第22話 覚えているか?
ーーその頃、フィンは闘技場の廊下にいた。
■フィンside■
闘技場の廊下にいると、観客席からの歓声が石壁を震わせて低く響いて聞こえてくる。まるで地鳴りのようだ。
俺はその隅で、壁に背を預けながら深呼吸していた。
ここまで来るのに、どれだけの汗を流したか。どれだけの夜を眠れずに過ごしたか。
だがようやく辿り着いた!ヴァルデックとの試合。俺が一年間、待ち続けた瞬間だ。
木剣を軽く握り、感触を確かめる。
掌の皮はもう何度も裂けて固まっている。痛みは感じない。ただ、熱い。
――俺はこの手で、兄貴の無念を晴らす。
できるだけ相手の攻撃を貰わず、外から攻めていく。それが俺のやり方だ。
幸い、大きな怪我はしていない。だが体力は限界に近い。息をするたびに肺が軋む。
それでも、退くわけにはいかない。ここで退いたら、あの夜の兄貴の死が無駄になる。
……俺はふと、ローガン・アースベルトの顔が脳裏をよぎった。
妙な奴だった。寡黙だが、優しい男のようだった。
あのドレグを一撃で沈めるような力を持っているのに、威張ることもなく、むしろどこか戸惑っているように見えた。
なんとなく、あいつとは良い友人になれそうな気がした。俺の勘が言っている。
ただ、おかしな点はいくつもある。
まず、あいつの構えはまるで素人だ。あれじゃ、俺の教え子の方がサマになっているだろう。おそらく、ちゃんと剣術を習ったことがないはずだ。
それに、ローガンはこれまでの試合、全てカウンターで勝っている。相手が自分の間合いに入ってから、必ず攻撃している。驚くべきなのは、そのカウンターが恐ろしく速いということだ。瞬きしている間に、攻撃を先に仕掛けたはずの相手が地面に倒れている。
おかしい。人間業じゃねえ!
よく分からんが、何かタネがあるはずだ。あいつと当たる前に、それを見極める必要がある。
いやいや、今はそれどころじゃない。
目の前の敵は、ルシアン・ヴァルデックだ。
俺の兄、エイデン・マーロウは、ハーヴィン商会の物流部で働く実直で真面目な男だった。
笑うと少し目を細める癖があった。子供の頃から俺の憧れだった。
一年前のあの日――
兄貴は、商会の取引記録の中に、違法薬物の密輸を示す帳簿を見つけた。正義感の強い兄貴は、それをオーランド会長に報告しようとした。
だが、その前にヴァルデックが現れた。
『正式な調査を行う前に会長に話せば混乱を招きます。この件は私の方で処理しますから』
そう言って兄貴を“説得”した。兄貴は一度は引いた。だが、真実を見逃せるような男じゃなかった。そして、兄貴の日記はここで終わっていた。
数日後。兄貴は、商会の倉庫で冷たくなって見つかった。
崩れた木箱の下敷きになっていたが、あれはどう見ても事故じゃない。
首には殴打痕があった。俺も兄貴の遺体を見た時にはっきりと確認した。
それでも、ヴァルデックは調査を一日で打ち切り、憲兵隊にも「倉庫作業中の事故」と報告しやがった。
ふざけんじゃねえ。
俺には全部わかってる。
兄貴が掴んだ密輸ルートの主犯は、ルシアン・ヴァルデック本人だ。
兄貴は真実を知ったから、殺された。兄貴を殺したのは、ヴァルデックだ。
俺は木剣を強く握りしめ、視線を落とした。握力で手の甲の血管が浮き上がる。
呼吸が荒くなっても、抑え込む。怒りを今、爆発させてはいけない。闘技場でぶつけるんだ。
試合が始まったら、真っ先に聞いてやる。
「エイデン・マーロウを覚えているか?」
その言葉を合図に、俺は奴を叩き潰す。
兄貴の無念を、この剣で全て晴らしてやるんだ。




