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バックアップの男  作者: 桜井あんじ
警察局捜査官連続殺害事件捜査報告書
83/137

14

★昨日 午後六時三十九分 (ファイル番号14)



 モニタには、最新のウィルス定義ファイルが適用されていない端末が、使用者の名前と共にリストアップされている。

 俺とスタンリーは顔を見合わせて落胆のため息をついた。

「多いな」

 表示されたリストは、かなり下までスクロールしないと全て見ることができない。ざっと見ただけで、軽く百以上もの名前がずらりと並んでいた。

「容疑者リスト……、と言うには数が多すぎるな。いい考えだと思ったが」

「ここまで端末管理がずさんだとはね。前から思っていたけれど、セキュリティが甘すぎるよ。不正行為が簡単にできてしまうのも、こういう背景があってこそなんだ」

 スタンリーは言った。

「だが、少なくとも一歩前進だな。他にも手がかりを見つければ、このリストから絞り込める」

「うん。端末にログインした方法も、結局分からないしね」

 スタンリーは眉を寄せて考え込んだ。

「そうだ。メールの送信履歴があると言っていたね。見てみよう」

 送信履歴には、決定的とも言えるメールの数々が残っていた。そこに記されたのは、様々な事件についての公表されていない事実をはじめとした、機密性の高い内部情報だ。これが外部に漏れているのなら、警察局の動きは反社会勢力に筒抜けと言っていいだろう。

「ふうん……」

 スタンリーは一つ一つじっくり目を通していった。

「よくもまあ、これだけ揃えたもんだ」

「どうだ。何か分かることはあるか?」

「うーん」

 スタンリーは眼鏡の下の目を細めた。

「分からないことならある」

「え?」

「犯人のシナリオでは、僕はどうやって機密情報を手に入れたことになってるんだろう? 押収品リストなんかの地域課の情報はともかく、会議の議事録や個人情報は、捜査部全体に関わる機密だ。僕は一介の地域課事務員で、そういう情報を閲覧できない」

「この端末から、機密書類が保存されたサーバーにアクセスした形跡があるぞ」

「だが、当然僕にはアクセス権のないサーバーだ。権限があるのは、特に限られた職員だけだよ」

 スタンリーはまたしても、軽やかな手つきでキーボードを叩いた。

「ふうん。どうやら僕のものじゃないパスワードで、サーバーにログインしたらしい」

「じゃあやっぱり犯人は、システム管理用パスワードを手に入れていたんだな」

 俺は膝を乗り出したが、スタンリーは首を振った。

「違うよ。これはシステム管理パスじゃなく、誰か個人のパスワードだ。このサーバーにアクセス権がある職員のものだろう」

「システム管理パスじゃないのか? でも、どうしてそれが分かるんだ?」

「このパスワードは五文字しかないし、アルファベットしか使ってない。こないだシステム管理部から、セキュリティの強化について通達があったろう。それで、パスワードの文字列は八文字以上、数字とアルファベット混在にするよう指示された。システム管理部の管理者用パスなら当然、その基準にのっとっているはずだ」

「じゃあ誰のパスワードなんだ? それに、なぜこのパスワードは以前の基準のままなんだ?」

「誰だか知らないが、このパスワードの使用者は、基準の変更前からずっとパスを変えていないんだ。次回パスワードを変更する時には、新基準を満たしていないとはねられる」

「しかしパスワードは頻繁に変更するよう、システム管理部から言われているだろう」

「面倒くさがってやらない人間もいるさ。特に、重要性をあまり分かってない場合はね」

「…………」

 俺は黙ったまま、モニタに映し出されたそのパスワードを目で追った。

 パスワードは――、「ELLEN」だ。

 スタンリーは顎に手を当てて、考え込んでいる。

「つまり犯人のシナリオは、こうだな。『情報漏洩をしていた職員は機密情報を手に入れるため、セキュリティ意識の甘い同僚からパスワードを盗んだ』――」

「なせわざわざ、君を選んだ?」

「え?」

 スタンリーはきょとんとして顔を上げた。

「無実の罪を着る役さ。元々、機密情報にアクセスできる人間を選べばいいじゃないか。だが犯人はわざわざアクセス権のない君を選び、そのために君が情報を手に入れた方法まで偽装した。余分に一手間かけたんだ」

「言われてみれば、確かにそうだ」

 スタンリーも首をかしげた。

「なあ、ランドルフ。そもそもどうして僕が疑われ、調査されることになったんだ?」

「え? ああ、それは――、匿名の手紙が届いたそうだ」

「手紙だって? そりゃまた……」

「君を名指しで、機密情報を外部に漏洩していると書かれていたらしい。今思えば、その手紙も真犯人が出したものだろうな」

「ふうん」

 モニタを睨むスタンリーの横顔を、俺はぼんやりと眺めた。

 手紙。スタンリーを名指しで告発した、手紙――。

 積乱雲のように湧き起こった考えは頭の中で像を結び、やがてくっきりした輪郭を持って浮かび上がってきた。

「スタンリー。そうだ、『手紙』だ!」

 俺の声に、スタンリーは驚いて目を丸くした。

「なぜメールなんかの一般的な通信手段でなく、手紙なんていう、アナログな方法を使ったのか」

「確かに変だけど。……なぜだろう?」

「分からないか? この男はウィルス定義ファイルの重要性を理解せず更新を怠り、大切なファイルがウィルス感染しているのに気づかないまま、君の端末にコピーした。そのことと合わせて考えるんだ」

 スタンリーは、首をひねるばかりだ。俺はニヤリと笑った。

「そうだな。おそらく『君には』分からないだろう」

「『僕には』だって? どういう意味だ?」

 スタンリーは少しむっとしたように顔をしかめた。

「犯人は、足がつかないようにデジタル通信手段を扱う自信がなかったんだ」

 俺は言った。

「え?」

「メールは送信者のIPアドレスや場所を特定できる。場合によっては、そこから個人を割り出すことも可能だ。その程度のことは犯人も知っていた」

「そんなもの、どうとでもできるじゃないか。海外のVPNを経由させるとか、プロキシサーバー……」

「もちろん、足がつかないようにメールを送る手段はいくらでもある。防犯カメラに写っても平気なように変装して、公共の電波を使える場所からメールを送ってもいい。使い捨ての通信機器でネットワークに接続してもいい。だがこの男は、そうしなかった。なぜか? それは、テクノロジーに疎いからだ。それを自覚してもいるから、わざわざ不得手なフィールドで勝負するより、手紙というシンプルで古典的な方法を使った」

「なるほど……。一応筋は通るな」

「それだけじゃない。手紙という手段を思いついたことから考えて、犯人の年齢は五十代以上と仮定してみよう。それ以下ではちょっと考えつかないだろうからな。年齢が高いということは、それなりの地位にあるということだ。つまり……」

「そうか! 犯人自身に、機密情報へのアクセス権があるんだな!」

「おそらくな。心理的に自分自身から遠ざけようと、濡れ衣を着せるにはアクセス権のない人間を選んだ。さらに、地位があるということは、いざ君を告発する時には自分自身がその件の采配を振るうということだ。それなら証拠に多少無理があっても、自分の裁量でどうとでもなる。だから、あの程度の証拠で充分と考えたんだろう」

「でも、待ってくれ。その説は矛盾してるよ。テクノロジーに疎い人間が、どうやって僕の端末にログインできたっていうんだ?」

「ここでも犯人は、君が絶対に思いつかない方法を使ったのさ」

「この僕に絶対思いつかない方法なんて、それは、そいつ自身で作り出した新しいロジックの何かってことだ。検出されないマルウェアとか……、そんなものが作れるなら、そいつはテクノロジーに疎いどころかスーパーハッカーだよ」

 スタンリーはむきになり、俺に食ってかかった。だが俺は笑った。

「そうじゃない。逆なんだ」

「逆?」

「そう。犯人はここでもやっぱり、古典的なやり方をしたのさ。――カメラだよ」

「カメラ!?」

「ほら。君の席の背後にある、キャビネットか植木鉢。それか天井――。どこか手元が映る位置に隠しカメラを仕掛けて、君がパスワード入力するところを撮影したんだ」

「そ、そんな、馬鹿馬鹿しい!」

「可能だろう?」

「そりゃまあ……。できなくは……、ない。けど……」

「他に方法は考えられない。それに隠しカメラなんて、いかにもこの犯人が思いつきそうな古典的方法だろう?」

「まあ、確かに……」

 スタンリーは悔しげな表情を浮かべた。

「よし。これでもう少し容疑者を絞れるぞ」

 俺はスタンリーを促すように、力強く肩を叩いた。

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