うそつきカフェの、たった一つの本当
四月一日。
駅前の細い路地に、その日だけ現れる店がある。
その名は――うそつきカフェ。
古びた木の看板には、白いチョークでこう書かれていた。
「本日は、うそしか話してはいけません」
高校二年の美咲は、その看板の前で足を止めた。
「なにこれ……怪しすぎるでしょ」
けれど、店のドアはちょうどよく開いていて、ふわりと甘い焼き菓子の香りが流れてくる。
好奇心に負けて中へ入ると、カウンターの向こうに、黒いエプロンをつけた店主がいた。
年齢不詳。にこにこしているのに、どこかキツネみたいな顔をしている。
「いらっしゃいませ。うちはまずいコーヒーと、全然おいしくないケーキが自慢です」
美咲は思わず吹き出した。
「それ、つまりおいしいってことですよね」
店主は片目をつむる。
「おや、もうルールを理解しましたか」
店内にはほかに三人ほど客がいた。
窓際ではサラリーマン風の男性が新聞を読みながら「今日は仕事が楽しみで仕方ない」と言っている。
奥の席では年配の女性が「うちの孫は全然連絡をくれなくて困るの」と微笑んでいる。
みんな、うそをついている。
それなのに、不思議と店の空気はやさしかった。
美咲はホットココアを頼んで、隅の席に座った。
今日はエイプリルフール。
クラスのグループチャットでは、朝からしょうもないうそが飛び交っていた。
「担任が坊主になった」
「購買でキャビアパンが売ってた」
「数学の小テスト中止」
最後だけは本当であってほしかったけれど、残念ながらうそだった。
美咲はスマホを見つめた。
画面には、幼なじみの陽斗とのトーク画面が開いている。
昨夜、勢いで送ってしまったメッセージ。
「もしかして私のこと、好きだったりする?」
送った直後に死ぬほど後悔した。
けれど、陽斗からの返信はまだ来ていない。
既読もついていない。
「最悪……」
思わず声が漏れると、店主がカップを置きながら言った。
「大丈夫です。返事が遅い人間ほど、だいたい暇ですから」
「それ、うそですよね?」
「ええ、もちろん」
美咲は小さく笑った。
ココアは湯気まで甘くて、信じられないくらいおいしかった。
しばらくして、店のベルが鳴った。
「こんにちはー」
入ってきた声に、美咲の肩がびくっと跳ねる。
陽斗だった。
制服のまま、少し息を切らして立っている。
彼は美咲を見るなり、困ったような顔をした。
「あ、やっぱりここにいた」
「なんで分かったの」
「全然分からなかった。駅前のパン屋にも、本屋にも、公園にもいないから困った」
「じゃあ分かってるじゃん」
陽斗は店主に向かって言う。
「すみません、アイスコーヒーください。できれば熱いやつ」
「承知しました。冷たくて熱いのをお出しします」
陽斗は美咲の向かいに座った。
二人の間に気まずい沈黙が落ちる。
今日はこの店では、うそしか話してはいけない。
なのに美咲は、今いちばん聞きたいことだけは、うそで返されるのが怖かった。
陽斗が先に口を開いた。
「昨日のメッセージだけど」
「うん」
「ぜんぜん見てなかった」
「……既読ついてないもんね」
「スマホ壊れてた」
「へえ」
「あと、別にびっくりしてない」
それはきっとうそだった。
陽斗の耳が少し赤い。
彼はテーブルの端を指で軽くたたいた。
「それで、返事なんだけど」
美咲はぎゅっと紙ナプキンを握った。
「俺、美咲のこと、全然特別だと思ってない」
美咲の胸が、一瞬だけすっと冷えた。
けれど、この店のルールを思い出す。
うそしか話してはいけない。
ということは――
「小学校のころから、ずっとなんとも思ってなかったし」
声が少し震えている。
「毎朝、美咲を待ってるのも別に習慣じゃないし」
窓の外の光が、グラスに反射して揺れる。
「他のやつと話してると、ぜんぜん気にならないし」
美咲は下を向いた。
口元が勝手にゆるんでしまう。
「……なにそれ」
「うそだけど」
「ルール違反じゃん」
「いや、今の『うそだけど』もうそ」
「どっちなの!」
思わず大きな声が出て、店の客たちがくすっと笑った。
店主はカウンターを拭きながら、いかにも面白そうにこちらを見ている。
陽斗は観念したように頭をかいた。
「こういうの、めんどくさいな」
「逃げた」
「逃げてない。むしろすごく前向き」
「それもうそっぽい」
「じゃあ、店の外で言う」
そう言って陽斗は立ち上がった。
美咲も慌ててココアを飲み干し、二人で会計へ向かう。
店主はにやにやしながら言った。
「お代は一億円です」
「高っ!」
「もちろんうそです。今日は若いお客さまに限り、恋の相談料込みで五百円」
「相談してないですけど」
「まだしていないだけですよ」
店を出ると、春の風が頬をなでた。
桜はまだ満開ではないけれど、枝の先で淡い色がほどけ始めている。
路地の先で、陽斗が足を止めた。
今度は、うそをつかなくていい場所だ。
美咲の心臓がうるさい。
さっきまで平気なふりをしていたのに、急に現実になったみたいで怖くなる。
陽斗はまっすぐ美咲を見た。
「さっきの、全部逆」
「……うん」
「ずっと好きだった」
たったそれだけの言葉なのに、春風よりも軽く、でも確かに胸の真ん中へ落ちてきた。
美咲は笑ってしまった。
「なに笑ってるの」
「だって、遠回りしすぎでしょ」
「今日はそういう日だから」
「じゃあ私も、言わない」
「は?」
「全然うれしくないし」
「それは――」
「全然好きじゃないし」
陽斗が目を細める。
「その言い方、ずるい」
「エイプリルフールだから」
「じゃあ明日、もう一回聞く」
「明日なら、ちゃんと本当のこと言う」
「約束?」
「うん」
そのとき、後ろでカラン、とベルの音がした。
振り返ると、さっきのカフェの扉が閉まるところだった。
けれど次の瞬間には、そこにはもう店なんてなくて、ただの空き店舗があるだけだった。
看板もない。
甘い匂いも、やさしいざわめきも消えている。
美咲は目を丸くした。
「……ねえ、あの店」
「ん?」
「なんでもない」
言っても、たぶん信じてもらえない気がした。
けれど、ポケットの中には確かにレシートが入っていた。
そこには小さな字で、こう書かれている。
『うそは、ときどき本当を言う勇気の練習になる』
美咲はそれをそっと握りしめた。
四月一日。
一年でいちばん、うそが許される日。
でもきっと、
本当に大事なのは、
うそをつくことじゃなくて――
本当の気持ちを言うきっかけを見つけることなのだ。
そして翌日、四月二日。
美咲は陽斗に向かって、ちゃんと言った。
「昨日のあれ、うそじゃないよ」
陽斗は笑って答えた。
「知ってる。俺も」
もう、うそをつかなくていい春が始まっていた。




