2輪目 ペチュニアーあなたと一緒なら心がやわらぐー
ゴールデンウィーク。
四月末から五月までの土日を含めた大型連休。
学校から出された課題もそこそこに、僕は持て余した暇をつぶす為に電車に乗って、県内最大級のショッピングモールのある街を散歩していた。
駅から十分程歩き、国道沿いの大通りまで出る。田舎と呼ばれる僕の地元とは違い栄えているそこは、ショッピングセンターを出ても大小さまざまな店舗が並んでいて、それらを眺めているだけでも楽しめる。
時間も忘れてふらふらとしていた僕だったけれど、太陽が傾いてきているのを確認し、流石にそろそろ帰ろう──そう思って時間を見るためにスマホを取り出した。数時間ぶりに見たそれは、ニュースサイトの更新を知らせるだけで誰からの連絡も入っていなかった。
スマホを仕舞おうとよそ見した僕の視界の端に自転車の前輪が不意に飛び出す。驚きながらもぶつからなかったことに安堵しながらその方向を見ると、そこは駐輪場のようで、そしてそこには見慣れた姿がいた。
「せ、芹さん?」
「え……? あ、萩くん?」
スカイブルーの車体の自転車を手押ししていたのは、クラスメイトの芹さんだった。
パーカーにジーンズの、普段の制服とは違うラフな服装は、それはそれでとても似合っていた。
「芹さん、どこか行くの?」
「いや、これから帰るの。バイト終わり」
「バイトしてるんだ?」
僕がそう言うと、彼女は国道沿いに並ぶ店のひとつを指差した。彼女の人差し指が指す方向──そこには、大手宅配ピザチェーン店の看板が堂々たる面持ちで佇んでいた。
「最近始めたの」
「へえ~。偉いね」
「まあ、お金になるし」
他愛のない話をしながら駅へと続く道を歩いていく。
芹さんは、僕にひとつの提案をした。
「萩くんさ、もし暇なら、ご飯でも食べに行かない?」
*
七輪からのぼる煙が排気口に吸い込まれていく。芹さんからの提案を快諾した僕は、芹さんおすすめの格安の焼肉食べ放題のお店に来ていた。煙の行方を見届けて、視線を下にずらせば、良い焼き色のついた様々な部位の肉が網の上で食べられるのを待っていた。僕はいくつかを自分の皿に移すと目の前でメニュー表を広げる芹さんに問いかける。
「なにか追加する?」
「んー、タンとあとカルビ」
「じゃあ、注文しちゃうね」
卓上のタッチパネルに注文を打ち込む。店員さんを呼ばなくていいのも、個人的にはポイントが高い。注文を送信し、顔を上げると、メニューを立てかけて焼肉に向かう芹さんの姿が目に飛び込んできた。プライベートだからなのか、はたまた焼肉だからなのかはわからないけれど、いつもよりも楽しそうな様子で、そんな彼女のことは僕は嫌いじゃない──そう思った。
網の上の肉を平らげて、皿の上の生肉をトングで網に乗せていく。休む間も無く繰り返されるその動作。これが焼きあがる頃にはきっと、次の追加オーダーがテーブルに届く。
「美味しいね、萩くん」
「うん。楽しいね、芹さん」
*
二時間の食べ放題を終えて店の外に出ると、芹さんは自転車を押しながら「アイス食べたいな……」そう呟いた。
小さな身体からは想像できないくらい彼女はよく食べるらしいというのは、今この時間に知ったこと。
「あ、僕もアイス食べたい、かも」
僕が同意すると、芹さんは勢いよく僕の方を向いて、きらきらとした瞳を見せつける。こんな顔もするんだ、と今日だけで何回思ったのだろう。
僕たちの目の前には、大手チェーンのコンビニ。迷わずその敷地に踏み入れた。
「ねー、ここのチェーンってさ、プライベートブランドばっか置いてるから普通のやつあんまないよね」
「それわかるかも……あ、芹さん。これはどう?」
「あっ、いいじゃん。それにしようよ」
会計を済ませ、コンビニの外に設置されているごみ箱の前で買ったばかりのアイスの封を開け、半分に割ると片割れを芹さんに手渡した。ちぎる様にして開けた蓋に僅かに残ったアイスを吸い出すと、食べ慣れたチープなコーヒーの味が口の中に広がった。
「もうすぐ駅だし、駅の近くに公園あるからそこで食べよ」
そう言って細い道を入っていく芹さんの後ろ姿を追いかける。線路沿いの公園はとても小さく、ブランコと鉄棒というラインナップの最低限の遊具しかなかった。
夜の公園の、木製のベンチに二人並んで座りアイスを食べる。茂みの中のどこからか名前もわからぬ虫の声が聞こえてくるだけの人ひとりいないこの公園にいると、世界に二人しかいないようなそんな感覚になる。とはいえ、本当に二人しかいないはずもなく、時折通る電車の音はやけに大きく響いて聞こえていた。
「そういえば芹さん、ピアス開けてたんだね」
「ん? そうだよ。気付かなかった?」
「学校ではしてないから」
「それもそうだね」
隣に座る芹さんの耳元で揺れるピアス。髪の隙間から時々チラチラ覗くたび、僕の視線はそれに奪われる。
どこかで聞いたことがある、狩猟本能──まさにこれのことだろう。
「萩くんはさ、髪の毛長いね。そろそろ結べそうだね」
「うーん、そろそろ切らなきゃかなぁ」
「切らなくてもさ、あれにしなよ、ポニーテール」
そう言って芹さんはアイスを口に咥えて両方の手で自分の後ろ髪を両手で纏めあげる。……短すぎて、ポニーテールには全然足りてなかったのだけれど。
「ポニーテール……校則的にアウトなんじゃない?」
「うちの学校は緩いから大丈夫」
そう言って芹さんはアイスを吸いきると、備え付けのゴミ箱にゴミを放り入れる。
綺麗な弧を描いてゴミ箱に入ったのを見届けて僕は……投げて入れられる自信はないから、歩いてそれを捨てに行った。
「そろそろ行く? 駅までなら送って行くよ」
「うん、行こっか。いま何時だろう……」
ポケットからスマホを取り出して、時間を確認する。そろそろいい時間だし、帰らなければ──。
僕はふと、芹さんの連絡先を知らないことに気が付いた。
「あ、ねぇ」
僕はメッセージアプリのQRコードを呼び出して、声を絞り出す。
「連絡先、教えてよ」
芹さんと駅の入口で別れた僕は、電車の一番端の席に座り、座席の仕切りにもたれかかる。
画面がつきっぱなしのスマホには、芹さんのホーム画面が表示されていた。
名前はシンプルにフルネーム。アイコンの画像は丸っこいペンギンのキャラクター、ヘッダーはずらりと並んだ食品サンプル。なんとなく、芹さんらしいホーム画面だと思った。
スマホを閉じた瞬間、一件の通知が届く。期待して開いたアプリには、母親からのメッセージ。
『いつまで遊び歩いてるの? 家入れないよ』
僕は息を呑み──静かにため息をついてから、もうすぐ帰るからと返信をした。僕の送ったメッセージには、既読がつくのみで返信はなかった。
母親は僕には言わないけれど、最近仕事が上手くいっていないらしい。僕の母親は、僕が物心ついた時からずっと夜の仕事をしている。そんな母親は最近よく、いらいらした声で電話越しに誰かと言い争っていて、それに加えて僕のような出来の悪い子供がいれば、それは、ストレスも溜まるだろう。
母親は知らないかもしれないけれど、中学生の時に不登校になって──高校も一週間も欠席してしまった訳だから。
ふと嫌な記憶を思い出し、乱れそうになる呼吸を押さえつけて、なんとか平常を装うと長い長いため息をついた。冷汗がひとつ、頬を伝う。
そんな時、手元の携帯が震えて新着メッセージの受信を知らせた。
僕の口元はきっと、僅かに綻んだだろう。
簡素なメッセージ。僕もそれに、シンプルな返信をした。
『こちらこそ、ありがとう』