61
★今日 午後六時五十六分 (ファイル番号61)
さてと。この始末をどうつけたものか? 俺はしばらく考えてモバイルを取り出した。
そう。後始末といえば、あの男に限る。
「やあ、ボリス。ちょっと頼まれてくれないか」
電話の向こうでボリスはくつくつと笑った。
「あんたか。今日の今日で忙しいことだな」
「ちょっとした雑用を頼みたいんだ。礼ははずむ」
「へいへい。あんたはお得意さんだ。都合つけるぜ」
「じゃあ今から言う場所に、目立たないバンで来てくれ。始末してもらいたい『荷物』があるんだ」
「分かった。すぐに向かう」
床にかがみ込んで作業をしているボリスを眺めつつ、俺は腕時計に目を落とした。
――しまった、時間を過ぎている。
手早く道具を取り出し、インシュリン注射を済ませる。ボリスは俺を横目で見て笑った。
「あんたがそうやってると、まるっきりヤク中だな」
「冗談じゃない。売人は商品に手をつけないのが鉄則だ」
「そうそう、ブツの方もまた頼むぜ」
「ああ。嗅ぎ回っていたスパイの始末もついたからな」
――一石二鳥だったな。
俺は機嫌良くほくそ笑むと、ポケットからナッツの袋を取り出した。スタンリーを見下ろしながら、いくつか口に放り込む。
「お前には優先して流してやるよ、ボリス。だから警察局内であまりおかしな態度を取るな。今日のあれはなんだ」
「そう言うなよ。俺とあんたの仲じゃないか」
ボリスはまた、不快な笑みを見せた。
「ダウンタウンのチンピラと、警察局の捜査官。それだけだ」
「へいへい。……っと。そら、あった! たいてい首の後ろにあるのさ」
ボリスはそう言って、スタンリーの体から目的のものをピンセットでつまみ上げた。丁寧に血を拭い、俺に見せる。
それは記憶データと生存シグナルをサーバーに送信するため、スタンリーの体内に埋め込まれたチップだ。ボリスはすぐさま、持参した鞄からモバイル端末大の機器を取り出し、チップをセットした。しばらくの間はなにやら調整をしていたが、やがて赤く点灯していた機器のランプが緑色に変わり、一定の間隔で明滅し始めた。
「よし、これでいい。後はこの端末が、偽のデータをサーバーに送信し続ける」
ボリスはその機器を俺に手渡した。
「ちゃんと充電しておけよ。半日程度しかもたないからな」
「分かった」
これでスタンリー・クラークソンは失踪、半永久的に行方不明者扱いだ。そして死亡が確認されない限り、サービスプロバイダーは復元を実行できない。クローン規制法のおかげだ。
「しかし、生存シグナルはいいとして、記憶データのバックアップはどうなるんだ?」
俺はその機器をためつすがめつしながら、ボリスに尋ねた。
「空データを送信するだけさ。なあに、サービスプロバイダーはいちいち中身のチェックなんかしねえ。向こうには最後の記憶データが、上書きされずにずっと残ってる」
「そうか。助かるよ。また戻ってこられたら、たまらないからな」
「大丈夫さ。――これもうまく処分してやるよ」
ボリスは、今は空っぽの入れ物になったスタンリーの体を顎で指した。そして持参したビニールシートやテープで、梱包作業を始めた。その慣れた手つきを見ていると、まるで肉屋が商品をさばくような、牧歌的な作業に思えてくる。
「そっちはどうする?」
ボリスはダンを指差して俺に尋ねた。
「そうだな……」
俺はダンを見下ろした。見開かれたままの瞳が、どこか遠くを見つめているようだ。
――きっと、見つめているのだろう。仮初めの死の世界を。
世の中には、先天的に良心というものを持たない人間がいる。かくいう俺もその一人だ。だからこそ俺には、この男が俺とは違うと分かっていた。だが俺は、自分とはまったく違うこの男が、結構好きだったのだ。
俺はしばし考えた末に答えた。
「このままでいい」
ダンの場合はスタンリーのようにはいかない。警察局の要人であるダンが失踪したとなれば、それなりに詳しい調査が行われる。
部屋を荒らして、強盗による殺人と見せかけておこう。死体が発見されれば今朝のバックアップから復元されるが、その時には情報漏洩の罪で身柄を拘束されているのだ。証拠のファイルをダンの端末に移しておけば充分だろう。それともダンが始めに考えたように、ゆするというのも一つの手か。まあいい。一人暮らしだから発見までには時間がかかる。ゆっくり考えよう。良き友人でいられなくなるのは残念だが、仕方がない。
「できたぜ」
作業を終えたボリスが立ち上がった。「荷物」は、すっかり準備されている。これでもうスタンリーには、明日はやって来ない。
ダンの言った通りだ。違う結末で今日を終え、別の明日を迎える。俺たち三人のうちで最後に勝ち残った者だけが、「明日」に進めるのだ。




