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パトス、エートス、タルタロス。

作者: 小城

 ある島の封建制の緩和した少しだけ工業生産の割合が高かった一地域はエネルギー不足の中、新たに石炭という無機物をエネルギー源とした。彼らの地域には、海の向こうから、原料となる有機物が集まり、それを使って、どれだけ多くの工業生産物を作るかにより、その年の豊かさが変わった。そのような中で、人々は何世代も工夫を重ねて、最も多くの工業生産物を生産する方法を発明し発展させた。そして、労働力を欲した家産は、人々を家から解体し、労働者とした。漸次的に、農業による有機物生産から、工業による無機、有機物生産に投資が増え、その結果、人々は資本家と労働者、その他に区分された。資本家はその他から、権利と権力を奪い取り、資本家による資本主義の社会と国を作り上げた。資本主義国家が生産する有機、無機物の物理的、精神的破壊力は、凄まじく、他の国々も、対抗して、人々は、家を解体し、労働者を集め、資本家を作り、権利と権力を奪い、資本主義の社会と国を作り上げた。はるか東の島国でも、それらを真似して、家を解体し、労働者を作り出し、資本家も作り出し、疑似的資本主義の社会と国家を作った。今までは、世襲封建制度の社会であったその国が、他と異なっていたことは、権力その者が、その権力を保持する手段として、家の解体と、労働者と資本家の誕生を進めたということであった。それ故に、その過程で、起こるはずの、資本家による権利と権力の簒奪と、人々の資本主義的精神の芽生えは、権力による社会の資本主義化と矛盾したものとして、十分に発生せず、やがて、権力そのものが解体されるに至るまで、続いた。権力が他の資本主義社会により、解体され、その権力と権利が人々に譲渡されることにより、疑似的資本主義の社会と国家は、形だけは、十分に機能した形式的資本主義の社会と国家になった。しかし、それでも、まだ、その国の社会と人々は、世襲封建制度であったときの社会の精神から抜け切ることはできず、他の資本主義社会との間には、精神的格差が存在していた。形だけは、資本主義社会として機能しつつも、内実の精神は、世襲封建制的であって、人々は権利や権力という、本来、自分たちの手に譲渡されたものを、国家や社会という形式的存在に、奉還したことにより、人々は、国家と社会という二君に仕えるという不確かな状態に陥った。本来、資本主義というものは、金銭の追求のことでも、個人の尊重のことでもなく、工業生産物を数多く作ることに適したシステムのことでしかなく、そのことを追い求めた結果、できあがった社会のことでしかない。資本主義社会が欲しがっているのは、ただの労力だけであるということに、やがて、人々は気づき、資本主義社会の転換が始まった。人々は、工業生産物の数量=富ではないと気づき、資本=富ではないということにも気づき始めて、資本のためでも、社会のためでもない、第2、3のシステムが必要であるということに気づくことができるのか。これは、そんな国の物語である。


「国家というのは、人々の集合体であり、統治のシステムというのは、民主的でなければならない。」

「資本主義、社会主義という名称は曖昧なものであり、実際の国家の内情は、両者が混在している。」

「自由主義と個人主義は兄弟であるが、全体主義と専制主義も、また、彼ら兄弟の姉妹である。そして、彼ら兄弟姉妹は、同じ、国家という家の中で、同居して暮らしている。」

 文明開化も世界戦争も、経て、私たちの国と、世界は、物と人に、自由と権利を与えて、代わりに若干の矛盾を抱えさせた。拡大する生産と人口は、閾値を過ぎると、徐々に、萎縮と収束を迎えた。再び起こったエネルギー不足は、物質的転換を課題とし、物理技術の発展は、人々の距離を近くて、遠いものにした。

「いってくるよ。」

「私も、明日と明後日は、お昼前には、出掛けますから。」

 銀行員の父は、平日は、仕事に出掛ける。専業主婦の母は、地域のボランティア活動が趣味で、土日は、家を出る。家事は、平日は母が、土日は父が、していた。

「悠。お母さん、買い物に行ってきますから。」

私は、平日も土日も変わらない。もう、何年も、自宅からでることはなかった。

「圭。お母さん、買い物に行ってきますから。」

兄も、また、何年も、自宅にこもりっきりである。私と兄とは、一卵性双生児の兄弟であり、ひきこもりである。

「悠。」

「圭。」

お互いにそう呼び合うが、お互いが何をしているのかは知らない。兄は、某国立大学を卒業したが、就職がうまくいかず、そのまま、家から出ることはなかった。かくいう私も、兄の二番煎じで、同じ国立大学に入学したものの、私に至っては、卒業に至ることなく、家に閉じこもった。私と兄にとっての世界とは、30坪程度の住宅の1、2階と、ネット上の仮想世界のことでしかなかった。

「悠。久しぶり。」

部屋の中に、いつのまにか、立っていたのは、叔父であった。

「圭は、いるか。」

父の弟である自称タイムトラベラーの叔父の口癖は、「いろいろな時代を見てきたが、人間というものは、時代差よりも、個人差の方が大きい。」

だった。

「基本、どの時代に行っても、人間に個人差があるのは変わらなかった。そして、どの時代においても、それぞれに似たような人間はいた。」

親戚の中でも、変わり者という評判の叔父は、一通り、私と話した後、兄の所へ行った。

「パトス、エートス、タルタロス。その三つは、どの時代のどの地域にもあるよ。」

「それは、どんな意味なのですか?」

「訳することは難しいなあ。ただ、ざっくばらんに言うとしたら、パトスは感情、エートスは個人の性格や集団の特徴、タルタロスは奈落かな。」

「僕と悠にも、それは当てはまるのですか?」

「う~ん…。どうなのかな。君たちは、二人でひとつなのかもしれないねえ。」

圭との会話を済ませて叔父が帰ると、今度は、母が帰って来た。

「叔父さん。来たよ。」

「あら。そう。」

叔父の訪問は、母にとっては歯牙にかけることもない事柄であった。

「明のやつ。今も病院に通っているのかな。」

夕方を過ぎた頃、台所で父と母がそう言っているのが聞こえた。明とは、叔父のことであった。

「あいつ、今、どこに住んでるんだろうな?」

私には興味のない内容であった。


「一番よかったのは、どの時代でしたか?」

「う~ん。だいたい、どの時代も似たようなものだったねえ。物質的に違うだけで、中身は、同じ。現代の物質文明を知っている現代人からしたら、物質的な違いっていうのは、驚き、参考にはなるけれど、それは、一時だけだね。観光旅行みたいな感じ。最初は、感動しても、長くいると、結局、だいたい、人間って、もとに戻ってしまうな。それも、個人差が大きいのだと思うけど、叔父さんなんかは、いつもタルタロスのようだよ。」

叔父は決まって、父母が留守のときにやって来た。そして、父母が帰って来る前に、話を終えて、行ってしまう。

「もう少しいたらどうです?」

「う~ん。叔父さんは、気が短いからねえ。」

普段、何をしていて、何をしに来ているのか。自称タイムトラベラーの叔父のことは、何も分からなかった。


「中世ヨーロッパで、山賊をしていたことがあってね。あのときは、通りがかりの騎士に追われて、驚いたよ。」

叔父の語る荒唐無稽な話も、普段、私は聞き流していたが、その話の中にも、一種の山場とストーリーテラー的な語り口があることに気がついた。

「彼らは、総じて、女好きと言っては異なるけれど、フェミニストなんだよね。騎士道精神と言うのかな。聖母マリアを敬愛する感じなのかな。最終的には、酒場で一緒に、エールを飲んだよ。ポワレも飲んだかな。」

「命の危険は感じなかったんですか?」

「そりゃああったよ。何度もね。でも、やはり、やめられないんだよね。そういえば、ヨーロッパ人が来る前のオーストラリアに行ったときは、先住民が投げたブーメランが当たってね。けっこう痛かったよ。」

トイレの帰りなどに、兄の部屋の前を通ると、中からは叔父の声がした。兄の部屋にいるときも、叔父は同じように、荒唐無稽な物語を話しているのだろうと思った。


「悠。叔父さん。帰った?」

「うん…。」

叔父が私と話を終えて、兄の部屋へ行ったと思ったが、そのまま帰って行ったらしい。

「ただいま。」

直後に、母が帰って来た。私と兄が会話をしたのは、何年ぶりかのことであったが、私が発したのは、一言だけであった。

「悠いる?」

その夜、私の部屋に来客があり、それは兄であった。

「今日、叔父さん。何、話してた?」

私は、今日、叔父が来て話していった内容を、覚えている限り、羅列した。そのとき私が兄に、何を話したのか、その内容は、覚えていない。ただ、気がついたときには、兄の姿は部屋にはなく、私の心臓は緊張の余り、激しく動悸していたことは覚えている。

 私は、兄の身に何があり、家から出なくなったのか知らない。兄もまた、私の身に何が起こり、部屋にひきこもるようになったのかを知らないだろう。ただ、そうしたお互いの過去の事情も、今の現況も、何もかも知らない中でも、私は時折、兄に対する罪悪感と無力感を感じることがある。それはどうしようもなく不毛な感情であることは、気がついていた。


「叔父さん。先に圭のところに行ってあげてくれませんか?この前、圭、叔父さんの話が聞けなかったことを気にしていたみたいだから。」

翌週、叔父が来たときに、思いきって、そう言ってみた。

「それなら、一緒に、圭のところに行こうか。私もその方が良いから。」

叔父が部屋から、出て行ってからも、しばらく、私は、その場にとどまっていた。しかし、ただ、なんとなく、私の足は、自然と、叔父の後を追っていた。


「この国と世界はどこに行くと思う?」

「叔父さんも、分からないの?」

「残念なことに、叔父さんは未来には行けないのだよ。」

「それじゃあ、僕にも、分からないですよ。」

いつのまにか、私と兄は、同じ部屋で、叔父の話を聞くようになっていた。

「君たちなら、未来へ行くことはできると思うよ。」

「それは、どういう意味ですか?」

「タルタロスには、近づくなって意味だよ。そう、叔父さんは、タルタロスに行くことになったから、しばらく、ここには来られなくなる。」

「また、来てくれますか?」

「それは、何とも言えないなあ。」

それ以来、私たちは、叔父と会うことはなかった。結局、叔父が何者であったのかも、何をしにやって来ていたのかも分からずじまいではあったが、今、私たち兄弟は、叔父から聞いた物語を綴った本を自費出版するべく計画しているのである。

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