第31話 お疲れ様でした
■ローガンside■
後頭部を殴られた衝撃で、視界がちかちかと光る。そして、激しい痛み。
床の冷たさが頬に伝わり、呼吸が浅くなる。目の焦点が合わない。
ドレグの巨体が俺の胸の上にのしかかる。
肺がぎゅっと押し潰され、上手く息が吸えない。
ドレグの重みで肋骨が軋むのがわかった。
必死にもがこうにも、腕も脚も思うように動かない。
横を見ると、フィンも同様に二人の賊に押さえつけられていた。包帯の隙間から血が滲んでいる。
俺たちの後方からは、十数人のドレグの手下らしき連中がゆっくりと歩み寄ってくるのが見えた。
彼らの影が、俺の視界にゆらゆらと重なる。
(くそ!くそ……油断したっ!)
もしルシアンだけなら、フィンと二人で仕掛けて隙を突けたかもしれない。
闘技場に戻ってきた時、ドレグの手下は二人しか姿が見なかった。
残りの連中は、隠れていたのだ。
ルシアンは、俺たちがここへ来ることを読んでいた。
俺の苦悶と後悔の表情を見て、ルシアンが笑っているのが見える。
「二人で勇ましく乗り込んできたのに、残念でしたねえ」
ルシアンの言葉に、ドレグの手下たちが声を出して笑っている。
縛られたリアナが、俺とフィンの方を見て泣いている。彼女の唇が震えているのが見える。胸の奥が引き裂かれそうになる。
「くそっ!くそ……離せ!……離せって言ってんだろっ!」
声が裏返る。
俺は全力で暴れた。が、ドレグの巨体はびくともせず、手足を押さえつける力は鉄のようだった。
「おい、てめえ!!試合じゃよくもやってくれたなあ、おい!!」
ドレグが、俺の上にのしかかりながら叫ぶ。
「どけ……!どけよっ!!どけええええっ!!」
俺はドレグを必死に睨みつけ、言葉を振り絞る。
だが、その声も奴らの嘲笑にかき消されるだけだった。
その時。ルシアンの声が、冷たく響いた。
「……私はうるさい場所とうるさい人が嫌いなんです。ドレグ、彼に罰を与えなさい」
ドレグが、にやりと笑って俺の足首を掴み上げた。
次の瞬間、足首が信じられない方向に曲がる。折られた。激痛が脳裏を貫く。
「うあああああああああ!!!」
あまりの痛みに意識が飛びそうになる。
涙が溢れ、痛みが全身を支配する。
「おいおい!もっとうるさくなっちまったよ」
ドレグは、俺の上で笑っている。
痛みと苦しみで、嗚咽が止まらなかった。
くそ。俺は何も出来ないのか。
せっかくリアナを見つけることが出来たのに。
精霊の力さえ使えれば……
いや。
五秒だけ時間をゆっくりにできたところで、何になる?
五秒以内に「リアナとオーランドさんを助け出し、フィンとここから脱出する」なんて絶対に不可能だ。
この折られた足で走れるわけがない。
所詮、俺はただの農夫。
畑を耕すことしか脳のない、貧しい農民。
そんなやつが、自分の置かれた状況を変えたいとか、王都に行きたいとか、身の丈に合わない夢を見てしまったばっかりに、こんなことになってしまったんだ。
俺のせいだ。
横で抑えつけられているフィンが、必死に声をかけてくる。
「おい!しっかりしろ、ローガン!」
その時。ドレグが低い声で言った。
「なあ、ルシアン。殺す前によ、その女、俺が犯しちまっていいか?……監獄にいた時は女なんて抱けなかったからなあ。溜まっちまって、苦しいんだよ……いいだろ?」
その言葉に、俺の全身が凍りつく。
リアナの顔も、恐怖に引きつっている。
(こいつ、リアナに、何を……!)
俺は目を見開いて、ドレグを睨みつけた。だが奴は俺の視線を楽しむだけだった。
ドレグの申し出に、ルシアンは冷たく無関心そうに応じた。
「……好きにしなさい。ただし、別の場所で、ですよ。どうせ殺すので、どれだけ傷がついても構わないですが、うるさくしないでください」
「へいへい!わかったよ。要は、"声を出させない"ように気をつければいいんだろ?」
そう言うと、ドレグは俺の身体を手下二人に任せ、リアナの方に向かった。
ドレグの手下たちから、下卑た歓声が上がる。
「おい……!リアナに何をする気だ……!!」
ドレグは俺の声を無視して、リアナの身体を持ち上げ、肩に担いだ。
そして、そのまま彼女をどこかに連れ去ろうと倉庫の奥の方へとに歩き出した。
「い、いやっ!!お願い、やめて……助けて!助けてよ、ローガンっ!!」
リアナが捻じれながら叫ぶ。
俺は彼女の方向に、手を伸ばす。しかし、届かない。
折られた足は激しい痛みを放ち、まるで力が入らない。
二人がかりに抑えられ、俺は何もできなかった。
「ふざけんな!!やめろっ!!殺す……!殺してやる……!!」
声を振り絞る。だが、もがくほどに、俺を押さえつける奴らの手は固くなった。
俺の様子を見て、ルシアンの顔色が変わった。
「あなた……話を聞いていなかったのですか?私は“うるさい人は嫌いだ”と言ったんです」
奴は懐から短銃を取り出し、躊躇なく俺に向けた。
引き金には、指先がしっかりとかかっている。
リアナを連れ去ろうとしていたドレグが足を止め、ルシアンを見る。
「おいおい、ルシアンよ。こいつ、殺しちまうのか?後でややこしくなるぞ」
ルシアンは少し考えるように眉を寄せたが、すぐに決めたように言う。
「……気が変わりました。彼にも死んでもらいましょう。誘拐した二人を殺して、彼も自殺を図った、ということにします。後で憲兵隊には、私から説明しますので」
ドレグは、うれしげに笑いながらそのまま歩き出す。
「くそっ!!」
俺の横で押さえつけられているフィンも、苦悶の声を漏らしている。何もできない歯痒さを全身で味わっている。
リアナが、去っていく。
「リ、リアナ……」
「……これで本当に終わりです。お疲れ様でした」
ルシアンはそう言うと、俺に向けた短銃の引き金を引いた。




