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うそつきカフェの、たった一つの本当

作者: Algo Lighter
掲載日:2026/04/02

四月一日。

駅前の細い路地に、その日だけ現れる店がある。


その名は――うそつきカフェ。


古びた木の看板には、白いチョークでこう書かれていた。


「本日は、うそしか話してはいけません」


高校二年の美咲は、その看板の前で足を止めた。


「なにこれ……怪しすぎるでしょ」


けれど、店のドアはちょうどよく開いていて、ふわりと甘い焼き菓子の香りが流れてくる。

好奇心に負けて中へ入ると、カウンターの向こうに、黒いエプロンをつけた店主がいた。


年齢不詳。にこにこしているのに、どこかキツネみたいな顔をしている。


「いらっしゃいませ。うちはまずいコーヒーと、全然おいしくないケーキが自慢です」


美咲は思わず吹き出した。


「それ、つまりおいしいってことですよね」


店主は片目をつむる。


「おや、もうルールを理解しましたか」


店内にはほかに三人ほど客がいた。

窓際ではサラリーマン風の男性が新聞を読みながら「今日は仕事が楽しみで仕方ない」と言っている。

奥の席では年配の女性が「うちの孫は全然連絡をくれなくて困るの」と微笑んでいる。

みんな、うそをついている。

それなのに、不思議と店の空気はやさしかった。


美咲はホットココアを頼んで、隅の席に座った。


今日はエイプリルフール。

クラスのグループチャットでは、朝からしょうもないうそが飛び交っていた。

「担任が坊主になった」

「購買でキャビアパンが売ってた」

「数学の小テスト中止」

最後だけは本当であってほしかったけれど、残念ながらうそだった。


美咲はスマホを見つめた。

画面には、幼なじみの陽斗とのトーク画面が開いている。


昨夜、勢いで送ってしまったメッセージ。


「もしかして私のこと、好きだったりする?」


送った直後に死ぬほど後悔した。

けれど、陽斗からの返信はまだ来ていない。


既読もついていない。


「最悪……」


思わず声が漏れると、店主がカップを置きながら言った。


「大丈夫です。返事が遅い人間ほど、だいたい暇ですから」


「それ、うそですよね?」


「ええ、もちろん」


美咲は小さく笑った。

ココアは湯気まで甘くて、信じられないくらいおいしかった。


しばらくして、店のベルが鳴った。


「こんにちはー」


入ってきた声に、美咲の肩がびくっと跳ねる。


陽斗だった。


制服のまま、少し息を切らして立っている。

彼は美咲を見るなり、困ったような顔をした。


「あ、やっぱりここにいた」


「なんで分かったの」


「全然分からなかった。駅前のパン屋にも、本屋にも、公園にもいないから困った」


「じゃあ分かってるじゃん」


陽斗は店主に向かって言う。


「すみません、アイスコーヒーください。できれば熱いやつ」


「承知しました。冷たくて熱いのをお出しします」


陽斗は美咲の向かいに座った。

二人の間に気まずい沈黙が落ちる。


今日はこの店では、うそしか話してはいけない。


なのに美咲は、今いちばん聞きたいことだけは、うそで返されるのが怖かった。


陽斗が先に口を開いた。


「昨日のメッセージだけど」


「うん」


「ぜんぜん見てなかった」


「……既読ついてないもんね」


「スマホ壊れてた」


「へえ」


「あと、別にびっくりしてない」


それはきっとうそだった。

陽斗の耳が少し赤い。


彼はテーブルの端を指で軽くたたいた。


「それで、返事なんだけど」


美咲はぎゅっと紙ナプキンを握った。


「俺、美咲のこと、全然特別だと思ってない」


美咲の胸が、一瞬だけすっと冷えた。


けれど、この店のルールを思い出す。


うそしか話してはいけない。


ということは――


「小学校のころから、ずっとなんとも思ってなかったし」


声が少し震えている。


「毎朝、美咲を待ってるのも別に習慣じゃないし」


窓の外の光が、グラスに反射して揺れる。


「他のやつと話してると、ぜんぜん気にならないし」


美咲は下を向いた。

口元が勝手にゆるんでしまう。


「……なにそれ」


「うそだけど」


「ルール違反じゃん」


「いや、今の『うそだけど』もうそ」


「どっちなの!」


思わず大きな声が出て、店の客たちがくすっと笑った。

店主はカウンターを拭きながら、いかにも面白そうにこちらを見ている。


陽斗は観念したように頭をかいた。


「こういうの、めんどくさいな」


「逃げた」


「逃げてない。むしろすごく前向き」


「それもうそっぽい」


「じゃあ、店の外で言う」


そう言って陽斗は立ち上がった。

美咲も慌ててココアを飲み干し、二人で会計へ向かう。


店主はにやにやしながら言った。


「お代は一億円です」


「高っ!」


「もちろんうそです。今日は若いお客さまに限り、恋の相談料込みで五百円」


「相談してないですけど」


「まだしていないだけですよ」


店を出ると、春の風が頬をなでた。

桜はまだ満開ではないけれど、枝の先で淡い色がほどけ始めている。


路地の先で、陽斗が足を止めた。


今度は、うそをつかなくていい場所だ。


美咲の心臓がうるさい。

さっきまで平気なふりをしていたのに、急に現実になったみたいで怖くなる。


陽斗はまっすぐ美咲を見た。


「さっきの、全部逆」


「……うん」


「ずっと好きだった」


たったそれだけの言葉なのに、春風よりも軽く、でも確かに胸の真ん中へ落ちてきた。


美咲は笑ってしまった。


「なに笑ってるの」


「だって、遠回りしすぎでしょ」


「今日はそういう日だから」


「じゃあ私も、言わない」


「は?」


「全然うれしくないし」


「それは――」


「全然好きじゃないし」


陽斗が目を細める。


「その言い方、ずるい」


「エイプリルフールだから」


「じゃあ明日、もう一回聞く」


「明日なら、ちゃんと本当のこと言う」


「約束?」


「うん」


そのとき、後ろでカラン、とベルの音がした。

振り返ると、さっきのカフェの扉が閉まるところだった。


けれど次の瞬間には、そこにはもう店なんてなくて、ただの空き店舗があるだけだった。


看板もない。

甘い匂いも、やさしいざわめきも消えている。


美咲は目を丸くした。


「……ねえ、あの店」


「ん?」


「なんでもない」


言っても、たぶん信じてもらえない気がした。


けれど、ポケットの中には確かにレシートが入っていた。

そこには小さな字で、こう書かれている。


『うそは、ときどき本当を言う勇気の練習になる』


美咲はそれをそっと握りしめた。


四月一日。

一年でいちばん、うそが許される日。


でもきっと、

本当に大事なのは、

うそをつくことじゃなくて――

本当の気持ちを言うきっかけを見つけることなのだ。


そして翌日、四月二日。


美咲は陽斗に向かって、ちゃんと言った。


「昨日のあれ、うそじゃないよ」


陽斗は笑って答えた。


「知ってる。俺も」


もう、うそをつかなくていい春が始まっていた。

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