第29話 "持つ者"と"持たざる者"
■リアナside■
石の床から頬に伝ってくる冷たい感触で、私はゆっくりと意識を取り戻した。
暗い。
目を開けても、周囲はぼんやりと霞んでいる。
空気が埃っぽくて、息を吸うたびにむせ返りそうになる。
「……ここは……?」
声を出した瞬間、頭がぐらりと揺れた。
重い。身体が鉛のように重い。ぼんやりと記憶を辿る。
私は、ローガンに会いに行った。決勝前の彼を勇気づけたくて。
そのあとは……観客席に戻った、はず……?
でも、どうして……こんな場所に?
目が慣れてくるにつれて、周囲の輪郭が少しずつ見えてきた。
広い。
まるで倉庫のような場所。壁は粗い石造りで、天井の鉄格子から僅かに光が差し込んでいる。
そして、その光の中に——
「……!!」
人が、静かに横たわっているのが見えた。
「お……お父様……?」
震える声が漏れた。オーランド・ハーヴィン。私の父が、そこにいた。
身体を太い縄で縛られ、口には布のようなものが詰められている。
幸い、かすかに胸が上下している。息はあるようだ。
「ど、どうして……どうしてお父様が……」
気が動転して、息ができなくなりそうだった。
そのとき。
ガチャリ、と重たい鉄の扉が開く音がした。
一筋の光が、地下室に流れ込む。
「うっ……!」
眩しさに目を細める。
光の中に、一人の人間が立っていた。
「お目覚めですか」
静かで、よく知った声がする。
「え……ル、ルシアン……?」
私の声に、ルシアンはゆっくりと歩を進める。
その顔には、見慣れた穏やかな笑みがあった。
しかし、今はなぜかとても恐ろしく見えた。
「ルシアン……これは一体どういうこと……?お父様は……?」
彼は微笑を崩さぬまま、私の前に立つ。
「申し訳ありません。色々と説明が必要ですよね。リアナ様」
冷たい鉄のような声色。
「……私は、以前から考えていたんです。"持つ者"と"持たざる者"の違いは何なのか」
「……え……?」
「リアナ様。それにオーランド会長。あなた方は正真正銘の"持つ者"です。人を使役し、自らは何不自由なく暮らしている」
「な、何を言っているの?ルシアン……」
ルシアンは笑みを浮かべながら続ける。
「でも。私はどうでしょうか。私は、生まれてからずっと"持たざる者"でした。戦争で家族を失い、財産なんて何一つ持たない。子どもの頃の私は、虫や草を食べながら何とか生きながらえていました」
「そんな……」
「ああいうのをずっと食べてると、免疫力が下がるんですよね。傷が中々治らなかったり、何をしてても咳がずっと出るんです」
ルシアンは静かに語り出した。
まるで、誰かに聞かせるための劇の台詞のように。
「オーランド会長には本当に感謝しています。一介の剣士だった私を拾い、職を与えてくださった」
「だ、だったら何で……」
ルシアンは窓から差し込む光を眺める。
「ですが、彼の中にある“持つ者"の驕りが、私にはどうしても我慢できないのです」
「……!」
「私はこれまでずっと見てきました。彼が我々部下を見るあの"目"を。そういう態度って、本人は意識していなくとも、相手には伝わるものです」
ルシアンは、穏やかな微笑みを浮かべたまま言った。
「“持たざる者”が“持つ者”になるには……こうして奪うしかないんです」
「う……奪うって……」
その言葉の意味を理解した瞬間、私の背筋に冷たいものが走った。
「ルシアン……まさか、あなた……!」
「ええ」
ルシアンは私を見下ろしながら言い放った。
「今後は、このハーヴィン商会は私が引き継ぎます。現場は、すでに私の指示なしでは動きませんから」
あまりに淡々とした口調だった。
まるで、当然の報告でもしているかのように。




