第19話 始まる
視線の先には動き始めたリヒト君がいる。
もう魔物が湧き始めたようだ。
リヒト君が最初に倒した魔物であるイビルラットが次々と姿を現す。
「もうあの時みたいに格好悪いことはしない!」
ダンジョンの時とは違い、リヒト君はイビルラットを圧倒していく。
立派になった姿に感動……したいが、今はそうもいかない。
どうしよう、としか考えられない……ああっどうしよう!
このままだと駄目だと分かっているのに、しっかりしなきゃ……考えろ!
なんとか何か入ることが出来ないだろうか。
「精霊! 私を中に入れて!」
「…………っ! だめ!」
精霊に向けて叫んだが、すぐに抑止するリヒト君の声が響いた。
リヒト君と私を隔てる境界に手を伸ばしてみるが……見えない壁は消えていない。
精霊は私の願いを聞き届けてはくれない。
「なんでだ! リヒト君のピンチが分からないかなー! 精霊の馬鹿ー!! ……痛っ」
いつぞやと同じどんぐりが飛んできて、私の頭でぽーんと跳ねた。
一つ、また一つと次々飛んでくる。
馬鹿って言ったから!?
「うがああ!! いい加減にしろー!! メルヘンどんぐりタイムやってる場合じゃないのっ!!!!」
どんぐりの鬱陶しさと話の通じない精霊に苛々が爆発した。
「リヒト君に何かあってからじゃ遅いの! あの子が大怪我したらどうするの!? 喋れなくなったらどうするの!? 動けなくなったらどうするの!? あなた達の前からいなくなるかも知れないのよ!? 私を中に入れることは、今はリヒト君の意思に背くことになるけど、後にあの子のためになるの!」
精霊と人の感性は違う。
リヒト君の言うことをなんでも叶えてあげるのが精霊の親愛の印なのだろう。
例えそれでリヒト君が亡くなることになっても、リヒト君の望みを叶えた結果なら構わないのだ。
だからそれは間違っているのだと、私が言っていることの方がリヒト君のためにも、リヒト君を慕っている精霊のためにもなるのだということをちゃんと伝えなければならない。
必死に叫ぶと、見えない壁が震えたような気がした。
「!」
壁に穴が空いた!
小さな拳くらいの穴が、どんどん広がって――。
「絶対に通さないで! お姉さんの言うこと聞いたら精霊なんて嫌いになるから!」
リヒト君が叫んだ瞬間に穴は消えた。
「な ん で だああああ!!!!」
上手くいきそうだったのに!!
「リヒト君の頑固者ー!!!!」
駄目だ、リヒト君が許してくれない限り私が入ることは出来ない。
精霊め……散々利用してきちゃったけど、ここぞという時に使えないんだから!
説得するのはもう無理か。
私が中に入ることは諦めるしかないのかな……。
リヒト君が一人で戦うしかないのなら、ひたすらシールドを張ってやり過ごして貰うのはどうだろう。
ゲームではないからクエスト失敗なんてどうでもいい。
でも、影竜戦は倒すか負けるか、どちらかにならないと解放されないだろう。
第一、リヒト君がこの方法を受け入れてくれるとは思えない。
リヒト君が使えるという精霊召喚もしてみて欲しいが、一人で頑張ることに拘っているからやってはくれないだろう。
結局、リヒト君が単身で影竜に勝つしかないのだ。
でも今のままでは勝てない。
雑魚戦で強くなるしかないのだが、どこまで強くなれるか……。
とにかく……リヒト君はどうあっても一人でやると決めてしまったようだから、私も腹を括るしかない。
迷っている時間は無い。
出来ることをしてリヒト君が影竜を倒せるようにサポートしよう。
「リヒト君! 私、中に入るのは諦めるわ! でも……手は出せないけれど口は出させて貰うからね!」
「嫌です!」
「はあああ!!!?」
まさかの拒否!
口すら出させて貰えないなんて!
リヒト君相手に一瞬キレてしまった。
「お姉さんは休んでいてください!」
「そんなこと出来るわけないでしょう!! いいから……っ」
いいから言うことを聞いて! と言いかけてハッとした。
リヒト君を守ろうとしてのことだが、今まで私本位で動いてきたからこうなったのだ。
今回も万全を期して戦闘に参加して貰うことにしていたが、全力でカバーするつもりでいた。
だからこんな行動をとってしまうくらい自立して強くなりたかったリヒト君にとっては不満な戦いになったと思う。
リヒト君はそれを悟っていたのだろう。
このまま「私の言うことを聞いて」でいては駄目だ。
「ふう……」
頭に血が上っている状態で話しては上手くいかない。
深呼吸をしてからリヒト君に話しかけた。
「リヒト君は責任感が強くて、いい子で、頑張り屋さんだけど……まだ小学生なの! お姉さんはね、リヒト君が勇者になれるよう協力するけど、リヒト君が大きくなるまではお姉さんが守らなきゃって思っているの! だからこんなことになって凄く心配だし……危ないことをしたリヒト君にとっても怒ってる! でも、こういうことをさせてしまったのはお姉さんがリヒト君の気持ちを抑えつけちゃったから。……反省してる! ごめんなさい!」
リヒト君は黙々とイビルラットを屠っているが、話を聞いてくれているのは分かる。
「リヒト君なら出来るって、影竜を倒せるって、リヒト君を信じる! だから……リヒト君が頑張るのを手伝わせて! 影竜を倒せるようにアドバイスさせて!」
戦い続けているリヒト君から返事はない。
でも、私が伝えたいことは全て言えた。
だからリヒト君にも届くはず……届いて欲しい!
暫く戦っている様子を見守っていると、リヒト君はちらりとこちらを見た。
「お姉さんが謝ることなんて何もないんです! 悪いのは僕です、ごめんなさい!」
イビルラットが襲ってくるため戦い続けているが、意識はこちらに向けてくれているようだ。
大人しく見守りながらリヒト君の言葉を待つ。
「叱られるって分かっていても……死んじゃうかもしれないって思ったけど……それでも、お姉さんにだけ危ないことをさせてしまうのはもう嫌だったんです! 僕が強くなるまでこんなことが続くのか、って。それに村の人を助けたいと思ったのは僕だから……僕が決めたことでお姉さんを危険な目にあわせるなんて……嫌だっ!!」
一斉に飛びかかってきたイビルラットに向けてリヒト君が風の魔法を放った。
これは……ダンジョンで私がリヒト君を助ける時に使った風の魔法だ。
強い風がここまで吹きつけた。
あの時のようにイビルラットは跡形もなく霧散するように消えてしまった。
ああ……本当に立派になって……!
「僕、お姉さんみたいに強くなります! だから、サポートしてくれますか?」
近くの敵を一掃し、こちらを真っ直ぐに見るリヒト君はとても頼もしく見えた。
そうだ、この子は勇者なんだ。
私なんかよりずっと強くなれる子だ。
「もちろんだよ!」
大きく拳を振り上げて頷くと、輝く笑顔を返してくれた。
大丈夫……なんとかなる気がしてきた!
イビルラットがまた押し寄せてきたため、キリッとした凜々しい表情に戻ったリヒト君が駆け出した。
さあ、私は私に出来ることをしよう!
戦っているリヒト君に届くよう声を張り上げた。
「そのまま聞いて! リヒト君がこのまま影竜が出てくるまで雑魚を倒し続けても、影竜を倒せるレベルまで強くなれる可能性は低いの! 影竜討伐に有効なスキルを使うことさえ出来ないと思う!」
「そんな……どうすれば!?」
「敵を強くして貰うの! 精霊に!」
使えない! と心の中で罵った後だがガンガン使っちゃう!
どんぐり攻撃ならいくらでも食らうから許して。
最悪、毬栗でもいい。
針治療だと思って受け入れよう。
精霊の協力を得ることはリヒト君の本意ではないかもしれないけど、召喚するわけじゃないからいいでしょう?
銀色フォレストコングのように雑魚敵も強くなれば、得られる経験値も一気に増える。
影竜を倒せるレベルまで届くはずだ。
「準備が出来たら精霊に頼んで! もっと強い敵と戦いたいって!」
「分かりました! もっと強い敵に……」
「ちょ、ちょっと……待って!」
あまりにもすぐ頼むので思わず止めてしまった。
強くしてしまったら、今ある余裕はなくなるだろう。
その前に――。
「最後にもう一度だけ確認させて! このまま朝まで強い敵と戦い続けないと影竜には勝てない! HPは回復できても、疲労はどうすることも出来ない! 辛いし、痛いし、苦しいよ? 死んじゃうかもしれないよ? それでも一人でやるのね!?」
「やります!」
一切迷いのない即答だった。
「……そう」
腹を括ったといいながらも、まだリヒト君が戦わずに済む道はないかと迷っている私とは大違いだ。
……流石勇者様、敵わないなあ。
「強い敵と戦いたい!」
リヒト君が叫ぶと、戦場にいるイビルラット達が強い光に包まれた。
暗い崖底で輝く白い光に目がチカチカする。
光が収まると現れたのは、銀色フォレストコングと同じように銀色になったイビルラットだった。
銀色イビルラットがまた一斉にリヒト君に飛びかかる。
スピードも攻撃力も一気に増している。
「リヒト君! 基本の動きは同じはずだからよく見れば大丈夫よ! イビルラットはここから北方面――時計で言うと二時と十時の方向から湧くから! 囲まれる前に始末していこうね! もう少ししたらイビルバット、コウモリみたいなのが交じってくるから! それは四時と八時の方角! イビルラットに集中しすぎていたら背後からやられるから気をつけて! それとこれから先、危ないと思ったらとりあえずシールドを張ること! 攻撃手段を選ばないとカウンター攻撃を食らう場合があるからね!」
「はい!」
リヒト君が焦らないように伝えたが、心配は無用だったようだ。
さっきまでと変わらず大きなダメージを受けることなく倒している。
「HPもMPも今は装備の自然回復で充分やっていけるけど、その内ごっそり削られることも出てくるから! 回復魔法やアイテムを使うことにも慣れておいて! それと影竜戦で使うスキルも!」
「分かりました!」
ああああっ見ているとハラハラする!
神様に祈ったことなんてなかったけど、今は自然と両手を組んでしまっている。
私が得た経験値をリヒト君に渡すことが出来るのなら、根こそぎ差し出すのに……!
「これは……どうなっているんだ!?」
「……またあなた達か」
私の背後からうるさい外野が現れた。
もう……なんで来るかなあ!
リヒト君とのレベル上げ、銀色フォレストコング戦の経験値をごっそり持っていった三人組である。
つけてくる気配はなかったから、私達とは別に後からやって来たのだろう。
「銀色のイビルラット? あの子が一人で戦っているのか!? どうして助けにいかない! ……ぐあっ!」
ジークベルトがリヒト君の元へ駆け寄ろうとして見えない壁に激突し、跳ね返って倒れた。
それと同時に新たな敵が出現した。
ジークベルトの高貴なコントに付き合っている暇はない!
「リヒト君! イビルバットが出てきたよ!」
イビルバットも銀色だ。
リヒト君の言葉は以後出てくる敵にも適応されているのだろう。
雑魚戦後半の敵は苦労するかもしれない。
でも、それくらいじゃないとレベルがまともに上がらない。
レベルは上げられるだけ上げたいが最低でも50は欲しい。
「ぐっ!」
リヒト君の痛みに耐えるような声が聞こえた。
慌ててそちらに目を向けると、イビルバットがリヒト君に噛みついていた。
倒れかかっていたイビルバットだが吸血攻撃でリヒト君のHPを吸い、回復している。
この程度のダメージは勝手に治ってしまうから大したことはないが、見ている私は心臓が縮んでしまいそうだ。
私が冷静にならなくては……!
再び深呼吸し、リヒト君へのアドバイスを再開した。
見えない壁があると騒いでいる三人は無視だ!
「リヒト君! 魔物は一定数倒すとより強い魔物が出てくるようになるの! この程度の魔物では大した経験値にならないから、最初の方の敵は出来るだけ早く倒していくことを心がけて! 今のイビルラットとイビルバットは群れる弱い魔物だから広域魔法で一気にいこう! MPの減りには注意して!」
「……分かりました!」
返事と共にさっきよりも威力のある風魔法をリヒト君は放った。
またもや霧散するオーバーキル。
その場にいた三十匹程の魔物は一掃された。
三人がリヒト君の魔法に絶句している。
「凄いわ……」
シャールカがぷるぷると震えている。
そうでしょう、リヒト君は凄いのよ!
この広範囲でこの威力!
魔法使いのシャールカならこの凄さが分かるはずだ。
これでまだレベル15だよ?
こんなものを見てしまうと益々リヒト君沼から抜け出せなくなるでしょう!
「……これが勇者か」
クマーがぽつりと呟いた。
多分レベルだけなら三人の方が上だし、まだまだこれからもっと強くなるけどね!
「…………」
ジークベルトは目を見開いてリヒト君を見つめていた。
愕然としているようにも見えるが……どうしたのだろう。
いや、今はジークベルトのことはどうでもいい!
戦場に目を戻すと次の敵が現れた。
ソーンタートル――ウミガメのような魔物だ。
「その魔物は基本動きは遅いけど、回転しながら突進してくるスピン攻撃は早くて攻撃力が高いから気をつけて! 先に出現した個体からスピン攻撃をしていくから、よく見て出てきた順に倒していけば大丈夫! 倒すのに時間がかかるとスピンで囲まれちゃうから要注意!」
「分かりました!」
頑張れリヒト君!
まだ五時間もある。
……いや、もう五時間しかない!
目指せレベル50!
影竜を倒すことが出来たら、ダンジョン攻略なんて余裕だ。
必死に攻略しているルイやカトレア、シンシアを華麗に追い抜いて「お先にごめんあそばせ。オホホ!」と高笑いしてやろう!