第24話 本当の俺ってなんだ?
ルシアンは恐ろしく強かった。
まるで子どもをあしらうように、淡々とフィンを屠っていくのを、俺はただ遠巻きに見ていた。
あいつの剣さばきは無駄がなく、敵の吐く息までも読んでいるように見えた。真正面からぶつかって勝てる相手ではない。その事実が、身体の芯まで冷たく染みてくる。
(お、俺があいつに勝てるのか?本当に、ただの農夫の俺が?)
頭の中で、疑念がぐるぐると回る。フィンのように殴ろ倒され、頭蓋を砕かれるかもしれない。だが、いや、落ち着け。俺には精霊の力がある。“時を遅くする”――いや、正確には「世界で自分だけが違う速さで動くことができる力」がある。あれを使えば、どんな化物だって一太刀で沈められるはずだ。
しかし、もし上手く使えなかったら。
これまで、何度も何度も精霊の力を使った。だが、使うたびに心身が削られる。身体はもう鉛のように重いし、頭は割れるように痛む。右腕はもう木剣を握るだけで精一杯だ。自分の身体だから分かる。今の俺に残されている“使える回数”は、おそらく一回しかない。一回五秒。五秒で決められなければ、俺の勝ちはない。一発で、あのルシアンを失神させなければ、俺に待つ未来は……。
考えはどんどん暗くなる。ネガティブな想像が次々と襲ってくる。こんな調子で臨んだら、試合なんて勝てるわけがない。自分の弱さが、敵の前で浮き彫りになってしまう。
その時、控え室の扉の向こうから、小さな声が聞こえた。
「ロ、ローガン?いるの?」
扉を開けると、そこにはリアナが立っていた。廊下の窓から差し込む夕陽の光に照らされた彼女の顔は、息を飲むほど美しかった。胸が、ふっと和らぐ。
「リアナ!」
彼女は恥ずかしげに笑って、控え室に入ってくる。そして、突然前のめりになって、俺の手をぎゅっと掴んだ。彼女の指の感触は柔らかく、力んだ手の筋肉がときほぐされるようだった。腕の痛みが薄らぐような気がした。
「えへへ……来ちゃった」
「どうしたんだ?」
「どうしたも何も、次は決勝でしょ!応援しに来たのっ!」
リアナの声は弾んでいる。俺を信じてくれている彼女の笑顔は、眩しい。
だが同時に、胸の奥に棘のようなものが刺さる。俺は、リアナに言えないことがある。試合で勝てているのは俺の実力じゃない、精霊の力を借りているだけだと。そんなことを言っても、リアナは信じないだろうが。
「ローガン、すごいじゃん……!いつの間にあんなに強くなってたの?会ってない三年間で、剣の修行をずっと頑張ってたんだね……!」
「ま、まあな」
「このまま本当に優勝できちゃうかも!きゃー!すごいすごいっ!」
彼女は無邪気に喜び、俺のことを称えてくれる。嬉しい。だが、その一方で、俺の心に巣食う後ろめたさが顔を出す。
「でも……」
「?でも、なんだ?」
彼女は目を伏せ、小さく言った。
「なんだか、その……試合中のローガン、私の知ってるいつものローガンじゃない気がして……ちょっと、怖いの」
「えっ?」
「あ、あ!ご、ごめんねっ!変なこと言っちゃったね」
リアナは無意識にそれを言ってしまったようだった。それはつまり、彼女の本音ということだ。
「お、俺は……」
いつもの俺ってなんだ?
本当の俺ってなんだ?
両親が死んでめそめそ泣いている俺?村のみんなから仲間外れにされて、一人で黙々と畑を耕している俺?それとも、真剣勝負の場で精霊の力を借りてズルをしている俺?
金持ちで、何不自由ない暮らしをしてきたリアナが、三日間飲まず食わずで生きる俺の何を知っているんだ?俺がどんな思いで今日まで生きてきたか、知っているのか?
俺の中で鬱屈とした感情が渦巻いているのが分かった。
リアナは、慌てて話題を変えるように言った。
「あ、あのさ!朝渡したお弁当、どうだった?お、美味しかったかなあ」
「……ああ。めちゃくちゃ美味しかったよ。ありがとうな。リアナのサンドイッチのおかげで、朝から元気が出たよ」
俺は精一杯、明るく答える。自分の中のどす黒い感情を必死に覆い隠すように。
「よかった!ローガンが喜んでくれて……本当によかった」
彼女は胸に手を当て、安堵の表情を浮かべる。まるで、俺の言葉で救われたとでも言わんばかりに。
直後、控室の外から、スタッフの声が聞こえた。
「ローガン様、そろそろ決勝の試合が始まりますので、ご準備を」
「……わかりました」
立ち上がると、俺はリアナに小さく告げた。
「頑張ってくるよ。しっかり見ててくれ、リアナ」
「うん!気をつけてね、ローガン。優勝したら、一緒にパーっとお祝いしようねっ!」
彼女はそう言って、笑顔で走り去った。
今、俺は、俺のために頑張っている。それは事実だ。でも、リアナの笑顔を見たい、君を喜ばせたいという気持ちは紛れもなく本物なんだ。子どもの頃から一緒にいた、俺の大切な人であるリアナ。
(なら、勝つしかない。たとえ、あと一回しか力を使えなくても)
俺は木剣を握り直し、闘技場へ向かった。
しかし、俺は気づいていなかった。
自分自身が陰謀に巻き込まれているということに。




