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バックアップの男  作者: 桜井あんじ
警察局捜査官連続殺害事件捜査報告書
84/137

15

★昨日 午後七時四十一分 (ファイル番号15)



「犯人は、機密情報にアクセスできる地位にある、年齢五十歳以上の職員……」

 スタンリーは、最新のウィルス定義ファイルが適用されていない端末のリストから、使用者名の項目を抽出した。そして職員名簿に紐づけられたその項目を、生年月日でフィルタリングし、さらに肩書きで絞り込んでいく。

「よし。だいぶ除外できたぞ」

 リストは三分の一ほどになった。スタンリーは嬉しげに呟く。

「経歴でフィルタをかけられるか? サイバー犯罪対策課とか、情報技術に関連した部署にいたことがある人間は外すんだ」

「よし」

 少々時間をかけて、スタンリーはさらにリストを絞った。

「学歴もだ。理系の学部卒で、テクノロジー関連は外せ」

「分かった」

 ここまでで、リストに並ぶ名前は二十数名にまで減った。

「まだ多いな……。他に何かないか、ランドルフ」

 こちらを見るスタンリーに、俺は言ってやった。

「おいおい。とぼけるなよ。最大のヒントがあるだろう?」

「え?」

「犯人は――、君の正体を知らない」

 俺はスタンリーに目配せした。

「俺は君の正体を知っているから、君の端末から出てきた情報漏洩の証拠が、でっち上げだとすぐに分かったんだ。しかし犯人は知らない。だからこそ、ああいう証拠を残した。そうだろう?」

 スタンリーは、薄ら笑いを浮かべた。

「皮肉なもんだね」

「さてと。この中に――、君が何者か知る人間はいるか? そいつは除外していい」

 俺はリストを指差した。

「やれやれ。本当は企業秘密なんだけどね……」

 スタンリーはため息をついた。

「でも、無実の罪を着せられちゃかなわないからね。――ここだけの話にしてくれよ」

 そう言って、スタンリーは該当者をリストから外していった。想定したより多かったので俺は驚き呆れたが、それは胸中に収めておいた。

 そうしてリストには、約十名の端末使用者が残った。

「さて、このうち誰が……?」

 俺はリストを眺めた。

「まあ、ここまで絞り込めれば、後は一人ずつ当たればいいだろう。少し時間はかかるが、手分けして――」

「いや。その必要はないよ」

 スタンリーが俺の言葉を遮った。その確信めいた口調に、俺は驚いて彼を見つめた。

「まず、彼はシロだ」

 スタンリーはリストの一項目を示した。その男はスタンリー直属の上司で、やはりスタンリーと似た印象の、毒にも薬にもならないような人物だった。

「なぜ言い切れるんだ?」

 スタンリーはじっとリストを見つめたまま俺と目を合わそうとせず、しばらく黙っていたが、やがて意を決したように俺の方に向き直った。

「ランドルフ。君は僕の正体を知っている、と言ったね。だけど、それが全てじゃないんだ」

「なんだって?」

「実は、僕は……、『スパイ職員』なんだ」

 スタンリーの告白に、俺は開いた口が塞がらなかった。

 スパイ職員。組織の浄化をスローガンに掲げる新しい警察局長が、そういったものを内密に組織した、という噂は聞いていた。

 スパイになる者は現役職員の中から選ばれ、内密に辞令を受ける。選ばれた者は表向き普通の職員として、今まで通り勤務を続けながら、他の職員を密かに監視するのだ。そして不正の疑いがある場合は独自に調査を行い、上層部に直接報告する――、らしい。そんな噂が、まことしやかに職員の間でささやかれていた。しかし俺も含めてほとんどの職員が、ただの噂に過ぎないと思っていたのだ。

「彼はスパイプロジェクトの中心人物の一人で、僕をスパイに推薦したのも彼だ。もし僕が不正行為で逮捕されたりしたら、彼だってただじゃ済まない。責任問題で彼のキャリアに傷がつく。彼が犯人なら誰かに罪を着せるにしても、僕以外の人間を選んだだろうよ」

「……驚いたな」

 動揺を抑えようと、俺は大きく息を吐き出した。

「じゃあ君はそもそも情報漏洩の件を知っていて、スパイしていたのか?」

「それは違うんだ」

 スタンリーは首を振った。

「スパイ部ではその件は関知していない」

「じゃあ……?」

「僕が担当してるのは別件だよ。薬物横領だ」

「薬物……、横領だって……!?」

 俺の声がかすれた。

「うん。取引現場の手入れで押収される薬物があるだろう。それをかすめ取って、横流ししてる奴がいるらしいんだ」

「……誰が?」

「まだ分からない。最近、取引の検挙率がずいぶん落ちてるだろう。今にして思えば、手入れの日時なんかが漏れていたせいだと思うけど。それもあって調査がなかなか進まなくてさ。古い記録を引っ張り出して調べてるけど、システム管理部の端末管理同様、押収品の管理もずさんでね。現場の人間なら誰でも簡単に横流しができるような状況なんだよ。経費削減のせいで常に人手不足だから、チェック体制も甘いし。いわばそのツケだね」

「そうか……」

「でも情報漏洩の犯人が捕まれば、こっちの調査も進むだろう。後は時間の問題さ」

「頼もしいな」

「ランドルフ。くれぐれも、ここだけの話にしといてくれよ。場合が場合だけに、仕方なく打ち明けたんだから。それだって君を信用してこそだよ。万が一、最後の追い込み前に気づかれたら逃げられてしまう」

「ああ、分かってるさ」

 俺は頷き、スタンリーの顔をじっと見た。この男が、スパイだったとは。俺もまだまだ人を見る目が甘いようだ。

「で……」

 俺はリストに目線を戻した。

「他の人間はどうなんだ? 一人ずつ洗う必要はないと言ったな?」

「ああ。この男と――、彼も――」

 スタンリーは、リストから数名を除外した。

「スパイ職員だ。スパイ職員は容疑者から外していいんじゃないか。地域課の情報漏洩なんて、ケチな小遣い稼ぎをするとは考えにくい。もしやるなら、スパイ部の情報こそ高値で売りつけるだろう。金額の桁が違う」

「そうだな」

「それから、こいつとこいつ、それからこいつも――、」

 スタンリーは、さらに数名を除外した。

「以前に別件で不正行為を疑われたことがある。スパイ部で調査したけど、何も出てこなかった」

「そうか。じゃあ外していいだろう」 

「じゃあそうすると、残るは――」

 リストには、ただ一人の名前が残っていた。

「……やっぱりそうか」

 俺が呟くと、スタンリーは驚いたようだ。

「分かってたのか?」

「そうじゃないか、とは思っていた」

 彼は昔かたぎの、頑固で実直なたたき上げの捜査官だ。捜査は足でというモットーの持ち主で、この手のタイプによくあるように、最新技術を毛嫌いしている。

「パスワードのこともあるしな」

「パスワードのこと?」

「ああ。サーバーにアクセスするのに使った、他の職員のパスワードだ」

「僕が機密情報にアクセスするために、盗んだと見せかけたやつか」

「そうだ。……彼の妻の名は、エレンというんだ」

「自分のパスワードを使ったっていうのか!? まさか、そんな」

「いや、大胆で大ざっぱなようだが、考えてみれば都合がいい。『盗まれた』と言い立てることができるし、場合によっては、君にだけ盗むチャンスがあった、と言うことだってできる。カメラを仕掛けて、他の職員のパスワードを盗む手間も省ける」

「そうか。なるほど……」

「このパスワードの持ち主は、以前からパスワードを変更していない。つまりセキュリティ意識が甘い。テクノロジーに疎い犯人像と一致する。パスワードの持ち主イコール犯人、と考えていいだろう」

「そうか。……決まりだな」

 俺たちは、リストにただ一つ残ったその名を、じっと見つめた。

「よし。この件を上層部に報告しよう。先手を打つんだ」

 スタンリーは勢いよく椅子から立ち上がった。

「待て、スタンリー」

「え?」

「物証が何もない」

「そ、それは……。ああ、そうだ! 奴の端末を調べれば、CSVファイルや写真を加工した痕跡が……」

「忘れたのか? 奴のパスワードは『盗まれた』んだ。盗んだ人間は、奴の端末を自由に使うことができた。端末から何が出てきても証拠にはならない」

「で、でも」

「相手は要職に就いている人間だ。中途半端な疑惑だけでは、ことがうやむやにされてしまう。少し作戦を練る時間が欲しい。それに――、今日はそろそろタイムリミットだ」

 俺は腕時計を見ながら言った。

「え?」

「人と会う約束がある。大切な用事なんだ。明日また相談しよう」

「ま、待ってくれよランドルフ! そんな悠長なことを言ってる場合じゃないだろう。君にとっては他人事かもしれないが、僕は命がかかってるんだぞ。こうしてる間にも……」

 スタンリーは肩越しにそっと後を振り返り、怯えた目つきで辺りを見回した。

「大丈夫だ、スタンリー。それはない。奴は君の端末から証拠が発見され、ことが公になるタイミングを狙うはずだ。そうでなければ、君が『自殺』する理由がない」

「そ、それはそうかもしれないけど……」

「心配するな」

 俺は不安気なスタンリーに構わず別れを告げ、足早にオフィスを後にした。今日は特別な日なのだ。仕事を理由にケリーを待たせるわけにはいかない。俺はポケットの包みにそっと触れ、気持ちを切り替えた。

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