。生まれて初めて体験した敗北に、男の子は歪な復讐を掲げる。
──クソ生意気なあいつを、惚れさせてこっぴどく振ってやる!
しかし、小中高…….大学まで一緒に過ごしていくうちに、その歪な復讐心は、恋心へと変わっていき、そして……。
*
「これも良かった……」
「おー、だろ?」
雑誌から顔をあげた藪沢くんは、寝転がったままの体勢でそう言った。
「僕あんまり少女漫画とか読んだことないんだけど、結構面白いね」
「まあ、たまに読むとな」
「藪沢くんは……それ、なに読んでるの?」
「……ファッション雑誌的なやつ」
「……それ、男が読んでも面白いの?」
こちらから見える表紙には、ポップな文字で書かれた雑誌のタイトルと僕には無縁な──というか、もはや意味のわからないカタカナ語が並んでいる。
「俺は母ちゃんが美容部員でさ、昔はよくくっ付いて眺めてたから読み慣れてるけど、どうだろ? 読んでみたら?」
はい、と差し出される先程まで藪沢くんの手の中にあった雑誌。
それを受け取って、適当なところから開く。
流行りのメイク、一週間着回しファッション、男性アイドルへのインタビュー……とことん女性向けの内容。藪沢くんはこれの一体なにを読んでいるのだろう、と思いながら、次々ページを捲っていく。
半分流し読みしていた僕だったけれど、コラムページのタイトルを見て手が止まる。
【シチュエーション別! カップルのベスト身長差】
シチュエーション別ベスト身長差……そんなものもあるのか、と半分感心しながら本文に目を移す。
並んで歩きやすいのは十五センチ、頭を撫でやすいのは十五センチ以上、そして……。
「そんな熱心に何読んでんの?」
「うわっ!?」
いつの間にかベッドから起き上がっていた藪沢くんは僕の横に座り、雑誌を覗き込む。
慌てて雑誌を閉じるより先に、藪沢くんの指が雑誌を取り上げた。
「ベスト身長差……」
小さな声でタイトルを読み上げて、そのまま本文を読んでいるのだろう。黙り込んだ藪沢くんは、目だけを動かして文章を追っていく。
「想像した?」
コラムを読み終わったのだろう。藪沢くんは、ぱっと顔をあげて口元を緩ませながら僕に問う。
「……してないよ」
「ほんとに?」
「ほんと、に!」
「でもちょっとは考えたでしょ?」
「う……まあ、身長差どれくらいなのかなとは思ったよ」
「で、想像したと」
「し、してないって……」
"してない"のは、本当だ。しようとして、恥ずかしくなって辞めたから、未遂に終わっている。
僕は、ミニテーブルの上に放り出された雑誌をちらりと見て先ほど読んだ内容を思い出す。
ハグしやすい身長差は二十センチ、キスしやすい身長差は十五センチ。
「萩ってぇ、意外とむっつりだったりして」
「違うって……」
「あ、そういえばさ、ばあちゃんが良かったら晩ごはん食べてけばって言っててさ……」
藪沢くんは、そう言いながら視線を部屋の扉の上、壁掛け時計に移す。
「あっ、やばっ、そろそろ姉ちゃん帰ってく──」
手早く漫画と雑誌を纏めて、部屋の扉を開けようとする藪沢くん。しかし、彼の手が扉を押すよりも先にそれは開いた。
「あ、お、おかえり……」
「アンタまた私の部屋入ったでしょ!」
入口の前で立っていた藪沢くんのお姉さんは、パチン! と癖っ毛の跳ねる頭を叩く。
「いったぁい!」
「……あれっ、友達きてんの?」
「うん、そう」
藪沢くんを押しのけて、部屋に入ってきたお姉さんを見上げる。
ウェーブのかかった金髪に、私を見てと言わんばかりの目力。真っ赤なリップ、派手な色使いの主張の激しい服装……。藪沢くんのお姉さん、めっちゃギャルだ……と若干びびった僕の前に彼女は立ち塞がった。
「あ、お邪魔してます」
威圧的な雰囲気に圧倒されそうになりながらも立ち上がって挨拶を挨拶をした僕を物珍しそうに見つめるお姉さん。
芹さんよりも随分高い位置にある頭。芹さんって結構ちっちゃかったんだな、と思考がよぎる。
「よく来てた子たちとは違う感じじゃん」
「あー、そうだよ、萩はタイプ全然違うよ」
「ふーん。丁寧そうだし可愛い顔立ちしてるじゃん。萩くん……で良いのかな。顔だけが取り柄の弟と仲良くしてくれてありがとね」
「あっ、いや、そんな。むしろ仲良くしてもらえて嬉しいのは僕の方で……!」
「真面目か!」
けらけらと笑いながら振り返って藪沢くんの元まで歩いていくお姉さん。彼女は、藪沢くんの手の中にある本の束を回収して、そのタイトルを眺めた。
「……男二人で少女漫画にファッション誌……?」
怪訝な顔をしたお姉さんは、手元の本と、僕たちの顔を二、三回見比べてから気持ち悪、と吐き捨てて部屋を出て行った。
「べっつにいいじゃんかなぁ! あっちだって妹と二人で俺の部屋の少年漫画読んでんだし!」
「ま、まぁ……それにしても、藪沢くんのお姉さんスタイル良いね……」
「……あぁ、アパレルショップで働いてるから気は使ってるんだよ、性格は最悪だけど」
そう答えて再び時計を見た藪沢くんは、先程の話の続きをする。
「ばあちゃんがさ、晩ごはん食べてけばって言ってて。どう?」
「……んー。えっと、じゃあ、ご迷惑じゃなければ……」
「おっけ! じゃあ、そろそろ時間だからリビング行くか」
藪沢くんの後に続いて、階段を下りる。
ちょうど夕飯時だったらしい食卓には、色とりどりのおかずが並べられ美味しそうな香りが漂っていた。




