二日前 午後十二時十三分 (ファイル番号06)
「やあ、奇遇だな」
俺はいかにもさり気ない調子で、スタンリーに声をかけた。
ランチ時、ビジネス街のど真ん中にある大きな公園は、限られた昼休みの間に少しでも自然の恵みを享受しようという、都会の勤め人で賑わっていた。
片隅のベンチに腰かけて昼食を取るスタンリーは、怪訝な顔で俺を見上げた。ひどく痩せて骨ばった彼の頰が、明るい陽の光に照らされて陰影を作る。
「ここ、いいかい」
俺はスタンリーの返事を待たず、隣に腰を下ろした。スタンリーの近眼の瞳が、眼鏡の奥で大げさな瞬きをする。
彼は口の中でモゴモゴと適当な返事をし、食事を続けた。
情報漏洩の件で、俺はここ数日にわたり彼の素行調査を行ってきた。しかし、これという事実が何も出てこない。そこで一度本人に接触してみようと、こうして偶然を装って彼を捕まえたのだ。
俺は近くのカフェからテイクアウトしたハンバーガーを頰張りつつ、気さくな同僚という態で世間話を始めた。そうしながらも彼を注意深く観察する。動作や表情の感情表現に乏しく、考えていることが分かりにくい男だ。しかしそれは人にクールな印象を与える類のものではなく、むしろ愚鈍で、感情の起伏それ自体が乏しいように見える。
スタンリーを尾行した調査員の報告によると、彼の暮らしぶりはいたって質素だ。仕事の後はたまに近所の商店で日用品の買い物をするくらいで、たいていまっすぐ家に帰る。古ぼけたアパートに一人暮らしで、訪ねてくる者もなく、本人もあまり外出しない。酒は飲まず、ギャンブルができるような場所には、近づくことすらない。
つまり絵に描いたような、地味でつまらない男なのだ。派手に金を使う様子が一切見られない。
――だが。
俺はスタンリーの、少し擦り切れたジャケットの袖口に目を落とした。こういう男にも、大金の使い道があるものだ。
ドラッグ、それに女だ。金の行方はこの二つのどちらか、もしくは両方だろうと俺はふんでいた。
俺の目線に気づいたか、スタンリーは気まずそうに顔を伏せ、半分に切ったアボカドをバターナイフで器用にすくってコーンチップスにのせた。彼が膝に置く安っぽいプラスチックのランチボックスに目を落とせば、他にチーズが数切れとオレンジがあるだけだ。この貧相な体は、あまり多くの食物を必要としないのだろうか。どう見ても食事を楽しんではいない様子で、スタンリーは機械のように規則的なリズムで食物を口に運んでいた。
「ずいぶんと、健康的な食生活だな」
俺は冗談めかしてそう言った。
「僕はこれで充分だ。君こそ、もっと食べるものに気を配らなきゃいけないんじゃないのか?」
スタンリーは、どう見てもカロリーの高そうな俺のハンバーガーを顎で指した。
「気を使ってるさ。最近、チョコレートをやめてこいつにした。ヘルシーだろう」
俺はそう言って、シュガーコーテイングしたナッツと干しぶどうの入った紙袋をポケットから取り出し、一つ口に放り込んだ。
「悪いけど、それをしまってくれないか!」
スタンリーの妙にヒステリックな口調に、俺は少々驚いて手を止めた。
「ぼ、僕はアレルギーがあるんだ」
スタンリーは言い訳をするように呟いた。
「アレルギー? だけど自分が食べなけりゃ、関係ないだろう?」
「そりゃあね。だけどナッツなんて最悪のアレルゲン、見るだけでジンマシンが出そうなんだ」
俺にもようやく、彼の寂しいランチボックスに合点がいった。
「アレルギーか。他にも食べられないものがあるのか?」
「シーフードは全部ダメだし、野菜も果物もダメなものが多い。とにかくいろいろさ。だから僕は自分で用意したものしか食べないんだ。外食産業なんて適当なもんだからね、どこで何が混入するか分かりゃしない。アナフィラキシーショックを起こしてからじゃ遅いんだ」
「慎重なんだな」
俺の言葉に、スタンリーはゆっくりと顔を上げた。
「……僕はね、死ぬのが怖いんだ」
おかしなことを言うものだと、俺は笑った。
「そりゃそうだろう。誰だってそうさ」
「違う。僕はね、本当に怖いんだよ」
スタンリーの真剣極まりない口調に、俺は思わず口をつぐんだ。確かに彼のランチボックスは、その恐怖を象徴している。実際、アナフィラキシーショックで死亡する危険と常に隣り合わせなのだ。彼は死を身近なものと捉えているのだろう。
俺はどうだろうか。俺も職務上、危険に身をさらすことはある。だが、それで本当に自分が死ぬとは思っていない。バックアッププログラムの対象者であるという点を差し引いても、考えてみればずいぶんのん気なものだ。
「いいかい。僕はいつか死ぬ。そして僕の存在はこの世界から消えてなくなる。というより、始めからいなかったのと同じになるんだ。僕の思い、してきたこと、大切なもの、それらは全てなくなる。無になるのさ。無だ。どうだい、怖くないか? ランドルフ……」
膝にのせたランチボックスにきっちりと両手を添え、スタンリーはまるで呪文を唱えるようにぶつぶつと呟いた。




