第18話 焦らし戦法
夕食を終え、主だった会議も片付き、あとは寝るだけ。 本来なら、ヤミナルの部屋に行って朝までイチャイチャするところだった。
だが、廊下の角を曲がった瞬間――
「……っ!」
マキが立っていた。 顔を真っ赤にして、モジモジと足を動かしながら、俺の前に立ちはだかる。
「あら、奇遇ね」
どう見ても待ち伏せされてたけど、まあいいや。とりあえず頭下げて……
「お、美味しい果物が手に入って……い、一緒に……私の部屋で……私の部屋……私の部屋で、二人で食べない?」
とても大事なことなのか、三回言ったな。
「果物?」
「そ、そう! 珍しい魔界果実よ! とても甘くて、栄養価も高くて……その……一緒に食べたら、きっと……その……」
マキは視線を泳がせながら、言葉を探していた。
その姿は、いつもの高飛車な姫ではなく、ただの照れ屋な女の子だった。
「……姫様からのお誘いですので、ありがたく」
俺がそう言うと、マキは一瞬だけ目を見開き、すぐに俯いた。
「……うん」
マキの部屋は、城の東翼にある。
国王の部屋は俺が利用していたが、こちらも負けず劣らず豪勢で広々とした空間。
重厚な扉と、豪華な調度品。
まさに最上級の客をもてなすために用意された部屋だ。
「今、果物を持ってくるわ。待ってて」
マキはそう言って、部屋を出て行った。
俺はソファに腰を下ろし、天井を見上げる。
果物か。 まあ、マキのことだ。何かしらの口実だろう。 でも、ここまでして俺を誘うってことは……どうしても昼間の会話を意識させられる。
――襲ってきてもいいように、下着を選んでるの
マキの言葉。 顔を真っ赤にして、震えながら、それでも俺に向かって言った。
そして、相棒に言われた。
――マキは襲っていいし、どんどんエッチしまくっていい相手です。
しっかも、ただやるだけじゃない。オラオラで、調教やら焦らしやらそういうことをやってもいい。なぜならマキはそういう変態趣向があるとのこと。
自然と唇が歪む。
「……ふっ」
悪魔の笑みが、自然と浮かんだ。 昼間のマキの羞恥。 相棒の攻略指南。 そして、今この状況。
マキが自ら俺を部屋に誘い、果物を口実に、何かを仕掛けようとしている。
その意図は、明白だった。
「襲っていい、か……」
そのとき、マキが戻ってきた。
手には銀の皿。その上には、色とりどりの果実が盛られていた。
だが……。
「待たせたわね……」
俺は言葉を失った。
マキは、透けるようなシースルーの衣装を身にまとっていた。
淡い紫の布地が、光を受けて揺れる。
その下にある肌の輪郭が、ぼんやりと浮かび上がっていた。
「……な、なによ、その顔」
マキは皿をテーブルに置きながら、俺を睨んだ。
でも、その頬は真っ赤で、視線は定まらない。
「いや……その、綺麗だなって」
「ば、ばか! ばかレイヴァ!」
マキは顔を覆った。でも、指の隙間から、俺を見ていた。
「……その、今日は……特別だから」
「特別?」
「だって……あなた、最近ずっとヤミナルとばかり……だから、私だって……その……」
ああ、そういうことか。
マキは、俺との距離を縮めたくて、果物を口実に、衣装まで用意して、その勇気と羞恥が、今ここに詰まっている。
「果物を口移しで食べさせてあげるわ」
マキはそう言って、艶やかな果実を唇に挟み、俺に顔を近づけてきた。 その距離は、息が触れるほど。 そして……
――焦らしに焦らしまくる
と、そこで相棒の言葉が不意に過った。
あぶねえ。
けっこう可愛かったから、このまま濃厚なキスしてベッドに押し倒すところだった。
だけど、俺がハーレムになるにはここでマキをソッコーで抱いたらダメなんだった。
あぶねえあぶねえ……
「……? れいふぁ?」
小さな果実を口に咥えた、キス待ちのような顔だったマキは、一向に俺が食べにこないことにモジモジして不安そうな様子で上目遣い。
この状態のマキを拒否しなきゃいけないわけか……なかなかの生殺しだな……エロい体じゃないから抱けるか心配してたけど、十分抱ける。
ただ、やるしかねえ。
「……でき……ないっす……姫様」
「っ!?」
一瞬、俺の言葉が分からなかったのか数秒固まるマキ。だが、すぐに理解し、顔を真っ赤に憤怒に変えて口に咥えていた果実を床に捨てて怒鳴り声をあげた。
「あなた……私とキス……したくないの?」
「…………」
「どういうつもり、答えなさい! レイヴァ!」
マキの声は怒りに満ちていた。 その怒りの奥には、期待が裏切られた焦りと羞恥が混ざっていた。
俺は、ゆっくりと目を逸らした。
そして、わざとらしく、殊勝な顔を作る。
「……すみません」
その一言に、マキの怒気が一瞬だけ揺らいだ。
「わ、私とキスが……いやなの?」
声が、弱々しくなった。
さっきまで怒鳴っていた姫が、今は不安そうに俺を見上げている。
よし、効いてる。内心でほくそ笑みながら、俺はゆっくりと息を吐いた。そして、静かに言葉を紡ぐ。
「身に余る光栄……ですが、まさか我が女神さまからこのようなことをしていただけるとは、恐悦至極」
「……っ」
マキの瞳が、わずかに潤んだ。
「しかし……もう今の俺には、それを受け取る資格はないんです」
「……な、なにそれ……」
マキは、皿の果物を見つめながら、震える声で言った。
「自分はもう、穢れ切ってます。報われない思いを抱いていたからこそ、慰めるために人間の女たちを抱きまくって、自分を慰めてきた。そんな俺が、姫様の穢れなき体に触れるなんて……」
「……っ」
マキは、言葉を失っていた。
その顔は、怒りでも羞恥でもなく、困惑と、切なさだった。
「だから、今は……ただ、姫様のご厚意に感謝するだけです」
俺がそう言って立ち上がると、マキは慌てて声を上げた。
「別にあなたがそういうことをしてたってのは知ってるし、今更よ!」
その声は、怒りに似ていた。
でも、どこか焦りが混ざっていた。
「大体あなたは魔界でも有名なスケベ男なのに、何をいまさら取り繕うとするのよ!」
「……」
「私はキスして、た、大功を掴んで魔王軍に多大な貢献をしたあなたに、ほ、褒美で、し、仕方なく、だ、抱かせてあげるって言ってるのよ!」
マキの顔は真っ赤だった。
拳を握りしめて、俺の背中に向かって叫んでいた。
ここまで来たか。
でも、まだ足りない。俺の目的はマキに「お願いします、抱いてください」と言わせること。
だから、俺は振り返らずに言った。
「姫様、俺はただのスケベ野郎じゃないですよ」
「……っ?」
「白状しますと、俺は歪んでる。数多くの女を抱いてきた。慰めるために、ただの欲望で、何度も何度も」
「……」
「ちょっとやそっとじゃ興奮しなくなりました。女を屈服させ、這いつくばらせ、四六時中暴力的に野生の動物や性欲持て余したオークやゴブリンのように女の尊厳をぶっ潰して抱き続けて興奮するようなクズです」
「……っ」
マキは言葉を失っていた。 でも、目は逸らさず、俺を見ていた。
「吐き気がするでしょ? でも、さすがに俺も姫様相手にそんなことするわけにはいかないんです」
俺は、静かに言った。 でも、頭の中では――相棒の言葉が響いていた。
――実はマキは高慢なサドキャラ……と思わせといて、実は内心ではあんたに乱暴に徹底的に犯されたいという変態マゾな側面があり、それを満たすようなエッチをすると、マキはあんたに身も心も依存するペットみたいになるんす!
そういうことだ。
案の定、マキは顔を真っ赤にして、俯いたまま、ブツブツと呟いていた。
「そ、それを……さ、されたいっていうのに……」
声は虫が鳴くような小ささだった。
でも、確かに聞こえた。
よし、効いてる。
でも、まだ「お願いします」とは言っていない。 だから、俺は――
「では、失礼します」
そう言って、部屋の扉に向かう。
「ま、待って!」
マキの声が、震えていた。
でも、俺は振り返らない。
「おやすみなさい。姫様の『嫌々ながら身を穢そうとしてまで俺に褒美を与えて下さろう』という気持ちだけで十分です」
「ま、待ちなさいよ! あなたみたいなスケベ男が、こ、こんな、こんな状況で生殺しなんかで耐えられるのかしら? も、もう一度頭を下げるなら、そ、それこそ、あ、あなたの望む抱かれ方を、し、してあげても……」
「はい、この悶々とした汚らわしい性欲は、人間の奴隷女にでも吐き出して、また明日からはいつもの俺に戻りますよ」
「っ!?」
そう言って俺は静かに扉を閉める。
そして、このまま少し移動する。
曲がり角から覗き込むようにマキの部屋を見ると、モジモジしながらマキが部屋から出てきた。
そして辺りをキョロキョロしながら駆け出してくる。
どうやら俺を追いかけてくれるようだ。
ぐわはははは、かわいいもんだぜ。
ならば、もう少し揺さぶってやる。
俺はマキに気づかないふりをしながら、このままイロカの部屋に向かう。




