第13話 瞬殺
ーーその頃、リアナは観客席に到着していた。
■リアナside■
闘技場の観客席に辿り着いたとき、私は思わず息を呑んだ。
そこには、信じられないほどの人の波が広がっていた。立ち見の客まで溢れ、熱気が空気を震わせている。
おそらく、エルドリッジ中の人々がここに集まっているのだろう。
私は父の姿を探し、最前列近くの特別席に腰掛けているのを見つけた。その隣にそっと座る。
「やっと来たか、リアナ」
低く、重たい声だった。
「お父様、遅れて申し訳ございません……」
父は眉間に皺を寄せ、不機嫌そうに私を見た。だが、その表情は“遅れた”ことに対する怒りではなかった。もっと別の、明確な嫌悪の色を帯びていた。
「……また、ローガンに会ったのだな?」
「えっ……!は、はい……」
やはり知られていた。以前、ハロルド商店で再会した時のことが、父の耳にも届いていたのだ。
「前にも言ったはずだ。あの村の人間とは関わるな。ましてや、アースベルト家の者と話すなど――」
父の声は冷たく、拒絶に満ちていた。まるでローガンという存在そのものが、穢れのように聞こえる。
「そんな……お父様!」
私は思わず声を荒げていた。
「ローガンは私の大切な友人です!私が友人と話して、何がいけないのですか!?」
父は、わずかに眉を動かした。だが、表情は変わらない。
「頼むから、父の言うことを聞いてくれ、リアナ。私はお前のためを思って言っているんだぞ」
(嘘……!)
私は心の中でつぶやいた。父は、私のことなど考えていない。考えているのは、いつも“会社”のこと、自分の立場と体裁のことだけ。
幼い頃に母が亡くなったときも、父は仕事で家にいなかった。悲しみに沈む私の傍にいて優しく慰めてくれたのは、ローガンだけだった。
「聞けば、ローガンもこの大会に出るそうだが……」
父の声が再び響く。
「彼はただの農夫だろう?剣術の心得もない者が武芸大会に出るなど、自殺行為だ。応援するだけ無駄だろう」
「そ、それは……」
確かに、父の言うことは理屈としては正しい。
だが、私は信じていた。ローガンは何の策も持たずに挑むような人ではない。
あの真っ直ぐな目。あれは、彼が決意を固めた目だった。この二週間、彼はきっと、人の何倍も努力をしてきたはずだ。
「なあ、リアナ……代わりに、ルシアンを応援してあげたらどうだ?」
父が口角を上げた。
「ルシアンは我が社を代表して出場している。優秀な青年だぞ」
「ルシアンを……応援、ですか?」
「ああ。彼の剣の腕はエルドリッジ随一だ。きっと、この大会を制するだろう。優勝して近衛師団に入ってくれれば、王都との繋がりができる。そうなれば我々ハーヴィン商会もセリオンへ進出できる。つまり、事業拡大の好機だ!」
父の目は、夢を語る商人のそれだった。けれど、その夢のどこにも“家族”の姿はなかった。私は、胸の奥に黒い影が差すのを感じた。
(お父様は……いつだって家族より仕事の方が大切なのですね……)
「あとな、リアナ。これはまだ随分先の話になるだろうが、私はルシアンを……」
その時、闘技場に大きな歓声が湧き上がった。第一試合が始まるらしい。
私は視線を下に向けた。円形の闘技場の砂地の上。そこには、木剣を手にしたローガンの姿があった。
「あっ!!ローガンだわっ!ローガーン!頑張ってー!」
思わず立ち上がって声を張り上げた。距離があるせいか、私の声はローガンには届いていないようだったが、彼の姿を見て私は胸が躍った。
「ふん……アースベルトの小僧に何が出来るというのだ」
反対側の扉から、もう一人の出場者が現れる。その男を見た瞬間、私は息を呑んでしまった。
――巨人。
二メートルはあろうかという巨躯。腕には鎖のような筋が浮かび、顔には稲妻の刺青が走っている。眼光は獣そのもの。まるで闘技場そのものが、彼を恐れているかのようだった。
「う、うそ……」
私の唇から自然と声が漏れた。
(あれが、ローガンの対戦相手……?嘘、あんなの絶対無理よ……!ローガンが殺されちゃう!)
背後で観客たちがざわめく。
「うわっ!お、おい、あれ"屠殺のドレグ"じゃないか!?」
「まさか……あいつ、牢に入ってたんじゃなかったのか?盗賊仲間を八人、素手で殺したって噂だぞ……」
「どうして奴が出場してるんだ?」
「わからんが、相手の男は可哀想にな……あれじゃ大人と赤子だ」
私は手を握りしめた。心臓が痛いほどに高鳴る。
試合開始の鐘が鳴った。
ドレグが、咆哮のような叫びを上げ、木剣を振りかざして突進する。
ローガンは――構えもしない。ただ、静かに立っていた。
「い、いやっ……!お願い、やめてっ!!」
私は思わず目を閉じる。
次の瞬間、鈍い衝撃音が闘技場に響いた。どよめきが上がり、続いて歓声が爆発する。
恐る恐る、私は目を開けた。
――そこには、信じられない光景があった。
まるで巨大な木が根こそぎ倒れたように、ドレグの巨体が砂塵の中に横たわっている。
ドレグの目は見開いたまま。口からはぶくぶくと泡を出している。
「え……?」
そして、その側には――
静かに、ドレグを見下ろすローガンの姿があった。




