26輪目 ネリネーまた会う日を楽しみにー
文化祭ぶりのその呼び名に慌てて教室入口を見ると、そこには両手をぶんぶんと振っている志木さんが立っていた。慌てて席を立ちその手を止める。
「志木さん! 誤解生むからその呼び方は……!」
まだ人の少ない時間で良かったと思いつつも弁解する。万が一にも他の人にまでその呼び名が知れ渡ったら後々厄介事になりそうだからだ。
「あれっ? 違うの? なんか風の噂で聞いたんだけど」
風の噂──ふと浮かんだのは、柴乃さんの顔。
「違います!」
「まぁいいやっ、ちょっとここだとアレだからさ、移動してもいい?」
「……あ、はい」
志木さんに連れられて来たのは、購買前にある自動販売機。苺の形をしたポーチを取り出した志木さんは僕に言った。
「好きなの選んでいーよっ」
「えっ!? いやいや、悪いですよ。自分の分くらいは自分で……」
「でも財布持ってきてないっしょ?」
確かに、財布は持ってきていないけれど。……芹さんといい志木さんといい、躊躇なく人にご馳走するその姿勢。なんと言うか、育ちが違うんだろうなあと思う。
「ほんと、遠慮とかいーから!」
ここで押し問答していても仕方がないので言葉に甘えることにして、ドリンクを選ぶ。
「じゃあ……」
ガコン、と音を立てて落ちてきたアイスココアを志木さんの手から受け取る。続いて志木さんは、自分用にイチゴミルクを購入した。
「んじゃ、ちょっと着いてきてー!」
跳ねるように歩く志木さんについていく。向かった先は、人気の無い階段の踊り場だった。
「こないだはなずなのこと急に借りちゃってごめんね」
「や、それは全然……演奏かっこよかったです」
「ありがとー! そう言ってもらえると嬉しいな。てか、同級生だしタメ語でいいよっ」
「はあ……」
ピシッと目の前に向けられる人差し指。いちいち大きい動作に思わず後退りそうになる。
「んじゃ、ま、飲みながら聞いてよ!」
志木さんにそう言われ、手に持ったままだったココアの封を開け、少しずつ飲みながら志木さんが話し始めるのを待つ。
「んでね、まあ、本題。苺花さ、昨日もなずなに会ったんだけどね」
だけど、の次の言葉を選ぶようにして、手持ち無沙汰にイチゴミルクを弄ぶ志木さん。
下の階の廊下を女子生徒が話しながら歩いて行く声が聞こえてくる。その声が遠くなった頃に志木さんは再び口を開いた。
「……どこから話そうかなぁ。苺花、こういう話するの苦手なんだよね。えーっと、なずなが抜けた後──苺花たちは代わりのボーカルを探してて、高校入ってから見つかったのね。でも……」
「その子は長くは続かなかった……?」
「……うん、察しが良くて助かるなぁ。ざっくり言うと苺花たちと合わなかったみたい。苺花たち、練習中結構はっきりダメ出しするからさ。……あ、もちろんその子だけにじゃないよ? あきとか、椿──ギターの子にだって気になったら言うし」
ギターの子……あぁ、あの長い黒髪の子か。とあの日のステージの様子を思い描く。
確かに、あの演奏のクオリティは妥協しては出来ないのだろう。それに、何年も一緒に演奏してきた子たちの中に、突然入れば疎外感を味わうこともあるだろうと想像するのはそう難しいことではなかった。
「まぁ、そういうわけでね、なずなに帰ってきて欲しいってお願いしたんだけど……」
桃色の瞳を伏せて寂しそうな表情を浮かべる志木さん。その様子から芹さんの答えを察する。
「断られちゃった」
あぁ、やっぱり、と僕は内心落胆する。つまり──僕があのステージを見ることができるのは最初で最後だったわけだ。
「……そう、なんだ。でもどうしてそれを僕に?」
「えっとね、お礼したかったのと伝言をお願いしたくて」
「あぁ、そういうことなら全然──」
*
志木さんと別れて、教室までの道のりを少し急いで歩く。もう少しで朝のホームルームが始まってしまう時間だからだ。
足取りは急ぎつつも頭の中では先程の志木さんの言葉を思い出していた。
「まずお礼ね! なずなと仲良くしてくれてありがとう。たまーに廊下で見かけるんだけど、楽しそうに笑ってるから安心した。……本人には言わないで欲しいんだけどさ、なずな、中学生三年生の──本当に最後の最後、色々あって学校来れてなくてさ。心配してたんだけど……」
……芹さんが、僕と同じ不登校だったってことだろうか。その理由を聞いたらそれは教えられないと言われてしまったけれど。憶測でしかないけれど、ここ最近の出来事から察するに、あの人──柳先輩が絡んでいる、のだろう。
始業時間ギリギリに教室に入ると芹さんは既に登校していて、頬杖をついて黒板を眺めていた。僕が席に着くと、こちらを見て挨拶をくれた。
「……あ、おはよ。どっか行ってたの?」
「芹さんおはよう。うんちょっと……志木さんに呼び出されて」
「苺花に?」
芹さんが怪訝な顔をしてこちらを見上げたので、僕は「そんな、変なことは話してないよ」とフォローを入れ、本題に入る。
「伝言して欲しいって言われて。えっと、昨日の話は気にしないで良いっていうのと、気が変わったらいつでも歓迎するっていうのと、それから──また五人で遊ぼうだって」
芹さんは、僕の口から出る志木さんの言葉に優しく微笑みを零した。
「……そう、わざわざありがとね」
頬杖をついて前を向く芹さん。その横顔はとても穏やかで優しくて。僕は、芹さんの未だ知ることの出来ない過去に想いを馳せた。
「なに? なんか付いてる?」
「え、いや、なんでもない」
「そう?」
このタイミングで鳴り響く始業のチャイム。あ、なんとなく助かった。ナイスタイミング……と思いながら日直の号令で朝の挨拶をする。
そうして始まった、朝のホームルーム。担任は、いつも通り淡々と出席を取り、そして連絡事項を告げていく。文化祭明けだからか盛りだくさんな連絡を聞きながら、僕はまた、文化祭の思い出を反芻する。もう終わったけれど、もう少しだけ余韻に浸っていたかった。
──こうして、僕の、僕たちのはじめての文化祭は幕を閉じた。




