少しだけ熱かった
父が死んだとき、私はその場にいなかった。
その事実だけが、しつこく胸の奥に残っている。
連絡を受けたのは、会社の昼休みが終わる五分前だった。スマートフォンの画面に表示された母の名前を見た瞬間、胸がざらりとしたが、出た声は驚くほど平坦だった。電話口で母は、事務的とも言える調子で、心不全だったこと、苦しまなかったこと、葬儀の日程がまだ決まっていないことを伝えた。
私は「そう」とだけ答え、電話を切った。
その後、冷めた弁当を無言で片づけ、午後の会議に出席した。誰にも父のことは言わなかった。
父とは、もう十年以上まともに話していなかった。
特別な喧嘩があったわけではない。ただ、就職を機に実家を出てから、連絡を取らなくなった。それだけだ。年末に母から届く、家族写真付きの年賀状を見て、「まだ生きているのだな」と確認する程度の関係だった。
それなのに、仕事を終えて帰宅し、玄関の鍵を閉めた瞬間、私はその場に座り込んでしまった。泣きはしなかった。ただ、身体の内側から何かが抜け落ちていくような感覚があった。
数日後、葬儀がてら実家に戻った。
久しぶりに見る父の部屋は、記憶よりも狭く、整いすぎていた。本棚には歴史書と釣り雑誌が並び、机の上には眼鏡と、途中まで書かれた日記帳が置かれていた。
「これ、どうする?」
母が私に日記帳を差し出した。
「捨てていいなら、捨てるけど」
私は首を振り、受け取った。理由は分からない。ただ、誰にも読まれずに処分されるのは、どこか違う気がした。
その夜、風呂から上がって、私は日記を開いた。
内容は驚くほど平凡だった。天気、釣果、母との些細なやりとり。私の名前はほとんど出てこない。出てきても、『あいつは忙しいらしい』と一行あるだけだ。
ページをめくる指が止まったのは、亡くなる三日前の日付だった。
『湯の温度を少し高くした。最近、ぬるく感じる』
……それだけだった。
私はその一文を何度も読み返した。
父は寒かったのだろうか。それとも何か、別の理由で温度を上げたのだろうか。考えても答えは出ない。それでも、その一文だけが、妙に生々しく感じられた。
翌朝、母に頼んで、父が使っていた風呂を沸かした。
追い焚きのボタンを押し、温度設定は元のままにした。
湯船に浸かると、確かな熱さに襲われた。肩まで沈めてみれば、皮膚がじんと痛む。私は目を閉じて、その痛みを受け入れた。父も、かつては同じように感じたのだろうか。そんなことを考えながら。
湯気の向こうで、浴室の壁がぼやける。
私は、父に何も言わなかったこと、聞かなかったこと、確かめなかったことを思い出した。後悔と言えるほど明確な感情ではない。ただ、知らないまま終わってしまった、という事実が、湯の中で静かに広がっていくようだった。
風呂から上がると、身体は少し軽くなっていた。
母が台所で湯飲みを並べている。私は「お風呂、熱かったよ」とだけ言った。
「そう?」
母は少し驚いた顔をして、それから小さく笑った。
「お父さん、最近寒がりだったからね」
私はそれ以上、何も言わなかった。
帰りの電車の中で、日記帳を膝に置き、最後のページを閉じた。結局、父のことはほとんど分からないままだ。それでも、湯の温度の感覚だけが、妙に身体に残っている。
……分かり合えないままでも、同じ湯に浸かることはできた。
私たちには、その結果だけが相応しかったのかもしれない。
窓に映る自分の顔を見ながら、そんなことを考えていた。




