95輪目 ブーゲンビリアーあなたは魅力に満ちているー
始業式翌日の今日。入学式は特に大きな問題もなく粛々と行われ、新入生三百名ちょっとを、在校生が温かく、または半分寝ながら出迎えた。よく晴れてはいたけれど風が強く吹いていて、枝についた花全てを散らせそうな勢いの桜吹雪が舞っていた。
そして、明後日は僕の苦手な行事が行われることになっていた──……。
「いやー、もうこんな時期か」
「ね、ほんとに……」
新学期の四日目には、毎年新入生歓迎会が行われる。午前中に球技大会、午後は体育館に移動して部活紹介。
「藪沢くんは今年もサッカーなんだよね」
「俺イコールサッカーね。確定事項みたいなところあるよね」
それはそう。あえて口には出さず、脳内で返事をする。サッカー部の部長かつキャプテンという手札を持ってドッジボールに参加していたら「なんで?」という疑問がみんなの頭に浮かぶだろう。多分、ドッジボールも器用にやってのけるのだろうけれど。
入学式を終えた僕たちは、それぞれの帰路についていた。といっても、藪沢くんはこれから部活に行くらしい。
「……僕もドッジボール確定事項みたいなところあるよね?」
「はあ? じゃんけんで取り合ってたじゃん!」
「……本当にじゃんけん勝ててよかったよ……」
今年の僕のクラスは、運動勢があまりいなくて、競技を決める際に今年の学級委員長がたいそう困っていた。みんながドッジボールをやりたがっていたから。そのかわり文化部の人が多くて、文化祭は期待できそう、なんて言っていたけれど。ちなみに、手芸部兼ベーシストの夏目さんや、サイエンティストの風見 撫子も同じクラスだった。
「俺誘ったじゃん。一緒にサッカーしよって」
「えー……それはやだよ」
「なんで?」
「なんでって……」
僕は、藪沢くんと肩を並べてサッカーをしている自分を思い浮かべようとして──想像すら無理だ、と首を振った。
「惨めな気分になるだけだよ……」
「そんな陰湿な……」
「藪沢くんには分かんないよ。僕がこの時期どれだけ憂鬱か」
春は、新入生歓迎会の他に、通常の体育の授業内で行う体力テストもある。数多くある項目の中で、僕が平均を唯一超えられるのは身長だけなわけで……。
「まあでも今年は七組が強そうなんだよなー」
項垂れる僕を見かねたのか、助け舟を出すように口を開いた藪沢くん。僕は、聞き返した。
「七組?」
「そ。運動部多いし。なんか偏りすぎな気がする」
「それはまあ……仕方ないよ」
そう言いながら思い浮かぶのは、理数系から逃げるようにして文系科目を選択していた芹さん。彼女は、今年もバレーボールに出場するのだろうか。
「萩くん、藪沢くん」
軽い足音と、僕たちを呼ぶ声が聞こえて、振り返る。そこにいたのは、先程思い浮かべた人物だった。
遅れて振り向いた藪沢くんが、僕よりも先に口を開いた。
「あっ、芹さん。帰り?」
「うんそう。藪沢くんは?」
「俺は部活」
「そっかぁ。あ、そういえばうちのクラスの男子が盛り上がってたよ。一組には絶対勝つって」
「えー……俺今年そこまでの熱量ないけど……」
どうしよう、と困ったように笑った藪沢くんを横目に、僕は芹さんに質問をする。
「芹さんは? 今年もバレーボール?」
「うん、そうだよ。苺花と」
「あ、そうなんだ。じゃあ、応援するね」
「……あたし達、一応敵チームだよ……?」
「そ、そっか……」
「でもコイツ、多分芹さんのことしか応援しないから」
藪沢くんはそう言うと「あ、ごめん俺こっち」と、整備された通学路を外れて部室棟への獣道へと入っていってしまった。
「……いつも思うんだけど、普通にコンクリートの上歩いて行った方がよくない?」
藪沢くんの後ろ姿を見ながら芹さんは、至極真っ当な意見を述べた。それには僕も概ね同意である。
「近道なんだって」
「んー……」
果たして本当に近道なのだろうか、というように芹さんは少し考えて──ま、いっか、と前を向いた。
「萩くんは今年もドッジボールなの?」
「そうだよ」
「藪沢くんと一緒にサッカーやったらいいのにー」
デジャヴを感じる会話に、思わず笑みが溢れた。不思議そうな顔で僕を見上げた芹さんに、訳を説明する。
「さっきおんなじこと藪沢くんにも言われた」
「え、それすごい偶然」
「第一……見たい? 僕がサッカーしてるとこ……」
「え? うん」
芹さんは、曇りひとつない笑顔で続けた。
「面白そうだから!」
「お、面白そうって……」
「あ、あたし今日バイトだから。じゃあね」
駅に着き改札を抜けるなり、ちょうどいいタイミングで到着していた電車に乗り込む芹さん。ドア越しに手を振られ、僕もそれに振り返す。
そして二日後──僕にとっては楽しみではない行事の当日を迎えた。
去年と同じくキャプテンマークを着けた藪沢くんは、同じサッカーの出場者と一緒に準備体操をしていた。試合はトーナメント戦で、二試合同時に行われる。一試合目は、打倒一組を掲げていた三年七組。
今年はそこまでの熱量はないと言っていた藪沢くんだったけれど、今見ている感じだと、やる気に溢れているように感じられた。
「藪沢くん」
「ん? どうした?」
「いや……なんか、やる気だなあって……」
「あぁ……」
藪沢くんは、親指で後方──七組が集まっている方を差すと言った。
「あいつら、俺が勝ったらステーキ奢ってくれるって言うから」
「……負けたら……?」
「俺がアイス奢る」
アイスとステーキでは、全く同等のトレードではない気がするけれど、何故かそれで成立しているらしい。
「そう……頑張ってね……」
「じゃあしっかり応援よろしくな」
藪沢くんは、間も無く試合が始まるコートに向かうと、クラスメイトに指示を出しながらポジションについた。コートの真ん中──自陣の一番先頭にいる藪沢くんを見て思う。彼は、ステーキの為に本気だと。
「あっ、彼氏さん!」
聞き覚えのある声に、不本意ながら聞き慣れた呼称。
声がした方を振り向くと、志木さんと、横に芹さんもいた。
「彼氏さんもサッカー応援しにきてたんだね」
「そうそう、藪沢くんが出てるからね。二人は?」
「苺花も藪沢くん応援しにきたんだ〜。ね、なずな?」
「うん」
「そっか」
そっか──じゃないな、と、試合開始のホイッスルが鳴ってから気がつく。二人は七組で、藪沢くんは一組だ。
ホイッスルが鳴ると同時に蹴り出されたボールは、藪沢くんの元へと渡る。先攻は一組。
途中、パスワークを挟みながら、相手ゴールまで運ばれていくサッカーボール。出だしから本気の一組に、七組のメンバーは面食らっているようだった。
「ひえ〜。藪沢くん、大人気ないな〜」
試合の流れを見ていた志木さんは、隣でそんな感想を溢す。
「……なんでも、ステーキがかかってるらしいよ」
僕がそういうと、志木さんは「それは本気出しちゃうね〜」と頷いた。
ゴール前、最後の砦。ボールをキープしていた藪沢くんは、細やかな動きで相手チームを翻弄し、そして──一瞬の隙を突いて、ボールを蹴り上げる。しかしそれは、ゴールではなく、コートの逆サイドへと飛んでいった。コートの中の時が一瞬止まり──ボールの落下地点にいた一組の生徒が、それを相手ゴールへと叩き込んだ。
ホイッスルが鳴り響き、得点板が捲られる。
歓声の中で藪沢くんは、チームメイトとハイタッチを交わしていた。
「きゃー! すっごい!」
「ね、あたしまでドキドキした」
僕の横で喜んでいる二人は、しつこいようだけれど──あくまで敵チームである。
「あーこれ藪沢くんファン増えちゃうね〜」
そう言って志木さんは、静かに辺りを見渡した。その視線の先には、固まって話をする、他クラスの女子生徒がいた。




