第33話 演算の起動
俺は、ゆっくりと目を覚ました。
(……今のは、夢?)
ぼんやりとした意識の中で、俺は自分の呼吸を確かめた。
倉庫の埃っぽい匂い。崩れかけた木箱の影。
……いや、夢じゃない。確かにここは、あの倉庫だ。
ただ。オルミアの姿は、もうどこにもなかった。
俺はゆっくりと身を起こした。
さっきまで、ドレグの手下二人に押さえつけられていたはずなのに、いつの間にか倉庫の端に倒れていた。
距離にして十メートルほどはある。なぜだ?
さらに信じられないことがあった。
折られたはずの足首が、完全に治っている。痛みもない。むしろ、身体が軽い。
「……え?」
思わず声が漏れた。
銃を構えたルシアンが、こちらを見た。
あの冷静沈着な男が、初めて、目を見開いている。
「……なぜ……そこに?」
奴の声が微かに震えていた。
確かにルシアンは俺を撃ったはずだ。確かに引き金を引いた。
だが、俺のいた場所には、俺の代わりにドレグの手下の一人が倒れていた。
額を撃ち抜かれ、血を流し、動いていない。
「ひ、ひいいっ!!」
「な、なんで……!」
俺を押さえていたはずの二人の手下も、怯えたように後退った。
「ロ、ローガン……?お前、いつの間に……?」
フィンが地面に押さえ込まれたまま、信じられないという顔をして俺を見ている。
ルシアンは眉をひそめ、小さく呟いた。
「……奇妙ですね。確かに、殺したと思ったのですが」
その言葉のあと、奴は再び冷静さを取り戻したように銃口を俺に向けた。
だが。なぜか、俺は、動揺しなかった。
それどころか、胸の奥から何かが湧き上がってくる。
鼓動が高鳴る。呼吸が速くなる。
全身が熱を帯びていく。
怖くない。むしろ、愉しい。
口角が、勝手に上がった。
笑っている。俺は今笑っている。
その瞬間、頭の中に声が響いた。
『演算を起動します』
次の瞬間。
視界が、粒子状に分解されていくような気がした。
世界のすべてが"線"と"点"と"数値"で構築されていく。
相手の呼吸、瞳孔の開き、筋肉の緊張、手足の角度。
全てが見える。いや、理解できる。
俺が動くべき最短経路が、脳に直接流し込まれてくる感覚。
ルシアンが咄嗟に叫んだ。
「全員でかかりなさい!殺した者には褒美を出します!」
俺は、既に走り出していた。
一秒。
前方のドレグの手下三人が動く。
スライディングで隙間に入り込み、腰元のナイフを奪って逆手に握る。
一人目の喉を裂き、回転の勢いで二人目の腹を斬る。
三人目の膝を砕き、頸動脈を一閃。血が噴き出す前に、次の敵へ移る。
押さえつけられていたフィンが自由になる。
二秒。
左側の二人。
落ちていた木片を右足で蹴り上げる。凄まじい勢いで放たれた木片が、二人の喉に突き刺さる。
音もなく、血が噴水のように散る。
三秒。
右方向の三人。
身体を回転させながら刃を水平に滑らせる。
肩、首筋、顎下。三人同時に崩れ落ちる。
俺は一歩も無駄にしたくなかった。いや、無駄にできなかった。
世界が計算通りに動いているような、不思議な感覚だった。
四秒。
背後から俺に迫る三人。
呼吸の間隔、踏み込みの音、腕の角度。すべて読める。
一人の肘を逆関節で折り、悲鳴より先にナイフを投げる。
二人目のこめかみを貫通。
ドレグの巨体に踏み込み、ナイフで首元を裂く。
血飛沫を浴びながら、リアナを抱きとめ、そっと床に降ろす。
「ロ、ローガン……!!」
リアナは、血に染まった俺を見たまま固まっていた。
「えっ……あ、ああ……う……」
ドレグは、まるで自分が死んだことにも気づいていないような顔をして、大量の血を喉から吹き出しながら、床に崩れ落ちた。
五秒。
残り二人。
床を蹴り、低姿勢で滑り込む。
太腿を切り裂き、逆方向に旋回して喉元に刃を突き立てる。
血が舞う。
そして、静寂が訪れる。
倒れているのは、ドレグと奴の手下。合計、十五人。
立っているのは、俺、フィン、ルシアン、リアナの四人だけだった。
俺は自分自身の動きが信じられなかった。
しかし。
なぜか、そんなことよりも、今は戦いが楽しくて楽しくて仕方なかった。
俺は、ルシアンの目の前に立っていた。
ナイフの切先を、奴の鼻に突きつけている。
ルシアンは、表情を保とうとしていた。
だが、震えていた。わずかに、だが確かに。
その震えが、俺にははっきり見えた。
「ロ、ローガン……!?なんなんだよ、今のは……!すげぇ……すげぇよ、お前!!」
フィンが叫んだ。まだ床に倒れたまま、呆然と俺を見ている。
五秒。そのたった五秒の間に、俺は十五人を殺した。
人間の動きじゃないことは、俺自身も感じていた。
ルシアンは、ただ俺を見つめていた。
冷静沈着な男の目に、初めて"恐怖"が宿っていた。




