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コレはワタシのモンダイなの!?  作者: 荒木テル・ダッチャブル
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4 The man that's the way all?~夏海の真意~

 長かった夏休みも今となれば夢のようだ。生徒たちは新学期早々から天国から地獄に突き落とされた。

「そんな顔しない!」

 教室中の空気が重くなる。黒板に書かれた文字を見て生徒たちのテンションは一気に下がった。〈スポーツの秋〉の代名詞とも言える年に一度の運動の祭典―体育祭の開催日が発表されたのだった。


「というわけで、もうちょいしたら体育の授業増えてくるから皆覚悟しといてね。あと、クラス競技を決めたり、各係決めたり…他にも色々しないといけないから気ィ抜かないでね!」

 張り切る國山と生徒たちの温度差は明らかだ。

「今からクラス競技のアンケート用紙配るから、放課後までに提出するように」

 返事は返ってこなかった。

「おい、黒崎! 久しぶりに一緒に帰ろうぜ」

「ごめん…今日は図書館寄るからまた今度ね」

「? あぁ、そうか…またな!」

 いつもは手を振り返す彼女だが、今日は荷物をまとめるなり、すぐに教室を出ていってしまった。

 アイツ、何かあったのか?

 

 次の日、二人は給食当番。スープの入ったコンテナの両端を互いに担ぎあげ、廊下を歩く。その後をご飯、おかずのコンテナが続く。いつもと変わらぬ光景だ。ただ、夏海に元気がない。隣を歩く武蔵は、彼女の表情にいつもとは違う何かを感じた。

「なァ、奥寺…黒崎の奴どこ行ったか知らないか?」

「あん? 女子たちとバスケでもしてんじゃねーの?」

 いつもは外で遊んでいる武蔵も今日の昼休みはそれどころではなかった。

「そっか…六校時までに昨日の英語の宿題聞こうと思ってたのに」

「それよりさ、むっちゃん! 数学の宿題教えてくれよ」

「いい加減その呼び方やめろ!」

 武蔵は友人に冷たい目線を送る。

「いいじゃね~の~。俺とむっちゃんの仲だし! 俺たち親友だろ? むっちゃんも前みたく俺のこと『タケちゃん』って呼んでくれよ」

「あ~、お前に話しかけた俺がバカだった。他の奴に聞いてくるか」

「ちょっと待てって! ツレねぇ~な、むっちゃん…英語なら俺が教えてやっから!」

 さっきまでその頭の下で組まれていた奥寺の手は、振り返ったばかりの親友の背後から素早く伸び、彼の動きを停止させた。

「何だよ、しつけぇ~な!」

 振り返った親友を真っ直ぐ見つめる奥寺。

「お前、英語できるのか?」

「任せろ、むっちゃん! 俺は英検五級持ってんだぜ!」

「俺、四級」

 武蔵はそう言い放ち、再び友人に背を向けた。

「ほぉ、それはそれは『なっちゃん』先生のおかげですかな?」

武蔵の眉がピクリと動いた。

「でも、残念だなぁ…数学教えてくれた報酬として【最新なっちゃん情報】をお伝えして差し上げようと思ったのによ」

「二つツッコませろ」

 扉を開けようと武蔵はその足を止め、静かに語り始めた。

「まず、なぜお前がアイツの事を『なっちゃん』って気安く呼んでんだよ! 女子も最近呼び始めたばっかなのによ」

「ほぉ~、さすがお詳しいですな…でも、残念ながらまだこれで呼びかけたことはないんだよね~」

「そんなことはどうでもいい…最も重要なのはなぜ、今お前は背後から俺に抱きついている?」

「ん? だって、温かいんだもん! むっちゃんの背中」

「今すぐ離れろ…でなければ五秒後に手首の骨を折る」

「おぉ~、怖い怖い…。やっぱこういうのは夏海ちゃんにしてほしいよね?」

 武蔵は無言のまま、奥寺の手首を握り、力を込める。

「わーかった!やめるやめる!離れるから。もぅ、むっちゃんたら冗談通じないんだから」

奥寺はぴょんと離れ、いつものようにおどけてみせる。

(まったくこいつは)

武蔵はため息をついた。

(こいつと居るとテンションが乱れる)

やっと心を落ち着けた武蔵に一つの疑問が浮かぶ

「てか、何でお前が俺が黒崎のこと…」

 興奮した武蔵は突然ハッとなり、しばらく黙り込んだ。それは、言わずもがな。読書をしている女子、机で寝ている男子、睨みつける数名…教室中の視線を自身一点に感じたからである。

「静かにしろよな、むっちゃん。自爆寸前だったぞ?」

 奥寺は笑いをこらえていた。

「うっせ!誰のせいでこんな…でもそれはどうでもいい!なんで俺が黒崎を…」

「隠してるつもりだったの?まぁ、むっちゃんは隠し事出来るタイプじゃないしなぁ」

「自分だけだと思ったか、むっちゃん? 残念ながら、夏海ちゃんを狙ってる奴は他にもいる」

「それ本当か?」

 耳元で囁いた友人に武蔵は小声で返した。

「当たり前だろ。夏海ちゃんはもうこの学校全体の注目の的と言っても過言じゃないんだぜ?」

「そうなのか!?」

「そんなことも気づいてなかったの?」

「で、そいつらは誰なんだ?」

 すると奥寺は机を指差し、にんまり笑った

「分かったよ…終わったら教えろよ!」

 武蔵は自分の椅子をそこまで引きずると友人と向かいあって座った。

「よし、これで全部終わりだな。約束通りさっきの続き聞かせろよ」

「分かってるって。ありがとな、むっちゃん!」

 奥寺はそう言って立ち上がると、彼を廊下に手招きした。

「時間もないから単刀直入に言うぞ」

「おぅ…」

「ズバリ…今、この学校で夏海ちゃんに好意をもっている奴はお前も含めて五人いる。同じクラスの赤羽小次郎、西山剛、一組の中山健太、あとは三年二組の緑川昴先輩だ」

「赤羽が? それに西山や緑川先輩まで…?」

「ホント鈍感だよな…むっちゃんは」

「?」

「いいか! 夏海ちゃんのファンの一人、そして親友として助言しておく。彼女はな、ダイヤモンドの原石なんだよ!! つまり、今はあんまり目立ってないけどこれからの三年間で彼女は必ず学校中の人気者になる」

「さっきから何が言いたいんだよ…てか、赤羽の奴が黒崎のこと好きって…!」

「まァ、落ち着けってむっちゃん。人の話は最後まで聞くもんだろ?」

 奥寺は向かい合う親友の唇の前に人差し指を立て、さらに続ける。

「ダイヤモンドってのは、それを輝かせる方法を知らなくても一人が探し出せば、その周りにいる全員がそれを欲しがる! それと一緒なんだよ」

「アイツ、そんなに人気あるのか」

「あァ、これから、むっちゃんの敵は確実に増えていく。ってことは…俺が言いたいことわかるよな?」

「は?」

「いつコクるの?」

「…?」

 奥寺の渾身のフリに彼はただその場に立ち尽くすだけだった。

「笑いが分かってねぇな~…むっちゃんは」

数秒の沈黙の後、ため息交じりに奥寺が悔しげな表情を向ける。すると彼はようやく友人の求めていた答えを察したらしく、

「くだんね…お前、テレビの観すぎだっての」

 と冷静に返し、振り返る。

「お前に付き合ってる場合じゃなかった…英語聞きに行ってくる!」

午後の授業開始まであと十分。奥寺は慌てる親友を何も言わず見送った。

「あっ!」

 何かを思いだした二人の声が遠くの方で互いにシンクロする。

「奥寺、一つ訂正させてくれ! 俺、お前の事『親友』とか思ってないぞ。俺とお前は『ただの友達』だ」

「悪ィ、むっちゃん…一番大事なこと言い忘れてた! 赤羽の奴、『今度の体育祭で自分のチームが優勝したら、夏海ちゃんにコクる!』とか言ってたぞ!!」

「えっ?」

「はぁ?」

 武蔵は再び立ち止まり、友人を振り返った。向かい合ったその顔は不満げだ。

「今の話本当か…? 詳しく聞かせろ!」

「それはこっちのセリフだ、むっちゃん!!」

 二人は静かに歩み寄った。


 五校時は学級活動の時間。そこで、体育祭のクラス競技は多数決で【創作ダンス】に決定した。

「誰だよ! こんなん書いたの…」

「マジ、ダリ~…俺、やんねぇから」

「そうだよ、ダンスなんてもう古いって!俺、【パン食い競争】がよかった」

「いや、それやるの幼稚園ぐらいまでじゃね?」

「安心しなさい、男子たち! ダンスなら、ウチらが教えてあげるから」

 ほとんど女子が書きやがったな!

 クラスのボスと目が合った瞬間、男子全員が勘付いた。

「じゃあ皆! 振り付けとフォーメーション、頑張ってかんがえてね~」

 授業が終わると、國山は笑顔で教室を後にした。男子たち嘆く中、武蔵はある一点を見つめている。

 アイツ最近、全然話しかけて来ねぇな…。

 一昨日行われた席替えで、夏海との机の距離がだいぶ近くなった。だが、二学期が始まって以来、彼女は彼と挨拶しか交わさなくなったのだ。しかも、それが心なしかぎこちない。休み時間に話しかけようとすると、彼女は彼から逃げるようにしてどこかへいってしまう。武蔵は自分が避けられている気がしてならなかった。

 まさか黒崎の奴アイツの事が…。

「おい、斎藤! 聞いてるのか?」

「あっ、はい!」

「まったく…今日はお前らしくないな。六十八ページのツーパラグラフめを音読してみろ」

 武蔵は突然のフリにも関わらず、冷静に読み進めていく。だが、今の彼にとって英語の授業などどうでもよかった。

 赤羽は本気で…?

 腰を下ろしながら、不意に彼と目がった。

「コクるらしいぜ!」

 授業終了後、武蔵の頭の中に残っていたのは、あの時の友人の言葉だけだった。

「何だよ? 武蔵。いきなり呼び出しやがって」

「赤羽、お前に聞きたいことがある!」

「ん?」

 放課後、二人の姿は屋上にあった。


 それから一週間後―

「廊下の掲示板見たかよ、むっちゃん!!」

 興奮しきった奥寺が武蔵の机を叩き、前のめりで話しかけてきた。

「騒々しいな…休憩時間くらい静かにしろ」

「いいから来いって!」

 強引に廊下に連れ出される武蔵。

「ほら、これ!」

 そこには、体育祭の紅白組分けリストが貼られていた。

「自分の組ならさっき確認したよ」

「そうじゃないって…ここ! 赤羽と夏海ちゃんが同じ紅組なんだよ」

「何!?」

「ど~せ、そういうだろうと思ったよ…自分のハニーの組ぐらい知っとけよな」

「バカ! そんなんじゃねぇよ…しかも、こんなとこで言うな」

「悪ィ、悪ィ…でも、本気で夏海ちゃんのことが好きなら全力で赤羽を阻止しろ、むっちゃん!! それと前にも言ったが、お前の敵は多い。赤羽の次に危ないのがコイツだ」

 奥寺はその名前を指差し、さらに続ける。

「中山健太。どうやら、夏海ちゃんが初恋の相手らしい。幼稚園が一緒でコクれないまま彼女がカナダに行ってしまったんだと。んで、またこの学校で再会したってわけ。安心しろ、このことにまだきづいてない」

「なんでお前がそんなこと知ってんだ?」

 真剣な顔の武蔵。

「さぁな。俺の情報網を甘く見るなよ。この名探偵・奥寺様の!」

「それは“ウザ寺”の間違いだろ」

 キメ顔の友人に彼はため息交じりにツッコミを入れた。

「ヒドイな~…むっちゃんは」

「ほら、行くぞ! 次はリレーの練習だ」

「赤羽をぶっちぎれよ、むっちゃん!!」

 時計を見上げる親友の肩に奥寺がそっと手を置く。

「言われなくても分かってるよ!」

そう答える武蔵の目には闘志が漲っていた。

「グランドまで全力疾走だ、むっちゃん!」

「待てよ、奥寺!」

 走る彼の脳裏に赤羽の顔が浮かぶ。


『お前に聞きたいことがある!』

『ん?』

『お前、黒崎の事好きなのか』

『あぁ』

 間を置いて返ってきたその返事に武蔵の目つきが変わる。

『お前らはアイツを一度傷つけた。だから俺は…!』

『分かってる』

 対峙する赤羽の声が彼の言葉を揉み消した。

『俺はあれ以来、袴田とツルむのをやめた』

 逸れていた彼の目が正面の敵をハッキリと捕らえた。いつもとは違う威圧感がある。

『彼女は今までとは違う。あんなに話しやすい女性は初めてなんだ! たまに話しかけるだけだけど、ちゃんと俺の目を見ていつも柔らかな笑顔で返してくれた』

『…』

『夏海ちゃんに告白することで変われる気がする! だから、体育祭で優勝したら俺は迷わず、この気持ちを彼女に伝える…見てれば分かるよ。お前も夏海ちゃんが好きなんだろ? 武蔵』

 涼しげな顔を向ける赤羽。

 睨み合う二人。

武蔵は左の拳を下の方で固く握りしめる。

黒崎は絶対に渡さねぇ!!


それから、体育祭までの一ヶ月は、あっという間に過ぎた。この間、夏海と武蔵は同じ係だったにも関わらず、練習中、互いに言葉を交わすことはなかった。武蔵は周囲の彼女に対する目に神経を尖らせながら、毎日を過ごした。

 本番前夜、夏海からのメールに彼はベッドから飛び起きた。

「アイツ…」

〈チームは違うけど、明日はお互い頑張ろうね! 係もよろしく〉

「!」

『アナタと夏海は両想いよ! 私が断言するわ』

 文面を見ながら、彼はふと、あの日のエミリーに言われた一言を思い出した。

 二学期が始まって初めてのメール。たったの二行。しかし、その文末には二つのハートマークが踊っていた。

 彼は薄らいでいた自信を完全に取り戻したのだった。


 本番当日、天候は曇り。朝から心地の良い秋の風が吹いている。出場する選手、観客たちのどちらにも嬉しい体育祭日和である。

応援合戦、組体操、玉入れ、クラス競技…。競技は順調に進んでいく。中でも武蔵たちのクラスのダンスは女子たちによる扱きのおかげもあってか、なかなかの高評価だった。

午前の部の競技が終わり、両チームの得点はほぼ互角。

「ねぇ、どうなると思う?【夏海姫争奪戦】」

「う~ん、私は赤羽君に一票!」

「私は一途な斎藤君かな」

「絶対、武蔵っしょ! だって一学期ほとんど一緒にいたじゃん」

「でも、二学期始まってから一緒にいるとこあんま見ないよね? ケンカでもしたのかな…?」

「そんなこと、あの二人に限ってないと思うけど? まっ、『ケンカするほど仲いい』っても言うけどね」

「梨桜ちゃんたち、さっきから何話してるの?」 

「お?」

「私も仲間に入れて!」

 振り返ると、そこには夏海が立っていた。

「何って、夏海はホントに知らねーの?」

「ん?」

 丁寧に靴を揃え、シートに上がった夏海がゆっくりと親友を振り返る。

「出たよ、そのお得意の顔…アンタはどうしてこう情報に疎いのかね」

 呆れ果てた梨桜が思わず片手で顔を覆う。だが、当然彼女はキョトンとしている。

「いいわ、私が教えたげる」

「話盛るんじゃねーぞ」

「ちょっと!あそこの人と一緒にしないでよね」

「何よ!」

 紗希の視線に気づいた雅美が素早く反応した。

「実はね、夏海ちゃん…」

 変顔を向ける親友を無視して、紗希は彼女の耳元で淡々と語り始めた。

「お~い、大丈夫か~?」

 呼びかける梨桜に返事は返ってこない。彼女は目を点にしたまま固まっていた。

「あっちゃ~、言わない方がよかったかな…?」

「いや、教えといてあげないと、いきなりコクられでもしたらこの子マジで失神すると思うよ」

「だよね」

「雅美もたまにはまともなこと言うわね」

「『たまには』って、私ってどんだけナメられ…」

「サッキ―、今の話って全部ホントなのよね?」

「おっ、やっと解凍したか! 今回は意外と速かったな」

「お帰り、夏海ちゃん…えぇ、そうよ。全て本当の話」

 興奮していた雅美はいつの間にか平常心に戻り、後で小さくなっていた。当然ながら、誰も気づいていない。

「ねぇ、日本の男性って皆こうなの?」

「えっ?」

「私の気持ちを全然考えてくれてないっていうか…自分勝手で」

「男ってそんなもんなのよ…日本に限ったことじゃないと思うけどね」

「そーそ。むしろ、海外のほうがもっと肉食な感じだけど。アンタのいた国はどうなのよ? さぞかし、ご経験も豊富かと」

 梨桜が物欲しげな顔で話しの主役を見つめる。

「…何もなかったわよ」

 いつもは梨桜のフリにドギマギする彼女も、この時ばかりは冷静に返すのだった。

「でも、主役が何も知らないって意味分かんねーし」

「で、夏海ちゃんはどっちにするの? 赤羽君と斎藤君」

「そうよ、教えて!」

「急にそんなこと言われても…」

 視線を逸らした先では、なぜか雅美の目が一番輝いていた。

「白状しろ、この!」

「わっ、ちょ…いきなり何!?」

「おっ、意外とある」

 赤面する彼女をよそに、梨桜がその胸を鷲掴みする。

「もしかしたら、ウチ負けてるかも」

「マジで!?」

「あなたたち、やめてあげなさいよ」

「分かった…ちゃんと考えるから!! てか、何で揉まれなきゃなんないのよ~~!!!」

 夏海の抵抗も虚しく、しばらくの間彼女のそれはこねくりまわされた。

「Excuse me.」

「へっ?」

「Is it free now?」

「Yes…?」

 撃沈して仰向けのまま答える夏海に、その彼は優しく微笑んだ。

「いや~、ホント驚いたよ。夏海ちゃんが日本語喋れるようになってたなんて。俺らの教室来るの初めて?」

「うん。それより本当に健太君なの?」

「そうだよ、僕は中山健太。やっぱり忘れちゃってた?」

「いや、ちゃんと覚えてるわよ。ただ、幼稚園の頃と全然雰囲気違うから分からなかったわ」

「あ~、他のダチにもよく言われるよ…座って」

「ありがとう」

 健太は自分の家に出迎えるように彼女を促してから、向かい合うように腰を下ろした。

「…」

「何…?」

「あっ、いや、ごめん…つい見惚れちゃって。夏海ちゃんって全然変わってないな~っと思って」

 夏海は明らかに反応に困っている。

「あぁ…えっと~、子供っぽい、とかそういう意味じゃないから。夏海ちゃんは昔からスタイル良くて、可愛いくてさ」

「嬉しい!」

「えっ?」

「そんなこと言ってくれたの、健太君が初めてよ」

「そうなんだ。他の男は見る目がないだけだと思うよ」

「そんな…」

 笑い合う二人。実に良いムードである。時計を見ると午後の部開始まであと五分と迫っていた。

 ここでキメる!

「じゃあ、私そろそろ行くね! 楽しかったわ」

「待って、夏海ちゃん!」

彼女が振り返った瞬間、ガタッと音を立てて健太が立ち上がった。

「どうしたの?」

その音に思わず向き直る夏海。

「夏海ちゃん、君は僕の初恋の相手なんだよ。そんで、今も僕は君の事が大好きだ!!」

「健太君…」

「幼稚園の時、この気持ちを伝えられずに別れちゃったからさ…夏海ちゃんがこの学校に通ってるって知った時、神様がもう一度僕にチャンスをくれた、僕は本気でそう思ったんだ!」

 健太が迫ってくる。

「だから、僕は今このチャンスを逃さない。言うよ、夏海ちゃん!」

「はい…!」

 思わず声が裏返る。

「もし、僕と付き合ってもらえるのなら、今この場所でキスしてほしい」

「ごめんなさい。気持ちはすごく嬉しいけど、付き合うのはちょっと難しいわ」

「そっか、わかった! 答えてくれてありがとう」

「うん。それと私からもお礼が言いたいの」

「えっ、僕何かしたっけ?」

「幼稚園の頃、いじめられてた私をあなたはいつも助けてくれたわ! 本当に嬉しかった。当時は黙ってカナダに行っちゃって言えなかったけど、今ならちゃんと言える…毎回、私を庇ってくれて本当にありがとうございました!」

「夏海ちゃん…」

「あ~あ、何か恥ずかしくなっちゃった」

 こんな時間がいつまでも続いてほしかった。それが彼の切な願いである。しかし―

「最後の最後に一つお願いがあるんだけど」

「何? 早く言って…競技が始まっちゃう!!」

「そのオッパイ、触らせて」

「え?」

夏海は自分の耳を疑った。優しかった彼がそんなことを言うはずが無いと。何か自分の知らない単語を言ったのだと。

だが、その夏海の思いはあっけなく崩された。

「だから、夏海ちゃんの胸のふくらみを触らせてくれないかな?」

健太は言葉が通じていないと思い、自分の胸を揉むようなジェスチャー付きで夏海に伝えた。

元来、人が持っている「優しさ」というものは、余程の事がなければ変わらないものなのだがしかし

この場合のジェスチャーという優しさは完全に裏目に出ていた。

 時の流れは残酷なもので、彼はこう見えてチャラかった

「胸…って、健太君、もしかして座ってた時からずっと…」

 一気に夏海の顔が曇る。自分の胸が視界に入った。そして、当の彼は先ほどと同じくこちらに微笑みかけてくる。

「アンタねぇ…」

「ん?」

それは、誰も聞いたことのない声。突如、彼の頭上で黒雲が渦巻く。

 彼は何を血迷ったのだろうか?

もしくは、男の性が彼にそうさせたのだろうか?

「誰でもかれでも揉ませると思うなァ~~~~!!!!!」

夏海は吠えた。

「母ちゃんにも引っ叩かれたことないのに…」

それ相応の仕打ちを受けた彼はこの言葉を残し、意識を失った。

自爆。

「フンッ!」

結局、そこがオトコの目的なのね…!

夏海は旧友を見捨て、一人足早にテントへ向かった。

「ねえ、さっきアイツと中で何話したの?」

「教えない!」

 周りの声援で彼女の声は聞き取れなかったが、どう見ても怒っている。人間観察が趣味の紗希にも、その顔からさすがに理由までは読み取れなかった。

「おい、黒崎!」

「何?」

乱暴に答える夏海。

「どうしたんだ、お前…? 不機嫌そうな顔して」

 前を向いた途端、彼女はハッとなった。

「そろそろ係の仕事行くぞ」

「あっ、うん!」

 小さなカゴを持ち、彼の後を追う。今日の彼女に心を休めるはない。運命の時は刻一刻と迫っていた。

「位置について、ヨーイ」

 パンッ!!

 いよいよ最終競技【紅白対抗! 全員リレー】が武蔵の出発の合図で幕を開けた―

「行っけぇ~~~!! 谷口ィ~~~!!」

「負けんじゃねぇぞ! 山田ァ~~!!!」

ここまでの両チームの成績は紅組六百五十三点、白組六百三十二点。僅差である。

「何やってんだ、浦川ァ! 半周も差ァついてんぞ!!!」

「フレ~、フレ~!! し~ろ~ぐ~み~!!!」

「キャ~~!! 藤岡様~~~!!!」

 イケメンが颯爽と駆け抜ける。

 その後を、バトンを受け取った筋肉メガネが追う。

「そのまま突っ走れ~~!!」

「ウォォォォォォォォォ!!!!」

 筋肉メガネが猛然と迫る。

 コーナーで差がつき、あと一歩のところで白組のバトンは次の走者へ渡った。

 レースは中盤。今のところ白組が一歩リードしている。

「頑張れ~~!! 夏海ちゃ~ん」

「ファイトだァ~!! 黒崎さ~ん!!!」

「おっ、アイツ意外と速いじゃねーか!?」

「神様もヒドイわ…思いっきり二物与えてるじゃない!」

「ここで流れは変わる!」

 あんなこと聞いちゃったら、なんか複雑だけど…勝負は勝負!

「はい、葵ちゃん!」

「はァ~…あとはゴールを待つだけね」

 バトンを果たし終えた夏海は一息ついてからトラックを外れ、雑に置かれたゴールテープの横で体育座りした。

「いいぞ~! 島田ァ~~!!!」

「これ行けっぞ、紅!!」

 今日だけは俺も本気だ!

「もうちょいだ! 神谷ァ~~~!!」

 叫ぶ武蔵。

 徐々に紅組が追い上げてくる。

走者は残り7人。ここまでくると両チームの俊足自慢が鬩ぎ合い始める。腕を振り、バトンを落とさんとばかりに懸命に走る者。方や涼しい顔をして横切ろうとする者。両者の決着は数歩の差で決まった。

「お疲れ! 神崎」

「悪ィ、皆…」

「大丈夫だって! まだ三人いる」

「おっ! 鮎川が沼田先輩抜いたぞ~~!!」

リレーで逆転優勝させてもらうぞ…赤羽!

武蔵がゆっくりとスタート位置に立つ。

「さァ、ウチらも準備するよ! 夏海」

「分かった!」

 汗を拭いながら向かって来る梨桜を見て彼女は立ち上がった。手にはゴールテープがしっかりと握られていた。

 赤羽がトラックに入る。

「しっかし、異例だよな…一年同士がアンカーなんて」

「確かにな。俺なんて一度も選ばれたことねぇぞ」

「赤羽の走りはホンモノだ。なんたって、サッカー部のエースだからな!」

「後輩に認めることはあまりしたくないのだが、奴は確実にこの俺を凌ぐほどの力量がある」

「ですよね! 緑川先輩」

「何言ってんだよ…武蔵だってウチのエースだ! 守備は苦手だが、バッティングはなかなかのセンスだ。それに足の速さなら赤羽とだって十分に張り合える自信がある!」

「ほほう…随分と肩を持ちますな」

「…」

 対立する両チームキャプテン。当然、【夏海姫争奪戦】の噂は全校に広まり、アンカー対決を前にギャラリーの盛り上がりは最高潮。空の上でも彼らの対決を待ち望んでいたかのように、雲の間から太陽が顔を覗かせている。

舞台は整った。

両者が顔を合わせることはない。ただ味方のバトンを待つ。

「むっちゃん! あとは頼んだっ!!」

「オゥ!」

先手を取ったのは白。

「すまない、赤羽…! 何とか巻き返してくれ!!

「任せとけっ!!!」

3秒遅れで赤羽がバトンを受け取った。

見てろ、夏海ちゃん…ここで逆転して俺は君に相応しい男になるっ!!

横目でちらりと彼女を見てから、彼の猛追が始まった。

武蔵も負けていない。敵の気配を背中で感じつつ、コーナーを曲がる。ゴールまであと百メートル。二人の差は一秒。

 直線に入った瞬間、赤羽が自分を横切って行くのが分かった。

「アイツ、行けるぞっ!!!!」

「武蔵ィ~~、ファイト~~~!!!」

「斎藤君っ!!」

残り三十メートル。

「!」

ここで武蔵が頭一つリード。

告白なんか絶対させねぇ!!!

 鬩ぎ合う両者。

 祈る白。

叫ぶ紅。

夏海は二人をまっすぐ見つめていた。

ゴールテープが切られた瞬間、両チームの動きが止まった。

パンパンッ!!!

「うおぉぉぉぉぉ~!!!!」

競技終了を伝える銃声の中、その歓声はグラウンド中に鳴り響いた。

勝者・赤羽小次郎。

仲間に揉みくちゃにされる彼を見つめながら、武蔵はテントに向かって歩き始めた。

「お疲れ、ムサシ!!」

後ろから駆けてきたのは夏海だ。その手は彼の肩にそっと触れている。

「オゥ、ありがとよ!」

そう答える彼の表情は、どこ清々しく感じられた。

 放課後、教室中が体育祭の興奮冷めやらぬ中、夏海は廊下に呼び出された。

「あ、あのさ…夏海ちゃん、今日は優勝できて嬉しかったね」

「うん」

 会話が止まった。

 彼の目が泳ぐ。

「どうしたの?」

「えっ?」

 一瞬、二人の目が合った。

「夏海ちゃん、俺…君の事が好きだ!! 俺と付き合ってくれっ!!!」

早口で言い切った小次郎は勢いよく頭を下げた。

「ごめんなさい」

「そっか…聞いてくれてありがとう」

 去りゆく彼の背中を静かに見つめる。その表情は曇っていた。

 本当にこれでよかったのよね…。

 歩き出した夏海の目に映ったのは、仲間と楽しげに笑いあう武蔵の姿だった。


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