柳先輩となずなさん16
二人分のマグカップを持ち部屋に戻ると、映像を流しているはずのテレビからは音が聞こえず映像は固まっていた。
「あれ……壊れてたか?」
「ううん。最初から一緒に観たくて」
そう言ったなずなは、足元に寝転がるミケを撫でながらオレにそう言った。
オレは、二人分のコーヒーをミニテーブルに置き隣に座る。すると、ミケのことを撫でていたなずなの指が再生ボタンを押し映画が始まった。
「そうだ。ミルクと砂糖、どれくらいいるかわからなかったから持ってきた」
ポケットから二つずつ取り出して、なずなのマグカップの横に置く。
「柳先輩は?」
「オレはブラック」
「じゃああたしもブラックでいい」
見かけによらず、舌は大人なのか。オレはそう感心しながらコーヒーに口を付ける。深みがあり雑味のない苦味と香りが心地よく抜ける。温度が良かったのか、蒸らし時間が良かったのか──ここ最近で一番いい出来だ。
なずなはマグカップを持ち上げじっと見つめると、恐る恐るというように一口飲み込んだ。
「……」
べ、と舌を出し顔を歪ませたなずな。彼女には少々苦すぎたのだろう。
その様子がおかしくて、思わず吹き出しながらスティックシュガーを開ける。
「おい、無理すんなって」
「飲めると思ったんだもん……」
オレがコーヒーにシュガーを入れるのをなずなは止めず、そればかりか観念したような様子でミルクの蓋も開けた。
ミルクが混ざり色が薄くなったコーヒーを、なずなは口に含む。
「……美味しいね、このコーヒー」
「あぁ、オレがカップラーメンの他に唯一出来る料理」
「料理っていうのかなぁ、それ」
なずなはオレの方を見て、クスクスと笑った。こんな風に、取り繕うことなく穏やかに過ごす時間も悪くない。いや、むしろ、こっちの方が心地よい。
オレは、映画を真剣に見始めたなずなに倣って画面に視線を移した。物語は、まだ始まったばかり。
*
エアコンにより適度な温度に管理され、除湿の効いた部屋。そこに流れるアニメ映画。そんな落ち着く空間でオレは、半分寝かかっていた。隣で映画を観ているなずなは画面に釘付けになっているので話しかけるのは憚られる。
もう座っているのもしんどいし、いっそ横になるかと立ち上がりベッドに寝転がった。
「柳先輩? 眠いの? 映画つまんない?」
「いや……」
そう答えた自分の声はいつもより蕩けていて、否定は意味をなしていなかった。
「お前も入る?」
掛け布団を持ち上げながらなずなにそう声をかけると、「いいの?」と控えめな返事をされる。
「これ外着だけど」
「いーよ別に」
そう答えるとなずなはメガネを外し、遠慮がちにオレのベッドの上に膝を付けた。ベッドが、ギシリと音を立てる。
「メガネ外してテレビ見えんの?」
「うーん、まあ輪郭はわかるかな」
「ふーん……」
ちゃんと観ているのか、観ていないのか。いまいちわからないけれど、なずなは布団に入ってからも視線はずっとテレビに向けたままだった。
元々の眠気に加え、二人分の体温を包んだ暖かい布団。オレが寝落ちするまで、そう時間は掛からなかった。
「ん……」
目を覚ました時には映画はすでに終わっていた。オレと同じように寝落ちしたらしいなずなもこちらを向いて安らかな寝顔を見せている。
僅かに開かれた柔らかい唇を指先で遊んでみても、起きる気配は一切なかった。朝会った時よりも幾分良くなったように見える顔色に、睡眠の偉大さを思い知らされる。
なずなが起きないのをいいことに、オレはふにふにと頬をつつき、髪の毛を自らの指に絡めて遊んだ。しばらくそうしていると、流石に起きたらしいなずなが目を開けてオレの名前を呼ぶ。
「映画最後まで観た?」
「うん、一応ね」
「暑くない?」
「ううん、別に平気」
そう答えて伸びをしたなずなは、思い出したように言った。
「ね、そういえば柳先輩……」
「ん?」
なずなの指がオレの頬に触れ、そして目尻をなぞる。
「まぶたにホクロあるの知ってた?」
「……は? ホクロ?」
そんなもの、知るわけがない。そもそも自分のまぶたなんて普通に生活をしていたら見ることもない場所なわけで。
「ってかお前、人が寝てるのを良いことに何見てんだよ」
「ひゃ、ひゃなぎしゃんだって」
親指と中指で両頬をつまめば、言葉にならない声で反論をしようと頑張るなずな。確かに、オレも寝ている間に遊んだけれど。
しばらくそうしてベッドの中で遊んでいたけれど、身体が完全に目覚めたと同時にぐう、とお腹が鳴り空腹を感じた。
「……あ、なずなお腹空いてない?」
「え? うーん、何かあったら食べたいかも」
オレは、テレビの上の壁掛け時計を確認する。時刻は、一時を少し回ったところだった。この時間なら、何かしら用意されているだろう。
「じゃあ、下行くか」
いい具合に温まった布団を抜け出すのは少々惜しかったけれど、いつまでも寝転んでいたい気持ちに蓋をしてベッドから起き上がる。少し遅れて、なずなもベッドを降りた。
「あ、その前にミケに餌あげないと」
既に身に付いた動作で、ミケの餌入れを満たす。一鳴きしたミケが餌を食べ始めたのを確認して俺たちもご飯を食べにリビングへと向かった。
「鳳李さん。それにお嬢様も。お昼ごはんにされますか?」
「あぁ、お願いします」
オレがそう言うと、台所から火を付ける音が聞こえた。どうやら、温め直す手間を与えてしまったらしい。少し申し訳なく思いながらも、目の前でガチガチに緊張しているなずなに声をかける。
「……や、そんな緊張しなくていいから」
「う、そう言われても」
「普通に家で食べるみたいにしてくれればいいよ。オレも家ではだらしないし」
「だらしなくない人みんなそう言うよ」
「ほんとに。カップラーメン食べながらスマホ見るし」
実際には通知を確認する程度だが、見ていると言っても間違いではないだろう。
「そっか……」
なずなは、ふう、と息を吐いて肩を回した。これから食事なのに、まるで大会に出る人のようなそのチグハグな動作。
彼女といると、何もかもが新鮮で飽きない。オレは、困った顔をするなずなに笑いかけた。




