第20話 優勝候補
「……なんだ?」
控え室の前方がざわついた。俺は立ち上がって闘技場の方を見たが、入口近くの人だかりが邪魔で、何も見えない。
「多分、ルシアン・ヴァルデックの試合だろう。この大会の優勝候補だ」
フィンはそう言ったが、彼自身は見に行こうともしない。腕を組んだまま、不機嫌そうに顔をしかめていた。
「けっ!むかつくぜ。ちょっと顔がいいからってよ、あの黄色い声援の嵐だ。対戦相手が気の毒だろうが。なあ、そう思わんか?ローガン」
「あ、ああ……」
確かに、歓声の中にはやたら甲高い女の声が混じっていた。まるで英雄の凱旋でも見ているようだった。
「なあ、ルシアンってやつはそんなに強いのか?」
「は、はあ?お前、エルドリッジに住んでてヴァルデックを知らねーのか!?」
「あ、ああ……ちょっと長い間、家を留守にしててな」
本当のこと――"カレンソに住んでいる"とは言わなかった。
エルドリッジの人間にとって、カレンソはただの貧しい辺境の村。そこの出だとは思われたくなかった。
「ルシアン・ヴァルデック。言いたくはねえが、エルドリッジ最強の剣士だ」
「エルドリッジ最強……?」
「ああ。あの“屠殺のドレグ”を捕まえたのも、ヴァルデックだよ。まだ十五のガキの頃だったがな。奴とその手下どもを、ほとんど一人で生け捕りにしたって話だ」
朝、ルシアンと会った時に感じた異様な緊張感。
あれは気のせいじゃなかった。あいつの中には、常人とは違う何かが潜んでいる。
「奴は剣だけじゃねえぞ。ハーヴィン商会のオーランド会長の護衛兼秘書もやってる。商会で雑務から何まで全体の仕事を取り仕切ってるって噂だ。つまり、腕も頭もキレるってわけだ」
ハーヴィン商会。リアナの父、オーランド・ハーヴィンがエルドリッジで興した、この街最大の貿易会社。
リアナが以前「ルシアンは、普段お父様の手伝いをしている」と言っていたのは、そういうことだったのか。
フィンは苛立ったように舌打ちした。
「あんたはあいつのことが嫌いなのか?」
「あ?当たりめーだろっ!」
そう言うと、フィンは少し神妙な顔をした。
が、すぐにふざけたような声を出しながら言った。
「俺はな、リアナ嬢のファンなんだよ……会長の娘で、このエルドリッジで一番美しい女性――リアナ・ハーヴィンちゃんさ。エルドリッジの男で彼女を嫌いな奴なんていねえ!この街の太陽だ」
(……リアナは、この街でそんなに人気なのか)
驚きと同時に、どこか誇らしい気持ちだった。俺の知っているリアナを、他の人間もちゃんと見ている。それが、嬉しかった。
「……でもよ、いつもリアナ嬢のそばにはヴァルデックの野郎がいる。護衛だかなんだか知らねえが、あいつがいるせいで話しかけることすらできねーんだ!」
「なるほど、そういうことか」
俺は小さく笑った。どうやらこの男のルシアンに対する“敵意”は、嫉妬混じりのようだ。
けれど、俺も心のどこかでルシアンとリアナの距離が気になっていた。
あの銀髪の男がリアナの隣に立つ姿を思い出すと、胸の奥がざわついた。
「でも、ただの護衛なんだろ? そんなに目の敵にしなくてもいいじゃないか」
俺が言うと、フィンはわずかに顔をしかめた。
「……ここだけの話だがな。オーランド会長は、ゆくゆくはヴァルデックをリアナ嬢の婿に迎えようとしてるらしい」
「は、はあ!?婿!?」
思わず大声を上げてしまった。控え室にいた何人かがこちらを振り向く。俺は慌てて咳払いした。
「やけに驚くじゃねえか。なんだ、お前もリアナ嬢のファンか? 真面目そうなツラして案外ミーハーじゃねえか。はっはっは!」
「ち、違う!俺は別に……そういうんじゃない!」
「照れるな照れるな、仲間だろ?」
フィンは笑いながら俺の肩に腕を回した。
「俺がこの大会に出たのはな、ヴァルデックの野郎に勝つためだ。セリオン行きとか、近衛師団とか、そんなもんはどうでもいい。俺はあいつより強いってことを証明したい。それだけだ。それに俺は……」
「……なんだ?」
そう言った時のフィンの瞳は、真っ直ぐだった。軽口ばかり叩く男だと思ったが、何か熱いものを秘めた芯の通った戦士の顔をしていた。
(……案外、真剣な奴なのかもしれないな)
そう思った矢先、フィンは胸を張って叫んだ。
「そうすれば、オーランド会長もリアナ嬢の護衛を俺に代えてくれるかもしれねーだろ!」
「なんだそりゃ……」
(……やっぱり違ったな)
俺は小さくため息をついた。




