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THE ORDER -1

 ペンの形に似たプレフィルドタイプの注射器を自分の腕に刺し、イディオットと呼ばれるウィルスを体内に注入する。

 俺はいつもこのとき、花を握り潰すイメージを頭に思い浮かべる。

 フリーズされた花のように、握り潰した俺の手の中で、薄い花弁はパリパリと音を立てながら粉々になる。繊細な飴細工を潰すように、力なんて必要ない。そして手を開いた時には、かつて花だったものが、まるで乾いた砂のように零れ落ち、風に飛ばされ、空の彼方へと消えていく。

 《WIZDAM》と呼ばれる量子コンピュータによって、勝手に決められた未来が、白紙になるように――


【《WIZDAM》:人類の未来を予測する量子コンピュータ。ネーミングには「知恵」を意味する〈WISDOM〉と、「達人」を意味する〈WIZ〉、さらに「堰堤えんてい」を意味する〈DAM〉の三つの意味が込められている】


 俺は空になった注射器を投げ捨てる。

 しばらくすると、体の中心部から高揚感がみなぎってくる。

 多少疲れていても、まだやれるんじゃないかって思いと、多少危険なことでも、大丈夫なんじゃないかって、根拠のない自信と楽観的なテンションが肉体を支配する。イディオットの副作用として、この感覚が一定時間続く。


【イディオット:欺瞞信号発信ウィルス】


 《WIZDAM》によって人類の行動が全て予測され、さらに地上に張り巡らされたライブスキャナと呼ばれるセンサーが、この宇宙の最小単位であると言われている 10のマイナス105乗㎥(プランク長:10のマイナス35乗mの三乗)にまで人間の情報を還元し、24時間、365日、俺たちを監視している。その大容量のコズミックデータはプランクデータと呼ばれ、アンダードームという地下施設にそのデータベースが格納されている。そんな状況下で俺たちが未来盗賊バンディットをやるには、「俺たちは何も悪いことをしていない。むしろ善良な市民だ。オーケー?」という偽の情報データをイディオットを使って発信しなければならない。

 つまりイディオットは、俺たちバンディットがこの完璧な未来管理システムを掻い潜りながら仕事をするために必要なドラッグってわけだ。その副作用のため、イディオット依存症になっている者もいる。俺は実際にそういう奴を知っているが、今は思い出したくない。


 ――俺の体が、大きく揺れた。


 ここは小型輸送機の中。さっきの揺れは、輸送機が方向転換したため起こったものだろう。

 輸送機の全長は10メートルくらいで、鋼鉄でできたクジラのような形状をしている。その中には俺とDAP-H3000と呼ばれる二足歩行の戦闘汎用ロボットが2機いる。DAP-H3000は今のところ2機とも壁のアンカーに固定され、スリープモードになっている。


【DAP-H3000:ディフェンディング・アーミー・プロダクト・ヒューマンタイプの3世代目。二足歩行の自立型戦闘兵器で、状況に応じたカスタマイズが可能で汎用性が高い。基本的な設計仕様はオープンソースとして公開されているため、各メーカーは生産設備さえあれば自由に製造に参入できるソーシャル企画でもある】


 DAP-H3000は身長が3メートル以上もあり、かなり大型だ。しかしこの3世代目は設計仕様のアップデートを重ねた末、手足も長く、スレンダーで、機動力が高い。

 しかもデフォルトの量子思考回路に加え、オプションで最新の戦闘経験データベースを実装しているため、現役の兵士と遜色ない判断を下すことができるし、さらにアンチ・エネルギー・コーティングされた十分な装甲を身に着けているため、盾としても頼もしい。


 ――突然、機内の赤いランプが点滅した。それと同時に、警告音が鳴る。


 そして金属同士が擦れる重々しい音を立てながら、輸送機の後部ハッチが開いた。

 いよいよだ。

 俺は立ち上がり、自分の下半身に装着されたボトムアシストのバッテリーを確認する。充電は十分だ。

 俺は生まれつき足が弱い。だからこれがないと、仕事ができない。

 開いた後部ハッチからは、夜景の中心で鮮やかな紫色に照らされた、ドームスタジアムのコンサート会場が見える。ドームスタジアムの屋根は閉じられ、それはまるで、開花する前のつぼみを連想させた。

 あそこにはクライアントがいて、俺はそいつに盗んだ未来を引き換えに、莫大な報酬を貰う。今回は久しぶりの大型案件だ。ミスするわけにはいかない。絶対に。

「ヘイ、レイニー。状況はどうだ?」

 俺はイアークと呼ばれる耳に装着されたデバイスで、RA(リード・アヘッダー)のレイニーと通信する。


【イアーク:正式表記はe-ARc:三日月状(アーク状)の形状をした、耳の裏に装着する小型デバイス。通信機能だけでなく、クラウド上に記録されたデータを脳に直接、電気信号で送ることで視界上に投影できるAR(拡張現実)機能や、肉眼からの情報信号を拡張してズームできる機能なども備えている】


RA(リード・アヘッダー):《WIZDAM》にハッキングして予測された未来を先読みし、未来を盗む者。一人の才能に依存せず、チームで案件を遂行するバンディットにとって、中核を成すポジション】


「あなたが指定した未来は既にワイルドカードに出力して、TP(トランス・ポーター)に預けてある」

 イアークの奥で、RA(リード・アヘッダー)のレイニーがそう答えた。俺より少しキャリアが長い、大人びた女の声だ。


【ワイルドカード:RA(リード・アヘッダー)が《WIZDAM》にハッキングして盗んだ未来が記録されたカード型のメディア。取引額が大きい大型案件の場合、このワイルドカードを巡って競合のバンディット同士が奪い合うことがある】


TP(トランス・ポーター)RA(リード・アヘッダー)が出力したワイルドカードを安全な場所に搬送する者】


 レイニーは続ける。「TP(トランス・ポーター)には私の先読み(リードアヘッド)で最も安全な搬送ルートを指示してあるけど、気を付けて。何か、悪い予感がする」

「何だよ、悪い予感って。俺の結婚が遅れるってことか?」

「そうじゃない。TP(トランス・ポーター)がランデブーポイントに到着した途端、消えたのよ」

「消えたって、何がだよ?」

TP(トランス・ポーター)の、生命反応よ」

「――何だって?!」


 その直後だった。


 凄まじい爆音と共に、輸送機が大きく揺れた。

 水平だった床が、大きく傾く。

 後部ハッチが開くときとは違う、鼓膜を突き刺すような、不快な警告音。

 ――畜生! 何者かに襲撃された!

「おい! レイニー! どうなってんだ!」

「わからないわ! それより、早くそこから脱出して! 私の計算では、その輸送機はあと32秒後に墜落する!」

「だったら、最善の脱出方法を先読み(リードアヘッド)してくれ!」

「ちょっと待って! その計算に少し時間がかかる!」

 クソッタレ! これだから今どきのRA(リード・アヘッダー)は使えない! “あいつ”だったら、こんな状況くらい即座に対応できるのに!

 俺の元を離れていった奴のことを、今さら言っても仕方がない。

 俺はレイニーを頼るのは諦め、自力で脱出することを試みる。

 機体が開いた後部ハッチの方に大きく傾く。恐らくジャイロセンサーと平衡制御バーナーも壊れたのだろう。機体は傾いた上に、空中でグルグルと回り始める。きっと地上では、三半規管が狂った巨大クジラが暴れているように見えるだろう。

 俺は尻餅をつき、ズルズルと開いた後部ハッチの方に滑っていく。

 このまま開いた後部ハッチから飛び降りようと一瞬考えたが、止める。

 高度はまだ70フィート以上、10階建てのビル以上の高さにいる。

今飛び降りれば、いくらボトムアシストを装着しているとは言え、その衝撃をカバーできない。高度が低くなるのを待つにしても、いつこの機体が大爆発するかわからない。

いや、それ以前に、俺はここから滑り落ちるだろう。既に俺の膝から下は、後部ハッチから宙ぶらりんの状態だ。

クソ! どうすればいい!


 ――そうだ! 俺は閃くと同時に、叫ぶ。


「おい! 起きろお前ら! いつまで寝てんだ!」

 その言葉に反応した2機のDAP-H3000は、スリープモードから目覚め、機動を示すように目が青白く光った。

「もうとっくに出勤時間は過ぎてるぜ! 遅刻した分は報酬から差っ引くから、早く出ろ!」

 その言葉の直後、DAP-H3000を壁に固定していたアンカーが外れた。

 直後、2機のDAP-H3000は一斉に開いた後部ハッチの方へ――つまりは俺の方へ、滑り始めた。

 ――おい待て! 普通、順番に滑ってくるだろ!

 しかしそんなことを今さら思っても遅く、俺は2機まとめて滑ってきたDAP-H3000のうち、一体に蹴り飛ばされる。おかげで、俺はめでたく空中に放り出された。

 強風が下から吹き荒れる感覚の中、俺は落下する。

イアークが示す高度は59.347フィート。

落ちれば、多分、死ぬ――


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