第37話 死の山脈
■ローガンside
岩肌を掴む指先が、じわりと赤く染まっていた。
乾いた石の感触が、爪の間から皮膚を少しずつ削いでいく。
汗が頬を伝い、首筋を流れ落ち、すでにシャツはびしょ濡れだ。
そのとき、俺の頭上で小さく“カラリ”と音がした。
俺は反射的に顔を上げる。
拳ほどの石がひとつ、ふたつ、そして雪崩のように俺の顔面目掛けて降ってくる。
「っ──!」
咄嗟に体を右へと振る。
岩壁に体を打ちつけながら、落石を避ける。
落ちた石が下の断崖にぶつかり、遠くで乾いた音を立てて砕け散る。
右手で掴んでいた岩がわずかに揺れ、俺の身体が揺れる。
"死"がすぐそこにある。そんな感覚が脳裏をよぎる。
俺は歯を食いしばり、左手で別の岩の裂け目を掴み直した。
指先が切れ、掌に血が滲む。
だが、それでも登るしかない。
俺は、どうしてこんなところにいるんだ?
俺は、本当なら王都へと続く街道を進み、セリオンに行くはずだった。
近衛師団の入団試験を受けるためだ。
だが、今の俺は、テルヴァニア王国で最も過酷で、"死の山脈"と名高い、グランヒル山脈の岩肌をよじ登っている。
理由は、単純だった。
俺が武芸大会の優勝で得た賞金、三十ドレム銀貨。
それは、貧民の出である俺にとっては大金だった。初めて手にした大金。
だが。セリオンまでの旅の支度を整えるには、あまりにも心許ない額だった。
エルドリッジからセリオンまで、街道沿いを馬車で進めば七日ほどで着く。
しかし、その代金だけで賞金のほとんどは消える。
そうなれば、食料や衣服、武器を買えなくなってしまう。
俺は計算した。
馬車は使えない。
もし街道を歩いて王都を目指そうものなら、ざっと"三週間"はかかる。
だが、カレンソの家を引き払い、短剣などの武器、そして食料を買い、出発の支度を終えた時点で、入団試験まで残された日は"二週間"しかなかった。
間に合わない。
だから、俺は賭けに出た。
エルドリッジの北方にそびえるグランヒル山脈を越え、王都セリオンへの近道を進む。
山をうまく抜ければ、おそらく二週間以内にセリオンに着くことができる。
しかし、エルドリッジの人間は口々に言っていた。
“あそこは、人が行く場所じゃないぞ”と。
出発から、まだ二日。
その言葉の意味を、俺は骨身に沁みて理解していた。
そして、自分自身の愚かな選択を心から悔いていた。
岩壁を登るたび、腕は鉛のように重くなる。
風は冷たく、口を開けば大量の砂が入り込む。
背負った荷はすでに半分捨てた。食料も、少ししか残っていない。
(死ぬ……)
最悪の言葉が、頭の中に響き渡る。
崖の中腹。腕一本で体を支えながら、俺は静かに息を吐く。
「……まだ、死なねーよ……」
頭の中の言葉を打ち消すように、自分に言い聞かせる。
なんとしてでも、セリオンに行く。
近衛師団に入りたいかどうかは、正直よく分からない。
でも俺は、セリオンに着くことができれば、自分の何かが変わると信じている。
俺は、指に力を込め、再び岩肌を登り始めた。
【作者からのメッセージ】
みなさま、いつもお読みいただきありがとうございます。
おかげさまで、 第二章を始めることが出来ました。本当にありがとうございます。
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これからもどんどん続けていきますので、今後ともよろしくお願いします。




