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ききょうくんとなずなさん  作者: Nas
一年生の頃のお話
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15輪目 ルミタマアザミー鋭敏ー

 ──翌朝。

 いつもより少し遅いくらいの時間に起きた僕は、それでもいつものように制服に腕を通し、学校指定のネクタイを少し緩めに締めた。昨日終業式を迎えたので今日から夏休み。それでも僕たちはクラスに集合する。

 文化祭の準備の為に。


「萩! おはよー!」


 教室のドアを開けると、教室の机を全て端っこにに避けて中央で看板を作成しているようだった。


「あれっ、思ったより人数が少ないね……」

「まあ今日は暇人来てみたいな感じだったからかな? 柴乃さんとか、芹さんも来てないし」


 適当なところに鞄を置いた僕を、藪沢くんが近所のスーパーに誘った。なんだろうと思ったが断る理由もないので、折角たどり着いた涼しい教室からまた猛暑の中に出戻りする。昇降口から出た瞬間、快諾したことを後悔した……ほんとうに少しだけ。



「って、雑用じゃん」


 スーパーから貰ってきた両手いっぱいの段ボールを抱えて歩く。床や壁を装飾するのに使うらしい。


「まー、いいじゃん! これもあるしさ」


 僕と同じように段ボールを抱えた藪沢くんはそれを器用に片手に持ち直し、右手に持ったビニール袋を揺らした。

 その中には、アイス売り場最安値の、ソーダ味の氷菓菓子が二つ入っている。段ボールを物色していた僕を置いて、藪沢くんがいつの間にか会計を済ませていたものだ。


「そこで食べよっか」


 藪沢くんが選んだのは、学校の目の前にある公園。ちょうど日陰になっていたベンチに腰を下ろした僕は、制服の襟首から風を送り込んで少しでも涼もうとする。


「ほい」

「ありがと」


 藪沢くんの手からアイスを受け取って封を開ける。昔からの食べ慣れた味。そういえば、小学生の時は冷凍庫にストックされていて、よく食べたっけ。


「このアイスさー、昔は当たりでないか楽しみにしたよな」

「うん」

「いつからかそんな簡単に当たりなんか出ないって察したけどさ」


 藪沢くんの言葉に、ふと母親の「ハズレくじ」という言葉を思い出す。あの言葉は、僕たちを捨てた父親に向けられた言葉だったのか、それとも──……。


「そうだね。本当に……」


 地面を見つめながらそう返す。

 顔は引きつっていないだろうか、うまく笑えているだろうか。アイスから落ちた滴が僕の手に落ち、慌ててそれを囓る僕を見ていた藪沢くんは、ゆっくりと口を開く。


「──萩ってさ、普通に話せるし無害な感じだよな。成績もいいし、なんていうか優等生タイプ」

「なに、急に……」


 ちらりと藪沢くんの方を見やると、僕に向けられていた視線は真っ直ぐ前を向いていた。膝のあたりで組まれた手には、いつの間にか食べ終わっていたらしいアイスの棒が握られている。


「だから……萩のことを知るたびに、どうしても気になるんだよ。なんで学校来なかったのかなとか」

「あー……」


 アイスの最後の一口をゆっくりと溶かしながら考える。理由を言ったら彼は、僕のことをどう思うのだろう。

 液体になったソーダ味を飲み込む。時間稼ぎは、もう出来ない。頭の中に響くようなセミの声が煩い。煩いから、僕の声なんか掻き消されるだろう、そうであればいいと思って口を開いた。


「僕さ、中学生の時いじめられて不登校だったんだよ。──だから、怖くて来れなかった」


 相変わらずセミの声は煩くて、ついでに僕の心臓も煩い。頬を伝った汗がパタリと落ちた。


 沈黙が続く。


 きっと、なにを言えば良いか、言葉を選んでいるのだろう。僕は立ちあがって、努めて笑顔で言った。


「そんなに気にしなくていいよ」

「いや……ごめん、軽々しく聞いて」

「もう過ぎたことだし、ね」


 近くのゴミ箱に、当たりともはずれとも書かれていないアイスの棒を投げ捨てる。つまりこれは、はずれだったということだ。

 僕が段ボールを持ちあげると藪沢くんも立ち上がってアイスのゴミを捨てようとして──その手はゴミ箱の上で止まった。


「なんかあった?」

「……これ、萩にやるよ」


 アイスの棒をコンビニのビニール袋に入れて、僕のズボンのポケットに捻じ込んだ藪沢くん。されるがままで僕は、それでも一応抗議の声を上げる。


「そんな……野郎の食べたアイスの棒なんかいらないけど……」

「うるせっ」


 段ボールを抱えて教室に戻ると、看板を作っていたクラスメイト達が顔をあげた。


「二人ともおそーい!」

「何してたのー?」


 それに対して、藪沢くんは笑顔でこう答えた。


「男同士語り合ってたんだよ」


 な、と藪沢くんに向けられた視線に笑って返し、クラスメイト達の輪に加わる。遅れて僕も、床にしゃがみ込んで作業に参加しようとするとポケットの中で袋が音を立てた。

 そういえば、藪沢くんにゴミを捻じ込まれたっけ──そう思いながら、袋からアイスの棒を取り出す。

 平べったい木のそれには"あたり"の文字が刻まれていた。

 アイスの棒を見つめる僕に、笑いかける藪沢くん。それから、僕のことを温かく招き入れてくれたクラスメイト。

 僕は、心の中で燻る、暗い記憶に蓋をして、その歓迎を受け入れた。



 夜でもまだ明るい帰り道。行儀が良いとは言い難いけれどアイスを食べながら歩く。

 昼間に食べたものと同じ、ソーダ味。それは、家に着くとほぼ同時に全て胃の中におさめられた。

 ほんのちょっぴりの期待を胸に、くじを確認する。

 そこには、なんにも刻まれていなかった。


 ──当たりは何度も続かない。

 そんなこと、とうの昔に知ったことだったのに。次の作業日に改めて思い知らされることとなる。



 漫画の中の世界だと思っていた。真っ黒な川を挟んで男女が対立しているのを傍観しながら思う。

 完全に他人事だった僕は同じく他人事だと言うように壁に寄りかかりながら適当なところに視線をやる芹さんに視線を投げる。

 僕の視線に気付いた彼女は、小さく肩をすぼめてみせた。

 どこ吹く風の僕らの空気を張り詰めさせるように、女子のかん高い声が響いた。突然の大声に肩が震える。


「もう、いい! みんな帰ろ!?」


 泣いている女子生徒と、それを宥める友人。それから、男子を睨みつける人──。

 原因は、男女の間に置かれている絵具の滲むびしょびしょになった段ボールの看板。

 クラスの実行委員の藪沢くんが会議に行った後、作業に飽きた男子生徒が遊び始めて、水の入った筆洗いをひっくり返した。結果、無関係だった僕たちも巻き添えになり、男子対女子の構図ができあがってしまった。ここに、柴乃さんがいたらもう少し状況は変わっていたのかもしれないけれど、今日は家の用事があるとのことで欠席。

 藪沢くん早く帰ってきてと男子は願っているに違いない。僕もそう思う。しかし、その願いも虚しく女子生徒が荷物を纏め始めて教室を出る方が早かった。

 次第に男子側からも「俺らも帰る?」みたいな話がボソボソと出始めて、数人が出て行った。

 最後のグループが帰ろうとした時、藪沢くんが帰ってきた。心の中で藪沢くんに謝罪する。ごめん藪沢くん、僕に、リーダーシップがあれば……!


「え、ちょっと、これ何?」


 藪沢くんが最後尾を歩いていた男子の肩を掴む。


「すまん藪沢、今日は解散になった」

「……えぇ!?」


 引き留め切れなかった藪沢くんの手が行き場をなくして彷徨う。

 わかりやすくため息をついた藪沢くんが教室に入ってきて、中央に放置された段ボールとひっくり返されたままの筆洗いを確認して残っていた僕と芹さんを見渡した。


「あー……なるほどね」


 力が抜けたようにしゃがみ込む藪沢くん。


「……二人とも、帰っていいよ」


 力なく発せられた一言。

 帰っていいということは、つまり、この後始末は全て引き受けるという意味だろう。……そんなこと、させられるわけないのに。


「藪沢くん、僕も手伝うから! 完成は無理でも元通りにはしようよ」

「萩……さんきゅ」


 ゆるゆるとあげられた顔を見て、頷いた。

 まずは溢れたままの水を拭き取ろうとしゃがんだ僕の耳に声が届く。


「……あたしは何すればいい?」


 綺麗な雑巾をかき集めて濡れた床にそれを敷き詰める芹さん。それに答えたのは藪沢くんだった。


「……この段ボール使えなさそうだし、新しいの取りに行こっか。みんなで」


 ある程度水気を取ってから立ちあがり、教室を出る。

 周りのクラスはうまくいっているようで、賑やかな声が響いていた。


「あ、ついでにお昼だしご飯買ってこーぜ」


 落ち込んでから立ち直るのが早いらしい藪沢くんは、すっかりいつもの様子でスーパー入口の段ボールの山を一回通り過ぎてお弁当売り場へ向かう。

 僕は、いつもはパンが多いから、お米がいいなあと思いつつ、かすりもしない温玉ぶっかけうどんを手に取った。

 芹さんはお弁当があるらしく、所狭しと並べられた色とりどりのお弁当を眺めているだけだった。藪沢くんの手には焼肉弁当と、鮭のおにぎりが握られている。


「あたし戦力外だろうしまとめて会計してくるから、段ボール選んでてよ。お金は後でいいよ。他に買うものある?」


 近くにあった買い物カゴを用意しながらそう言った芹さんに藪沢くんは「適当にお菓子二種類くらい!」とリクエストをする。「わかった」と言った芹さんにお会計を任せて、藪沢くんと二人で段ボールを選びに入口へと向かう。適当に選び終わって待っていると、買い物袋をさげた芹さんが戻ってきて、三人で元来た道を引き返す。不謹慎だけれど、これから三人で行う作業にわくわくしている自分がいた。

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