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コレはワタシのモンダイなの!?  作者: 荒木テル・ダッチャブル
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3 She came to town~再会~

 ミー~ン、ミ~ン、ミ~ン、ミ~ン…!!

 夏の訪れを感じさせる声。朝の大合唱が始まった。それは日本の少年たちの好奇心を掻き立て、退屈な日常から解放してくれる。一方で、現代社会に生きる大人たちはそれを耳障りだ、と感じ夏バテを加速させていくのだろう。そんな、この季節の風物詩―それが蝉である。

「う…ん」

「ほら、夏海! 起きなさい!」

 蝉の鳴き声と入り混じって母親の声が聞こえてきた。

「あ~、ママも外もうるさいわね…言われなくても起きるわよ! うわっ、眩しい!!」

 カーテンが開け放たれた部屋に一斉差し込んだ日光は、半開きの目を擦りながらじわじわと身を起こす彼女を神々しく照らす。

「早く顔洗って、リビングに行きなさい。ご飯置いてあるから」

「は~い…」

「夏休みだからって、ダラダラしちゃダメよ!」

「それ言うの何回目?」

「まだ三日目で何回言わせるつもり?」

 彼女は母の背中にため息交じりにそう呟くと、ゆっくり重い腰を上げた。今日は、夏休み三日目の朝である。

 朝食が終わると、夏海は机に向かった。国語、数学、歴史、科学、家庭科。その全ての教科から課題が出され、彼女はほんの二時間でトータルして三十ページ分を楽々解き終えてしまう。もちろん、その後には漢字の書き取りも抜かりなく行った。

 だが、問題は昼からだった。

「今日、音読した?」

「今からするわよ」

 読書感想文を書くための本を毎回、日本語の更なる上達のために必ず音読するよう、母から言われている。夏海は部屋に戻り、本を広げた。順調に読み進めていく。

「?」

彼女は徐に立ち上がり、後の棚にある漢字辞典を取り出した。

「部首は彳だから、え~っと…」

(お前、探すの遅せぇよな)

「え、ムサシ?」

 振り向いても誰もいない。しばらくして音読を再開するが、どうにも集中できていない様子で再び辞典に目をやった。何度も首を上下させ、手元の本とそれを見比べた結果、

「どこにも、載ってないじゃない…もういいや!!」

 彼女はベッドに勢いよくダイブした。

「ムサシなら、すぐ教えてくれるのに…」

彼女は仰向けになってスマホを見つめた。その画面には武蔵の連絡先が表示されていた。

「ムサシ、今どうしてるのかな?」

 そう呟いてから夏海は、ゆっくりと右手を下ろし、その場にスマホを置いた。

 やる気が出ない。ただ。枕に顔を埋めるだけ。

「そういえば私、なんでムサシの事が気になるのかしら」

彼の名前を呼ぶたびに彼女の胸に何かが静かに染み渡っていく。それは時に脱力させ、彼女に大空を羽ばたくような快感をもたらしてくれる。その一方で時には網目のように絡みつき、じわじわと締めつけてくる。

 なんなの、この気持ち?

夏海はこの不思議な感覚に覚えがあったが、夏バテのせいと自分に言い聞かせて、集中力が続かない言い訳にしていた。


月日は流れ八月上旬。そんな彼女に突然、朗報は届いた。

「はい、もしもし?」

「ヤッホー!」

「エミリー! 元気にしてた?」

「うん。ねぇ、そっちって今、夏休みよね?」

「そうだけど」

「良かった! 実はね、私もニ週間休みがあるから日本に行こうと思ってるの。もちろん、パパとママと一緒にね!」

「ホント!」

寝起きの体に電流が走る。

「それでね…日本にいる間、夏海の家に泊まらせてくれない?」

「いいわよ!!」

「ありがとう! じゃあ、明後日のお昼にお邪魔するわ」

「嫌!」

「えっ?」

「着いたらすぐに会いたいから、飛行機の時間教えて! ママと迎えに行くから」

「気持ちは嬉しいけど…本当にいいの?」

「もちろんよ!!」

 夏海のテンションは完全に上がっていた。電話を切るとすぐにこのことを楓に話した。

「えっ、二週間も!?」

「お願い!!」

「今は、パパが出張でいないから泊めてあげることはできるけど…」

洗い物をしていた楓の手が止まる。

「わかった。いいわよ! そのかわり、あなたがちゃんとエミリーにこの近所を案内してあげなさい」

 少し考えてから母は娘にそう告げた。


 空港はいつも人でごった返している。時刻は午後一時三十六分。夏海はこの日、母と一緒にエミリーを迎えに来たのだった。

「はい、夏海も喉渇いたでしょう?」

「ありがとう」

「ここに来るのも帰国の時以来ね。もう、あれから四ヶ月くらい経つけど学校は慣れたでしょう?」

 娘の隣にゆっくりと腰を下ろしながら楓は尋ねた。

「うん。皆とも普通に話せるようになったし、もう筆談のノートもいらないわ!」

「そう、よかったじゃない!」

 母は楽しそうに話す娘の表情に安心した様子で、手に持っていた缶コーヒーを開けた。

「そういえば、誰に日本語教わったの?」

「ムサシ」

「どんな子?」

「ほら、私が熱出して休んじゃった時に家に来てくれた…」

「あぁ、あのイケメン君ね! なるほど~、納得」

「なるほど~、ってどういうこと?」

「ん? 別に。」

 夏海は、まだ自分本当の気持ちに気づけていない。首を傾げながら母の顔をじっと見つめるだけだった。

「夏海!」

 振り返るとエミリーが手を振りながら向かってきていた。

「エミリー!」

 夏海が駆け寄り、二人はお互いを強く抱きしめ合った。

「久しぶりね、エミリー! 会えて嬉しいわ」

「私も会いたかったわ! 元気そうでよかった」

「こんにちは。エミリー!」

「こんにちは! 楓さん」

「で、これからどうするの」

 楓は、少し遅れてきたエミリーの両親と挨拶を交わしてから娘に尋ねた。

「ねぇ、エミリー! ここの近くにある遊園地行かない?」

「行きたいわ!」

「決まりね! ママ、連れてって」

「いいけど、あなた人混み苦手じゃなかった?」

「もう、平気!」

「そう」

 力強く答えてから前を歩く娘の背中をじっと見つめる楓。

 随分、明るくなったわね…夏海。こんなに早く馴染めるなんて思わなかったわ!

 母は娘の成長が素直に嬉しかった。

 遊園地に着くと夏海とエミリーはさっそく地図を片手に予定を立て始めた。

「さて、どこへ行きましょうか?」

「エミリー、行きたいところある?」

「う~ん、じゃあ、この『ハピネスラビットカーニバル』に行きたいわ!」

「じゃあ、まずはそれね。でも、待って三十分後か~」

 開始時間を確認した夏海が小さくため息をついた

「いや実はね…ここの遊園地はどのアトラクションもパレードもチョー人気で私、昨日調べてみたんだけど、待ち時間が一時間は当たり前なんだって!」

「そう…」

「でも、とりあえず行ってみましょう! 運が良かったら入れるかも」

 彼女はエミリーの手を引いてその場所へ向かっていった。

「それじゃあ、私たちも…!」

 楓の合図で大人たち三人がにんまりと顔を合わせた。大人も関係なく童心に返る場所、それが遊園地―なんてことを言って彼らの無邪気さを認めてあげたいところだが、いくらこのあたりで人気があるといっても、あの日本で有名な《夢の国》ではない。遊びに来ているのは小さな子供を連れた親子と若い男女のカップル、高校生くらいの仲のいい女友達同士ばかりだ。大人たちだけで遊ぼうという集団はどこにもいない。しかし、一行は人目も憚らず、はしゃぎながらゲートをくぐっていった。

 一方、夏海たちは時間が間に合わなかったことから例のカーニバルは後に回し、この園一番人気のジェットコースター『リザードテール』に乗り込もうとしていた。

「私、ジェットコースターに乗るの初めて!」

「そう私も日本に来てからは初めてだけど、小さい頃よく乗ったわ!」

『このアトラクションは、まもなく発車致します。お客様はお座席上にありますシートベルトをしっかりと着用し、発車に備えて頂きますようお願いいたします。また、走行中に何度かはげしい衝撃が予想されますので、必ず手前の手すりにお掴り下さい』

「これで、よし!」

「ちょっと待って…これ、どうやるの?」

「何慌ててるの? エミリー…頭から被ればいいだけじゃない」

「こう?」

『なお、途中でコースターがが急降下しますので心臓の悪い方、五歳未満のお子様は誠に申し訳あせんが、当アトラクションのご利用はお控えください』

「これって、そんなに怖いの…?」

「大丈夫よ! これが終わったらおやつにクレープでも食べにいきましょう!」

 微笑む夏海とは裏腹に、彼女の表情は曇ったまま。

『それでは、いってらっしゃ~い!!』

 返事を返す暇もなく、一トーン高くなったアナウンスの合図でコースターはゆっくりと直線のレールの上を進み出した。

「さぁ、そりそろ落ちそうよ」

「えっ?」

 夏海の声に顔を上げた数秒後、地獄の時間は始まった―この園一番人気のジェットコースター『リザードテール』。その名の通り、トカゲの尻尾のように突然いたる所でレールが切断され、その後、そのレールがどこに繋がるのか、もしくは急降下するのか…それは誰にも分からない。

「ぎゃ~~~!!」

 この乗客たちの悲鳴が聞こえた二分後には、コースターは停止。

「あとで、もう一回乗ろう!」

「アタシ、もういいわ…」

「パパ、大丈夫!?」

「あ~、具合悪ィ…」

「ちょっと、あそこで休みましょうか」

 ホッとしている者、興奮しっぱなしの若者、いかにも具合が悪そうな人々…次々にコースターを降りてくる乗客たち。その中にまったく動けずにいるエミリーの姿があった。

「だ、大丈夫!? エミリー!」

「お客様、どうされましたか?」

 驚く夏海の声に係員が駆け寄ってきた。

「それが…」

 係員は目の前の光景に目を疑った。そこにはまるで、妖怪に生気を吸われた後のように憔悴しっきた客が頭を垂れて座っていたのだ。

「お客様、大丈夫ですか!!」

「エミリー~~~!!! しっかりしてぇ~~!!!!」

 その後、園内の救護室で目を覚ました彼女は、傍らに座っていた親友にこう宣言した。

「私、もう二度とジェットコースターには乗らない」

その声は震えており、今にも泣きそうだった。初めてそんな親友の顔を見た夏海の心の中には何とも言えない罪悪感が残った。

「あっ、クレープ」

「えっ?」

 結局、クレープを奢らされるハメになった夏海のさっきまでの罪悪感は、どこかに吹き飛んでしまい、美味しそうにそれを頬張る親友をただ口を開けて眺めることしかできなかった。

「どうしたの? 夏海」

「急に元気になったわね…」

「うへへ! だって、美味しいもの食べたらフツー、元気になるじゃない」

 さっきのは演技だったの?

「あっ、もうすぐ『カーニバル」が始まるわ! 急ぎましょ!!」

「えっ、ちょ、ちょっと!」

 唇の上にホイップクリームを付けたままの親友に手を引かれ、会場に向かう。

「痛い、痛い! 離して。私のクレープ崩れるじゃない!! エミリーはとりあえず口に着いたクリームを吹いて! 私が恥ずかしいから」

 その足がピタッと止まり、振り向いた親友の顔は当然、予想ができた。

「どこ、どこ、どこ、どこ~~!?」

 慌てふためく親友に、夏海は自分の顔のそこと同じ個所を指示しながら、少しトーンを上げた可愛らしい声で告げる。

「ここよ」

「もっと早く言ってよね!!」

「何よ、親切に教えてあげたのに…! だいたいアナタが急に走るから言う暇なんてなかったのよ!!」

 夏海が彼女をバカにしたのは明らかだ。だが、その直後のウインクがエミリーの噴火スイッチをオンにしてしまったようだ。結局、二人は最後までギクシャクした雰囲気で帰りの車に乗り込んだ。

「いや~、楽しかったですね! あの3Dどうでした?」

「私たち、ああいう映画は初めてでして…襲われるかと思いましたよ!」

何故か大人たちが盛り上がっている。

「んで、夏海たちは楽しかった?」

 返事がない。

「あれ?」

 信号で止まって楓が振り返ると、二人は夢の中だった。

 よっぽど、疲れたのね。そういえばさっきは二人とも元気がなかったような…?

 ふと、窓の外を見ると夕日が沈んでいた。

「見てください、あれ!」

「おぉ~、なんと素晴らしい!! 日本にもこんな風景があるのですね」

 楓たちは得した気分で帰宅したのだった。


 今日の夕食は天ぷら。

「それじゃあ、ケイトさんの初来日と娘たちの再会を祝って乾杯~!」

「乾杯~!」

「さぁ、今日は和風にこだわって大根おろしをしました。軽くポン酢をかけて一緒にお召し上がりください。後味サッパリで美味しいですよ!」

 エミリーの父が楓の動き真似して箸でゆっくり口へ運ぶ。

「美味しい!」

「良かった~。どんどん食べてくださいね!」

「う~ん、美味しい! やっぱり私、天ぷら大好き。ほら、エミリーも食べてみて!」

「うん!」

 夏海に促された彼女は、初めて見る日本食をしばらく眺めてから口へ運んだ。

「何これ!? 美味しい!」

「でしょ!」

「そういえば、母さんたちはどこで遊んでたの?」

 箸を進めながらエミリーが聞いた。

「遊んでたなんて失礼ね。楓さんに日本の事をいろいろ教えてもらっていたの!」

「どんな事?」

「どんな事って…」

娘の問いに顔を見合わせる両親と楓。三人は声を揃えてこう言った。

「それは、日本では『ローラーコースター』のことを『ジェットコースター』って呼ぶ、だとか…UFOキャッチャーでよく商品が取れるアームの引っ掛け方とか。あと他には、あの遊園地には隠れキャラがいてその色違いのハピネスラビットに会えると幸せになるんだって!」

「へぇ、そうなんだ…って、やっぱりエンジョイしてるじゃない!」

「だって、ああいうところで楽しまなくてどうの。ねぇ~!」

 3人の息はピッタリだった。

「ハァ~、お腹いっぱい!」

「私も」

「みんなに喜んでもらえたみたいで嬉しいわ!」

「美味しかったです。ありがとうございました」

 エミリーの両親の会釈に笑顔で応え、楓はゆっくり片づけ始めた。

「今日はちょっと遅くなっちゃったから、お腹が落ち着いたら夏海からチャチャっとお風呂入っちゃって」

「分かった」

 夏海が立ち上がろうとすると、誰かに肩をポンと叩かれたような感触があった。

「何?」

「ねぇ、お風呂一緒に入らない?」

「別にいいけど…」

「じゃ、行こ!」

 脱衣所に向かう夏海の顔がどうも冴えない。

「どうしたの? 早く脱ぎなさいよ。もしかして恥ずかしいの?」

 下着姿で立ち尽くす夏海。

「そんなんじゃないけど、何となく抵抗あるっていうか…」

「別に女同士なんだからいいじゃない!」

「キャッ!」

「思ってたより意外と大きいのね!」

「ちょっと! いきなりそんなとこ触らないで…あと『意外と』っていうのは余計!!」

 夏海は背後から襲ってきた魔の手を振りほどいた。

「ふはははは! 悔しかったら私のも触ってみなさいよ! まだ私の勝ってるわ」

「これから大きくするもん!」

 友達とかに裸見られるのは慣れてないけど…まっ、いっか!

 親友に呆れながら、夏海はブラのホックに手を回す。

「分かったわよ。その代りあなたも覚悟しなさい、エミリー!」

「?」

 風呂の扉を開けた瞬間、ドS同士の熱きバトルが始まった。

「私が体流してあげる」

 先手を取ったのは夏海。

「ちょっと、くすぐったいわよ!」

「さっきのお返しよ! ていうか、あなた太ったじゃない?」

「うっさいわ、この!!」

 互いに体を擦り合う。入り乱れる二人。しばらく無言で絡み合う。

「あっ…!」

 気づいた時はもう遅かった。不意に足を滑らせたエミリーの体が重力を失い、一瞬宙に浮く。

「えっ!?」

 バッシャン!!!

「だ、大丈夫!? エミリー!!」

「どうしたの!? あなたたち!」

 その音に驚いた二人の親が慌てて駆けつけてきた。

「痛ァ~い!」

 頭を押さえながら身を起こすエミリー。

「ぷっ!」

「あっ、笑ったわね! アンタもこっち来なさい!!」

「わっ! ちょっと引っ張らな…」

「コラ! エミリー…やめなさい!!」

 バッシャン!!!

「ふはははは!」

「あはははは!」

 何やってるの…あなたたち?

 親が娘たちに返す言葉は何も見つからなかった。

 

その夜、二人は同じ部屋で寝ることになった。風呂上りのテンションのまま大富豪を楽しんだ。

「ねぇ、ねぇ、次何する?」

「う~ん、思いつかない…今日はこれで終わりにしよう」

「えぇ~…もう寝るの?」

「寝ない、寝ない! これからが本番よ」

「本番?」

 夏海はトランプを切りながら、横にある箱に視線を落とす。

「夏海、彼とはどうなったのよ?」

「彼?」

 彼女が振り返ると、目の前に親友の顔面が迫っていた。

「いや、いや、いや、ややや…! 近い、近い、近~い!!」

 一瞬、目が合った夏海は叫びつつも慌てて壁際まで後退する。

「答えなさいよ」

「ちょっと待って…彼って誰の事?」

「ふ~ん、アンタも恍けることってあるのね。確か名前は“ムサシ”だったっけ? ほら、アンタがよく電話で話してた…」

「あ~…ムサシ? 最近。彼とは連絡も取ってないわ」

「ふ~ん…で、アンタ今そこ動いちゃだめよ。布団、落ちてくるから」

「えっ?」

「アンタ、もしかして気づいてなかったの? たった一回質問しただけの答えてる最中、

どんだけ目が泳いでたか。それと、それ以上下がれないからね」

 彼女に逃げ場はない。

「さぁ、本音を聞かせて夏海! 彼の事好きなんでしょ?」

エミリーは目の前の親友をキッと見つめ、言い終わると同時に両手を広げた。宛らそれはミュージカルで求婚の返事を待つ男役に見えた。

「…分かんない」

そこ、全力で否定ないの…?

 予想外の返答にエミリーの両手は力なく下へ下された。

「どういうこと?」

「だから、分かんないの!」

何も返せないエミリー。夏海は俯きながらさらに続ける。

「ムサシと一緒いると楽しかった。でも、だからって好きかって聞かれたらそうじゃないかもしれない…。イライラすることだってたくさんあったし、一度、喧嘩した時はもう一緒に勉強なんてしたくない、とまで思った」

「それで、どうしたの?」

「彼がいきなり家に来て、『俺は許してもらえるまで帰らない!』って言って夜の十時くらいまで動かなかったの。それで呆れた私は結局、彼を許したわ」

「ふはははははは!!!」

 エミリーの笑い声が部屋中に響いた。

「何がおかしいの!!!」

 あまりの声の大きさ驚きつつも、夏海は怒りのパワーで応戦した。

「ふは…ご、ごめん、ごめん! あ~、お腹痛い。何なのそのエピソード」

「自分でも分かんないんだから。たまに逢いたいとは思うけど彼は何も言ってこないし…」

「アンタ、本当は気づいてんでしょ…? 認めるのが怖いだけなんじゃない?」

「違う!!」

「あっそ! つまんないの」

 エミリーは親友を冷たくあしらうと、徐に彼女の机の上をあさり始めた。

「ちょっと、勝手に…!」

「今から彼に電話して!」

 そう言って手渡されたのは自分のスマホだった。訳が分からず親友を見つめる夏海。

「私、アンタに写メ送ってもらった時、一瞬で彼を気に入ったの! だから、アンタがしないだったら私がアプローチさせてもらうわ」

「…」

「何よ…?」

 夏海の引きつった顔はしばらく戻らなかった。

 結局、彼女は半強制的に電話をかけさせられた。途中、言葉に詰まるたびに彼に不審がられながらも、なんとか会う約束ができた。

決戦は三日後だ―夏海自身ではなく親友の。


夏海たちはその日約束通り喫茶店で待ち合わせた。

「早いな~…待たせてごめんな黒崎。久しぶり!」

軽く手を上げながら、申し訳なさそうに歩いてきたのは武蔵だ。それに気づいた夏海は吸いかけたジュースをストローの半分までのところでピタリと止め、背筋を伸ばす。その後、かろうじて笑顔を返した。正面のエミリーに会釈をしてから夏海の横に腰かけた。

「元気だったか? 久しぶりに会えて嬉しいよ」

「うん…私も」

「なんか元気なくないか?」

「き、気のせいよ気のせい…」

「そうか? で、そちらは?」

「私の名前はケイト・エミリー。夏海の小学校からの幼馴染よ!」

「よろしく!」

 いきなりの英語に驚きながらも、彼は握手を交わした。

「ねぇ、武蔵さん。あなたの趣味って何?」

しばらくケーキを楽しんでいた中、エミリーが口を開いた。

「俺の趣味? 野球観戦だよ。メジャーリーグのブラックソックスが好きなんだ!」

「あら、偶然! 私もお父さんの影響で野球はよく観るわ。最近、ラミネス選手の活躍すごいわよね!」

「そうそう、もうすぐで通算千本安打達成だもんな!」

「日本のプロ野球は見ないの?」

「あんまりな…日本シリーズくらい」

「へぇ~」

 初対面なのに何でこんなに会話が弾んでるの?

 しかもムサシ、英語上手くなってるし…。

 いつの間にか蚊帳の外になっていた夏海。なんと切り出せばいいのか分からない。

「ねぇ、メアド交換しよ?」

「いいよ」

「私、ちょっとトイレ行ってくる」

 二人の会話の隙間を縫って、彼女は一言だけ呟いた。反応はない。彼女は静かに立ち上がり、親友を見つめてからゆっくり歩きだした。

 

「アンタ、本当は気づいてんでしょ…? 認めるのが怖いだけなんじゃない?」


 頭の中で繰り返される。何とも言えない感情が沸々と込み上げてきた。

 別に嫉妬なんかじゃないわ!

 むしろエミリーを応援したい。でもムサシとずっと一緒にいたい!

 これが「好き」ってこと?

 こんな感情は初めて…。

 結局、この日はモヤモヤが取れぬままだった。昨日はあんなに楽しかったお風呂もなぜか楽しくない。

「今日はトランプしないの?」

「今日はもう寝るわ」

 知らず知らずのうちに親友との溝をつくっていた。


 その後、二人は東京スカイツリーや築地、お台場など観光を楽しんだ。毎日一緒にいるうちに夏海はエミリーとの距離を埋めていったが、そんな中、日に日に高まる思いがあった。

 早くムサシに逢いたいわ―

 エミリーとの別れの朝、空港に着いてから二人はしばらく話していた

「二週間、あっという間だったわね…」

「うん」

「なんか、いろいろあったけど楽しかったわ! 美味しいもの、いっぱいご馳走になったし」

「私も! あっ、あの時の事は許してね…二日間ぐらい口利かなかったこと」

「あ~、その事? う~ん、どうしようかな~?」

 エミリーは少し上を向いた後、親友に向き直る。

「じゃ、私の目をしっかり見てからこう言いなさい。『私はムサシの事が好き』ってね!」

「あぁ、ムサシの事ならもういいの…」

「どうして?」

「だって、エミリーも彼の事好きなんでしょ?」

 あっ、私そこまではっきり言ったんだっけ?

「だったら私、エミリーを応援するわ! 私はもう諦めた」

「…」

「どうしたの?」

やっぱりね。

「ねぇ、エミリーってば!」

「やっと、素直に言えたじゃない」

「はっ?」

 夏海の目は点になった

「諦めた、って事はそういう気持ちがあったって事よねえ」

エミリーはしてやったり、といった表情で話す。

「そ、それは、言葉のアヤよ!」

「ふ~ん。そう思ってるならいいけど?だいたい、私、今カレシいるしねぇ」

「ちょっと待って…! じゃ何であんな事したの? 帰りもムサシと楽しそうに話してたじゃない!!」

「あんたねぇ…」

 大きなため息を一つついてから、彼女は夏海に向き直った。

「楽しそうに話す? 趣味が合う友達なら当たり前じゃないの」

言われてみればそれは真っ当な意見だったが、夏海にはどこか釈然としない。

「それは、そうだけど」

「大体、友達同士の会話でなんであなたがムキになるの?『彼女』ならともかく」

「うっ」

核心を突かれて言葉に詰まる。

「アンタがなんでそんなに意固地になってるか分からないけど、もう少し素直にならないと、彼も逃げていくわよ」

「そ、それは」

「そろそろ行くよ、エミリー~!」

「じゃ、お父さん呼んでるから行くね」

夏海が何か言いかけた時、ちょうどタイムアップとなった。


「電話・メール、いつでも送っていいから…じゃあね!」

「じゃあ、またね」

 二人は強く抱き合った。

「Good luck!」

 夏海の耳元で囁いた彼女は笑顔で手を振りながら、両親のもとへ駆け寄って行った。

「あっ、ちなみに私が付き合ってるのジョージだから!」

 笑顔で手を振り続ける夏海の顔が徐々に変わっていく。手の振りも小さくなっていき、やがてそれは静かに下ろされた。

「何でエミリーとジョージが…?」

 顔面蒼白の夏海。

 正面の親友は爽やかな笑顔で、こちらに手を振り続けている。

「私の元カレじゃない…」

 彼女の呟きは誰にも聞こえていない。


「話がある、俺達別れよう」

「え、何でよ?ジョージ!」

夏海に突然の別れを切り出す男、ジョージ。

「本当にすまない」

「ちょっと待ってよ!訳が分からないわ」

「それは…」

ジョージは何かを言ってはいるが夏海にはそれがよく聞こえない。

「え?何?もっとハッキリ言ってよ!」

「サヨナラ、ナツミ」

夏海の叫びは届いているのかいないのか。彼はそう言って背を向ける。

「ちょっと待ってよ。ジョージ!」

夏海は彼を追いかけようとするが、その時後ろから誰かに腕をつかまれた。

「ちょっと誰よ!離しなさいよ!」

そう言って、キッと後ろを睨み付けるが、そのシルエットにもやがかかっており誰かは判別できない。

しかし、その握った手の温かさには覚えがあった。

「あなたは…」


「ムサシ!?」

自分の声に思わず目が覚めた。

辺りはまだ暗い。どうやら夢を見ていたようだ。

「夢、だったの?」

夏海は現実を確かめるように、自分の顔を軽くはたく。頬が濡れている。

「私、泣いていたんだ。今でも、あの事を思い出すと泣けてくるんだ」

自分で確認するように呟く。

「はは、あれはショックだったなぁ。今もあんまり変わってないけど…」

数年前、夏海には恋人がいた。名前はジョージ。夏海にとって初めて恋人と呼べる存在だった。

あの頃は全てが新鮮に見えた。『恋人』がいるだけで世界はこんなに違うのか、と。

ただ、「初めて」で「経験がない」という事は、それに対する対処が分からず、混乱してしまう事もあるだろう。

この場合、「別れ」がそれにあたる。

「もしかしたら、あの時からエミリーと…?」

夢で思い出した突然で衝撃的な別れに夏海の心はかき乱された。

「エミリーがあんな事言ったから、思い出しちゃったじゃないの!!」

夏海は髪をかきむしり、枕に顔を押し付け、ただただ泣いた。

どれだけ泣いただろうか?しばらくして心は落ち着いたが、うまく眠れなかった。

「武蔵はどうなんだろう?」

無意識にそう呟いた。初めて恋人ができた時と今と。

しかし、いくら考えてもしっくりくる答えが出ない。

そうして悩み続け、もやもやが残ったまま二学期が訪れた。


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