神の庭
戴冠式は無事終わり、木の枝を模した冠がフィニアスの頭を飾ることになった。
式の後には茶会のようなものが開かれ、神殿にある庭で高貴な人々によるお祝いの言葉が行き交う。
その段になると、ロスは役目は終わりとばかりに茉莉花を置いて挨拶回りへと消えていった。ソツのない青年である。
茉莉花もようやく気が抜けたというか、ロスに気を張らず過ごせることに安堵してしまう。
ドレスアップした男女。
菓子と軽食の乗ったテーブル。
飲み物をサーブする給仕。
さざめく笑い声と和やかな雰囲気。
馴染める気がまったくしない。
「マリスフィエナ様」
飲み物は貰ったが、口もつけずぼんやりとしていたら声をかけられた。
声の主を見ると、二十代半ば頃の男性だった。
「今日も麗しい。まるで美の女神のようだ」
「いや、今日のマリスフィエナ様は、花の妖精のように可憐なお姿ですよ」
なぜかすかさず男が一人、割って入ってくる。
その前に誰なのだろうか、この二人は。
そんな事を考えているとあっという間にわらわらと人が集まってきた。
十代と思しき子息から三十はいってそうな見た目の男まで様々で、いずれも美しい衣装に身を包み顔立ちも端正な者が多い。
(ちょっと、待って。なにこれ、どうなってるの!)
男達は口々にマリスフィエナを褒め称える。しかし茉莉花にしてみれば赤の他人への賛辞と同じだ。どれだけ容姿を褒められようが、何も響いてはこない。
「ほら見て、マリスフィエナ様」
「また殿方漁りかしら、はしたない」
おや聞き覚えがあるぞ、と視線を動かせば、中学生くらいの少女達がいた。
一丁前に扇をヒラヒラとさせて、リボンとフリルがこれでもかと使われたドレスの少女が剣のある目で茉莉花を見ている。
向日葵のような眩しい金髪をしていて、もっと年相応の出で立ちなら不思議の国のアリスに似て可愛らしいのに。
(あんたたち、まだ子供じゃないの!)
神殿で散々なことを話していたのは、年端もいかない年頃の子供。そのことに茉莉花は地味に衝撃を受ける。
「マリスフィエナ様、宜しければ今度我が家の庭をご覧になりませんか?貴女のように可憐でとても美しい薔薇が咲いたのです」
「先日遠方から珍しい宝石を手に入れましてね。是非とも貴女に身につけて頂きたいのです。受け取って貰えないでしょうか」
「マリスフィエナ様は遠出はお好きだろうか。ご一緒に美しい景色を見たいと常々願っておりました」
「我が国の至宝を外に連れ出すなど。マリスフィエナ様のような可憐なお方なら、音楽鑑賞などがお好みのはずだ」
花だの宝石だの。マリスフィエナはやはりモテる。
しみじみ茉莉花は感心しながら、この現状をどうしたものかと考えていた。こんなあからさまに言い寄られたのは生まれて初めてだ。かなり己の嗜好と主観が入った者が多いように思うが。
街中で声をかけてくるような、その辺のナンパ男なら言うことも軽いことばかりで幾らでもあしらえるのだが。
「あの、私、ちょっと気分が優れないので……」
あながち嘘ではない。
貧血気味なのか立ちくらみがしそうだし、全身が怠くて動くのが億劫だ。出来ればどこかでゆっくり休みたい。
「ああ、マリスフィエナ様。なんて儚げなんだ」
「見た目通り嫋やかでいらっしゃる」
言ってる場合か。
うっとりと見つめてくる男達に呆れ、茉莉花は嘆息する。
「申し訳ないんですけど、私休ませてもらいますね。ゴキゲンヨウ」
(はいはい、通してー。すみませんねー、マリスフィエナのファンの皆様!)
ちょっと強引に人間の垣根をかき分け、茉莉花はひたすら人気の無さそうな場所を探して突き進んだ。後を追ってきそうな気配があったので中々のスピードで歩かねばならなくて、傍から見ると本当に体調不良かとツッコミを受けそうな姿だったろう。
(なんていうか、すごく素朴というか、日本的な庭って感じね)
大股に歩くこと二、三分。辿り着いたのは、花よりも草木が多く茂る静かな場所だった。人工的な造られた庭というより、草木を整えちょっと手入れがしてあるだけの自然美を見る為の庭。
人がいる気配はまったく無くて茉莉花はホッと一息吐いた。
(あ、小川がある)
天然のものか水を引いているのか、穏やかな流れのちょっとした川が流れているのを見つけて覗き込んでみる。
(はぁ。ほんとすごいモテようねマリスフィエナ·····)
アイドルにでもなったような扱いに戸惑いしか感じない。
上流にベンチを見つけて、茉莉花はそこに腰掛けた。陽射しが目に痛くて目を瞑っていると、今度は暖かくて心地よくなる。
(眠い·····)
戴冠式では辛うじて耐え抜いたが、もう限界だった。抗い難い眠気が襲い、少しだけ、と思いながら茉莉花はベンチの背もたれに頭を乗せる。
意識を手放すのは、あっという間だった。
「マリスフィエナ様」
「ん·····」
「またこのようなところでお眠りになるなんて、風邪を召されますよ」
少年の声に起こされ、茉莉花は強ばった身体に眉を顰めた。
「んー·····いまなんじ?」
「まだ昼食会は始まったばかりですけれど」
「昼食会·····?」
眠い。とてつもなく眠い。
まだまだこのまま眠っていたい。
「もう少し寝る·····」
「え?あの、マリスフィエナ様、いけませんってば」
肩に手を置かれ揺すられる。どうしても起きなければいけないらしい。
茉莉花は小さく唸りつつ諦めて薄目を開けた。視界に入ってきたのは美しいサファイアのような深い青。
「お目覚めになれますか?」
「·····ッ!」
お目覚めになれましたとも。
目の前に美少年が困ったように微笑んでいるのだ、それはもう瞬時に覚醒した。
サファイアの瞳が茉莉花を捕え、長い水色の睫毛が影を作っている。
「フィニアス、猊下」
柔らかな曲線の顔立ちは中性的で、異性という感じがしない。しかし背丈はきちんとあり、細身でスラリとした体型をしていてさながら海外モデルのようだ。
「どうぞ今まで通りフィニアスとお呼びください」
眉尻を下げながらお願いされると頷く以外の選択肢は無い。
「よほど体調が悪いのですか?こんなところにお独りでいらっしゃるなんて」
「ああ、まぁ、ちょっと。昨日はなんだか眠れなくて」
魔王が来たから、とは言えないが。
「それでこちらに?」
くすりとフィニアスは控え目に笑う。
「なんだか、懐かしいですね。もっと幼い頃は貴女とここでよく過ごしていました」
そうなのか。
なんとなくで歩いて来ただけなのに、実はマリスフィエナの思い出の場所だった。その事に妙な居心地の悪さを感じた。無意識で動いたことの気持ち悪さ、と言うのだろうか。
マリスフィエナの記憶は無いので、ボロが出ないように話を逸らそうと茉莉花は話題を移す。
「おめでとうフィニアス。戴冠式、堂々としててとても立派だった」
「ありがとうございます。沢山の人に御祝いを頂きましたが、マリスフィエナ様のお言葉が一番嬉しいです」
フィニアスのはにかんだ笑顔に胸が詰まった。
茉莉花が罪悪感を抱かねばならない謂れは無いのだが、それでも、故意では無いにしても成りすましているという意識はどこかにある。
騙したくて騙している訳では無いのに。
「マリスフィエナ様はこの川の流れを変え、自在に操ってみせましたね。あの時はとても感動したのですよ」
「そ、そう·····」
(どうゆーエピソードよ、それ)
子供の遊びが斜め上を行っている。どうリアクションしていいやら困る思い出話だ。
「より神に近い者がいるというのに、私が神王となって本当に良いのでしょうか」
(えええ、そんなこと私に言われても困るから!堂々と神王猊下やっちゃって大丈夫だってば!こんな天使より神に近い者って、それもうこの世のモノじゃないでしょ!?)
などという心情を他所に、茉莉花は精一杯の微笑みを浮かべた。
「フィニアス、自信を持って」
「ですが·····貴女を見ていると、神々しくて畏れ多くなるのです。マリスフィエナ様が神王となれたら、私は喜んでお仕えします」
(神に近い者って、マリスフィエナのこと言ってたの!?)
神に近いと言われたら、そうなのか。
世界を滅ぼすなんて、そう出来る事じゃない。「世界滅べばいいのに」とふと考えて有言実行を可能とする人間は、人間と呼ばないと茉莉花も思う。
「·····フィニアス、私は神王には相応しいと思わない。力とかだけでそういう立場を決めるのは違うわ」
「マリスフィエナ様·····」
「責任を背負う覚悟とか必要でしょう?神殿の頂点に立つなんて、私には出来ないわ」
「そうでしょうか。マリスフィエナ様はいつも自信に満ちた方で、悠然とされてすごいなって、ずっと思っていました」
憧れを素直に口にして、フィニアスは恥ずかしげに視線を落とした。まるでどこぞの純情な乙女かとツッコミたくなるほど、いじらしい仕草だ。
「何事にも動じず、微笑みを絶やすことなく人々へ平等に向ける·····本当に、マリスフィエナ様はお姿だけでなく、その心の有り様も女神のようです」
ああ、と茉莉花は心の中で嘆息した。
お門違いかも知れないが、同情や憐れみに似た感情に浸される。
純白の衣装に相応しい、純粋な心を持った少年。厳格な神殿の元で育ち、疑うことを知らず素直に人を信じる。
マリスフィエナはそんな少年の事をどう思っていたのだろう。
「マリスフィエナ様のようになれたら、と。今でも思っています」
水色の髪から覗く柔らかな曲線の頬は仄かに赤く染まり、サファイアの瞳は控え目に茉莉花ーーーマリスフィエナの姿を見つめていた。
(違う。私は、マリスフィエナじゃない)
今までに無い拒否感。
否定したい衝動が湧き起こる。
「フィニアス、良いこと教えてあげようか?」
「なんでしょうか?」
「私、みんなが言うような女神なんかじゃないの。こんな容姿だから、微笑んでるだけでみんな勘違いするのよ」
そう言うと、フィニアスはぱちくりと目を瞬いた。
「本当の私なんて、誰も知らないの」
これは真実だ。
茉莉花という存在を知るのは、魔王だけ。
「決められた通りの役割を、決められた通りに従うなんて、馬鹿げてると思わない?私はこの世界の神様に振り回されるのも嫌だし、神王なんて絶対嫌。私、せめて自分のしたいことをして生きていきたい」
ハッキリと告げると、マリスフィエナを慕う少年は狼狽え、言葉を失ったように瞳を揺らす。
なんだろうか、やたらと罪悪感を刻まれる憐憫なこの表情。無垢な美少年から悲しげな顔をされるとこんなダメージを受けるものなのか。
だからと言って前言は撤回できないが。
(ずるいわよ、天使すぎるッ!)
妙な抗議をしてしまったが、茉莉花は真面目に彼のご両親に訴えたいほどだった。なぜこんな天使に育ったのかと。
「マリスフィエナ様は、ずっとそう思っていらしたのですか·····?」
「え、いや、ずっとって訳では無い、かな?」
「私は無神経なことを、知らず口にしていたのでしょうか?貴女が嫌がるようなことを·····」
おかしいぞ、なんだこの流れは。
茉莉花は悪党にでもなった気分に陥る。不思議だ、フィニアスが声を発する度に「可哀想、慰めなければ」と思わされる。
「別に気にしてないわ」
マリスフィエナなら、多分なにも気にしないし、気にも止めない。
「ですが·····私はずっと貴女のお側にいたというのに、今のような思いを何一つ察することが出来ませんでした」
「それはまあ」
致し方ないと思う。
中身は茉莉花という異世界の女子高生で、状況把握が完了したのは昨日の今日なのだ。察する暇など無い。
「でも、今まで私もなんにも言わなかったのも悪いと思うの。ちゃんと自己主張してこなかったのは、本人の責任でしょ?ね?」
「そのようなことは」
「あるある。全面的に私の責任だから、フィニアスが自分を責める要素は無いから。いいわね?」
フィニアスの肩を掴んで、言い聞かせるように目を合わせて少し強引に念を押す。まるでもう一人弟ができたような気がしてきた。
「あの、マリスフィエナ様·····ちか、近い、です·····」
消え入りそうな声でフィニアスは言い、耳を真っ赤にさせていた。羞恥で瞳も僅かに潤んでいる。
見た目は天使だわ、リアクションは乙女すぎるわ、心臓に悪い少年だ。
(·····えーと·····なんで私がウブな女の子かどわかしてる的な感じになってる?)
かくいう茉莉花も現在は世にも稀な美貌の持ち主なのだから、とやかく言える見目では無い。いかんせん無自覚。
「ともかく、今の私はこんな感じなんだけど、フィニアスは私のこと呆れた?変だと思う?前の私の方が良かったかな·····」
頬の熱が冷めやらないフィニアスだったが、きちんと茉莉花を見返した。潤んだ瞳が陽光を受けて、キラキラとした光を宿す。
「今の貴女は、以前より生き生きとしていらっしゃるのは確かです。どちらの方が良い、などと私が決めることではありません」
フィニアスはふと微笑んだ。
「どんな貴女でも、私は大切に思います」
若くして神王となるだけあった。
茉莉花は平伏したくほどの神々しさを感じ、
(神王猊下、万歳)
と密かにフィニアスへと祈った。