107輪目 ブッドレアーあなたを慕うー
「彼氏さーん! 藪沢くーん! お疲れ様〜!」
時の流れは楽しい時ほど早いもので、ついこの間八月になったばかりだと思っていたら、もう中旬のお盆前に差し掛かっていた。
お盆休みの学校閉鎖前最後の登校日──僕が藪沢くんと廊下にて二人で話していたところに乱入してきたのは、クマのぬいぐるみを抱えた芹さんと、高い位置で手のひらを振る志木さん。
「あっ、二人とも。うちのクラスになにか用事?」
藪沢くんのその言葉に、首を振った芹さん。
「ううん、藪沢くんに」
「ちょっと遅くなっちゃったけど、藪沢くん、今まで部活お疲れ様!」
志木さんからの言葉とともに芹さんから藪沢くんに手渡される、赤い服を着てサッカーボールを抱えたクマのぬいぐるみ。それは、試合を見た後に三人で見つけて買ったものだ。
「えっ? いいの? ありがとう!」
「あとね〜もう一つあるんだけど」
そう言った志木さんが手渡したのは、少し大きめのピンク色の封筒。
「なにこれ? 手紙?」
「ううん、違うからここで開けていいよ!」
中身がなにかを察した僕は、思わず口が緩みかけて、それを誤魔化すように下唇を噛む。
横目で窺った芹さんも、おんなじ様に笑いを堪えていた。
「……いや、なにこれ?」
藪沢くんが取り出したもの。それは──。
「見ての通り、藪沢くんのブロマイド」
「しかも豪華に箔押しね!」
芹さんと志木さんがそれぞれ説明するも、いまいち状況を飲み込めていない様子の藪沢くん。それはそうだろう。当事者である僕も、未だに意味がわからないのだから。
僕は、三人で行ったレストランで開催された藪沢くんの写真コンテストの様子を思い出す。
志木さんの写真が選ばれて、それを印刷しよう──というところまでは良かった。
芹さんが「せっかくだしポスターにしない?」と言い出したところから話の流れが変わり、どんどんと脱線し、話は盛り上がり、最終的に「藪沢くんの箔押しブロマイド作ろう」となったのだ。
そして昨日、印刷所から無事に届いたらしい。志木さんの家に。
「よくわかんないけど、ありがとう……?」
「いやー! 苺花もよくわかってないけど、喜んで貰えたなら良かったよ!」
「よくわかってないんだ……」
混乱している藪沢くんと、やはり、よくわかっていないらしい志木さん。
次開催されることがあれば、恐らくは文化祭だろう──と僕は、準備が着々と進んでいる校内をぐるりと見渡す。すると、視線の先で紙袋をいくつも下げた人物と目が合った。その人は、僕の隣の──文化祭クラス委員である藪沢くんの名前を呼ぶと、目の前に立ち止まった。
「藪沢ぁ、これ」
「ん? あぁ、パンフレット出来たんだ」
その人は藪沢くんに紙袋をひとつ渡すと、次のクラスに向けて歩き出す。全クラスに配り歩いているのだろう。
「え! 苺花、パンフレット見たい!」
「じゃあ、一緒に見る?」
「見る見る!」
教室にパンフレットを置きに行った藪沢くんと、それに着いていく志木さん。
僕は芹さんと二人、廊下に取り残される。
「……芹さん、今年もお盆は帰省?」
「うん……そう」
世間の長期休みになると、芹さんは奈良にあるというお父さんの実家へと必ず帰省する。
本人は嫌だと言うけれど。
「連絡してくれたら僕、いつでも暇だし……」
「大丈夫だよ、ありがとう。お土産買ってくるね」
「うん……」
この話になると芹さんは、少し元気がなくなる気がする。目の前で大切な人が困っているのに、なにひとつ出来ないことがもどかしいような気持ちになりつつも、訪れそうになる沈黙を破るようにして口を開く。
「あっ、そういえばパンフレット届いたんだっけ? 僕も貰ってこなくちゃ」
結局、今の今まで芹さん達のクラスが何をするのか教えて貰えないままだった。知る手段はいくらでもあったけれど、深追いはしないようにしていた。その行為に特に意味はないけれど。
一度七組の教室の前を通りかかった時に覗いて知ったのは、メルヘンな世界を作っていたこと。ただそれだけ。
「あ、あたしも一緒に見ていい?」
「うん」
いよいよ観念したらしい芹さんと一緒に、教室から死角になる廊下の隅で壁に寄りかかってパンフレットを開く。
表紙を開くとまず、文化祭実行委員長の挨拶が載っていて、その次のページからが催し物の一覧。一年生、二年生……と続き、ちょうど真ん中の位置に三年生のページがあった。
「一組はあれでしょ? 男女入れ替え衣装……」
「……そうみたいだね」
「現実逃避しないで?」
現実逃避をしたところで、当日になって役割が変わることはないし、衣装ももうほとんど出来上がっている。それは自分が一番わかっているけれど、認めてしまったら負けな気がして、無駄に抗ってしまう。
僕は、パラパラとページを捲ってお目当ての七組の紹介ページで手を止めた。
「……えっ、こ、これ本当?」
芹さんと志木さんのいるクラス──三年七組の催し物。それは──……。
「なっ、七組って……メイド喫茶……やるの?」
「…………嘘なわけないでしょ」
若干長めの沈黙の後に掻き消されそうな声でそう言った芹さんは、ため息を吐いて更に続けた。
「でもあたし、調理だから……当日はあんまり外にいないかも、なー……」
「そんな……挙動不審すぎるって」
しどろもどろかつ、棒読みな芹さんの様子に思わず笑みが溢れる。必ず時間を合わせて行こう──と思いながら、パンフレットのページを更に捲る。
各クラスの展示の紹介の後ろには、部活の催し物が載っていて、一番後ろの方には一般公開日である二日目に行われるステージ企画のタイムスケジュールが載っていた。
体育館では、朝の時間帯にコンテスト企画があり、昼からは演劇部や軽音部の発表といったラインナップが並んでいる。そこにはもちろん、芹さんや志木さんの所属するバンド──セゾン・シャルムの名前もしっかりと印刷されていた。
「今年の文化祭、回るところ多くて大変だなあ……」
「あたしはまあ……そんなでもないかも。その分練習が大変だったけど」
「忙しそうだったもんね」
実は、夏休み期間中に芹さんと会うことは数えるほどしかなかった。基本的に誰かの手伝いしかしていなかった僕と、就活にバンドの練習に……と忙しかった芹さんとではなかなか予定が合わなかったのだ。
「忙しかったけど……でも、楽しかったよ」
「そっか、じゃあ良かったね」
「……萩くん、ありがとね」
「え?」
話の脈絡を得ない、突然の感謝の言葉。思わず聞き返した僕のことを、芹さんは寄りかかったまま見上げた。
「あたしがいま楽しいのって、萩くんのおかげだもん」
「そ、そんなこと……それ言ったら僕だって、芹さんにお礼言わなきゃいけないことたくさんあるよ」
──思えばずっと、芹さんには助けてもらってばかりだ。
一年生の時に揉めごとがあった時や、二年生の夏に全てから逃げ出しそうになった時。彼女はいつも、陰から──あるいは、手を差し伸べて助けてくれた。
初めて学校に来た、よく晴れた春の日。あの日声を掛けなければもっと違う高校生活になっていただろう。
人間関係に萎縮していた僕が、誰かを好きになって──そして、好きになって貰えるだなんて思ってもみなかった。
「なずなーっ! そろそろ戻ろ? 衣装届いたって!」
「っ、ばか! そんな大声で!」
僕たちの教室から飛び出してきた志木さんは芹さんの言葉にキョトンとした表情を浮かべる。
「あっ、芹さんやっぱり接客なんだね……?」
「あー! そういうことか! もう諦めなよ〜」
「当日インフルエンザになりそう」
「いやいや、もう諦めなって! じゃあ、また休み明けね! 彼氏さん!」
最後まで賑やかな志木さんに引きずられるようにして、自分たちの教室に帰る芹さんの後ろ姿を見送って、僕も教室へと戻る。
「あっ、その……衣装、出来ました……」
待ってましたと言わんばかりに僕に衣装を広げて見せる夏目さんと、その後ろでニヤニヤとしている藪沢くん。
「試着して?」
ただ面白がっている様子の藪沢くんに、僕はため息を吐いた。




