サンタクロースは卑怯者
「サンタクロースになってみない?」
そう先輩に言われたとき、俺は思わず耳を疑った。サンタクロースに、なる?
それは街がクリスマスに向けて色めき立ち始めた冬の日だ。部室に向かうと先輩は一人窓の外を眺めていて、俺を見るなりそう言った。
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味。サンタクロース、恵まれない子供たちにクリスマスの夜にだけ訪れる幸せ。どう? やってみない?」
「どうって言われましても……」
イマイチ、先輩の言うことがわからなかった。元からどこか浮世離れしたところのある人だが、今日は特別理解に苦しむ。
「サンタのバイトってことですか? 街でビラ配りとかしてる」
「バイトか。そうとも言うかもしれないわね。でも配るのはビラじゃないわ。プレゼントよ」
「はあ……」
「興味があるなら、明日ここに来て。それじゃあ」
「あっ、ちょっと先輩!」
先輩は俺にメモだけ渡してそそくさと立ち去ってしまう。一人残された俺は途方にくれる。
こんなの、行くしかないじゃないか。卑怯だ、あの人は。
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「……ここ、だよな」
手元にあるメモと目の前にある建物を何度も見比べる。スマートフォンの地図とも照らし合わせてみて、場所が間違っていないのを確認する。
門にはこう書いてあった。
「タンポポ園、か」
幼稚園だろうか? 門から入ってすぐのところに遊具の置いてある校庭のようなスペースがあり、奥には少し古い建物が立っている。
ジッと眺めていると不意に声をかけられる。
「お兄さん、誰?」
視線を下げると門の向こうから小学校低学年くらいの女の子がこちらを見上げている。どこか怯えたような眼差しだった。
「あ、えっと、俺は……」
「もしかしてお兄さん、先生の言ってた新しい先生?」
「え? いや、その」
「……違うの?」
「えっと、なんていうかな、その……」
何と説明したらいいものか。俺はただ先輩によばれてだけなのに。助けて先輩。
「あら、来てくれたの」
「あ、先輩」
「先生!」
タイミング良く先輩が現れる。すると女の子は嬉しそうに先輩の方に駆け寄り抱きつく。
「先生? どういことですか?」
「それはこれから説明するわよ。とりあえず、入りなさい」
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「――というわけ」
「はあ。そういうことですか」
応接間に通された俺は先輩からこの施設についての説明を受けていた。
曰く、ここは先輩の親戚の経営する孤児院であるとのこと。
曰く、先輩は先生としてよく手伝いをしているとのこと。
曰く、去年までは先輩のお兄さんも手伝ってくれていたが上京したため今年は人手不足で困っていたとのこと。
そしてなによりここが重要らしく、例年お兄さんがしていた毎年行われるクリスマスパーティーのサンタ役の代役が必要でそれを俺に頼みたいとのこと。
「それで、受けてくれる?」
ジッとこちらを見据える先輩に思わずドキリとする。柔らかいシャンプーの香りがした。
なるほど、サンタクロース。恵まれない子供たちにクリスマスの夜にだけ訪れる幸せ、か。
クリスマスは特に予定が入っていない。部屋で怠惰に過ごすよりは子供たちに幸せを配った方がましだろう。
決してやましい思いはないが先輩とクリスマスを過ごせるなら正直大歓迎だ。もちろんやましい気持ちはない。
ただまあ、子供たちのため尽力し結果的に先輩と楽しいクリスマスを過ごすというのならそれもやぶさかではない。考えてみればこらは神が、いやサンタクロースがくれた好機と言っていいだろう。
気づけば首を縦に振っていた。先輩が大輪の花が如き笑顔を咲かす。
まったく、この人は卑怯者だ。
そうして俺はサンタクロースになった。
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一週間後に迫るクリスマスに向け俺は様々な準備をすることになった。
お手伝いとして雇われ、子供たちから信頼を勝ち取りさりげなく欲しいプレゼントについて調べた。
ハルちゃんは可愛いお人形さんが欲しい。タクミくんはサッカーボールが欲しい。ユリちゃんはおままごとの道具で、ケンジくんは本。
みんな初めは警戒したような顔をしていたが、遊んでみるとみんな良い子で快くプレゼントについて教えてくれた。
女子からはやけにキラキラした顔で先輩との関係をきかれたり、男子からはやけに敵対視されたりといろいろ大変だったが、俺はやり遂げたのだ。
そう、全てはこの子たちひいては俺の楽しいクリスマスのためだ。
全ての準備は整った。子供たちへのプレゼントにサンタの衣装、そして先輩へのささやかなプレゼント。計画は完璧である。
明日に迫るクリスマスイブに向け俺は希望を抱きながら布団をかぶった。
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「それじゃあ、お願いするわね」
先輩からのお願いにはいと威勢良く返事をした俺はいつもより気持ち足早に部屋を後にした。
すでに日は沈み、部屋の電気も先輩のいる事務室以外は全て消えている。
もしかしたらサンタの正体を暴こうと起きている子がいるかもしれないがそんな子のところにはサンタは訪れないと脅してあるのでおそらく大丈夫だろう。それどころか「寝ない子誰だ」と恐ろしい顔をした男が現れると言っておいたので安心である。
窓の外をみれば遠くにまだ少し明るい街が見え、ああ今頃俺の友達は彼女としっぽりとしてるわけだなと思い死にたくなるが今はそんなことを言っている暇はない。
俺の仕事は各々の部屋にこっそりと侵入しプレゼントを置くことだ。なぜ先輩ではなく俺がやるかというと寝ぼけて姿を見た子供がいた場合女性だと一発でサンタでないとばれてしまうかららしい。
今日の俺はサンタクロース。そう、サンタクロースだ。
失敗は許されない。子供たちの夢を壊すわけにはいかない。絶対に誰にもばれずにプレゼントを置いてみせよう。
暗闇の中一人顔を引き締め、俺は一人目の部屋のノブに手をかけた。
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結果から言ってしまえば、それは思っていたよりもあっさりと成功した。
みんな俺の愛のある助言をしっかりと聞いてくれていたのか布団をかぶり誰一人として起きることはなかった。
無事任務を終えた俺は軽い足取りで先輩の待つ事務室に戻る。さりげなくポケットの中のプレゼントの感触を確かめる。先輩、喜んでくれるだろうか。
「ただいま戻りました。……あれ?」
返事はなく、見てみれば先輩は机に突っ伏したまま眠ってしまっていた。書類が下敷きになっているのを見るに、さっきまでずっと仕事をしていたのだろう。
「まったく……。頑張りすぎですよ」
起こさないように静かに先輩に毛布をかけて俺はソファーに座る。伸びをしてみれば骨がごきりと小気味好い音をあけだ。
ちらりと先輩の寝顔を拝見する。かなり疲れていたのかその顔は穏やかで、邪魔するのが忍びない。
少し待ってみたが、先輩が起きる気配はなかった。
これは、俺も諦めて寝た方がいいかな。ほんの少しでいいから先輩とクリスマスを祝いたかったけれど、仕方ないか。
「失礼しますよ……」
椅子では体を痛めると思い先輩のことをゆっくりと慎重に、丁重にソファーまでお運びする。お姫様だっこをした先輩は軽くて、柔らかくて、俺じゃなければ変な気を起こしかねない魔力があった。
「よかったですね先輩。俺が紳士で」
とはいえ、無防備に眠る先輩をこれ以上眺めてるとさすがの俺でもどうかしてしまいそうだった。
「先輩、俺は先輩に誘われて嬉しかったですよ。あわよくば二人でお祝いとかしたかったですけど、十分幸せです。――ただ、どうして俺を誘ってくれたんですか?」
もしかして先輩は俺の事が、なんてあまりにも都合の良すぎる解釈を頭を振って霧散させる。
まったく、あなたは卑怯ですよ。こんなにも俺を悶々とさせて、自分は素知らぬ顔で眠るなんて。
「おやすみなさい、先輩」
眠る先輩の傍らにプレゼントを置いて、俺は椅子で眠ることにした。ああ、サンタクロースなんて結局いないんだな。けれどこんなクリスマスも、案外悪くないじゃないか。
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どこからか騒ぐ子供たちの声が聞こえる。きっと俺の届けたプレゼントに気づいたんだろう。喜んでくれたようだ。自然と頬がゆるんだ。
部屋を見回してみると先輩はすでにどこにもいなかった。それに少し寂しさを感じつつも気にしないように立ち上がる。
ふと机の上に目をやると見覚えのないプレゼントボックスが鎮座していた。傍らには小さなメッセージカードもある。
手にとって読んでみると笑いがこみ上げてきた。
ああ、まったくあのサンタクロースは卑怯だ。
『メリークリスマス。君とクリスマスを過ごせて幸せだったよ。サンタクロースより』