デジャブ (短編18)
啓太郎さんはふと立ち止まりました。
足を踏み入れた通りの両側に、昔どこかで見た懐かしい景色が広がっていたのです。
子供の頃によく行った小さな駄菓子店。
その隣には白い土壁の塀があり、通りを挟んだ向かい側には散髪屋が見えます。
啓太郎さんはあらためて通りを見まわしました。
たしかに見覚えがあります。
長い時を経て変わっているところもありますが、それらの多くは過去に見たものとそっくりです。
ですが……。
啓太郎さんがここを歩くのは初めてのこと。
――もしかしてデジャブ?
話として聞いたことはありましたが、自分自身がデジャブを経験するとは思いもしませんでした。過去の空間に飛ばされたような不思議な感覚です。
――そうだ!
その位置からは見えませんが、啓太郎さんの記憶では、この先には児童公園があるはずです。
啓太郎さんは公園を目指して歩みを進めました。
――やっぱり……。
そこには記憶にある公園がありました。やはり子供の頃、ここで友だちと遊んだ覚えがあります。
これはもうデジャブなんかではありません。子供の頃の啓太郎さんが、実際にこの町に住んでいたということになります。
――でも、どういうこと?
啓太郎さんはこの町に住んだ覚えがありません。にもかかわらずなぜか、初めて来た街並みの景色には記憶があるのです。
啓太郎さんはひどく混乱しました。
啓太郎さんはそれからも、記憶をたどって家の並ぶ通りを歩き進みました。
しばらく歩くと、記憶がしだいにあいまいになってきました。今は子供の頃の記憶を離れ、街並みのどこを見ても知らない景色が広がっていました。
そして。
あれほど混乱していた頭も、その頃にはすっかり落ち着きをとりもどしていました。
――えっ!
街並みをはずれたところで、啓太郎さんは再び歩みを止めました。
この道はよく知っています。過去の記憶とかそんなものじゃなくて、そこは啓太郎さんがいつも散歩をしている道なのです。
そして……。
この道をあと十分も歩けば、啓太郎さんが住んでいる自分の家に着きます。記憶にある過去の町から、いつかしら現実の町にもどっていたのでした。
と、そのとき。
「こんにちは!」
背後からふいに声をかけられました。
啓太郎さんがあわてて振り向きますと、そこには自転車にまたがった制服姿の警官がいました。
「だいじょうぶですか?」
その警官は啓太郎さんの顔を伺い見ています。
――警官が何の用?
予期もしなかったことで、啓太郎さんはすぐには状況がつかめず生返事を返していました。
「ああ」
「送っていきますよ」
警官は自転車から降りると、それを押しながら啓太郎さんの横にやってきました。
――うん?
このときまたしても、啓太郎さんはあのデジャブの感覚に見舞われました。
たしかずっと以前にも……いや、一カ月前だったかもしれませんが、同じようなことがあった気がしたのです。
――今日はどうなってるんだ?
啓太郎さんの頭は前にもまして混乱しました。
隣を歩く警官が話しかけてきました。
「いえ、奥さんから電話がありまして。ちょっと目をはなしているうちに家を出て、まだ帰ってこないとですね」
「うちのやつが警察に?」
「でもよかったですよ、すぐに見つかって」
「私は散歩に出ていただけなのだがね」
「ええ、よくわかっています。その言葉は何べんも聞いていますので」
警官は苦笑まじりにうなずきました。
――何度もって?
啓太郎さんにはまったく覚えのないことです。
――どういうこと?
啓太郎さんは過去の記憶をたどってみました。
すると一カ月前にも……いや、つい一週間前だったかもしれませんが、同じようなことあった気がしてきました。
警官が足を止めました。
「あなたー」
老婦が声をあげ、おぼつかない足取りで走ってきます。
――だれだったかな?
啓太郎さんは過去の記憶をたどってみました。
すると一週間前にも……いや、つい昨日だったかもしれませんが、その女の人と会って話したような気がしてきました。
老婦が手を差し伸べてきます。
「あなた、お帰りなさい」
その瞬間。
「あっ!」
啓太郎さんは短く声を上げました。
「ただいま」
啓太郎さんは笑顔になって、差し伸べられた妻の手をしっかり握り返したのでした。