柳先輩となずなさん⑨
「鳳李さん、お帰りなさい。随分遅いお戻りでしたね」
その日の夜──家に帰ると、いつも通り藤さんがオレを出迎えた。
「すみません。知人が夕飯をご馳走してくれるというので」
「いえ。連絡いただいたので結構ですよ。ところで、あの……」
藤さんは言いにくそうに言葉を詰まらせる。オレは、何かあったのだろうかと思い、藤さんが話し出すのを待った。
「旦那様が、お部屋でお待ちです……」
「……父さんが?」
「はい……」
「わかりました、ありがとうございます」
オレは一旦部屋に戻り、荷物を置いてから父の部屋へと向かった。
ノックを鳴らしてから、入室する。
「鳳李、随分遅かったじゃないか」
「あぁ、すいません。知人の家にお呼ばれをして」
「まあいい。単刀直入に聞くが、部屋でペットを飼っているだろう」
父のそのストレートな質問にオレは、誤魔化さずに答える。
「……何故それを?」
「最近、お手伝いさんが頻繁にお前の部屋を出入りしていたからな。おかしいと思ったんだ」
お手伝いさん──つまり藤さんは、オレがいない間にこまめにミケの面倒を見ていてくれたらしい。
結果的にそれが仇となったけれど、そのことで藤さんを責める気にはならなかった。
「勝手に飼っていたことは……申し訳ありません」
「──で、これからどうするんだ」
父からの、責め立てるような目線。
オレは、答えが一つしかないことに気が付いていた。
──しかし。
「オレの部屋で……飼ってもいいですか」
「──は?」
「お願いします」
予想外の回答だったのだろう。面食らった表情をした父は、真っ直ぐに、オレを見据えた。
「……はぁ。バンドの次はペットか。お前はもっと聞き分けのいい人間だと思っていたが」
「それを理由に勉強を疎かにはしませんから」
「次は何が欲しいって言い出すんだろうな」
「そんな……次なんて」
──ない、だろうか。果たして。
「最終的にはお前も兄のようにこの家を出て行くつもりか」
「まさか。そんなこと」
「まあ……お前は優秀だからいいが、わかっているな?」
「はい。ありがとうございます。失礼します」
「……鳳李」
ドアノブに手をかけたオレを、父は呼び止めた。
「おやすみ」
「……おやすみなさい」
オレはそう答えて、今度こそ部屋を出る。そして自室に向かい──ミケの姿を探した。
「ミケ?」
ミケ用のベッド、オレの布団、机の下、ベッドの下。いそうなところを探しても姿が見当たらない。
窓は空いていないから外に出るわけもないし、廊下に逃げ出していたなら藤さんが捕まえてくれるだろう。
他にどこか心当たりはないだろうか──そう考えていたオレの頭上から、何かが落ちる音がした。
勉強部屋兼書斎にしている上の階で、何かが落ちたのだろうか。確認するために階段を登り、電気のスイッチを入れる。
真っ先に目に入ったのは、本棚の中で丸まる黒い毛玉だった。
先程の物音は、ミケが本棚に入り込んだ時に本が落ちた音らしい。オレは、床に落ちたそれを拾い上げ、ついでにミケを本棚から出す。
抵抗しないミケを向き合うようにして持ち、オレは話しかけた。
「ミケお前……いつの間に階段を登れるようになったんだ」
「にゃぁお」
「まあ……いいや。これからは正式にうちの子になったから、改めてよろしくな」
オレの問いかけに鳴いて応えたミケの顔が誇らしげに見えたのはきっと、勘違いではないだろう。
オレはミケを抱き直し、階段を降りる。一人の時に荒らされても困るので、ミケが上に行けないようにする必要があるかな、などと考えているとミケは突然オレの腕からすり抜け、部屋を走り出した。
「あ、おい。ミケ」
オレは、ベッドに座りミケの名前を呼ぶ。ミケは、走ったままの勢いでオレの胸に飛び込んできた。
「……急に活発になったなぁ、お前」
こんなに動き回るのが好きなら、そう広くもない寝室に閉じ込められるのはさぞ苦痛だろう。
やはり、オレの部屋の中は自由に動き回れるようにするべきか。しかし。
「上は本棚もあるし……コードもあるから……どうしようかな」
猫の、柔らかく小さな頭を撫で回しながら考える。どうするにせよ、ホームセンターでの買い出しは必要不可欠にはなるだろう。
荷物も大きくなるだろから一人で行くのは大変だろうし、その後のリフォーム作業も時間がかかるだろう。
オレはあれこれ考えてから、都合が良さそうな友人に助けを求めることにした。
*
「柳ぃ、お前、人使い荒くないか?」
「まあまあ、草。猫と昼ご飯につられた俺たちも悪いよ」
ミケを正式にうちで飼うことが決まった翌週末。オレは、家の一番近くのホームセンターに風見、小鳥遊と共に来ていた。
「悪いな、休日にこんな雑用みたいなこと」
「いや、俺はいいよ。猫会いたかったし鳳李の家のご飯美味しいしね」
「友人が来るならって張り切ってたから、期待してもいいと思うぞ」
「ほんと? それは嬉しいなぁ。ね、草」
「ああ、まあ……それより柳、今日は何を買うんだい?」
機嫌を持ち直したらしい風見の質問で、オレはポケットに入れてきた紙を取り出す。
「まず本棚に付ける扉と、コード隠すための部品、それから……」
「わ、わかったわかった。一個ずつ見ていこう、な?」
「あぁ、助かる……けど、風見は猫アレルギーなんじゃ?」
「ん? あぁ、アレルギーって言ってもくしゃみと涙と鼻水出るくらいだから気にしないでくれ。セレブな箱ティッシュも持ってきた」
「そこまでして……?」
ドヤ顔で箱ティッシュを取り出した風見。オレが呆れていると、小鳥遊がフォローをした。
「鳳李。人は手に入らないものが欲しくなる生き物なんだよ」
「いや、別にあげはしねぇけど……風見がそれでいいならいいや」
「では早速、ホームセンターに参ろうか」
先程まで文句を垂れていた風見の先導でホームセンターに入店し、目当てのものを探しに行く。
扉に使うための木の板、蝶番、コード隠し……それから、オレ以上に張り切る風見と小鳥遊が選んだ、扉をインテリアに馴染ませるためのシート。
「これ必要か?」
「いるだろ! 柳の部屋に剥き出しの木が置いてあったら「なんだろうこれ?」ってなるぞ」
「別にオレは気にしないが」
「どうせあとで気になって貼り直すハメになるよ、じゃあ会計……」
レジに向かってカートを押す風見の後をついて歩いていると、その道中にペット用品コーナーが現れた。
今、ミケのためにあるものは猫用のベッドとケース、爪研ぎ、食器類、餌、なずなが置いてあったおやつくらいだ。
おもちゃの一つくらい買った方がいいだろうか──オレはそう思って足を止める。
「……鳳李?」
「あ、悪い。ちょっとここも見ていっていいか?」
「うん。俺は構わないよ」
「ありがとう」
「鳳李は……その猫のこと、本当に大切なんだね」
猫用のおもちゃを漁っていたオレに、小鳥遊はそう言った。
「え?」
「最初は……鳳李が猫なんてって意外に思ったけど」
「……大切……なのかな。まあ、命だから責任はあるけど」
「その猫も、鳳李に飼われて幸せなんじゃない」
「まあ……だったらいいな」
小鳥遊に言われて初めて気付いたけれど、自分の中で、ミケを大切に思う気持ちがいつの間にか芽生えていたらしい。
最初は不純な理由で飼うことを考えたけれど──。
「あっ、いたいた、柳に小鳥ちゃんっ! ボク一人で喋っちゃったじゃないか」
「草が一人で歩いていっちゃったんでしょ」
「風見、これもカゴに入れといてくれ」
ガラガラとカートを引きながら戻ってきた風見に、厳選した二つのおもちゃを手渡す。風見はそれをチラ見すると、何も言うことなくそれをカゴに入れた。
「なあ、外の売店でソフトクリーム食べてから帰らないか?」
「俺はいいけど……鳳李はどう?」
「オレはどっちでも」
「じゃあ決まりだな」
今度こそ三人でレジに向かい、会計を済ませる。
それなりの量の荷物を三人で手分けして持ち、外の売店でアイスを買うと、近くにあったベンチに並んで腰を下ろした。
「はー、これを持って帰るのも骨が折れる仕事じゃないか」
「ここからはバスで帰るしかないからね。でも、草なら余裕でしょ?」
「当たり前だ! 荷物の二つや三つ、軽々と持ってみせる」
胸を張ってそう答えた風見。
小鳥遊は、そんな風見に対して淡々と告げた。
「じゃ、俺のもよろしくね」
その様子をアイスを食べながら見ていたオレも、ついでに便乗する。
「三つまでいけるのか? なら、オレのもよろしく」
「な……今のは冗談だ」
「冗談……? そっか……」
小鳥遊は、残念といったような顔をしながらもアイスを食べ進める。
そんな、いつものやり取りについ笑みが漏れた。
「柳、今日随分ご機嫌だな」
「そうか? いつもと変わらないと思うけど」
「うん、ご機嫌だと思うよ」
風見だけでなく──小鳥遊からも同じように指摘をされる。つまりオレは、二人から同じように見えているということだろう。
「まあ……強いて言うなら、お前らといると楽で楽しいってだけ」
「む……褒め言葉か? それは」
「褒め言葉でしょ、十分。俺たちに心許してるってことだから」
「や、柳〜!」
「うわっ、アイス持ったまま引っ付いてくるな。垂れる垂れる」




