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ききょうくんとなずなさん  作者: Nas
一年生の頃のお話
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31輪目 オドントグロッサムー特別な存在ー

「どっか出かけんの?」

「うん、ちょっとだけ。晩ごはんまでには戻るから」

「そう、いってらっしゃい」


 一月一日、元旦。


 のんびり紅白を流しながら年を越して、昼過ぎに起き、母親と形式的に年始の挨拶を交わした後はのんびりお餅を食べながら一緒にテレビを見る。それは、毎年変わらないのどかな一日。

 こういう日は、いつもはどこか重い家の空気も軽くなる。もしかしたら、昨日の大掃除の成果かもしれないし、お正月という特別感のお陰かもしれない。

 弾むまでとはいかないまでも、ぽつりぽつりと会話をしながら、とにかくのんびりとした時間を過ごしていた。


 常日頃から付けっぱなしのテレビを流し見している僕だけれど──年始の番組は、正直どれも面白くない、と思う。特にここ最近はそれが顕著なように感じる。無駄に華やかで賑やかなだけだし──と、テレビに飽きた僕は徒歩圏内のショッピングセンターに行こうと思い立ち、席を立ったのだった。


 ショッピングセンターにつくと、いつもはもっと空いている駐車場にも満の字が点灯されていた。入りきれなかった車の行列を横目に、一番近くにあった自動ドアから店内へと入る。

 年末から注目度の高かった福袋は買い尽くされ、いつもよりだいぶ人は多いけれどかろうじて歩ける店内を、目的も決めずに彷徨う。朝一から初売りに参加したくはないけれど、こういう雰囲気は嫌いではない。街全体が浮かれているような、そんな空気。なんの変哲もない一日だというのに、特別な気分になってしまうのはやはり日本人故だろうか。

 そんなことを思いながら、ふらっと入ったシンプルなデザインを売りにした雑貨屋であれこれ物色していると不意に横から声を掛けられた。


「あれ、萩くん?」

「えっ……?」


 聞き覚えのある優しい声。

 僕は、姿を確認するとその人を呼んだ。


「先生……?」


 久しぶりに見たその人──中学生の頃の保健室の先生、つまりは僕が中学校在学中に一番お世話になった先生。市内の中学校に勤務していたわけだから会うのは決して不思議なことではないけれど、全く想定していなかったタイミングの再会に思わず思考が止まりかける。


「やっぱり、萩くんだったんだね。あけましておめでとう」

「お、おめでとうございます」


 記憶の中に残る笑顔と何も変わらぬ優しく柔らかい笑顔を僕に見せてぺこりと頭を下げる先生。柔らかそうな少しカールのかかった髪から、石鹸のような香りが漂う。何ひとつ変わらぬその様子に安心感を抱いて、年始の挨拶とともに僕も頭を下げる。


「背も伸びてたし、髪型も結構変わってたから一瞬人違いかと思ったけど、合ってて良かったぁ」

「これは……えっと……勧められて……?」


 言い出した本人は全くそんなつもりはなさそうだったけれど、といつぞやのピザ屋での会話を思い出しながらポニーテールの毛先をいじる。


「そうなんだね。時間大丈夫? 折角だから、少し座ってお話しよっか」


 先生の右手が指差す先、そこにはちょうど二人分空いた休憩用のベンチが置かれていた。エレベーターの陰に隠れるようにして置かれているベンチに、二人並んで座る。右から伝わる人の体温と甘い香りに緊張する僕より先に口を開いたのは先生の方だった。


「なんだか、雰囲気が明るくなったね」

「え、えっと、そうですか?」

「うん。高校生活はどう?」


 ──高校生活、か。

 僕は、春に少し遅れて登校してからの事を思い出す。

 芹さんと出会って、二人で初めてご飯を食べた屋上から見た青空。そして、動物園を一緒に回った遠足。そういえば藪沢くんと仲良くなったのもその頃だった気がする。それから、文化祭のこと。


「……楽しい、です。すごく」

「そうなんだね。……それは良かった。仲の良いお友達はいるの?」


 仲の良い、友達──その言葉でふと浮かぶ二人分の笑顔。芹さんと藪沢くん。改めて仲の良い友達だと口にするのもなんだか気恥ずかしいけれど、先生の前で変にはぐらかす必要はないだろう。


「……はい」

「ふふっ、そっかぁ。良かった良かった」


 にこにこと笑顔を見せながら僕の目を見つめる先生。優しさを滲ませるその瞳から目を逸らした僕に、先生は更に続けた。


「その中には好きな……気になってる子とかもいるのかな?」.

「え、好きな子ですか……? いや、僕なんかがそんな」

「……僕なんか、なんて言わないの」


 冗談めいたようでいて、心からのその言葉に僕は小さい声で返事をするしか出来なかった。沈黙が流れそうになる場を持たせる為に今度は僕から口を開く。


「あ、あの。先生から貰った本、もう少しで読み終わりそうで」


 先生から貰った本──それは、"スクールカウンセラーになりたい"と夢を語った僕に先生がくれた教本。学校やバイトの合間を縫って、少しずつ読んできたものだ。いつか先生と一緒に働けたら良いな、というその一心だけで。


「そうなんだね。そっか、頑張ってるんだね」

「いつか先生と働けたらって……あっ……」


 自身の左手で、サイドの髪の毛を耳に掛ける先生。その左手の薬指で輝く、ダイヤモンドの様な石。

 先生の手元を見つめたままの視線に気付いた先生は、その手を目の前にかざした。


「あ……これ? 先生ね、今度結婚するの」

「そう、なんですね。おめでとうございます」

「ありがとう。……来年の春に一回仕事は辞めちゃうんだけど、萩くんが大人になったら、先生も一緒に働きたいな」


 そう言って、いつかの様に差し出された先生の小指。


「……もう、子供じゃないです」


 口ではそう言いつつも、自分の小指を差し出す。交わした小指、交わされた約束はあの日と同じなのに、僕の気持ちだけは何処か遠くにいるような、そんな気がした。


「──あ、迎えが来たみたい。今日は会えて良かった。それじゃあまたね」


 最後に綺麗な笑顔を見せて、立ち上がった先生につられて一緒に立ち上がる。さっきは気付かなかったけれど、一年前よりも身長差が広がっているように感じた。


 柔らかい髪の毛を揺らしながら、一人の男性に駆け寄る先生の後ろ姿。その男性──恐らく、先生の婚約者は僕よりもずっと大人で、余裕があるように見えた。

 僕の視線に気付いたのだろう、先生は振り向いて手を振った。僕もそれに応える。

 心の中で、さよならの四文字を唱えながら。

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