41輪目 アザレアー恋の喜びー
「……あれ、一瞬寝てた……?」
ふわ、とあくびを漏らした芹さんに「大丈夫だよ」と短く告げる。
今日は良い天気だし、動いたあとだから眠くなるのも当然といえば当然だろう。芹さんは僕よりも大活躍だったし。
「萩くん顔赤くない? 屋上暑い?」
僕のことを下から覗き込むようにして、空色の瞳が見つめる。
「え、あ……いや……大丈夫」
「そう?」
目を逸らした僕をそれ以上追求することなく、携帯の画面を見る芹さん。
知らず知らずのうちに詰まっていた息を、解放させるように静かに吐き出す。
「そろそろ行こっか」
軽やかな動作で立ち上がった芹さんに続いて、僕も立ち上がる。
途中通りかかった何個かの教室では、我関せずといった様子で自習をしている生徒もごく少数だったけれど見受けられた。
誰もいない、空っぽの自分たちの教室に荷物を置いて、体育館へと向かう。
重い扉から漏れ出す声と音が、中の盛り上がりを僕たちに知らせていた。
「おー、時間ちょうど……かな?」
歓迎会は、タイムスケジュール通りに進んでいるらしい。芹さんがそう言った瞬間に、ステージに現れる柳先輩と、そして──去年の文化祭で話しかけてきた、風見先輩の姿。
ステージの上の定位置についた三人は、白と黒のボーダーラインをあしらった少しずつデザインの違う衣装を身に付けていた。
僕は、芹さんの言葉を思い出しながら静かにステージを見上げる。
そうこうしているうちに、演奏の準備が終わり、照明が少し落とされる。大きくなる歓声に、彼の──彼らの、人気の高さと期待度を思い知らされた。
期待に包まれた会場で鳴り響く、一曲目。
僕は見ていないけれど、映画にもなった有名な曲。
誰もが一度は聴いたことあるだろうその曲のチョイスに、更に会場が沸き上がる。
音楽に疎い僕でも、芹さんが言っていた「練習量がすごいから、技術力がある」という言葉を理解することが出来る程に完成度の高い、各々の個性を発揮された演奏は、見れば見る程引き込まれそうだ。
僕は、ステージ奥でリズムを刻むドラムに目を向ける。
二本のスティックを自由自在に操る柳先輩は、いつもよりも楽しそうな姿でそこに存在していた。
──全くの、別人みたいだ。
普段の柳先輩はもっと、冷たいような、そんな雰囲気なのに。
そして──会場の空気が最高潮に保たれたまま全ての曲が終わり、その日の新入生歓迎会は、閉会の挨拶をもって終了となった。
*
「どーだった?」
帰り道、駅まで続く道で芹さんは唐突に僕にそう聞いた。
おそらく、柳先輩のバンドの話だろう──とあたりをつけて、返事をする。
「……芹さんが言ってた通り、うまいな、って思った。あとはなんだろう、楽しそう……って思ったかな」
僕の月並みな感想を聞いて頷いた芹さんは、楽しそうに口を開いた。
「リヴィの、リ、ってもうひとつ意味があるんだよ。フランス革命のさ、スローガンってわかる?」
フランス革命の、スローガン……。中学生の時に読んだ教科書の内容を頑張って思い出す。
「……自由のための革命だったのは、なんとなく」
「あたしも難しいことはさっぱりなんだけど、その、自由の頭文字を取ってそのままバンド名につけたんだって」
……なんともふわっとした説明。芹さんが世界史が苦手だということがひしひしと伝わってくる……と的外れな感想を抱きながら、考える。
自由……リベルテ。なるほど、なんとも柳先輩らしい理屈じみたバンド名だ、と勝手に納得して、質問を投げかける。
「あの衣装もなんか意味あるの?」
「あー……あれね。もともとは囚人とか道化師が着てたデザインのボーダー服が、自由の象徴になったのもフランス革命の辺りなんだって」
「そうなんだ……ところでさ」
いつもよりも楽しそうにいきいきと語る芹さんに、最後の質問をする。
「……その、好きなんだね。柳先輩……の、バンド……?」
「んー?」
少し考えた芹さんは、僕が言わんとしていること察したらしい。口を開いた芹さんは、僕の質問にこう返した。
「バンドは好きだよ? 柳先輩は……まぁ色々あったけど……うん、もう大丈夫」
「ふーん……そういうもの、なんだね……」
確かに。僕も、一年も経てば中学生の時の事なんて思い出さなくもなってきたし、最初の数日間行くのを拒んだ学校も今では一番居心地の良い場所として僕の時間の何割も占めるようになっている。
でもそれは、時間が過ぎたから、だけじゃない。
「なんも思わなくなったっていうか、今が楽しいからさ。考える暇もないくらい」
「それは……僕も、そう」
藪沢くんや、志木さん達。みんなで過ごす時間も好きだけど、芹さんと二人で過ごすのんびりとした時間はもっと好き。
そうはっきりと自覚したからだろうか。校門を出て、駅に続く道を歩くのは少し名残惜しい気持ちになる。
「萩くんさ、サンドイッチ作れる?」
「サンドイッチ……どうだろう?」
唐突に投げかけられた質問。サンドイッチって、パンに挟む以外の工程があるんだろうか……とコンビニに売っているサンドイッチを想像する。
「あたし、おかず持って来るからさ、屋上でピクニック? しようよ」
「ピクニック……いいね。じゃあ、いつにしよっか」
「んー、いつでもいいよ? それは合わせるから」
「梅雨入るまでにはやりたいね」
改札機に定期をかざしながらその風景を思い描いた。いつも通りの日常風景なのに、大義名分があるだけでなんとなく楽しみになるなあと心躍らせる。
「あたしちっちゃい頃はさ、結構ピクニックとか連れてってもらってて……結構好きなんだよね」
「……僕も、好き」
「でしょ? あっ、電車来たから乗るね。じゃあ、また週明けね」
軽く手を振る芹さんに手を振り返して、電車を見送る。ホームへと続く階段をのぼりながら、サンドイッチの具材はなににしようだとか、来週からの学校のことを考える僕の鼓動はいつもよりも幾分うるさくて、それでもどこか心地よいものだった。




