第43話 "情"は移さないように
ーーローガンが気を失っていたころ、オルミアは。
■オルミアside■
「……ふぅ」
私は、深呼吸をする。そして、部屋の扉をノックする。
「はーい。どうぞー」
中から聞こえた声は、どこか軽やかで、張り詰めた私の神経を少しだけ緩めた。
「失礼します」
扉を開けて中に入る。古い机が置かれた、無機質な執務室。
そして、部屋のいたる所に書類の山が見える。
部屋の中心で革張りの椅子に座っている、糸目が印象的な女性がひょいと顔を上げた。
「オルミア、待ってたわよ」
エマ・クレスト主任。私の上司だ。
「遅れて申し訳ございません、主任」
「もー、エマでいいったら。肩書きで呼ばれるとくすぐったいのよ」
彼女は笑いながら椅子にもたれかかる。
笑顔の奥に疲労の影を漂わせながらも、相変わらず人を包み込むような優しい声だった。
「どう?仕事の方は」
「今のところ順調です。観測も安定しています。一度“緊急付与”が発生しましたが……それも想定の範囲内です」
私がそう報告すると、エマは小さく頷いた。
「そう。それは良かったわ。でも、あまり気負わないでね」
「ありがとうございます……エマさん。でも、私は一度“ミス”をしている身ですから……」
自然と背筋が伸びていた。過去の失敗が、まだ私の胸の奥で疼いている。
エマは、そんな私の緊張を見透かしたように、ふっと笑った。
「あなたは真面目で優秀だけど、その分心配なのよ。燃え尽きちゃうんじゃないかって」
引き出しから一枚の書類を取り出し、目を通しながら言う。
「えーと……ローガンくん、だったわよね?あなたに似て、真面目で優しそうな子。それに、顔も中々イケてるじゃない」
「はい。ローガンは誠実ですし、信頼できると思います」
私ははっきりと答えた。自分でも、わずかに誇らしげな響きが混じったのがわかった。
エマは書類から目を離さず、唇に笑みを浮かべた。
「ふふ、あなたが言うなら間違いないわ。それに――あなた達の“相性”も、かなり良好みたいね」
「は、はい……」
私は思わず視線を落とした。
頬が熱くなるのが自分でもわかった。
彼との激しい"交尾"を思い出してしまう。
「もー!オルミアは可愛いんだから」
エマはわざとらしく椅子から立ち上がり、両腕を広げる仕草をした。
「抱きしめたくなっちゃう。ね?おいで?」
「エ、エマさん……だ、大丈夫です」
「えー!うう……お姉さん、悲しいわ」
私は慌てて距離を取った。エマは不服そうだった。
だが、次の瞬間、彼女の声が低くなった。
「……でもね、オルミア」
その声色は、さっきまでの軽さを失っていた。
「まあ、あなたのことだから心配はいらないと思うけど――"情"は移さないようにね」
「……」
「あなたとローガンくんの関係、立場。常に忘れちゃダメよ」
私は静かに頷いた。
「……はい」
私は声を絞り出すようにして答えた。
だが、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
エマの言葉が正しいのは、痛いほど分かっている。
けれど、それでも。
ローガンの顔が、目を閉じるたびに浮かんでしまうのだ。
たくさん体を重ねたから、というのもあるかもしれないが。
私の中に、彼のことを守ってあげたい、助けてあげたいという気持ちが渦巻いている。
私は、彼を支えたい。
彼へのサポートは私の"贖罪"でもあるのだ。
私は深く頭を下げて執務室を出た。
扉が閉まる音が背後で響く。
廊下は薄暗く、古い蛍光灯がじりじりと明滅していた。
歩くたびに、私の靴の音が小さく響く。
「ローガン……」
私は、小さく彼の名を呼んだ。




