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前編

※※実在する病気が基となっています。不愉快になられる方がいらっしゃったらすみません。想像だけで書いていますので、ツッコミがあるかと思いますが、フィクションということで許して下さい。※※

 なんてタイミング、と頭を抱えたくなったが、今はそんなことをしている場合ではない。

 自分が呼ばれたということは、余程のことだ。

 目を覚ましたばかりだが、とにかくここから逃げなくてはならない。

 起き上がり、そして部屋の中を見回し、すぐに換金できそうなものを選ぶ。

 小さな色石のついたブレスレットや指輪ぐらいならばまだしも、宝石は駄目だ。足が付きやすい。残念だが諦めよう。

 他には、銀で造られた燭台、鮮やかな色で花が描かれている飾り皿、仕立ての良いドレス。

 それらを選び、クローゼットの中から大きな鞄に丁寧に、だけど、多くを詰め込む。

 荷物の整理が終わったら、今度は今の全財産を確かめた。

 そんなに贅沢をしているわけではないし、散財する方でもない。

 これまでもらっていた小遣いを入れてあった、可愛らしい花で飾られた陶器の中を確認して、大丈夫だと呟く。


 ――これだけあれば、一年は余裕。贅沢しなければ、二年。


 安堵の息を吐いたが、すぐに気を引き締める。


 一年は余裕。贅沢しなければ二年――それは、あくまでも自分ひとりならば、だ。


 腹の中の子どものことを入れれば、半年は余裕でも、一年は厳しいかも知れない。

 産むのも育てるのも金がかかる。


「……なんとかしてやるわよ」


 そのために呼ばれた。

 助けを求められたのならば、応えるだけだ。












 ディーディー、と呼ばれて振り向く。


「あんたに仕事だよ。なんだか、家政婦がほしいんだって」


 場末の酒場よりも、少しだけのマシな感じの宿屋兼酒場は、旅をするひとたちにとって重要な拠点だ。

 ましてや、この町は国境が近い。

 争いのない平和な世の中だからこそ、商隊や行商人たちが絶えず休みに来る。ついでに言うならば、夜のサービスもそれなりに金を積めばなんとかなったりするから、下手な娼館よりも活気があったりする。


 ディーディー――デイジーデイジーは、そんな猥雑な店の女給だが、夜の誘いは断っている。

 そんなデイジーデイジーに家政婦とはどういうことか、と眉を寄せた。


「店長は?」


 店で使われるリネン類を干し終わり、エプロンで手を拭いながら呼びに来た女給仲間に尋ねると、「客と一緒にあんたを待ってるよ」と後ろを指さす。

 断るかどうかは、話を聞いてから決めよう。

 髭の店長は強面だが、無理強いをしたことはないから、何かしらの理由でデイジーデイジーを家政婦に選んだのだろうと考えた。

 洗濯物を入れていた盥と手桶の片づけを頼み、デイジーデイジーは店長の下へと急いだ。


 店内には、店長の他に、長細い男がいた。

 見た瞬間に、「ああ、この男はひとりにしちゃいけないヤツだ」と思わず納得する。

 なんというか、全体に漂う残念感というのだろうか、ひとりで生活できないタイプだと一目で分かってしまうのに、本人はそれに気づいていないという、そんな面倒くさい種類の人間だ。


「ディーディー」


 立ちつくしているデイジーデイジーに、店長があからさまに安心した笑みで手招きをした。


「こちら、今度ハウディ通りの赤い屋根の家に越してこられた、ヴェントさんだ。学者さんだ、挨拶しなさい」


 学者、と聞いてますます残念感に拍車がかかる。

 前髪が伸びて顔の半分が見えなくなっているのに、無理やり眼鏡をかけているのも、裾と袖がすり切れたフードと、なによりも血色の悪いその顔!

 勉強や研究に没頭すると何も見えなくなる、手のかかる質だ。

 とてもとても、やりがいのある、厄介なタイプだ。


「お前に、こちらさんの面倒を見てほしいんだよ。給金はうちの倍を出して下さるそうだ。住み込みになっちまうが、構わないだろう?」


 デイジーデイジーが口を開くよりも前に、店長がべらりべらりと話し出す。

 まるで口を挟む暇を与えないかのような勢いだ。


「お前もいい年だし、ヴェントさんも大人の男だし、不安に思うこともあるかも知れないが、何とか頼む。もしどうしても嫌だったら、うちに戻ってきてくれても買わないから、そうだな、試しに三ヶ月やってみてくれないか?」


 疑問系のくせに、決定されていることに苦笑し、デイジーデイジーは仕方なく頷いた。

 正直、給金が良いことは素晴らしい。

 もう少し蓄えを増やしたいと思っていた頃だからちょうど良い。


「じゃあ、荷物をまとめておいで。早速今日からだっていう話だからな」


「分かりました。今までお世話になりました」

 ぺこりと頭を下げる。

 なんやかんやあったが、この店と店長には世話になった。

 それに、この話を自分に持ってきたのは、店長なりの親心だろう。

 ここにいるのは、今はとても辛かったから。


「この子はうちの娘みたいなもんです。ヴェントさん、くれぐれもよろしく頼みますよ」


 住み込みの女給を「うちの娘たち」と豪語している店長だ。

 夜の誘いも嫌なら無理はさせないし、しつこい客は放り出してくれる店長だ。


 新しい雇い主に、まるで脅しのように凄んだ店長に、心から感謝した。










 ヴェントという学者は、とても静かな男だった。 

 それでいて、とても手がかかる。

 まず、寝ない。

 机に向かうと、夢中になり周囲の音は聞こえなくなるらしく、耳元でフライパンを叩いてやっと気がつく。

 気になる本があると、それを読み終わるまで眠ろうとしない。それは別に珍しくないのだが、ヴェントの困った部分は、読んでいる本で気になることがあると、それに関連した書物を探し始め、それを読み続けてしまうのだ。

 そうなると、寝ない。

 流石に三日目に突入したときには、思わずフライパンの底で頭を殴ってしまった。

 「寝て下さい」の言葉が通じないのならば、 物理的に寝てもらうしかないではないか。力加減はきちんとしているし、毎回目を覚ましているのだから、大丈夫だろうと勝手に思っている。


 更に、この男は清潔を保つことにあまり乗り気ではない。

 風呂に入る時間があるのならば、その分研究していたという、実に学者らしい学者だ。

 布で身体を拭いているから大丈夫だと言い張るのを、笑顔で封じ、二日に一度は湯を使わせている。

 確かにここらは乾燥地域だし、この男は肉体労働はしていないから汗をかくことも少ないかも知れないが、この家には立派な湯船が――しかも、近くの温泉から湯がひかれているという贅沢さだ――あるのだから、利用しない方がどうかしている。


「風呂にはいると気持ちいいでしょ? すっきりするでしょ? 頭がしゃっきりしたら、勉強も進むんじゃないかしらねえ?」


 そう言って、無理やり風呂に入れている。

 本当のところはは、雇い主であるヴェントが風呂を使ってくれないと、雇われ人であるデイジーデイジーが風呂に入れないからだが、清潔を保つことは悪いことではない。

 結果的に、最初にあった頃に比べてヴェントは小綺麗になっているから、問題なしだ。


 次いで、食事。

 野菜嫌いなのだ。

 確かに「草を食べる意味が分からない」と店の客が言っていたが、学者という職業なのだから、野菜の必要性を知っていると思っていたが、甘かった。


「……ディーディー、これ、セロリ入ってるでしょう?」


 クセのある野菜を、刻んで刻んで、他の香草とスパイスで誤魔化し、更に好物のウサギ肉を煮込んだというのに、セロリが入っていると唇を尖らせてくるヴェントを、デイジーデイジーは「坊やちゃん」と呼ぶことにした。


「坊やちゃん、あたしが作った料理に、まさかケチをつけるつもりなの?」


「え……だって、セロリが……」


「セロリ食べたって死ぬわけでないんだから、いいから食べてごらんなさいよ。ウサギ肉のシチュー、好きでしょ」


「……はい……」


 セロリ一つにこだわっているが、シチューには他の野菜だって入れていた。じっくり煮込んだことですっかり溶けてしまっているが、ニンジンやタマネギ、カブ。どれもヴェントが苦手としている野菜だが、セロリのクセのおかげで気づいていない。

 皮を固めに焼き上げたパンを追加して、それから目の前にデザートに準備していたプティングを差し出すと、機嫌を良くするヴェントの単純さが可愛いと笑う。


 何かと手にかかる男で良かった。

 大人の男なのに、自分よりも7つも年上の、れっきとした男性だというのに、子どものようなヴェントに、デイジーデイジーは救われた。











 時折、ヴェントはデイジーデイジーを観察するかのように見つめる。

 気づけば、仮契約としていた三ヶ月もとっくに過ぎ、そろそろヴェントの家政婦として働き始めて半年目が近付いてきていた。

 季節はがらりと変わり、それなりに気温が下がり始めている。

 ヴェントのための膝掛けを準備しようと、新たらしい毛糸を購入し、ついでに自分用のカーディガンも編むために淡い水色の毛糸を選んだ。

 午前中に粗方の掃除を終え、昼食用の軽めのスープと柔らかいパンと、マーマレードにバターを準備し、それから夕食用に煮込みハンバーグの下準備も終えた。


 暖炉の前に座り込んで、「坊やちゃんはさぁ」と視線を向け続けるヴェントを呼ぶ。


 雇い主に対する言葉遣いではないと分かっているが、直しようがない。

 自分は、こういう性格なのだ。多分、きっと――性格なんだと、そう思う。


「緑と黒と、白の三色で模様作るから、膝掛け。そんで、坊やちゃんは、そろそろあたしに言いたいことあるんじゃないの?」


 そろそろ追っ手が来る頃だと思っていた頃に、ヴェントがやって来た。

 この街に、似付かわしくない、学者。


「ディーディーは、なんで、ディーディー?」


「デイジーデイジーだから。頭文字二つでDD、そんだけ。理由はないよ。愛称だからね」


「ふうん……じゃあ、聞いて良いかな」


「いいよ」


 編み棒を動かし、デイジーデイジーは自分が穏やかでいることに驚いた。

 きっとヴェントがそういう雰囲気を時間をかけて作り上げたのだろう。

 手のかかる男、というのもきっと作り上げたものに違いない。

 ある意味、騙されていたようなものだが、それはデイジーデイジーだって同じだ。


「今、ローラ・クリスティーネはどこにいる?」


「そうだねえ……寝てるかな」


 あはは、と小さく笑って編み棒を横に置く。

 緑と黒と、白。それから、淡い水色の毛糸。

 これらが無くなるまでは、と思っていたが、そうもいかないようだと、息を吐く。

 心は穏やかだ。

 ああでも、この「心」は本当に自分のものだろうか。

 そんなことは分からない。

 だって、持っていなかったから、なにもかも。



 デイジーデイジーは、何も持っていない――その、身体でさえも。


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