42輪目 シャクヤクー恥じらいー
目覚まし時計の音でいつも通りの時間に目を覚まし、いつも通り朝の支度を終える。
約一週間ぶりの学校へと足を運びながらぼんやりと考えたのは、ゴールデンウィーク明け──ということは、そろそろ遠足の時期だということ。
ついでに、去年のゴールデンウィーク明けは散々だったとひとり苦笑いをして、家の最寄駅の改札機を通過してちょうど良いタイミングでホームに到着した電車へと乗り込む。
学校の最寄駅で電車を降りると、見慣れた風景にお揃いの制服が溢れかえる。企業もあまりないし、他に学校もないから、同じ場所に向かう同じ制服の姿が多くなるのは必然といえば必然なのだけれど。
校門を跨いで、校舎への道を歩く。生徒の後ろ姿の群れに混ざって、丸っこい頭の、小柄なシルエットを発見した僕は声を掛けようとして──なんと言えば良いのだろう、と戸惑って呼び止めようと出しかけた手をを引っ込める。
……いつもどうやって声掛けてたっけ?
そう考え始めてすぐに答えを探り当てる。
そうだいつも向こうから声を掛けてくれてたんだ、と。そもそも、芹さんが僕よりも先に登校していること自体が珍しいことで。
決して短い付き合いではないのに、なんと声を掛けて良いかわからないという自分の不甲斐なさに落ち込みながら前を歩く芹さんと一定の距離を保つ僕の肩を、誰かの手が叩いた。
「おはよっ!」
「……あ、藪沢くん! おはよう」
「めっちゃ猫背になってんぞ? ……てかあれっ? 前にいるの芹さんじゃない? なんで声掛けないの?」
藪沢くんは、僕の腕を引っ張って芹さんの近くまで駆け寄るとその肩を叩く。
イヤホンを外しながら振り向いた芹さんは、僕と藪沢くんの姿を確認すると「おはよー」と挨拶をした。
「芹さん今日早いね?」
「うん。用事あるから」
ぽんぽんと軽い様子で会話のキャッチボールを交わす二人。藪沢くんは言わずもがな、芹さんも初見でとっつきにくい印象だっただけでコミュ力自体は高いのだ──とは最近気付いたこと。ますます浮き彫りになる自分の対人能力の無さに嫌になる。
「ていうかもしかしてずっと後ろにいた?」
「俺は今来たとこだけど、萩はずっと後ろにいた……よな?」
そう言って藪沢くんは、僕の方を見る。つられて芹さんもこちらを見上げて、くりっとした大きな瞳と目が合った。
「んー……うん」
「そうなんだ、声掛けてくれれば良かったのに」
「あー、まあ、ちょっと。色々考え事? とかしてて」
「ふぅん」
それ以上言及されなかった事に胸を撫で下ろした僕の肩に、藪沢くんが腕を回す。
「近っ、どうしたの藪沢くん」
「んー? どうしたのはこっちのセリフなんだけどな〜」
にやけ顔の藪沢くんは、顔の緩みを直さないまま更に言葉を続ける。
「ここじゃなんだからさ、放課後暇?」
「暇だけど……さ。なんか変な勘違いしてる人いるから……」
「ん?」
「あっ、あたしには構わず……」
「いやっ、違うんだよ芹さん」
藪沢くんの腕を解いて、ついでに距離を置こうとした芹さんを引き止めて、誤解も解く。
事の発端の当事者である藪沢くんは、僕たちの様子を見ながら呑気に笑っていた。
「放課後どっか行くの?」
芹さんが藪沢くんにそう問いかけると、藪沢くんは笑って言う。
「俺んちで男子会! 芹さんも来る?」
「えー? あたし別に男子じゃないから……じゃああたしは、苺花たちと女子会でもしてよっかな」
「志木さんと? じゃあ俺もそっち混ざろうかな。なんか楽しそうだし」
「……本気?」
「……じょーだんじょーだん。じゃ、俺昇降口向こうだから! 萩! 放課後クラスまで迎えに行くから帰んなよ!」
「あ、はぁい」
パタパタと駆けていった藪沢くんは、前方に見つけたらしい友達の背中を叩いて声を掛けてまた会話の花を咲かせている。
あのフットワークの軽さは一体どこでどう身につけてくるのだろう? 生まれ持ったものなのだろうか……と少し羨ましく思いつつ芹さんと二人で教室へと向かった。
いつもはそこそこ賑やかな教室は、まだ少し早い時間だから来ている人も少なく静まり返っていた。隣同士の席に荷物を下ろして座り、僕は芹さんに問いかける。
「用事って?」
「アレだよアレ。進路のやつ」
「進路のやつ……あっ、面談?」
「そうそう、なんでこんな時間にやるんだっていうね。じゃ、いってくるね」
「いってらっしゃい」
芹さんを送り出してから、自分の席にぺたんと寝そべる。
自分が放課後に面談組だから気にしてなかったけど、朝からやる人もいるんだなぁ……。自分の面談はいつだっけ、明後日か……と、まとまっていない進路の事を考えていた。
*
「ただいまぁ」
「おかえり……早かったね」
僅か十数分で戻ってきた芹さんは隣の席に座って、頬杖をついて僕の方を見る。
「あたしはほら、もう就職で決めてるからさ? 本格的に始めるのは三年になってからでいいみたい」
「そっか、就職……芹さんて、バイトも結構入れてるよね?」
「うん。高校出たら家出たくてさ。今貯金中」
さらりと告げられた、衝撃の事実。
「え、家出るの?」
「うん」
何でもないこと、と言った様に答えた芹さんはそのまま前を向いて黒板に書かれた今日の予定を眺める。
その横顔はどことなく大人っぽく見えて、この先のことをはっきりと考えていない僕とは違うなぁとその差をまざまざと見せつけられた様に感じた。
「……ちゃんと考えててすごいなぁ」
「考えたっていうか……まあ……」
「あ、ごめん……踏み込まない方が良かった、よね?」
進級した直後にも同じような話をしたのに……と咄嗟に謝罪の言葉を口にする。
「別にそんな気にしなくて良いのに」
そうフォローした芹さんは、本当に気にしていないようにも見えたし、困り笑いしているようにも見える。
僕が、もう少しうまく立ち回れたらいいのに……と項垂れていると芹さんは首を傾げて言う。
「……どうしたの?」
「いやなんか、もっと気の利いたことが言えたらなぁって……」
「いや……」
少し間を置いて芹さんは、僕の方に向き直る。
「萩くんは充分優しいよ? だから、大丈夫」
そう言った彼女の表情はとても優しくて、緩みそうになる──いや、もうすでに緩んでいるであろう口元に手の甲を添えて、視線を逸らす。
「えー……なんか、めちゃくちゃ照れる、けど、ありがとう……」
僕がそう言うと、芹さんも前を向いた。横目で彼女を窺うも、俯いた横顔はさらさらと流れる髪の毛に覆われてその表情を見ることは叶わなかった。
「うん……なんか、あたしまで恥ずかしくなってくるからさぁ……」
それから始業までの時間。いつもの空気を思い出せなかった僕は、結局何も話すことが出来なかった。




