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ききょうくんとなずなさん  作者: Nas
【柳先輩となずなさん】
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柳先輩となずなさん③

 藤さんに出迎えられたオレは、来客なんてあっただろうかと首を傾げる。

 とりあえず顔だけ出しておこうと、客室の扉をノックすると、中から聞こえてきたのはどこか妖艶な、女の声だった。


「ユリ? 来てたのか?」

「鳳李さんがあまりにも釣れないから来ちゃったわ」


 そう言って足を組み紅茶を啜るユリは、オレにとっては父の取引先の一人娘兼、所謂ガールフレンド──つまり彼女である。

 中学生の時に業界の交流会で会ったのがきっかけで、彼女からの猛アタックが始まった。それを躱し続けていたオレが折れたのが今年の四月の話で、付き合って約一ヶ月になる。


「あぁ、ごめん。色々忙しくて」

「わかってるわ。お互い高校生になったばかりだもの」


 そう言いつつ怒ったような彼女に、オレはひとつ提案をする。


「お詫びに今度どこか行くか?」

「最近オープンしたホテルのレストラン、とか?」

「わかった、予約しとく」

「ねえ、久しぶりに会えたんだし、お部屋に上がってもいいかしら?」

「部屋…….は、ダメだ」

「あら、見られたくないものでもあるの?」


 オレは、部屋で寝転がっているであろう黒猫の姿を思い浮かべながら口を開く。


「そりゃあるよ」

「ふぅん? まあいいわ。突然押しかけたのはこっちだもの」


 ユリは、華奢なカップに入った紅茶をグッと飲み干すと、隣に置いていたクラッチバッグと共にソファから立ち上がった。

 腰の長さの、ウェーブのかかった銀糸が揺れて甘ったるい花のような香りを散らす。

 つり目がちな、理性的で知的に見える瞳がオレを捉えた。


「じゃあね」


 ワインレッドの唇が、ゆっくりとそう言葉を紡ぐ。


「また連絡する」


 すれ違いざまにそう言うとユリは振り返った。

 そして、オレの目をじっと見つめると、二歩ほどあった距離を詰めた。見上げるようにして微笑むユリの表情は、とても同い年とは思えなかった。


「ユリ、近い」

「……わからないの?」

「何が?」

「キスして、って言ってるんだけど」

「言ってない」

「今言った」


 ユリはそう言って、オレの心臓の辺りに指を這わせる。胸から全身に伝わる、冷たくぞわりとした感覚。


「……じゃ、目、閉じて」


 言われるがままに目を閉じたユリの、白い頬に手を添える。細く長いまつ毛に、陶器のような白い肌。繊細そうな見た目とは裏腹に、強かで知的で、よく頭が回る。最初は、そんなところを気に入ったけれど。


「ん……」


 口付けた瞬間に漏れる甘い吐息。角度を変えて、二度、三度。最後の、ひときわ長いキスを終えて口を離すと、頬をほのかに紅潮させたユリと目が合った。


「レストラン、約束よ」

「わかってるよ。門まで送ってく」

「あぁ、そういえば……」


 玄関に腰を下ろし靴のボタンを留めたユリはこちらに振り返って言った。


「お義父様の寄稿したコラム読んだわよ」

「あぁ……」


 そういえば、いつだったかそんな話をしていたっけと貰ったまま読まずに放置していた雑誌の存在を思い出す。


「流石ね。無駄のない文章に、わかりやすい言い回し。難しく捉えられがちな業界だけれど──……」

「ユリ。二人の時にそんな話はいいだろ」

「そうだったわね。ごめんなさい、お待たせして」


 立ち上がって綺麗に笑うユリの手を取って、玄関から門までの間を歩く。

 先ほどまでよく喋っていた彼女はどこに行ったのか、オレの数歩後ろを静かに着いてきていた。


「じゃあ、気を付けて帰れよ」

「うん。おやすみなさい」

「おやすみ」


 オレは、ユリが帰路についたのを確認して家へと戻る。すぐに部屋に戻るつもりが、随分と遅くなってしまった。


「……ベッドの上がお気に入りなんだな」


 オレの掛け布団の上で丸まる黒猫にそう声を掛ける。

 黒猫は、その声で目を覚ましたらしい。大きな双方の瞳でオレを見た後に、欠伸をすると「ニャア」と鳴いた。


「……お前の恩人は風邪拗らせてるってよ」


 そう言っても通じるわけはなく。

 猫は、オレをただじっと見つめていた。


「あぁ、餌の時間か……」


 オレは、餌の袋を開けて皿に移す。漂う独特の香りに、これは美味しいのだろうかといつも思う。

 ガツガツとフードに食らいつくのを見ると、彼女にとっては美味しいのだろうとは思う。


「……あ、そうだ」


 そういえば、風見と小鳥遊に写真をせがまれていたっけ。それを思い出したオレは、スマホを取り出してカメラを起動する。ニ、三枚写真を撮って、三人のグループラインにそれを送った。

 すぐに付いた二つの既読、それから送られてきたメッセージ。オレは、ベッドに寝転んでのんびりとそれに返信をする。

 しばらくそうしていると、足元で猫がニャアニャアと騒ぎ始めた。どうやら、おかわりを要求しているらしい。

 全く、食いしん坊なヤツだと笑って、オレは起き上がって猫を抱きあげる。膝の上に乗せて背中の辺りを撫でていると、それで満足したらしい。ゴロゴロと喉を鳴らし、その場で丸くなった。


「あ」


 風見達とやり取りをしていた最中、誰かからのメッセージ通知が鳴った。

 オレはアプリのホーム画面に戻り、その通知を確認する。

 それは、苺花からのメッセージと──苺花から連絡先を貰ったらしい、なずなからのメッセージだった。


『柳先輩、この間はありがとうございました』


 簡素なそのメッセージに、オレも無難な返信をする。


『子猫の様子はどうですか?』

『すっかり元気になった』


 オレは、先ほど風見達に送った写真を送信する。

 それに対して、ハートを飛ばすペンギンのスタンプが送られてきた。


『今度会いにきたら?』

『いいんですか?』

『直近だと、今週の土曜日の夕方なら』

『じゃあ、その日に行きます』

『わかった』


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