第21話 もはや畏怖
試合は次々に進行していった。
闘技場の熱気は、まるで溶けた鉄のように重く空気にまとわりついている。
観客の歓声、舞い上がる砂塵、血と汗の混じった匂い。
俺は、なんとか二回戦、三回戦、四回戦と、次々と試合を突破していくことができた。
精霊の力は――今のところ、うまく使えている。
「相手が自分の間合いに入った瞬間、精霊の力で"時を遅く"し、五秒以内に相手を倒す」
オルミアから授かったこの作戦だけが、戦いの素人である俺の全てだった。
単純だが、実践的。しかし、使える時間はわずか五秒。
無駄な動きをすれば、それだけで集中力が途切れ、時間が"元に戻る"だろう。そうなれば俺に勝ち目はない。
(オルミア……なんとかやれてるぞ、俺は。お前との、こ、交尾のおかげ……か?)
俺は、控え室から少し離れた場所で、フィンの試合を観戦した。
砂地の上を軽やかに滑るような足運び。左手の木剣が、風を切るたびに「ヒュン」と唸りを上げる。
相手はフィンよりも頭ひとつ分は大きく、腕も太かった。
が、フィンの鮮やかな剣捌きでその巨躯はまるで木人形のように翻弄され、最後はフィンの脇腹への一閃で倒れた。
観客席から、闘技場全体を揺らすような歓声が上げる。
フィンは片手を挙げて勝ち誇るように笑っていた。
(フィンのやつ、かなり強いんだな……)
次が準決勝。いよいよ終盤だ。
(……剣の素人。ただの農夫の俺が、よくここまで残れたもんだ。本当に)
自嘲とも驚きともつかない思いが胸をかすめた。
何度も相手を殴り倒すうちに、木剣を握る右腕がかなり痛み出していた。相手を殴るときは、精霊の力で腕力を強化しているから、腕にかなりの負荷がかかっている。
もちろん、オルミアの忠告を踏まえて「相手を殺さず、けれど確実に失神させる」ほどの力に留めてはいるが。
それに、そもそも普段剣なんて振らないから、必要以上に力んでしまっているせいもあるだろう。
腕の痛み以上に問題なのは、何度も何度も精霊の力を使って"時を遅くしている"せいで、俺の集中力が限界を迎えつつあることだ。目が霞み、こめかみががぎしぎしと痛む。
(頼む。決勝が終わるまでは耐えてくれ……)
それでも、まだ足は動く。
俺は、勝ちたい。勝って自分を変えたい。ただそれだけなんだ。
鐘が鳴り、俺の試合の開始が告げられる。
準決勝の相手は肩に包帯を巻いた大男だった。よく見ると、これまでの試合でついたと思われる、擦り傷やあざの跡が身体のあちこちにある。
それでも剣を構え、俺をキッと睨みつける。
「お、おいっ!お前っ!!」
「?……な、なんだ?」
「ここまで全くの無傷って……お、おかしいだろう!なんなんだよ、お前はっ!薄気味悪いんだよ!」
怒鳴り声は次第に涙声に変わり、やがて半狂乱のように叫びながら突進してきた。
砂が舞い、木剣の先がまっすぐ俺の胸を狙う。
その瞬間。俺は精霊の力を使う。
――世界に静寂が訪れる。
空気がまるで粘つくように遅くなり、観客の声が遠くなる。
砂の粒が宙に浮かんで見える。
俺の心拍の音だけが、やけに大きく響いた。
(よし。ここだ)
俺だけが素早く動ける、五秒だけの世界。
俺は足を一歩踏み込み、木剣で相手の首を思いっきり殴る。
止まっていた時間が流れ出すと同時に、大男の体が鈍い音を立てて地面に崩れ落ちた。
「しょ、勝者!ローガン・アースベルト……!」
審判の声が響くが、歓声は一瞬だけだった。
次の瞬間、ざわめきが広がる。
観客たちは俺を称えながらも――恐れていた。
どんな相手にも"一撃"。
自分は一度も攻撃を受けず、傷ひとつ負わず、一撃で相手を屠る謎の男。
その異様さを、誰もが感じ取っていた。
が、今の俺にはそんなことはどうだってよかった。
(よしよしよし!あと少しだ……!あと一試合で、優勝だ……!)
だが、胸の奥にざらつくような違和感が残っていることに俺は気づいていた。
精霊の力を使うたび、何かを削り取られているような感覚。
オルミアとの交尾で高めた"精"がどんどんすり減っている……気がする。
(頼む!まだ耐えてくれよ……!)
試合を終えた俺が控え室に戻ると、ちょうど闘技場ではもう一つの準決勝、フィンとルシアンの試合が始まろうとしていた。




