第44話 声にならない叫び
「ん……」
意識がゆっくりと浮かび上がってくる。
瞼の裏に、淡い光が滲んでいる。重たいまぶたを持ち上げると、見慣れない天井が目に入る。
白い。石膏のように乾いた白。
天井を見つめたまま、ぼんやりと思う。
ここは……どこだ?
シーツの感触が肌に伝わる。体が沈み込む感覚――ベッドだ。
どうやら俺はベッドに横になっている。
「ぐっ……!」
起き上がろうとしたが、鈍い痛みが腹を走った。
あの赤髪の女……。
そうだ。腹を殴られた。そこで、意識が途切れたんだ。
記憶の欠片を手繰り寄せていると、横から声がした。
「あっ!気がつきましたか?」
柔らかく、澄んだ声だった。
顔を向けると、ベッドの脇に椅子を置き、ひとりの女性が座っていた。
エメラルドグリーンの髪。
閉じられた瞳。
美しい顔立ちと気品ある佇まい。
「……イリス?」
「はい。覚えてくださっていて、嬉しいです」
盲目の美女、イリスが微笑む。目を開けることなく、けれど確かにこちらを見ているような笑みだった。
「ローガンさん、ですよね?体の具合はどうですか?」
「え……あ、ああ。まあ……大丈夫、だと思う」
言葉を返しながら、自分の体を見る。
腕も足も包帯で巻かれている。
旅の間につくった傷がすっかり手当されていた。
それどころか、服は清潔なシャツとズボンに取り替えられていて、顔も――触ってみると髭が剃られている。
「ここは……どこかの病院か?」
「ここは近衛師団の庁舎にある医務室です。気を失っていたローガンさんを、ジークさんが運んできたんですよ」
「……あの男が?」
思わず眉が動く。突然双剣で俺に襲いかかってきた男が、俺をここまで運んだ?
イリスは静かに微笑んだままだ。
「そうだったのか。……この手当は、君がしてくれたのか?」
「はい。ローガンさんに、少しでも早く回復してほしくて」
「そ、そうか……ありがとう」
俺の言葉に、イリスは小さく首を振った。
「いえ。……ごめんなさい」
「え?」
「私を助けてくださったばかりに、こんな危ない目に遭わせてしまって……」
「……いや、いいんだ。君のせいじゃないから」
思わず言葉が強く出た。
イリスが謝る筋合いなんてない。
悪いのは、話を聞きもしなかったジークの方だ。
……もっとも、ボロを着た俺がイリスと話していたら、誘拐に見えなくもないが。
思い返すと、腹の奥がじわりと熱くなる。
「近衛師団には、あんな短気な奴がいるのかよ……」
そうつぶやいた瞬間、俺の脳裏に衝撃が走った。
――近衛師団?
「……あー!!」
俺は、大声を上げながらガバッと上体を起こした。
「うわっ!?ど、どうされたんですか!?」
イリスが慌てて身を乗り出す。
「きょ、今日って……“何日”だ!?」
「えっ?えーと……ローガンさんはあれから三日間眠っていたので……今日は二十七日、ですね」
「なっ……!そんな……」
声にならない叫びが喉の奥で詰まる。
二十七日。
近衛師団の入団試験は――二十五日だ。
もう試験はとっくに終わってる。
頭の中が真っ白になった。
グランヒル山脈を越え、命を削ってたどり着いたのに。
せっかくセリオンまでやってきたのに。
全て、無駄だったのか。
「ローガンさん?だ、大丈夫ですか?」
イリスが、不安げに俺の名を呼んだ。
けれど、その声は俺には遠く霞んで聞こえていた。




