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★今日 午後六時二十三分 (ファイル番号57)
家路を急ぐ人々をうまいことよけながら、ダンは慣れた動作でダウンタウンの裏通りを運転していった。
そして車は、ある古ぼけたアパートの前で止まった。
「ここは?」
「私の家さ」
ダンにそう言われ、俺は少なからず面食らった。
以前のダンは、アッパータウンにある小ぎれいなアパートに妻のエレンと住んでいた。警察局の上級職員で、高給取りのダンの生活ぶりは、はた目に見ても充分な経済的余裕があるものだった。しかし今の住まいだというこのアパートは、治安の悪い地域によくある貧困層向け集合住宅だ。アパートの周りにたむろする目つきの良くない連中が、遠巻きに俺たちを眺めている。
「引っ越したとは知りませんでしたよ」
俺は戸惑いつつ言った。
「あのアパートは売った。金がいるんでな」
「金?」
「そう。エレンの治療費だ。保険がカバーしない最先端のガン治療には、金がかかる」
ダンが悪事に手を染めてまで得た金を何に使っているのか、俺はずっと疑問に思っていた。彼は金遣いの荒い男ではないと、長年のつきあいで知っていたからだ。しかし、ようやく合点がいった。
「バックアップは取っていなかったんですか?」
「……あるさ。俺の給料ではそう頻繁にはできないので、だいぶ古いものだがね」
「それは良かったですね。それなら、」
ダンが鋭い口調で俺の言葉を遮った。
「ガンに冒されたエレンの治療は諦め、死亡したらバックアップから健康なエレンを復元すればいい。君もそう言うのか?」
「だって、仕方ないじゃありませんか」
治療するよりむしろ、その方が安上がりだ。
「ガンと戦って、エレンはなお生きようとしている。それが、生きるものの理なんだ。――私にはできん」
やれやれ。俺は内心、ため息をついた。ダンがこんなセンチメンタリストだとは知らなかった。




