柳先輩となずなさん②
夕方よりも酷くなった雨の中、いつもより遅いペースで道を歩く。
隣を歩くなずなは、下を向いたまま何も喋らない。そればかりか、肩で息をして、一生懸命ついて来ているようだった。
「なあ、家まであとちょっとなんだろ? おぶるから、背中乗ってくれないか?」
「え、でも重いし」
「別にそんなの気にしなくていいから。この速度で歩く方がしんどい」
オレは屋根があるところを探し、乗りやすいようにしゃがんで、なずなが来るのを待った。
少し戸惑うような空気を感じた後、背中に重みが乗る。
「オレの傘持ってて」
「う、うん」
姿勢が安定したのを確認して、再び歩き出す。背中に伝わる体温は、予想よりも高く感じた。
「あ、そうだ、柳先輩……病院代とか、払います」
「病院代……? あぁ、別にいいよ。それより、お菓子でも持って遊びに来てやって。そのうち里親に出すから」
「あ、はい……わかりました」
「あ、あのマンションか?」
「そうです」
視線の先にそびえ立つ、この地域では一番の高層マンション。
そこの入口に着くと「ここまででいい」となずなは言った。
「じゃあ、気を付けて帰れよ」
「柳先輩も」
「うち来るときはオレに連絡してくれればいいから」
「はい……それじゃあ」
ぺこり、と会釈をしてマンションに入っていく後ろ姿を見送る。
少々不安な足取りだけれど、マンションの中まで入ってしまえば平気だろう。
オレは、姿が見えなくなるのを確認して踵を返し、帰路を急いだ。
*
子猫との生活が始まって、五日が過ぎようとしていた。
心配していた様々なことは杞憂に終わり、未だ油断は出来ないものの雨の中で見つけた時よりは元気になっていた。夜鳴きが酷くてオレは若干寝不足だけれど。
「なあ、柳。お前最近付き合い悪くない?」
六時間の授業が終わり、そそくさと帰ろうとしたオレを、風見が呼び止めた。
オレは、カバンの中身を確認しながら答える。
「別に? 元々こんなんだろ」
「いやいや、一昨日なんか練習行けないなんて言って。そんなことこれまでなかっただろ?」
「その日は野暮用が出来たんだよ」
「野暮用ー? お前が練習以外に大事な用事って……あ、また家でなんかあったのか?」
怪訝な声を出したり、心配そうな顔をしたり。忙しないヤツだと思いながら否定する。
「いや、家ではなんも」
「ん……? さては女か!?」
「違う」
オレはそう否定しながら、あの子猫はそういえばメスだからあながち間違ってもいないかとそう思い直す。めんどくさいので口にはしないけれど。
「鳳李、俺たちにも言えないことなの?」
次いで授業が終わったらしい小鳥遊が、オレの背中にぶら下がるようにして気怠げな声を出した。
「まあ……別に言ってもいいけど。めんどくさいこと言うなよ、特に風見」
「柳ってつくづくボクのこと信用してないよね」
「信頼はしてるからいいだろ」
「まったまた〜!」
「……で、どうしたの?」
「あぁ、実は……」
オレは話し出そうとして、スマホのカメラロールを開く。
そして、目当ての写真を選択するとそれを見せた。
「子猫を保護したんだ」
「えっ……柳が……?」
「鳳李、猫好きなの?」
それぞれ好きに反応した風見と小鳥遊。オレはスマホの画面を閉じると、口を開いた。
「オレの知り合いがさ、困ってたから。一昨日は拾ったばっかりで行けなかったけど、次の練習には行くから」
「そうならそうと言ってくれれば良かったのに」
「会いに行きたいとか言うだろ、どうせ」
「ふふん、残念だったね。ボクは猫アレルギーなのさ」
「そっか、それは良かった」
会いに行きたいとしつこく言われるだろうという予想は残念ながら外れだったらしい。
「そういうわけで、オレは帰るわ」
「あっ、猫アレルギーってだけで猫は好きだから! 写真送ってくれてもいいぞ!」
「鳳李ー、俺にもー」
「……気が向いたらな」
教室に残って何か作業をしていくらしい風見と小鳥遊に見送られて、帰路に着く。
オレが向かった先──それは、家ではなく、母校である中学校。
入館手続きをして向かう先は、散々お世話になった軽音部の部室である多目的室。
卒業したのはつい二ヶ月前のことなのに、随分と懐かしく感じるのはそれだけ高校に染まったからか。
ノックもそこそこに、多目的室の扉を開ける。
そこにいたのは、知らない顔が数人と、それから、陽舞、あき、椿、苺花──という見知ったメンバー。
その四人がいるのに、自分の目当ての人物はいないのかと部屋を一瞥していると、オレの姿に気付いた苺花が声をあげた。
「え!? 柳サン!?」
「苺花。久しぶり……でもないか」
「柳先輩。お久しぶりです」
「あぁ、椿久しぶり。元気してたか?」
「はい。お陰様で」
オレは、後輩達に挨拶を済ませ、再び部屋の中を見渡す。やっぱり、なずなの姿はそこにはなかった。
「なあ、なずなは? お前ら揃ってるのにいないのか?」
「あ……なずなちゃんなら……風邪を拗らせた、らしくて」
「雨の中濡れて帰ったんだっけ〜? ほんとお転婆さんだよね〜」
陽舞とあきがそう説明をしてくれて、オレはようやく状況を知る。
どうやらあの時、想像以上に体調を崩していたらしい。
「で、柳サンがなずなに何か用事? そんなに仲良かったっけ?」
「いや……まあ、ちょっと色々あって。いないならいいや」
「連絡先は?」
「知らない」
「じゃあ、苺花がなずなに、柳サンの連絡先送っとくよ! そっちの方がいいでしょ?」
「まあそれなら……」
「じゃ、後で送るね! って、柳サンもう帰っちゃうの!?」
「あぁ、じゃあな」
オレは足早に部室を後にして、中学校を出る。十分弱歩き家に着くと、母親の物ではない女物の靴が玄関に置かれていた。
「お帰りなさい。お客様がお見えですよ」




