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藤に隠すは蜜の刃 『下』

*** 六 ***


夜になり、瀬織はさっさとベッドに入って寝ようとする。私はぎこちなさに耐えられず、部屋を出てバルコニーで月を眺めていた。

(いつまでもウジウジしていられないよね。結局行きつく結論は同じだもの)

瀬織を守る。強いお姉ちゃんになる。

それだけは絶対に変わらない目標だ。そこに行きつくまでの過程はどうだっていい。欲しいものは瀬織を守れるだけの力だ。

今は瀬織が受け入れてはくれない。頑固者同士、譲らないから拗れていた。瀬織はそれっぽさで嫌悪を前面に出しており、どこまでが本音なのかわからない。少なくとも嫌われているのは事実だろうが……。

今まではただただ無力だったが、今は”能無し巫女”ではない。あやかしと戦えるだけの強さを得た。先へ進めないのは、私が勝手に被害妄想をして、逃げているだけ……。

 手のひらを器にすれば、ポタ、ポタと水滴が落ちていく。

一度擦り傷が出来てしまえば、治るまでに時間がかかる。絆創膏を何枚も重ねていたのに、どんどんめくれて傷がむき出しになっていた。声を押し殺してしゃがむしかない。大きく輝く月が私を隠してくれないから、憎たらしいと喉をしめる。もうすぐ満たされる月に対し、私の心は欠けたまま。

「どうすれば瀬織は笑ってくれたのかな?」

 強さを得ても心を許してくれない。私が瀬織のお姉ちゃんになれていないから。何よりも歯がゆくて、自分が疎ましい。吐き気がすると濡れた手で喉をしめてみる。

(おねーちゃんになれない私が大嫌い)

瀬織のためなら、正義の味方にも悪役にもなる。

破門なんて怖くない。父に何を思われようとも平気だ。

巫女たちに後ろ指をさされても私がめげる理由にはならない。

私の心を傷つけることが出来るのも、甘い蜜で癒してくれるのも”瀬織”なだけ。

苦しさが限界にきて、喉から手をほどいた。

「菊里」

「静芽さん?」

頬を擦り、重たい顔をあげると紅玉の瞳と視線が交わる。バルコニーに風が吹き、光の粒をまとう静芽に胸が締めつけられた。鼻をすすって、口角をひきあげる。

「妹とすれ違った」

「?」

静芽が”妹”と呼ぶのは瀬織のことだ。

「食事の前に。髪が濡れていた。……食事中もずっと気を張っていた」

「そう……ですか。ははっ……さっき思いきりケンカしちゃったんです」

ケンカとは言っても、仲直りという概念はない。常にケンカしているようなものだ。静芽がわざわざ言うということは、見ていられないくらいに悲惨なのだろう。笑って誤魔化すしか、今の私に出来る瀬織の守り方が思いつかなかった。

「妹が気づいているかはわからないが、帝都に来てからずっと変だ」

それは先ほど口にした”妙な気配”のことだろうか。

「菊里はあやかしの感知が苦手か?」

「苦手というか……気を張らないとわからなくて」

瀬織のことで頭がいっぱいだった、とは巫女として意識が欠けている。だから瀬織は怒るのだと皮肉に笑った。もしあやかしが人々を襲い、同じタイミングで瀬織に危険がおそえば、私は瀬織を選ぶ。その考え方がそもそも巫女失格と呼ばれる理由でもあった。

「能無し巫女って、中身もダメな巫女ってことなんです。……せっかくあやかし退治が出来るようになったのに」

 強さを得たのは錯覚だった?

いつまで経っても無力から脱却できない。

瀬織のとなりに立てるのはいつになる?

危険が迫れば守れるの?

ずっと拒絶されてきたが、今日ほど明確に切り離されたことはない。ゆっくりと線を引き、チリッとした痛みが長引く拒絶だった。

瀬織の描く未来に、白峰家の当主を支える私はいない。

ただ私を切り捨てる。私の心は荒れ模様、さめざめと涙が溢れて視界がにじんだ。

「私、弱いですね。強くなりたいくせに泣いてばかり。こうして静芽さんの前で泣くなんてすごく恥ずかしいんです」

月が揺れ、白銀の粒をまとう静芽がまぶしい。

「き……」

「嫌なんです。私、弱くなった。静芽さんがいないと立てないんです。瀬織との距離がどんどん変わって……」

長年、変わることのなかった距離感。それに慣れて、変化しないことに安堵していたのかもしれない。静芽と出会って新しい道が開き、急速に物事が進んだ。

瀬織が見せる厳しさも変わり、拒絶の中に悲哀を感じるようになった。受け止め方に迷いがある私は、こうして静芽に八つ当たりをするしかない。女の匂いを漂わせて、心底胸くそ悪い自分に吐き気がした。

(静芽さんへの気持ち、口にしたくない。戻れなくなる)

瀬織への愛以外、知らない私には戻れない。


「――――」


爽やかなやさしい香りが私を包み込む。白銀の髪が頬をくすぐって、少し早くなった心臓の音が聞こえる距離になった。

「動くというときは案外一瞬なんだ」

「静芽さん?」

表情が見えなくても、声が震えているので緊張が伝わってくる。きっとこのタイミングで顔をあげ、外の空気に冷えた静芽の頬を包むのが正解だろう。その勇気が今の私にはなく、少し早い鼓動に耳をあてて目を閉じる。

「俺の父は亡くなっている。海で亡くなったと話しただろう?」

「はい……」

珊瑚の指輪に飾られた小指が跳ねる。あやかしながらに山の神とも呼ばれる特異な存在、それが天狗だ。そう簡単に死ぬような存在でもなく、ましてや海で死ぬのは違和感しかない。天狗は海と相性が悪いので、よっぽどの理由がない限り行こうとはしないはず。

「なぜ、妹が菊里をそこまで毛嫌いするかわからなかった」

「それは能無し巫女だったからで……」

「違う。あれは遠ざける行為だ。ただ距離をとるためだけの最善だ」

それは今までの認識を覆す。――瀬織に嫌われている。

何においても前提であり、そこからどう這いあがるかという視点しかなかった。思わぬ方向からの衝撃に受け身がとれずにいる。

「菊里に何も知らないまま、平穏に生きてほしかった。それが妹の本音だ」

「えっと……ごめんなさい。頭が……追いつかない」

そんなのはただの都合のいい解釈だ。

瀬織に嫌われてないと、自分を甘やかせるための理由づけにしかならない。

むき出しの嫌悪が、侮蔑する言葉が、過剰なまでの嫌がらせは……。

(私に何も気づかせないまま追い出すための全力……?)

もしそうだとしたら私はどれだけ罪深いのだろう。

それこそ瀬織にすべてを背負わせた愚か者だ。

“瀬織を愛している自分”を愛していただけの、悲しみの美酒に酔った”下劣な姉”。

「どうしてそう思ったんですか?」

背中を伝う汗がキモチワルイ。

静芽の顔を見られないまま、欠けたピースを埋めようと声が焦るばかり。

「妹は当主になって弓巫女を立て直すと言った」

「それは……ずっと昔から言っていることです。今の弓巫女はずさんな状況で……」

「ただずさんなだけか。それとも”弓巫女が衰退している”と考えるか」

「衰退って……」

 たしかに口伝は途切れ、弓巫女の数も減っている。衰退といえば衰退だが、そもそも父が真っ当な当主として動けていないから。口伝が途切れるような事態になっているから。

(まさかそのことを言いたいの?)

「簡単に衰退するものじゃない。それこそ大罪でも犯さない限り。巫女は龍神によって采配された役割。衰退しないようはじめから決まっているんだ」

「大、罪……?」

静芽の言葉をなんとか理解しようとかみ砕いていく。

筆頭家門の巫女は武器を継承し、ともに口伝を受け継ぎ未来に伝えていく役割をもつ。口伝の内容が適切に継承されなかった今、瀬織は必要以上に弓巫女の立て直しに固執している。だがよく考えれば、とんでもない矛盾を抱えた状態だ。

巫女の適性者は急激な増加も減少もしない。そのはずなのに、どうして私たちは弓巫女の数が減っているように感じているのだろう?

あやかしが増えていると感じるのは、巫女が足りていないから一人当たりの負担が増えているだけ……。あくまで感じるだけのことであり、誰も根本的な原因は追究しなかった。適性者がいなくなると、誰も考えていなかったから――。

外様巫女たちのぼやきを思い出す。”最近は巫女が少ない”や”手が回らない”と不満を口々にしていた。それでも弓巫女の崩壊までは想像しない。

ハッキリと”衰退している”と言えるのは、瀬織が弓巫女の衰退の本質を理解しているから。当主になるときっぱり言いきるのは、弓巫女の枷をすべて持つ気でいるからだ。

「弓巫女が大罪を犯した……?」

「巫女は、地上にはびこるあやかしを退治する役割を持つ者。その力の源は龍神なんだ。龍神が巫女を減らさない。それが龍と巫女の約束だから」

「だとしたらどうして弓巫女が減るの? 大罪ってなに⁉ 私たちがいったい何をしたって――‼」

 脳裏をよぎったのはダイキライな父の顔だった。途切れた口伝。それは父の代から。先代巫女が突如亡くなり、父が当主の座についた。巫女の能力を有していない父は、長き伝統のある巫女家系のトップに執着している。もし弓巫女の不安定さが、ずさんなものとは別に原因があるとすれば……。

(父上のせいってこと……?)

 先代当主が亡くなり、口伝が途切れたことを龍神が怒った?

 それが大罪となるの? 龍神に見限られるだけのこととは思えないが……。

「口伝は……意図して途切れた?」

 考えたくもない疑念。口にするのもおそろしい。だが心に反して、静芽はうなずいた。

 今までにない自己嫌悪が襲いかかってくる。どうして私は知ろうとしなかったのかと、胸が重苦しくなって胃液が口の中に充満した。弓巫女がどうだとか、何が起きているとか、大して気にしていなかった。私が強くなれば、瀬織の負担が減るとだけ信じて、本質を見ようとしなかった。

”私、瀬織を守るよ!”

瀬織を守ると母に約束した。あいまいな目標のまま突っ走って、当主になる瀬織を支えることが役割だと思っていた。どんな風に瀬織を支えるか、まったく想像できていなかった。無謀で愚かな、生き恥だ。

(ああ、いやだ。なんて最低なの。瀬織にばかり苦しい思いをさせた)

私の愚かさが瀬織をがんじがらめにした。そんなことは望んでいなかった、と今さら言い訳しても許されない。――同時に、そうして落ちこんでいれば楽だ。気づかないふりをしていれば、これ以上傷つかない――が、そんなお姉ちゃんはお断りだ‼

両頬を叩いて、私はふんぞり返って静芽に虚勢の笑いを向けた。

(だったら私がやることは行動を変えること!)

目標は変わらない。そこに至るまでの行動を変え、瀬織を支えるお姉ちゃんになる。

もっと具体的に。もっと深いところまで。瀬織だけに背負わせない。

私は白峰家の巫女だから‼

「教えてください。私たちが……弓巫女が何を犯したのか」

 この覚悟は瀬織が知る必要はない。月の下で、私が静芽に宣言するためのもの。

 静芽は私の腫れぼったくなった目元を擦り、静かな声で覚悟に応えてくれた。

「父は殺されたんだ。……白峰家の当主に殺された」

頬に触れたままの指先が跳ねる。月を見上げ、青白い顔をしてうすらと笑っていた。

(そっか。……そうだったんだ)

 静芽が瀬織のことを口にする時点で、何かしら弓巫女と因縁があるのは想像できた。

意外とショックを受けることなく、静芽の襟元を握りしめる。

「父は天狗。俺は刀巫女の天野 鈴里に育てられた。以前の天野家当主だ」

名前は聞いたことがある、と顔を知らない刀巫女を想像する。当時活躍した巫女のなかで、弓巫女の母・亜矢子と並ぶ強い巫女だったらしい。

(子どものとき、ちゃんと聞いてなかったな。お母さまの友だちだって、言ってたなぁ)

 二人はとても仲が良かったらしく、いつか私に紹介したいと母が笑って語っていたのを思い出す。とてもやさしい目をしていた。

「今までずっと、俺の母は天野 鈴里だと思ってた。……だが違ったようだ」

 静芽の息を呑む発言に身が強張る。違う、と言う流れがわからずに首を傾げてみれば、静芽はさみしげな子どもの顔をしてささやいた。

「俺の本当の母親は白峰 亜矢子。菊里たちの母親だ」

「……えっ?」

 言葉が耳から流れ出ていく。頭の中に残らず、背伸びをしてまばたきを繰り返していると、静芽が感傷的に微笑んだ。それを見て、言葉が私のなかに浮かんできた。

「本当の母親って……。だって私の……」

混乱して、しどろもどろになって言葉を詰まらせる。私と瀬織の母で、静芽の――?

「それって、静芽さんは私の――」

「違うっ‼」

静芽が声を荒げ、押しつぶすように私を強く抱きしめる。背伸びをしていたせいで、足元が不安定で、静芽の胸に体重がのってしまう。圧迫される苦しさにだんだんと泣きたくなって、着物の衿もとをより一層強く握った。


「やだ。やだ、だって私、静芽さんが……」

「違うんだ! ……俺と菊里はちがう」

 なにがなんだかわからない。私は何を知りたかったのかさえ、言葉にできず首を横に振る。静芽はもの切なそうに微笑み、私の後頭部に手をまわして半渇きの髪をかきよせた。

「最初は俺も驚いたさ。そんなの認められるかと」

吐く息の量が多い。静芽が悩みながらもきちんと伝えようと、がんばってくれている。だんだんと私も落ちつきを取り戻し、しっかり聞こうと静芽の手に頬擦りをした。

「菊里と出会って疑問に思ったんだ。なぜ、弓巫女が鞘を抜けたんだって」

「……どうして?」

不安な気持ちが視界をにじませる。

「菊里は刀巫女だ。だったら母親が刀巫女だろうと。……白峰 亜矢子は菊里と血が繋がっていないんだ」

「うそ……」

 信じたくない……と、私は止まらない涙をそのままに「うそだ」と何度も否定した。

母の笑顔を思い浮かべては、遠ざかる背中に視界がにじむ。弱り果てた私に静芽は絶対に目を反らさないと、一途に視線をあわせてきた。焦りの交じる声が耳をかすめる。

「血は繋がっていなくても、白峰 亜矢子は菊里の母親だ! 妹も、菊里の妹だ!」

(瀬織……! 私の双子の妹……。私は瀬織のお姉ちゃん……)

まったく似ていない。オッドアイがなければ誰も双子と思わない”優秀な妹”と”不出来な姉”。そもそも血の繋がりがないのだから、似ているはずもなかった。

もしそれを瀬織が知っていたとすれば――?

私を毛嫌いするのも当然だ。母親を独占した”姉を語る能無し巫女”だから。

「いやだ!」

 瀬織のことを考えて、歯を食いしばる一言を叫ぶ。私はこの想いを捨てたくない。渇望してきた妹の愛情。それ以上に私が瀬織を愛しているから、簡単にあきらめられる軽い想いではない!

「私は瀬織のお姉ちゃんです! 母は、白峰 亜矢子は私の母です! 私と! 瀬織の! お母さまなんです‼」

真実なんてどうでもいい。私の想いはゆずれない。血の繋がりなんかでなく、私が瀬織とどうありたいのか。母に対して何を思うかは私の自由だ!

「そうだ」

静芽が私の額にコツンとおでこを合わせてくる。やさしい眼差しと、憂いの多い声に私はうすらと口を開いて見つめ返す。

「それでいい。菊里は自由だ。そばにいたい人のところにいればいい。……俺はそんな菊里が好きだ」

ハッと静芽を見れば、夜に冷えた唇が落ちてくる。冷たさからの熱、すぐに離れたが、視線が重なってまた重なった。

「ん……」

ほんの少しの息苦しさと、喉のひりつき。

胸が塞がったような感覚と、それを上回る頬の熱さ。離れると紅玉の瞳が夜に揺れて、赤く火照った私が映されていた。

「不安だった。好きになっていいのか。だけど放っておけなかった」

「ん……。なってくれなきゃやだ」

「……そういうところ」

月明かりは私の恥じらいを隠してはくれない。静芽の情熱的な眼差しもよく見えて、私の心はあっさり奪われた。あまりに短すぎると押し殺していたのに、触れてしまえばあっさりと落とされる。これは、紛れもなく恋だ。

「別に妹でもよかった。……正直、ホッとした」

 肩に額を押しつけられ、長い息が苦笑交じりに吐かれる。

「静芽さんが兄とか、思いたくないです」

「それはそれで複雑なんだけど」

冗談を言えるくらいには心がやわらいで、私たちは額を合わせて笑った。お互いを大切だと言わんばかりの抱擁をする。

「静芽さんは鈴里さまに育てられた。でも本当はあやこの子いうことですよね?」

甘い気分を味わいたいところだが、現実から逃げる気はない。今ここでハッキリさせないと先には進めないと、いったん気持ちを取り下げた。

「そうだ。父と、亜矢子さんは愛しあっていた。だが白峰 道頼に殺された」

悔しさにギリッと歯をくいしばる。静芽が自分を傷つける姿を見たくないと、静芽の唇を手でおおい、首を横に振った。静芽は肩の力を抜き、私の手を握って眉をさげる。

「白峰の当主が俺を認識しているかはわからない。だが俺が生まれる前に、父は海で殺された。その後、産まれた俺を母が……天野 鈴里が引き取った」

静芽の指が珊瑚の指輪をなぞる。これを私の指にはめたのは、複雑な理由がありそうだ。戒めか、期待か、はたまた他の想いがあったのか。

汗ばんだ手が私の手を掴み、切なく消え入りそうな笑みが向けられた。

「結局、母も亡くなった。俺は白峰 道頼が憎かった。だから菊里に出会って、アイツを殺すチャンスかと思ったんだ」

「父を、今も憎んでいますか?」

「……ごめん」

消え入りそうな声で、静芽は謝るだけだった。

(謝らなくていいのに。……私、薄情な娘ね)

親を殺したいという相手を前に、何の動揺もないなんて。それくらいに私は白峰 道頼という男に興味がなかった。まわりが私を無能だと毛嫌いするように、私も当主として無能な父がキライだった。

(もう、静芽さんに悲しい想いをさせたくない)

 私には母がいた。瀬織という希望がいた。

 静芽には誰かそばにいてくれただろうか?

泣きたくても泣けない子どもが垣間見える姿を、私は受け止めたいと願った。同時に静芽の苦しさを助けたいと、なんとか手を凶器に変えようとするのを止めたかった。

「いいですよ。でも、静芽さんの手は汚さないで」

 汗ばむ手を握って、また冷めだした唇を押しあてる。静芽に苦しい思いをさせた父を忌々しく思い、悔しさに涙がにじむ。私は静芽の悲しみをやわらげたい。誰かに頼ってもらえるほどの巫女ではないけれど、人として寄り添えるようになりたかった。

 だから目を背けない。静芽を助けたい。瀬織に振り向いてほしいから。

「弓巫女は呪われた。それは父が静芽さんのお父様、山神を殺したからですか?」

その問いに静芽は「あぁ」と答えた。弓巫女が犯した大罪を考えても、口伝が途切れたことしか思いつかない。ならばなぜ、口伝が途切れたのか。口伝が途切れる危険を考えていなかったとは思えない。静芽がわざわざこの話をするには、珊瑚の指輪が関連していると察した。やはりそうか、と目を閉じると静芽の胸を押してシャキッと顔をあげる。

「だったら弓巫女の筆頭家門として、私が制裁を下します」

「! どうやって……」

「当主を降りていただきます。そして償いをしていただきます。……どうするかは龍神さまに判断をゆだねたいと思います」

目を見開く静芽に、今できる精一杯の強気で笑いかけた。弓巫女の罪となったならば、筆頭家門の巫女として正式に裁きを下す。それが私のやるべきことだ。

父の愚かさで瀬織の代まで影響を食らうのはごめんだ。キライだった父だけど、とことんくそくらえ、だ。散々瀬織を困らせた後始末、しっかりその身に味わってもらおうとほくそ笑む。龍神が決めることだろうが、情けを乞う気は一切なかった。

 とはいえ、筆頭家門の巫女は私だけじゃない。

「こればかりは瀬織にちゃんと相談します。龍神さまに、と言いましたがどうやってお会いできるかわからないですし」

「ははっ。本当にこれだから困るんだ」

たまらないと静芽はケラケラ笑い出し、おだやかに目を細めて私の頬を撫でる。

「菊里は何をしでかすかわからない。……危なっかしい双子だ」

「! はいっ!」

真実なんてどうでもいい。私にとって誰が大事で、誰といたいかの方がよっぽど重要だ。私は瀬織の姉でありたいし、静芽の恋人でありたい。

だったらそれでいいじゃないかと、ようやく安心して笑うことが出来た。

「計画は立てろよ?」

「……はい」

そこは手厳しい。考えなしに突っ走りすぎだと反省しつつ、勢いは大事だとぐっと気合いを入れなおした。

「弓巫女の龍神は、水龍だ」

「水龍……」

「……俺も龍神と向き合わないとな。刀巫女の……風龍と」

 刀巫女も口伝が途切れ、当主は分家の者が代理でついている。前当主は天野 鈴里。

「どうして私、お母さま(あやこ)に育てられたんでしょう。どうして私と瀬織は……」

双子として今日まで至った?

見た目は似ていなくても、極めてめずらしいオッドアイだったから疑わなかった。

静芽と瀬織の母親は共通して白峰 亜矢子、父が異なる異父兄妹だ。

なら私はいったいどこから来たのだろう?

刀巫女が母親だとして、この情報から考えられるのは一人だけだ。

「鈴里さまが私の本当のお母さまですか?」

()の(ず)()が口伝を次の人に伝えずにいるはずがない。もう……会うことも出来ない私のお母さま。二人のお母さまたちと、これほど話がしたいと思ったことはなかった。

「二人がなぜ、どんな偽装をしたのか――」


――ピリッ……と、静芽の言葉に上書きするように肌に針が刺さる痛みが走った。

バルコニーのガラス扉がカタカタと揺れ、室内の照明が点滅を繰り返す。やけに大きく見える月が窓に写り、禍々しい赤色となってガラスを割った。

「菊里っ‼」

 静芽が私に覆いかぶさり、背後でガラスの破片が飛び散る光景を見た。派手な音に静芽はすぐさま私を抱きかかえて上空に避難する。

直後、私たちの立っていた位置に巨大な水の塊が飛んできて、バルコニーに穴を開けた。寸でのところで避けたが、当たっていればたまったもんじゃないと冷や汗をかく。

「こんばんは。今日は月がキレイね」

月をバックに足を組み、ふっくらとした唇を舌でペロリと舐める。なまめかしい声の持ち主に目を向けると、銀色の髪に、空のような瞳が夜に浮かんでいた。お屋敷のあかりが女性の透きとおるような色白の肌に暖色を添えていた。


*** 七 ***


襲撃に私は静芽から剣を受け取り、警戒して女性を見下ろす。状況を整理しようと固唾を飲んでいると、女性は艶っぽく唇に微笑を添える。

「乳繰り合っているところごめんなさいね」

「ちっ⁉」

あまりに卑猥な発言に恥ずかしさより苛立ちが上回る。剣を握る手が怒りでわなわなと震えだした。

(な、な、なんて下品な言葉! ちちっ……じゃなくて、ちょっとキスしただけよ!)

癪に障るので、ひたすら嫌悪をこめて目を鋭くする。気配に敏感な静芽が気づけなかった相手だ。何者かはわからないが、少なくとも私たちにとって好意的な相手ではない。

「アタシはメア。今日は弓巫女さんが遊びに来てくれたからご挨拶をしに来たの」

メアは足元まで伸びる銀の髪を、ひと撫でで背中に流す。

「帝都に来てから妙な気配を感じていたが、犯人はお前だな」

「いやん。アタシに気づいてくれていたってことね。恥ずかしい……けどうれしいわぁ」

わざとらしい甲高い声に静芽は青筋をたて、後ろに下がる。

(あ。そうとう引いてる)

なんとなく静芽の好き嫌いがわかってきて、今は強めの嫌悪感を抱いているようだ。

(って、バカ! 今はそんな場合じゃないわ!)

「あなた、何なの⁉ あやかしなら容赦しませんよ!」

 静芽の腕に安心しきっていたと恥じ、気を取り直してメアに向かって叫ぶ。恋が実って浮かれていたと、プライベートの顔を捨てると、それを見抜いたメアが鼻で笑う。人の恋路をバカにして、とメアの愉悦な態度に拳がワナワナと震えた。

「あなたと妹ちゃんに似た関係性、と言えばいいかしら?」

まったく意味がわからない。

むしろ私の侵してはならない領域を土足で踏み荒らされた気分だ。

(ふざけないで! 瀬織との関係性は私たちだけのものよ!)

「あなたと誰が似た関係性ですって⁉ 瀬織は私だけの妹よ‼ いっしょにしな――」

「勝手にあなただけのものにしないでちょうだい」

――シュッと、風を切る音がした。割れたガラス扉の向こう側から矢が飛び、鋭い光となってメアをとらえる。だがメアは笑顔のまま、水の球を投げて矢と相殺させた。

水が飛び散り、光をまとった矢は花とならずに砕けてしまう。瀬織は舌打ちをすると、メアを見据えて弓を構えなおした。

「あなたは邪神。気配があやかしと違うわ。どこの誰か、答えなさい」

「半分正解。あなたは気配を読むのが得意なのね。……お姉さんは鈍いみたいだけど」

瀬織の言葉にメアは面白がって拍手をし、静芽とともに空で威嚇する私を鼻で笑った。腹立たしいので殴りたいところだが、気配を読めなかったのは事実。静芽がいなければまともに攻撃を食らっていたかもしれないと深呼吸をした。

「気配を読むのは苦手だけど、勢いはあるわ!」

(瀬織が動きやすいように気を反らすくらいなら出来るんだから!)

今まで足手まといと指をさされた分、まわりの動きをとらえるのは上手いと自負している。能無しは能無しなりに行動を考えているとふんぞり返った。

「ふーん。まぁ、あなたはそんなに怖くないわ。そっちの妹の方が取りすぎたのかしら? いずれにしてもあなたには良いことなしの関係ね」

「……何言ってるの?」

(良いことなしの関係? 何言ってるの、この人)

 つくづく幻滅しかない、とあきれてため息が出てしまう。

「あなた、頭おかしいのね。瀬織が妹なんて良いことしかないよ」

「はぁ?」

「あ、あんた何をバカなことっ……!」

私の言葉にメアは怪訝な顔をし、瀬織が絶句する。そのわずかな隙にメアはバルコニーから飛びあがり、水の弾丸を瀬織に放った。

「――静芽さん!」

「あぁ!」

私が声をかけるよりも早く、静芽がメアに向かって向かい風を吹かす。静芽の力添えで剣に風をまとうと、私はありったけの力を込めてメアに斬りかかった。

「あら、かわいい攻撃だこと」

メアは身軽にひるがえって攻撃をかわし、次の手を放つ。水の粒が豪雨のように襲ってきたが、静芽が風で防御壁を作り、攻防戦となった。風を扱うのは天狗の十八番と言わんばかりの卓越した動きに、私はつい感嘆の息を漏らす。

(瀬織っ‼)

剣を握りなおして急ぎバルコニーへ目を向ける。水の弾丸が襲ったことで砂煙があがり、足場も減っていた。

瀬織の姿が見えないと気が気でない。焦りがつのるなか、砂煙の向こう側に影が現れる。その影は地面に槍を突き刺して、高跳びのように一気に距離を詰めてきた。

「ひょーっ……なかなかにおっかねえな!」

「遊磨さんっ‼」

遊磨がバルコニーの端まで飛び出し、上空に陣を取る私たちの盾となった。メアの注意が逸れ、遊磨に視線が向いているメアの妖艶な横顔に赤い筋が入る。頬を撫でると、メアの手のひらにべったりと赤い液体がこびりついていた。

「はっ……はああ⁉ なにこれ、イヤーッ‼」

「助かったわ、槍男。ちょっとは役立つじゃない」

 瀬織がバルコニーの手すり壁を飛び乗って、遊磨に並ぶ。

「おいおい。そりゃあちっと可愛げがない……「瀬織っ!」」

遊磨の声に上書きし、瀬織の姿を見て安堵し叫ぶ。うるさい、と不満げにしていたが、私の瀬織への気持ちはどこまでも一途だと自覚した。

血の繋がりなんて関係ない。瀬織は私の妹で、いとしい存在だ。

「まったく、あなたたちって変よ。特にあなた! おかしいんじゃないの⁉ そんなデレデレして!」

「おかしいのはそっちよ! こんなに魅力的な妹は他にいないわ!」

メアが指をさしてきたので、私は青筋をたてて食ってかかる。

「菊里、そこまで。妹が引いている」

「あ……」

怒りに任せて叫んだことをすぐに後悔する。瀬織の苦りきった表情に、感情をさらけ出しすぎたと、オロオロして肩を竦めた。

(やっちゃったよぉ……。カッコいいお姉ちゃんって思われたいのに)

気持ちはいつも空回りだ。

「静芽、遊磨。あたしがメアにとどめを刺す。他は任せたわ。……菊里も」

返事を待つことなく、瀬織は手すり壁を足場に走りだし、暗闇を利用する。

「アタシから逃げられると思わないでくれる⁉」

メアが空中で水の足場をつくり、瀬織めがけて手を振り下ろす。蛇の形をした水が矢のように何本も突進していった。

「遊磨さまに守れないものナーッシ‼」

 臨機応変に遊磨がメアの前に出て、槍を回して蛇を打ち落とす。ニヤッとしながら巧みに動く姿はとても鮮やかで、目を見張るものがあった。

苛立ちを募らせるメアはバルコニーに着地すると、眉をつりあげて遊磨を睨みつける。怒りで髪の毛が揺らめいており、目がギラギラして獣のようだ。

冷静さを欠いているこの状況を好機とみて、私は静芽とともにメアに向かって急降下する。メアを叩き切ろうと、全力で剣を振りおろした。

攻撃に気づいたメアは慌てて避けるも、追い打ちをかけるように遊磨が詰め寄っていく。私は静芽から離れ、遊磨と挟み撃ちにする形でメアの前に突っ込んだ。

三方位から同時に迫られ、メアには後退するか空に逃げるしか道がない。崩れかけのバルコニーでは不利と判断したのか、とっさに水の防御壁を展開し、空に飛びあがった。

水しぶきが落ちてくるなか、私は勝利を確信する。

――ヒュッ‼ 

メアの行動を読んだうえで、的確なタイミングで矢が飛んでくる。普段から荒々しい攻撃を繰り出すあやかしと戦っているため、少し動きが早かろうと、攻撃の手数が多かろうと、これまでの努力は裏切らない。連携すれば邪神だろうが私たちに怖いものはなかった。

「ちっ‼」

メアはあきらめが悪いようで、巨大な水の塊を生成するとなりふり構わず投げる。

遊磨が槍を突きだし、メアの顔面スレスレを貫く。身体を反らしてメアは避けるも、力のバランスを失って防御壁が下がった。

(今っ‼)

この一瞬の隙を逃してはならない。矢が風を切る気配を感じて、私は迷いなく前へ足を踏みこんだ。

「およずれごと、斬るが務め」

後ろから風が私の背を押してくれる。何も怖いものはない。刀身に風をまとい、私は一心不乱にメアに飛びかかって剣で薙ぎ払った。

「まことにおかえりくださいませ‼」

「キャアアアアアアーッ‼」

甲高い断末魔をあげながらメアが光の膨張にのまれていく。私がメアを斬ると同時に、瀬織が放った”二本目の矢”がメアの目を射抜いた。

巨大な白い花が咲き、花びらが舞い散る。あっという間にメアを飲み込んで、悲鳴が徐々に小さく消えていった。

(倒せた?)

肩で呼吸しながら、確かに感じた手ごたえにゾクッと震えあがるのを感じた。私と瀬織の力が合わさり、一つの大きな道を開けたような、そんな感覚だった。胸が熱くなり、喜びのまま瀬織と気持ちを分かち合いたいと振り返る。

「せお――」

その瞬間、瀬織に向かっていた巨大な水の塊が重力を失い、バルコニーに落下する。

――バシャーンと、激しく水が破裂して高波となって襲いかかってきた。一瞬の出来事に反応が遅れ、私の足は地面に縫いつけられたままだった。

「菊里―っ‼」

静芽が全速力で滑り込み、私の身体を受け止めると空に急上昇する。なんとか助かったものの、目線の先にいる瀬織の足元が崩れる光景に悲鳴をあげずにはいられなかった。

「瀬織――っ‼」

もっとも恐れていたこと。それは瀬織を守りきれないことだ。

”いやだ”。私の平穏は瀬織がいてはじめて保てるものであり、色鮮やかになる。

母を失い、悲しみに暮れていた私に”瀬織の姉”という色をくれた。

私から色を奪えば、たとえ誰かに愛されてもそれは”抜け殻となった私”でしかない。

静芽が瀬織を助けようと、地面から風を巻き起こすが、落下速度には追いつかない。

全力で急降下し、もう少しで手が届く。そんな距離になったとき、瀬織の眼帯がとれて瞳があらわとなった。

(金色……)

いや、ハチミツ色と呼ぶべきだろう。

金と呼ぶには”瀬織に宿った色”として甘さが足りない。

私の愛した色は藤色、そして瀬織は鋭さにハチミツを塗ったような”自慢の妹”だ。

(お母さま! どうかお守りくださいませ‼)

とっさの行動だった。瀬織が地面に叩きつけられる寸前に、剣を地面に突き刺す。

静芽の力と合わさり、切っ先から花嵐となって瀬織の身体を浮かせた。

(お母さま……)

藤の下で、おだやかに微笑む母の姿が思い浮かんだ。無我夢中で自分の行動を理解していなかったが、ようやく母との約束が果たせたと熱いものがこみあがる。

静芽に降ろされると、私は瀬織のもとへ心急くまま走りだした。

「瀬織っ‼」

花の絨毯に座り込み、呆然とする瀬織に夢中で飛びつく。舞いあがった花びらがひらひらと落ち、瀬織の髪に降り積もった。

「瀬織、瀬織っ……! 瀬織ぃーーっ‼」

「え、あ……ちょっと」

「よかった! 私、瀬織に何かあったらと思うと!」

怖くて怖くてたまらない。

今もこの腕のなかにいるのは夢じゃないかと疑いたくなるほどで。やさしく香る甘さと温度、母にそっくりな顔立ちに徐々に無事なんだと実感を得た。

「菊里は、ケガしていないわよね?」

 瀬織の愛らしい声が戸惑いながら問いかけてくる。心配を向けられた? と、瀬織の肩を押し、アタフタと自分の身体を観察する。あちこち着物が破けてしまっていた。いつでも動けるようにと袴をはいていたが、これだけ破れてしまえばただの布切れだ。

(ちょっと血が出てるかな? でもこれくらいなら平気……)

それより瀬織の方が怪我をしていると、私は忙しなく瀬織の身体に触れる。腕や太ももに切り傷が出来ていると焦り、涙目になって瀬織の顔を両手で挟んだ。

「あ……!」

眼帯で隠していた左目があらわになっている。先ほどは無我夢中で考えが及ばなかったが、眼帯をしていない瀬織を目の前で見るのははじめてだ。

母に、瀬織や道頼の前で眼帯を外さないようにと言い聞かされていた。それを破ろうと思ったこともないし、瀬織も同じように外さなかったので見る機会はなく……。

本当に鏡合わせのように同じ色を持っていると実感し、同時に眼帯で隠す右目が熱くなった。瀬織はパッと私の手を払って目を反らし、左目を覆い隠す。

「静芽は無事ね。遊磨は? 亜照奈さん……は大丈夫でしょう」

バルコニーの崩落で瓦礫の山があり、今も砂煙がたっている。遊磨の姿は見当たらず、お屋敷は照明がついたままで亜照奈たちの無事が確認できない。

大変な事件だったというのに、瀬織はあっさりしている。何か思うところがあるのだろうが、顔色からはうかがえない。この場にいない遊磨が何をしているのか。語らずとも、信頼を寄せているのは伝わってきた。

「あたりを確認してくる。クソ猿も、一応探す」

静芽が空に飛んで遊磨を探しに出る。残された私たちは、視線が交わらない。だが頑固さは私が上だ。瀬織が折れてくれるまで穴が開くほどに見つめて離さなかった。

「悪いけど、力は返さないから」

「えっ?」

もごもごしながらの発言に首を傾げ、瀬織を凝視する。左目を隠しつつ、赤くなった顔を背ける姿に胸がときめいた。

「あたし、絶対に当主にならないといけないの!」

やけくそに訴える瀬織は何を言ってもかわいらしい。

「弓巫女を立て直すには正当性が必要で……」

「あぁ、それね! 大丈夫だよ! 瀬織がお母さまの子だってちゃんとわかってるわ!」

「……何を言っているの?」

今度は瀬織が私の言葉を理解出来ないと眉をひそめる。何が私たちをすれ違わせているのか、答えが出ずにまばたきを繰り返した。

「話が噛みあってないんじゃないか?」

「静芽さん!」

遊磨探しから戻った静芽が、私たちの会話に一言入れる。遊磨は一緒にいないので、どうやら見つからなかったようだ。頭や肩に乗った花びらをはらいながら、ムスッとした様子で歩いてきた。

こうして二人を見比べると、どちらも生真面目な表情が多い。似通った面をはじめて実感し、いとおしさに笑った。

「あのね、瀬織。私の本当のお母さまは天野 鈴里さまなんだって」

「……何て?」

「? だから私はお母さまと血が繋がっていなくて。だけど私は瀬織を大切な妹だと思って――」

「考えるべきことはそこじゃないでしょ‼」

瀬織が私の腕を掴み、切羽詰まって睨みつけてくる。

「何も知らないあなたに何も話さなかった! 刀巫女として天野家に戻すことだって出来た! だけどあたしはそれをしなかった!」

「どうして?」

「どうしてって……!」

これは私に向けた苛立ちではなく、瀬織が自分に混乱しているだけだ。私が母と血の繋がりがなかったと知っていたのだろうか。この口ぶりだと、私が刀巫女になる可能性も把握していたかもしれない。

今の状況は、長年の意地が引くに引けずムキになってのもの。辛辣な態度をとってきたのは、私のためだったとわかり、うれしくないわけがない。徹底的に私に巫女を辞めさせて白峰家から追い出そうとしていたとしても、私は瀬織をいとおしく想う。

大罪を犯した父から守るためとしても、やや煮え切らない面がある。弓巫女の衰退と、私に冷たくあたるのは辻褄が合わないと感じていた。

(はっ! 本当に私を嫌っているから⁉)

「やだ! 嫌いなんて言わないで! 今言われたら死んじゃう!」

散々嫌われていたくせに、今は恐ろしくてたまらない。

「バカ! それくらいで死なないでよ!」

「私がどれだけ瀬織を好きか――!」

「ストップ。お前ら落ちつけ」

想いをぶつけあう私と瀬織に、静芽が間に入って肩を押す。呆れた様子に、私はついムッとして静芽の腕を叩いた。

「お前らがなんでここまで拗れたかわかった。とりあえず妹、お前が吐け」

静芽に制止され、瀬織は小さく震えだす。だが静芽がいなくては、話があっちこっちに飛んでしまうだろう。一度冷静になろうと、私と瀬織は同じように深呼吸をした。

「菊里とは血が繋がっていないと知ってた。……能無し巫女だった理由も」

蔑称”能無し巫女”が本当の名前より私を象徴した。母が刀巫女・天野 鈴里であり、弓巫女の血を引いていなかったと知る。その答えにたどり着くまで、自分の無能さが悔しくてたまらなかった。瀬織に負担をかけ続けた罪悪感にうつむいていると、瀬織が面倒そうに眉間のシワを伸ばす。

「まずは遊磨を探しましょう。ちゃんと話すから」

瀬織を追って私も立ち上がる。瓦礫周辺を確認して、建物の中に移動する。瀬織の言葉の続きが気になっていたが、今は巫女としての責務を果たす。お屋敷で働く人たちを避難させ、静芽には外で遊磨を探してもらった。














*** 八 ***


お屋敷にいた人たちの避難指示を終えたものの、亜照奈だけ見つからなかった。

いったん落ち着こうとテラスに向かい、バラの道を過ぎて椅子に腰かける。瀬織は左目を隠すため、即席ではあるが包帯を巻いている。テラス席で向き合い、腹をくくって話そうと瀬織が口を開く。疲労の見える横顔は、建物の照明と月明かりで青白かった。

「本当の無能はあたし。力も持たず、消えゆく命だったところを二人の母に救われた」

「えっ……」

とっさの反応は理解のない気の抜けた相づちだ。理解しようとしても、これまでの価値観が全力で否定をはじめる。

誰の手も届かないほど美しく優秀な自慢の妹。私が能無し巫女と蔑まれればするほど、弓巫女として輝きを増した。周りから指をさされても平気だった。瀬織が輝いてくれるなら、私は影として力になろう。弱くても、いつかは強くなれると信じていたから、私の絶対的存在の瀬織を追い続けた。一番求めていた瀬織の本音があるのだから、しっかりと言葉を受け取りたい。それなのに私はどんな顔をして瀬織と向き合えばよいかわからず、表情を曇らせていると感じていた。

「お父様が大罪を犯したことで弓巫女は呪われた。それはね、血を断つということなの」

(やっぱり弓巫女は龍神の怒りをかったんだ。でも血を断つってどういうこと?)

弓巫女の衰退とは、適性者の減少と口伝が途切れたことを指す。それは静芽と話して少しずつかみ砕き、理解しはじめたこと。弓巫女の大罪が、可視化された状態だ。

「本当は父上の代でとまるはずだった。筆頭家門の弓巫女は生まれるはずがなかった」

「で、でも瀬織がいるわ! 私だって……刀巫女だけど口伝が途切れてて……」

「あたしは巫女の力は持たずに産まれた。短命だと、お母さまは感じとったみたい」

瀬織は物思いに沈んだ微笑みを浮かべ、包帯で隠した左目にそっと指を滑らせた。

「それでお母さまは一つの手立てにすがり、刀巫女の鈴里さまに頼った」

瀬織が顔をあげると、藤色の瞳が私を見透かすように向けられる。きっと今、私は情けない顔をしているだろう。瀬織の冷静な面持ちも、きっと合わせ鏡のようにきっと私の瞳に映っている。

「鈴里さまは同日に子を産んでいた。巫女として力の強いその子に、あたしは力を分け与えられ、生き永らえることが出来た」

(それって……)

瀬織の言葉に胸がきゅっと締めつけられる。手が伸びてきて、私の冷えた指先に瀬織の体温が触れた。

「お母さまが鏡を大事にしていたの、覚えてる?」

「うん……。触っちゃダメだって言われてた。今はどこにあるかも知らない」

「父上が隠したのよ。あの鏡は鈴里さまの持ち物だったと聞いているわ」

 私の知らないことばかり。あまり接点のなかった瀬織の方がよっぽど母のことを知っている。

母屋に暮らしながら、離れで私と暮らす母をどう見ていたの?

 一度たりとも私を憎いと思わなかったの?

「あの鏡、天狗から受け取ったらしいわ。遠い昔の忘れ物なんだって。……その天狗は自分が死ぬことをわかってたのかしら。……静芽のお父上よ」

 海で亡くなった天狗。静芽の父親だ。

「どうして鈴里さまが受け取ったの?」

「詳しくはわからないけど、二人は長い付きあいだったとか」

 そう考えると、天狗と鈴里は昔馴染み。二人が繋いだ縁で天狗と母が恋仲となった。最終的に海で殺された天狗。その犯人は白峰家の当主、私たちの父親だ。なぜ、殺害にいたったのか。その答えはいくら考えても、父しか真実を持ちあわせない。

「……私、瀬織が無能なんて思えない。だって瀬織は巫女たちを引っぱるリーダー性もあって、実力だって歴代最強と言われるくらい強くて」

「だから、それはあたしの力じゃない。……全部、あなたのものよ」

 胸が痛い。認めたくない。瀬織は私の中で愛すべき最高の巫女だ。どんくさい私と比べるのもおこがましい。瀬織の口から「自分は無能」と語られるのは胸がはりさけそうだ。

「鏡は二つ。同日に生まれたあたしたちを合わせ鏡にしたの。その不思議な鏡は、本来映すべき人を映さなかった。……あたしの鏡には菊里が映ってたんだって」

 合わせ鏡。気を乱すため、あやかしと戦う巫女は避けがちだ。長時間、合わせ鏡の空間にいると、精神面に大きく影響をおよぼしてしまう。鏡には使用するとき以外、布をかける。母たちがあえて合わせ鏡をしたとすれば、何かしらの力が働いたということ。

「普通は何も変わらない。だけど私たちの間で行われたことは特別だった」

「それが……瀬織に力を与えたってこと?」

 その問いに瀬織は苦々しくうなずいた。

「同日に産まれた巫女。あなたはとても強い力を持って産まれた。赤ん坊はまだ気が安定していない。それを利用して、合わせ鏡で力を分け合った。……あたしの能力は、元はあなたのものよ」

 わざと気を乱して能力を移したということだ。そんなことを可能にするほど、鏡は特別なもので、母たちの力も強かったことを示す。かつて弓巫女として名をはせた母と、刀巫女の当主で実力を兼ね備えた鈴里。二人の母だから成し得た荒業だ。

「あたしは死んだようなものだった。生命力にあふれていた菊里がいなければ生きられなかった」

 皮肉に笑う瀬織に、私は感極まって立ち上がると、強く手を引き寄せた。

「私、瀬織を守れたってこと? 何も出来ない私でも、瀬織を助けられたって思っていいの? 瀬織を生かすためなら、私はお母さまたちがしたことを――」

「わかってる! そんなのわかってる。あんたがバカなこと、あたしが一番知ってる」

 今まで瀬織を守れるお姉ちゃんになると目標を抱いてきた。苦しいこともあったけど、絶対にゆるがなかった私の指針。私の特別、私の意志、全部が瀬織にある。

双子の証だと思っていた瞳の色は、合わせ鏡の名残り。私の力を瀬織に分けた。本来ならば途絶えるはずだった弓巫女の血。大罪を犯したまま、異例の弓巫女が誕生した。

(そんなことはどうでもいい。私は大罪がどうだとか、どうでもいいから!)

「――どうして、泣くの? あたし、ずっと黙ってたのよ? 刀巫女として活躍する道もあったのに、あたしの勝手で能無し巫女と呼ばれて……!」

(そんなのどうでもいいんだよっ‼)

私はテーブルに片膝をつき、無我夢中になって瀬織を抱き寄せる。

「瀬織のいない人生よりずっといい! 瀬織が生きててよかった! 私にとってそれが一番の幸せだよ!」

「なんでっ! そもそもあたしが死んでたらあたしを認識することもなかった!」

 それは理屈の話。私が言いたいのは、いつだって瀬織への愛だ。死ぬ、死なないではなく、私の世界は瀬織がいてはじめて成り立つんだってことを伝えたい。

「瀬織がいることが何よりもの真実。私は絶対に瀬織を選ぶ。絶対に守る」

”あなたのいない人生なんて許さない”

”それが私の選んだ運命”

「私は瀬織のお姉ちゃんだから! お姉ちゃんは妹を守る!」

「バカ……。バカね、本当に」

決して涙を見せない瀬織の頬に、一筋涙が伝った。それはまるでテラスの上で輝く月が落とした雫のよう。強がってばかりの妹の涙をぬぐえるお姉ちゃんになりたい。守りたいという想いは、瀬織の支えになるという意味も込められているから。

「大丈夫。私が瀬織を守るよ。……瀬織の目標は、私の夢だから」

泣くときも、気持ちは分け合いたい。瀬織の心を理解したいと思う気持ちは永遠。

風が吹くと、月明かりの下にバラの花びらが舞う。私の尽きることのないバラの花。

(お母さま。ありがとうございます)

姉として妹を守れていた。そのことを知れて、私は生きていてよかったと思えるくらいに幸福だ。母の言葉からはじまり、今日まで走り続けた。

これからも足が止まることはない。私は私の意志で”妹を守りたい”と進むだけ。

あいまいだった”瀬織を守れる強いお姉ちゃん像”が、ようやく輪郭をみせてくれた。

「さっきも言ったけど、あたしは菊里に力を返す気はない」

瀬織は袖で涙を拭い、私の肩を押して椅子に腰かける。私も瀬織が気持ちを語ろうとする姿勢を尊重し、手を離して座った。

「弓巫女の当主になるため、力を失うわけにはいかなかった。このことがお父さまに知れたら菊里がどうなるかわからなかったから」

背筋を伸ばした姿は、気を張り詰めた普通の女の子に見えた。完ぺきなようでただの仮面だった知り、不謹慎だがますます愛おしいと思う。にやけそうになって、瀬織のしおらしい姿を崩したくないと指で頬をもみほぐした。気づいていない瀬織は話を続ける。

「正直、菊里が能無し巫女と思われていた方が安心できたというか……」

瀬織からすれば、自分勝手なことと考えているみたいだ。感情を引っ込め、情報だけを淡々と伝えようとしていたが、動揺が声に現れている。それもかわいらしい。

「私が返せって、言うことはないよ?」

「わかってるわよ、そんなこと! ……わかってるけど、怖かった。お父さまがあなたを殺すかもって思ったら言えなかった」

 お互いがお互いを守ろうとしていた。私は私で瀬織に振り向いてほしくて、愛を叫び続けた。瀬織は冷たくあたることで、私に向かうはずだった危険から遠ざけようとした。

(お父さまのプライド、か)

 父は天狗を殺した。天狗は山神、神格に値する存在を殺した大罪を負う。なぜ、ずる賢い父が足元をすくう愚かな行為をしたのか。口伝もなく、血も途絶えたことをどう感じているのか。瀬織が弓巫女として名をはせているから、気にしていないのかもしれない。

実態は二人の母による救済。父が刀巫女に生かされたと認めることはないだろう。

(くだらない。プライドのせいで弓巫女を崩壊させたのだとしたら愚かでしかない)

父が天狗を殺害した理由を考えると、母がカギとなるだろう。天狗と母の間に産まれたのが静芽。だが母が結婚したのは父・道頼だ。母はなぜ、その決断をした?

「とにかく、あたしは当主になるわ。弓巫女を終わらせない。そのためになんとか龍神様とお会いしたいんだけど、方法がわからない……」

 それも口伝が途切れたからだろうか。部分部分で答えは出ているのに、線で結びつかない。問題を解決するためには、龍神に繋げないと私たちがとるべき行動がわからない。

(静芽さんは、何か知っているのかな?)

 静芽が持っていた剣は刀巫女のもの。風をまとうことが出来る特別な剣だ。おそらく継承されるべき刀巫女の武器。弓巫女でいう“水弓”に相当するものだ。

(私は大切な人たちを守りたい。瀬織も、静芽さんも、大事な人だから)

父が妨げとなるなら私は敵となる。母たちの決断をムダにしない。大罪を大罪のままで終わらせないと、私は空に浮かぶ月に誓った。


――ガサッ……。草を踏む音がして、振り返る。月明かりに照らされて白銀の髪が、バラの香りをまとって揺れていた。気難しい顔をする静芽が一人、テラスに歩いてきてテーブルに手をつく。

「遊磨さんは?」

「問題ない。槍を持って門から出ていくのを見た」

 何か理由があったのだろうが、放っておいていいのだろうか?

愛想のない言い方に、つくづく犬猿の仲だと苦笑する。思い悩んでいると、静芽が私の向かい側に座る瀬織をじっと観察した。

「途中からだが、話しは聞いていた。お前たちの関係性はわかった」

聴力に優れた静芽は、ある程度の会話を聞き取っていたようだ。天狗の血を引いているからなのか、静芽だから優れているのか。美しさもあり、怖いものなしだ。

「あんたが力を返す気がないのはわかった。だとしても当主になって衰退を阻止できるのか? 口伝が途絶えたのは水龍がそうしたからだろう?」

「それがわからないから困っているの。どうやって水龍さまにお会いできるのか」

歯がゆさに瀬織はテーブルに爪をたてる。そして立ち上がると、ズンズンと大股に前に出て静芽を睨みつけた。静芽に対して遠慮はなくなったようだ。

「まず、水龍に会って何を話す? ことによっては更なる怒りをかうぞ」

「……あたしが当主になる。どうすれば認めてくれるか……。父のこと、どうすればいいのか。水龍さまに謝罪して、適切な対応をしたい」

「水龍に許しを請うなら、現当主に制裁を食らってもらうのが最低限だろう」

「簡単に言わないでよ。水弓が継承されることで当主交代が実現する。今のあたしにその資格はない」

だから悩んでいるのだと、瀬織は拳を握って爪をたてる。当主の証として各家門に武器が継承され、今日まで巫女の統括を行なってきた。血が途絶える未来しかない今、水龍が持っているであろう水弓を手に入れたい。瀬織が当主として認められれば、水弓を継承して弓巫女を立て直せるかもしれない。

そこまで考えて、私は一つのほころびに気づく。

(私の剣って、刀巫女のもの……。刀巫女も口伝が途切れたと聞いているけれど、それはなぜ? 鈴里さまがそんな失態を犯すとは思えない。いずれにせよ、ちゃんと継承されていないのに、どうして静芽さんが持っていたの? なぜ私が扱えるの?)

 わからない。ならば答えを持っていそうな静芽に問うしかない。私は瀬織との未来も、静芽との未来も、どっちも手放したくないから。

「静芽さん。この剣は刀巫女のもの。私が鞘を抜けたのは、継承権をもっているからですか?」

その問いに静芽が目を丸くし、すぐに表情を険しくする。よほど言いにくいことのようだ。瀬織も静芽も、眉間にシワばかり寄せて……。よく見れば表情のクセがそっくりだ。母はおだやかな微笑み方をする人だったのに、どうしてこうも仏頂面が多いのか。

雑念ばかりが頭を支配するので、今は好奇心をおさえ、理性に生きるべきだと荒ぶる愛を封印した。

「私って、刀巫女として口伝を受けることは出来ますか?」

 言いにくいとしても、私は知りたい。知らなきゃいけない。疑問を疑問のまま抱えていられないと、未来のために大きな一歩を踏みだす。

「風龍に会うときに、水龍にも会える可能性はある」

静芽が長い息を吐いて、こめかみに手をあてて言葉に変えた。

「だがハッキリとは言えない。推測だ。そして賭けでもある」

 静芽は考えをまとめてから口にする気質だ。言わなかったのは明確な答えになっていないから。それでも私には希望の言葉に思えた。瀬織にとっても同じようで、息をのんだあと大胆不敵な笑みを浮かべる。

「それよ。菊里に正当性があるなら風龍さまに会えるわ。ちゃんと継承が出来るはず」

くるりと瀬織は静芽に身体を向け、ニンマリとほくそ笑む。

「静芽が剣を持っていたのよね。どうしてかしら?」

 意地悪い顔をして静芽を挑発しだす。結構短気な静芽はカッとムキになり、拳を震わせるが深呼吸をして耐え抜く。兄と妹、はじめてのケンカの種かもしれない……。

「母……鈴里さんはあえて口伝を途切れさせた、と思う。菊里に繋ぐために」

「私に……?」

「口伝の内容は知らん。だが鈴里さんはよく白岩山に俺を連れていった」

 白岩山は私と静芽が出会った場所だ。静芽は滝の裏、洞穴を好んで過ごしていた。

「それはなぜ? 白岩山は霊山で、清らかな場所だけれど」

「さぁ……。俺はそこで鈴里さんから剣を受け取った。天野家に見つからないで、と」

 剣が天野家にわたることを危惧した。私に継承させたいと望み、剣を静芽に預けた。口伝が途切れるとは、継承すべき武器も渡らないということ。

「私が天野家の当主ってこと……?」

 何の冗談だ、と思ったがそうと考えるしかない。瀬織も同じことを思ったようで、呆然としながら口元に指を滑らせた。

「刀巫女は口伝が途切れているけど、大罪は犯していない。当主がいるなら、風龍に会うことができる。風龍に会えば口伝も繋げるってこと……‼」

 点と点が繋がった気がした。瀬織は目を輝かせ、自信満々にテーブルに手をつく。

「静芽、風龍さまに会う方法は? 鈴里さまは何か言ってなかった?」

「いや、そこまでは聞いていない」

 重要なポイントは静芽に知らされておらず、道を断たれた状態。瀬織は頭を悩ませ、静芽は罪悪感に「すまん」と謝罪して手のひらに爪を刺した。私は小指にはまった珊瑚の指輪をなぞり、亡くなった静芽の父を想う。この指輪は、弓巫女の戒めのように感じた。


「おーい! ちょっと手ぇ貸してくれねぇか~?」

 バラの庭園、門に続く道から声が届く。目を向けると、遊磨が肩にメアを担いでこちらに歩いてきた。

「ちょっと。あんまり乱暴にしないでくださる?」

ギャーギャーと騒ぐメアに疲れたのか、遊磨は静芽を手招きして役割を交代してもらう。やれやれと静芽は遊磨のもとに向かい、メアを拘束する鎖を受け取った。

「遊磨さん、メアさんを捕まえにいってたんですか?」

 その問いに遊磨は思い悩み、後頭部を掻く。

「あ~、まぁそうだな。なんかコイツ、匂いが気になってよ」

「匂い?」

 そう言われてもここはバラの匂いしかしない。

「メアと亜照奈ちゃんの匂いが一緒だ。だからもしかして、って思ったわけよ」

「それって……!」

まさか、と答えを口にするより早く、遊磨が自信満々に口を開いた。

「メアの正体は亜照奈ちゃん!」

(ええええええーっ⁉)

 瀬織と静芽は気づいていたのだろうか?

 二人を見れば、どちらも仏頂面でうなずく。気づいていなかったのは私だけのようだ。

「ほ、本当に亜照奈さんなんですか……?」

「ふんっ! あなた、本当に気配ににぶいのね! そのあたりの力は妹に全部持っていかれたのかしら!」

 その言葉にハッとして、手のひらを見下ろす。私が瀬織に力を分けた。つまり私の中にあった力が減っているということで、アンバランスに瀬織の比重が大きい可能性もある。それならば瀬織が自分を守る力も大きいということだ、と私は喜ばしい事実に月を仰ぎ、瀬織という祝福を崇めた。

「バカじゃないの」

 瀬織から辛辣な一言が飛んできたが、都合よくそれは聞き流した。

「二人が同一人物だとして、ならば国都 亜照奈ははじめからいなかったということ?」

「いんや、亜照奈ちゃんはいる。メアに身体をとられてるだけでぃ」

 となれば、メアが憑依していると考えるのがベターだろう。そういえばメアが自分のことを”私と瀬織の関係性に似ている”と口にしていた。私と瀬織は二人で力を分け合った縁で結びついている。もし、亜照奈とメアが類似した関係ならば、それは何故?

「アタシ、“亜照奈”って名前がキライなの。アタシから力を持っていった英雄気取り」

 意味がわからなかったが、瀬織はすぐに把握したようだ。じーっと見つめれば、やれやれと面倒くさそうに「異国の女神と同じ名前」と教えてくれた。あやかしと同義の存在は異国にもいる。それが外から紛れ込んできたということを示していた。

「川の氾濫。あれはあなたのしわざかしら、メア」

 瀬織の鋭い問いにメアは下唇をペロリと舐める。

「そうよ。穴があいた現世。イタズラしたくなるのは当然でしょ?」

 目を細めて妖艶に微笑むメア。静芽が鎖を引っぱり、締めつけを強くすると再び暴れだす。その姿をみて、私の中で沸々と燃えたぎる感情が顔を出した。

「ふざけないでよ! たくさんの人が家を失ったの! イタズラなんてそんな……!」

「何を怒るの? それを止めるのが巫女でしょう?」

 ズバリそうだと、言葉に詰まる。その隙をつき、メアはほくそ笑んで首を傾けた。

「アタシは亜照奈と表裏一体。女神が良い顔だけすると思ったら大間違いよ。気まぐれな生き物。あなたたち巫女さまが信じる龍神サマも同じよ」

 ――龍神。この口ぶりだとメアは巫女と龍神の関係性を知っているようだ。私たちが今欲しい情報は、龍神に会う方法。現世に穴が開いたというならば、入り口があるということ。龍神と現世を繋ぐ場所があるはずだ。

「メアさん。あなたは水龍さまと会う術を知っているんですか?」

不安定なまま質問を投げると、メアは目を丸くしてニヤッと猫の顔になった。

「現世、常世、かくりよ。巫女と龍神が繋がる場所がある」

「それはどこにっ――」

「アハッ。それくらい自分で考えなさいよ!」

 勝ち誇った顔をして笑うメア。だが現状は鎖に縛られ、逃げられない。とことんかき回そうとするメアに、静芽が拳を握って頭頂部に落とす。メアは泣きっ面になり、暴力反対だなんだとわめきだす。駄々っ子なメアに、ついに瀬織が前に出てメアの前でしゃがむと素早く両頬に平手打ちを連打した。攻めるだけ攻められたメアはやけくそに答えだす。

「狭間があるの! 龍神と巫女が言葉をかわすための場所! だいたいは清らかな場所なんじゃない⁉」

 絶対に近づきたくない、とメアは舌を突き出す。私はメアの態度に答えをみて、小走りにメアの前に寄り、おそるおそる問いかけた。

「それは白岩山ですか?」

 問いにメアは悔しそうに唇に縦シワを作った。十分答えたと、そっぽを向きその場であぐらをかいた。見た目は美しい女神なのに、あぐらをかくと雄々しさが目立つのは何故だ、と美を観察する分には楽しめた。

「ありがとうございます」

 欲しい答えは得た。私たちが向かうべき場所は“白岩山”だと確信をもつ。

「もういい⁉ アタシ帰りたい! この子返すからいいでしょ⁉」

「……もう身体を乗っ取らないか?」

「とらない、とらない! 鎖をといて‼」

 降参だと身体を揺らすメア。静芽は瀬織と遊磨にアイコンタクトをとり、渋々と鎖をとく。解放されたメアは即座に大きく飛び跳ね、バラの庭園で舌を突き出しながら私たちに手を振った。

「じゃ、ね!」

「あっ……」

 メアが消え、身体が亜照奈のものになる。憑依していた存在がいなくなり、亜照奈の身体から力が抜けて膝からカクンと折れた。遊磨が急いで駆けつけ身体を抱き起こすと、うめき声をあげて亜照奈のまぶたが持ちあがる。

「えっ⁉ えっと、ゆ、遊磨さん……でしたか?」

「お~、覚えてるんだ?」

パチッと大きな目が開き、真っ青になってうろたえる。

「国都 亜照奈ちゃんで間違いない?」

「はいぃっ! 国都 亜照奈です、すみませんすみませんっ……!」

亜照奈は涙目になって肩をすくめている。気が抜けるほど別人の顔だ。気の強いメアの面影はなく、怯え切った小動物のような少女の顔をしていた。あまりにオドオドしていたので、そろっと瀬織と目を合わせて笑いだす。

「「ふっ……」」

散々な一日ではあったが、瀬織と気持ちが一つになったことは喜ばしい。幸せな一日に私は感謝し、話しあいはまた明日、と私たちはようやく休息らしい休息に行きついたのだった。



















*** 九 ***


深い夜のなか、まだ興奮状態でなかなか眠りにつけない。暗い部屋で、見えもしない天井を眺めていた。

「眠れないの?」

大きめのダブルベッドで瀬織と並んで横になっていた。それからどれくらい時間が経ったのだろう。感覚のないまま、私は身体を瀬織に向けた。

「うん。瀬織も眠れないんだね」

「そうね。寝ようと思ってもなかなか難しいわ」

「そっか」

いつも以上に気を張って、集中力を使い疲れきっているはずなのに。

どうしてか、まだ血が騒いでいる。

明日も早いことはわかっているのに、私も瀬織も眠り方を忘れていた。

「お母さまと一緒にいて、あなたは幸せだった?」

瀬織から暗闇に溶け込む呟きが届く。シーツを指先で丸め、湿った息を吐いた。

「幸せだったよ。お母さまはたくさん愛情をそそいでくれた」

「そう……」

消え入りそうな声に、私は身体を動かして瀬織との距離を詰める。手には触れない距離で、だけど息づかいは聞こえる間隔。こうして同じ部屋で、布団に入った状態で会話をするのははじめてだ。不思議な感覚に浮ついて、眠いのか眠くないのかわからなくなる。

「あたしね、ずっとあなたが羨ましかった」

思いがけない発言に指がピクッと跳ねた。わずかな布団の膨らみと、どことなく温かい気配に瀬織を感じ取る。

「あたしは産まれてすぐ、父側で育てられたわ。その頃はまだお祖母様も生きていた。すぐに亡くなってしまったけど」

 ずいぶんと焦っていた人だった、と瀬織は苦笑いをした。

「厳しい指導を受けた。たぶん、弓巫女の血を途絶えさせないよう必死だったのね」

私の記憶に祖母はほとんどない。瀬織の指導者になっていることは知っていたが、能無しの私に興味がなかったようで、会話をすることもなかった。

冷たく見下ろす目。筆頭家門から無能が生まれたことが腹立たしかったのだろう。

祖母は父が大罪人だと知っていたのかもしれない。……それももう、故人となっては聞けないけれども。

「お祖母様は全く笑わない人で。子どもながらにそれが怖かった。厳しくされたから、今あたしは最強と呼んでもらえるくらいになったけど」

「お祖母様が嫌いだった?」

その問いに衣擦れの音がした。

どちらの反応なのか見えなかったが、追及する気はなかった。

「あなたはお母さまに大切にされていた。あたしは定期的に対面を許されたときだけ、お母さまと話せたの」

母はあまり母屋のことは話さなかった。瀬織については双子の妹だと何度も聞いており、優秀で自分とは真逆の子だと思っていた。瀬織のことを語るときの母は、やさしい目をしていた。だんだんとその気持ちが移って、話したこともない妹が愛しくなった。

母が亡くなり、瀬織との対面が許されて、同じ藤色の瞳に私が映って興奮した。その分、余計に”能無し巫女”と拒絶され、悲しくて悲しくてたまらなかった。

「お母さまと一緒にいられるあなたが羨ましかった」

衣擦れと一緒に鼻をすする音がした。暗いからどんな風に泣いているのかわからない。もどかしさに私は一気に距離を詰め、布団の中で瀬織の手を見つけて握りしめた。

「たくさん頑張ってくれてありがとう。私は瀬織がいたから生きてこられた」

「何を言って……」

「私にとって家族はお母さまと瀬織だけだったもの。能無し巫女と蔑まれるようになってからは、瀬織しかいなかった」

「あなたを追い出すために、巫女たちをあおったのはあたしよ?」

「それでも。お母さまから瀬織のことを聞いてきたから。ずっと私は瀬織に恋してたの」

もしかすると、母の想いが私に移っていたのかもしれない。母は死の間際、心残りとして瀬織を思い浮かべていた。母に想いを託され、世界は瀬織で彩られた。

恋愛という括りではない。家族愛とも違う。

依存と言われても仕方のないくらい、瀬織は私の特別だった。

「お母さまの分まで私が瀬織を大事にするよ。ゆっくりでも、姉妹として」

「本当に……あなたはバカよ。救いようのないくらい、バカな姉だわ」

「――うん。大好き、瀬織」

瀬織が泣いていると涙を拭いたくなってしまう。だけど今は、それを瀬織が求めていないことがわかったから。私はこの手を離さないと月に祈るだけだった。

「あたしたちには二人、お母さまがいるわ」

「うん」

「静芽に鈴里さまのこと、たくさん聞けたらいいわね」

「……っうん!」

私を生んでくれたもう一人の母。静芽を育てた強く、やさしい人。幼い静芽から鈴里さまを奪ってしまったかもしれない。孤独に生きてきた静芽を思うと胸が痛くなった。

「静芽なら大丈夫よ。あたしのお兄ちゃんなんだから」

言葉になると、瀬織と静芽の繋がりがしっくりと腑に落ちる。ある意味で、私が静芽を好きになるのも当然だった。瀬織との違いは愛の形だけ。

「瀬織は好きな人いないの?」

「バカ。今それを聞くの?」

「だって……。瀬織のことは何でも気になるもの」

「いないわよ。でもいつかは……誰かを好きになれたらいいわね」

まるで誰も好きにならないみたいな言い方だ。必死に生きてきた瀬織に恋愛は遠いものなのだろう。瀬織にとって、結婚は巫女の血を子々孫々に残すこと。当主としての義務ととらえている気がした。

瀬織が安心できる人と出会えたらいい。だけどその時は少し妬いてしまうかもしれない。そんなことを考えながら、うつらうつらと目を閉じた。

「瀬織は……幸せになる……。私が……る……の……」

口が回らない。意識はあるのに落ちていく感覚には逆らえない。

「おやすみ、菊里」

ただひとつ、繋いだ手のぬくもりがやさしくて。私は子どもになった甘さに眠った。


***


翌日、疲れきっていた影響か、目が覚めたのは昼近くだった。国都家のことが気がかりではあったが、私たちは先に自分たちの始末をつけようと帝都を去ることにした。

「あのっ……ありがとうございました! また写真を撮っていただけたらうれしいです」

亜照奈はおぼろげではあるが、私たちと過ごした時間を覚えているらしい。メアの行動は、亜照奈の気持ちを反映させたものだと判明したが、そう考えると憎みきれない情がうまれた。また会おう、と約束をして手を振り、帝都を出た。

「静芽。昨日言った通り、あたしたちは水龍さまに会いに行くわ」

「あぁ。白岩山……だったな」

静芽が気負った様子で息を吐き、チラリと遊磨に目を向ける。

「遊磨、お前の姉はどこで口伝を得た? 槍巫女の当主、武器が継承されているはずだ」

「あ~、姉貴ね。先代当主……まぁ、オレの母親なんだけどヨ。亡くなってすぐに姉貴は当主になった。武器もちゃっかり手にしてたな」

 やはり口伝とは当主から次期当主に行われるもののようだ。そこに龍神が介入していると思われるが、特定の場所があるはず。

「たぶん、武器といっしょに口伝を受け取ったんじゃねーか?」

「それはどこで? 姉に聞くことは――」

「あー、ムリムリ。オレも興味本位で聞いたことあっけど、言えねぇってた」

 龍神と繋がれる狭間の地。当主にしか伝わらない場所。具体的なことを知っているのは槍巫女当主だけだが、何がなんでも口を閉ざすだろう。

 しかし行動範囲とこれまで得た情報を組み合わせればある程度の想定はつく。私たちは白岩山に向かい、風龍との繋がりを得る。なんとかして水龍にもつなげてもらえれば、今後の成すべきことが決まるだろう。

 そう考えていると、瀬織が一人気難しい顔をしているのに気づく。

「どうしたの、瀬織」

「あ……うん。気になることがあって」

 瞬間、私の中で勝利の鐘が鳴る。今こそお姉ちゃんの出番だと胸をふくらませ、ど~んと瀬織の前に出た。

「瀬織! なんでも言って!」

「……うざ」

 大きく出たものの、愛は破れる。ガーンと鍵盤を叩きつけた音の後、ほろほろと涙とともに私の気合いは流れていった。そんな私を無視して瀬織は静芽の隣に並ぶ。

「静芽って何歳なの?」

静芽に向けた問いに私はハッと顔をあげる。

(瀬織が静芽さんを意識してる! お兄さんだものね! なんて素敵な兄妹なの!)

「十九歳だが」

(あぁ~! 静芽さん、十九歳だったのね! ごめんなさい、知らなかったわ!)

 浮かれるばかりの私に対し、二人はいたって真面目に会話を続けていた。

「先代当主が亡くなったの、だいたいそれくらい前。父のお姉さんよ。急に亡くなって、父が当主の座に就いたの」

 父・道頼が犯した罪は三つ。一つは天狗であり静芽の父を殺害したこと。二つ目は先代当主を亡き者にし、口伝を途切れさせたこと。三つ目は瀬織に必要のない苦労をさせた大変許しがたい罪のなかの罪だ! それは水龍が激怒するのも無理はない。

 ならば風龍は怒っていないのだろうか?

 罪があるとすれば、口伝を途切れさせたこと。それは巫女の血脈を閉ざすほどの大罪に値するのか。その場合、罪人は鈴里ということになるが……。

(それも知らないとね……)

天野家にいたとして、下手をすれば傀儡扱いだ。気をつけるべきことは多い。

「私、鈴里さまと静芽さんに守ってもらってたんだね」

 喜びを呟いて、静芽のとなりに駆け寄ると袖をつかむ。やさしい想い、誰かを想う心。素敵な想いを継いで静芽がいると思うと、なんて素敵なことかと頬がゆるんだ。

「……はぁぁ、失恋の痛みが身に染みるぜ」

 背後で遊磨が空を仰いで嘆きだす。それに静芽が振り向いて、鼻を高くして笑った。

「ざまぁみろ」

「……お前、ほんっと性格わりぃよな! さっさと振られろ、犬っころ!」

(あーぁ……)

またはじまった、と二人からススッと離れる。瀬織も争いに巻き込まれたくないようで、顔面を青くしながらスーッと引いていく私と瀬織が隣に並ぶと、今までの憂いを吹き飛ばすように笑いあった。


***


白岩山のふもとに到着すると、つい最近のことのはずが懐かしさを感じる。不思議な感覚に静芽の後に続く。なだらかな道を静芽が知っていたので、思うよりは負担が少ない。とはいえ、山を登るのはなかなか大変で、だんだんと会話はなくなった。

静芽は山慣れしており、遊磨は”体力バカ”だ。戦いのときと登山での体力はまったくの別物。ここ最近の疲れもあいまって、瀬織の顔色はあまり良くなかった。戦闘で傷ついた身体を思い出し、私は静芽の袖を引っぱり、振り向かせる。

「静芽さん。瀬織を抱えることって出来ますか?」

静芽が目を丸くし、瀬織をチラ見する。

「バカッ! なに言ってるの⁉」

 顔を赤らめた瀬織が足を止め、両手を前に突きだす。藤色がうろたえるのを見て、私はキュンとときめきつつ、瀬織のためにできることは何でもしたいと静芽に懇願した。

「お願いします。瀬織、強がっちゃうんで」

「バカなの⁉ あなた何を……!」

「わかった」

静芽が瀬織の前まで歩み寄り、しゃがみこんで背を向ける。

「ほら。背に乗れ」

「なっ……いや……」

「あー! 犬っころずりぃぞ! オレが瀬織ちゃんをおんぶする!」

「あ、あなたまで何を言ってるの⁉ あたしは平気よ!」

「菊里の頼みだ。俺が嫌ならクソ猿でもいい。どっちか選べ」

静芽がぐいぐいと迫るので、瀬織はその場にしゃがみ込んで顔を隠す。

「遊磨で」

「え、いいの? オレでいいの⁉ 瀬織ちゃん!」

瀬織はやけくそになってうなずき、遊磨を手招きする。

「静芽は菊里の恋人なんだから! もう少し考えなさいよ!」

ワナワナと震える瀬織。怒っているようだが、なぜ怒るのかいまいちピンとこない。

(恋人……だからなんだろう?)

「菊里の頼みだ。聞いて当然だろう。それにお前、妹だろ? 俺が雑に扱うと菊里が怒るんだ。わかるだろ?」

 なぜ私が怒る前提なのだろう。事実だから何も言うことはないが。

瀬織は大げさにため息を吐くと、それ以上は言わぬと首を横に振った。

「瀬織ちゃん。オレは犬には慣れねぇけど、お兄様となら呼ばれたいぜ」

「バカなの?」

遊磨の軽口に瀬織はそっぽを向き、不本意そうに遊磨の背に負われる。やはり相当疲れがたまっていたようで、動きだすや瀬織は安堵の息をついていた。

がんばりすぎる傾向があるから、私はお姉ちゃんとして見守ろう。そう意気込んで私も山道を進んだ。








*** 十 ***


滝の音、空が開けた空間にたどり着く。滝つぼ石を渡れば滝の裏側に道が続いていた。静芽とはここで出会ったが、可能性があるのはこの先。洞穴の向こう側だ。

「ここに鈴里さんはよく連れて来てくれた。たぶん、このあたりに狭間があるんだろうが、俺にはわからない」

 入ることが出来るのは巫女と限られているのかもしれない。静芽がここによくいたとしても、狭間を知らないとなれば道が閉ざされていたと考えるのが妥当。

私にしては珍しく、小さな脳をフル回転させて道を探る。その間に瀬織が遊磨から降り、滝つぼの前にしゃがんで手のひらで水をすくっていた。

「キレイな水ね。ここにはあやかしも近づかないでしょう」

「山にあやかしは出るが、たしかにここまでめったに来ない」

「そういえばあやかし、戦ったわね……。菊里が死んでしまうかと思って……」

あやかしの攻撃に追いつめられ、私は崖から転落した。静芽がいなければ確実に死んでいただろう。

「あの時はごめんなさい」

瀬織の寄る辺なさそうな謝罪に、私は急いで瀬織に手をのばす。

「いいの。瀬織の立場なら、当然の決断よ。他の巫女たちの安全が優先!」

「……あなたは本当にあたしを責めないのね」

ほんの少し、切ない微笑みに胸が痛くなる。瀬織は強くなろうとして、無理やり自分を捻じ曲げた。力を奪った罪悪感。筆頭家門の立ち位置。大罪を償い、弓巫女を再興させるために、強くなるしかなかった。

瀬織が刃のように鋭いのは、ガラスの心を隠すため。それも含めて瀬織が大好きだ。

私にとって瀬織は、ハチミツみたいな存在で、飽きることのない甘さだった。

「私、行ってみます」

 くるっと振り返り、静芽から預けていた剣を受け取る。それを両手で抱き、滝つぼ石を渡って滝の裏側で足を止めた。

「行ってみないと何もわからないから! 鈴里さまがここに静芽さんを連れてきた! それを信じてみることにする!」

「菊里‼」

 瀬織が同じように滝つぼ石を越え、滝の裏側に出て私と向き合う。

「あたしも行く。抱えるものはいっしょよ」

 凛とした顔に、私は安らぎを知る。

(やっぱり、好きだなぁ)

 瀬織がいれば怖いものはない。だって私は瀬織への愛情で満たされているから。


頬を撫でる水気を含んだ風が心地よい。洞穴に入るとさすがに暗かった。目を細めてあたりを見渡せば、置きっぱなしの照明器具がある。おそらく静芽が残したものだ。

湿ってないか確認し、ランタンに火をともす。小さな光を頼りに洞穴の奥へ進んだ。探るように壁に手をつきながら進んでいくと、前方から光がさしこみ、足元を照らす。

「これ、静芽が気づかなかったのよね?」

「うん……。巫女にしか開かない道なのかも」

 風が横切ると鳥肌がたち、剣を握る手が汗ばんだ。静芽から受け取ったときに見た刀身の輝きが脳裏をよぎる。短い時間でいろんなことが起きたと、日々の記憶を思い返した。

今、この剣は私のだ。胸をはって刀巫女として生きていく。怯えてばかりだった私は静芽に支えられ、いつのまにか誇らしさに前を見ていた。

 やがて光は自分の身長よりも大きくなる。開けた地に続く穴を抜け、まぶしい日差しに目を細めた。白い明るさに馴染んでいき、甘く爽やかな香りが鼻をくすぐる。色鮮やかな景色が視界に飛び込んできたと同時に、となりに立つ瀬織の微笑みに胸を打たれた。

「キレイね……」

色とりどりの花が咲き、小鳥のさえずりが響く。美しい景色の中には、現実と繋がる岩山が見受けられた。あやかしとの戦いで足を滑らせた崖。静芽は落ちる私を助けてくれた。後ろを見れば岩に囲まれた地とわかる。静芽は滝を越えて私を助けたのだろう。

(滝の水源はどこだろう? ここからだと滝の存在が感じられない)

 現実で見える光景と、ここで見るものは違うのだろう。ゆえに狭間、特別な地だと納得した。同時に谷風が発生することから、”刀巫女のための地”だと思い知った。

(たぶん、鈴里さんはここに来ていた。静芽さんは入れなかったんだ)

鈴里の痕跡を追ってここまできた。責任感や使命感ではなく、瀬織の望みを叶えたい一心でたどりついた。下心でいっぱいだろうが気持ちを強くしていたのに、いざたどりつけば涙がハラハラと落ちていた。

何をすればいいか知っていたわけでない。だが本能が私を動かした。剣を鞘から抜くと、ゴォッと、刀身に風が巻きつきだす。四方八方から風がでたらめに吹き、剣に吸収されていく。花びらが舞いあがり、銀色の刀身が金に染まった。

 異次元の輝きに目を見開いていると、風がシュルシュルと音をたてて収縮する。最後に風が白い渦となり、パンと弾けて白銀の髪をした少女が現れた。

「菊里だ! 鈴里の子!」

少女がぐっと私に顔を近づける。翡翠色の瞳に私を映し、舌足らずな声に名前を呼ばれ身が強張った。

「えっと……」

「あのね、菊里! 聞いて! 鈴里がひどいんだよ! アタシに剣を返してくれなかったの! 静芽に渡しちゃったんだよ!」

 ずいぶんと早口で、幼い身振り手振りだ。反応に追いつけなくても、少女は弾丸のように口をとめようとしなかった。

「鈴里の魂が剣を返さないと拒絶したの! 追いかけたけどすぐに逃げちゃうの! アタシだってちゃんと巫女に継承させないといけないのにひどいよ!」

ぷんすか、ぷんすか。腹を立てる姿は、まるで威厳がない。ただの幼子にしか見えない風龍疑惑に私は口角を引きつらせる。押されるだけの状況。風龍は気にも止めず、言葉がただの音として流れるばかり。

「アタシ、ちゃんと剣が選んだ巫女に渡すもん! 菊里だってわかったらちゃんとするもん! なのに鈴里は静芽に渡して二度と帰ってこなかった!」

「えっ……と、鈴里さんはとっくに亡くなってて……」

「知ってるよ! だから剣を返してほしかった! 武器の継承で龍と巫女の約束事を確認しなきゃいけないのに、鈴里はそれを破った!」

 約束事、とは口伝のことだろうか?

 そもそも口伝でなくてはならない理由は何か。書物に残せば継承問題にならないのに、わざわざ人知れない狭間で龍と向き合うのにはとても大切な役割があるということ。

「私、刀巫女と継承します。でも口伝がない……。鈴里さまからいただいていないので、風龍さまに会いに来ました。なぜ、口伝が必要なのですか?」

「もぉーっ! 菊里はバカ! 鈴里より頭悪い!」

 鈴里さまはバカだったのか、と考えるより先に風龍が私の腕を連続して叩いてくる。行動が幼い子そのままで、頭の悪さは風龍も同じではないかと悪態をつけば、なお叩く手に力が入り、埒が明かなかった。

 やがて八つ当たりに飽いた風龍は腕組みをし、大きく足を開いて仁王立ちをする。

「言い伝えってどこまで勝手に伝わると思う?」

「えっ……」

 風龍の問いに戸惑い、答えられずにいると瀬織が腕を盾にし、一歩前に出る。

「風龍さま、失礼します。あたしは弓巫女の者です。その質問に対しての答えですが、言い伝えは歪む……という認識でよろしいでしょうか?」

「せーかいー‼ 瀬織、優秀! 菊里、ポンコツ‼」

 つくづく私は下に見られているようだが、風龍に何かしただろうか。正しい継承が出来なかった時点で、風龍にとって刀巫女は守るに足らずの存在になったのかもしれない。口伝が途切れたのは弓巫女も同じだが、風龍の管轄ではないので寛容なのだろう。

「武器を継承する時、龍と巫女は大事な大事な約束を交わすの。伝えるべきことが歪まないように。ちゃ~んと顔合わせをすることが大事なんだよォ」

 それを守れないようでは巫女の資格なし。龍たちは筆頭家門の必然性をそうして判断するようだ。龍たちからすれば私たちは約束を先に破った裏切り者でしかない。

「鈴里はわざと静芽に剣を渡した。アタシがそっちにいけないと知ってて返さなかった」

 返さなかったことで口伝が途切れた。

仮にそうだとして、私が鞘を抜けたのは口伝と関係ないのだろうか?

風龍に返さなくても使い手がいるならば、大して問題がないように思えるが……そんな簡単な話ではないと示すのが弓巫女だ。巫女の血が途絶える。口伝が途切れる=約束を破った。一時的に私が剣を扱えても、次には繋がらないと考えるべきだろう。

 軽率なことが多く、風龍に怒られても仕方のないこと。このまま風龍を怒らせては刀巫女も衰退の一途をたどる。それは避けたい問題だ。三大家門で起きた問題は、必然的に弓巫女当主になる瀬織に面倒をかけてしまうから。

 私は私の意志を貫く。瀬織の姉として、刀巫女として、何がなんでも風龍から口伝を受け取って見せる。

「風龍さま。天野鈴里がした非礼をお詫び申し上げます。私はずっと自分を弓巫女だと思って育ちました。まだまだ刀巫女としての自覚が足りない。……ですが、人々を守る使命感は変わらずに持っています。妹の瀬織と協力して、あやかしと戦う。この重たいばかりの剣で戦おうと思います。どうか……お許しください。私に戦うことを許してください」

 花畑で膝をつき、風龍に頭を垂れる。すると瀬織もそれに続き、両手を八の字にして風龍に誠心誠意向き合った。

「あたしからもお願いします。あたしは弓巫女。父は大罪人です。許されないことをした。だからこそ償いをしたい。水龍さまにお会いしたいのです」

 私と瀬織の訴えに風龍は何も言わなかった。手足をジタバタさせると、背を向けて空間の奥へ走りだす。どこが水源かもわからない丸い泉の前に立つと、その場に這いつくばって水面を手のひらで叩いた。

 謎の行動に目を見張っていると、風が吹き、水が渦をあげて人の形を作る。

「風龍ちゃんはいつまで経っても愛らしいことね」

 水が弾けて、風にのって雨のように私たちを頭から濡らす。

「すい……りゅうさま?」

名乗られたわけでもないのに、その人が水龍だと理解した。にっこりと微笑まれ、海色の瞳に光を灯す。

「こんにちは。この間はメアがお世話になったようで、ごめんなさいね」

「あ……」

「でも弓巫女も悪いと自覚してくださいね? 現世を構成する水のバランスが崩れ、あやかしたちが歪から出やすくなった。あやかしは悪いことが大好き。自分たちの落ち度だから、文句は言えないですよ?」

 どうやら水龍はメアの暴走を把握していたようだ。メアの攻撃は水。蛇のように水を伸ばし、弾丸の雨を降らせた。水を司る龍の管轄下、もしくは同列の存在かもしれない。異国の扱いは私たち巫女には関わりのない話だ。

「申し訳ございませんでした……。弓巫女の力が至らなかったための問題です。あたしは本来、巫女になれなかった身……」

「そうねぇ。あなたのお父上はちょっとぉ、やりすぎているわぁ。長年の劣等感とはいえ、殺しすぎぃ。口伝云々ではなく、人として終わっているわねぇ」

 やはり弓巫女が途絶えたのは父・頼道の行動が起因している。私は父の劣等感を知らないし、知ろうとも思わない。

(私も劣等感は抱えてきた。だけど誰かを傷つけてまで力を得ようとは思わなかった)

 同情はする。だが余地はない。くだらない劣等感で誰かを傷つけるのはただの暴力。

大罪人とみなすのが人の世の理であり、私たちが許してはいけないこと。私はこれからたくさんのことを背負う瀬織の味方になる。揺るがない決意を示そう。

「風龍さま。私を刀巫女として認めてください。今後、口伝が途切れることのないよう、約束の大切さも伝えてまいります」

 風龍を見据え、私の想いを告げる。

「水龍さま。あたしは筆頭家門の者として、弓巫女の立て直しをします。口伝が途切れることのないよう……。姉と協力体制を作り、三家門の連携強化に努めます」

 瀬織が私に続いて、どうして生きたいかの意思表示をする。それに水龍は目を細め、ひたひたと濡れた足で瀬織の前に立つ。

「それで。あの大罪人はどうするつもりぃ? あの男が当主でいる限り、水弓は渡せないのよねぇ。あなたがいくら頑張っても、罪が残る限り弓巫女はそのまま~だったり」

「そのままそのまま~‼」

 水龍の嫌味に乗っかり、風龍は両手を伸ばしてキャッキャと笑う。龍たちからすると、約束を守ってくれれば怒る理由もないのだろう。私と瀬織がやり直したいと意志をもち、ここまでたどり着いたことを無下にする気はない。問題は大罪人が、現状の弓巫女を汚しているということだ。父がいる限り、瀬織は水弓を得られないし、当主にもなれない。退任するよう申告したところで、父の罪が裁かれたとはならず……。結局、父がどうにかなるまで解決策はない。だとしてもそれを待てるほど、今のあやかし退治の情勢は芳しくなかった。

(どうすればいい? 私はなんて答えれば……)

 そう思い悩んだ時、私の手に瀬織の手が重なった。目が合うと、瀬織は疲れは残れどいつもの虚勢をはった顔して口角をあげていた。言葉はないのに、瀬織が笑っているなら何も怖くないと、私は瀬織に想いを託し、うなずいた。

「お願いがあります。水龍さま、風龍さま」

 瀬織のひと際ずっしりとした声が二人の龍に向けられる。

「父を……現当主の罪を裁く方法を教えてください。あたしが知らないだけで、おそらくもっと罪を犯しているのでしょう」

「あなた、仮にも自分の父親でしょう? 父への情はないのかしらぁ」

 水龍の問いに瀬織は迷いなく首を横に振った。藤色の瞳がまっすぐに水龍をとらえる。

「父だからです。罪を抱えたままの姿は見ていられない……」

(あぁ……瀬織はやさしいなぁ)

 ろくでなしの父でも、憂いる心を持っている。私なら容赦なくどうでもいいと切り捨てるのに、瀬織は最後まで憐れみを向けているんだ。

 このまま瀬織が話を進めてもいいのかもしれない。だが私は遮ることを決める。

「私からもお願いします。罪を……ううん。静芽さんのお父さんをはじめとする、悲しい想いをした人たちに謝ってほしいから!」

 瀬織が罪悪感を背負うなら、私もいっしょに。辛い思いは半分ずつ抱えよう。

 苦しい思いをした静芽に、親を亡くした悲しい想いを引きずってほしくない。悲しみの連鎖なんてご免だ。弓巫女として生きてきた私たちがけじめをつける。それが約束を破った私たちにできる最善だ。

 意志を前面に、二人の龍を見つめる。二人はポカンと口を開いていたが、やがて腹を抱えて笑いだす。なぜ急に陽気な笑い方をするのかと、私と瀬織は怪訝に首を傾げた。

「あいわかった。罪人を裁くことで手を打ちましょうかねぇ」

「! 水龍さま!」

「仕方ないなぁ。水龍がいいならいいよ! でも先にアタシは菊里と契約する!」

 風龍の言葉に心臓がドキッと跳ねる。全身がドクンドクンと音をたて、緊張から頭が縄で縛られたように痛くなった。頬に熱が充満していくのを感じながら、風龍が差しだしてきた手を取り立ち上がる。

「剣、こっちに」

 風龍が両手で剣を要求してきたので、急に重たくならないようゆっくりとおろす。小さな手が鞘を握りしめ、満足そうに笑むと風を巻き起こし、白銀の髪を空になびかせた。

 アッと息を呑む神々しさが目の前に迫る。翡翠色のウロコをもつ龍が剣をくわえ、私の前に顔を近づける。細長いひげが私の頬をなで、輝く瞳で私の内側を見透かした。

 全部、バレている。隠し事なんて出来ない。心を丸ごとのぞき込まれている気分だ。

 風龍が私の内側を駆け巡り、血が騒ぎだして思い出す。

 現世に歪みが生まれ、かくりよからあやかしが流出した。人々にあやかしを倒す術はなかった。簡単ではないあやかし討伐に。巫女と龍は契約する。

 守りたいと願った原点を忘れることなかれ。武器を暴力に使うことなかれ。

 口伝じたいに中身はない。これは龍と約束を交わしたことを思い出すための時間。書物に記すのではなく、己の目と耳で、行動で繋いでいく大切さを知るためのものだった。

 はじまりの想いが私の中になだれ込んできて、涙があふれ出す。私が瀬織を守りたいと願ったように、誰かのやさしい思いが巫女を生みだした。

 願いは、祈りは、途切れることなく未来へ繋ぐ。巫女は力でなく、想いだ――。

「血を繋ぐ。想いを繋ぐ。筆頭家門の意義ははじまりを示すんだよ」

 風龍のビードロのような声が私の身に染みわたる。

力に驕ることなかれ。欲に溺れることなかれ。

筆頭家門の血筋が継承するのは約束が繋がっていることを可視化するため。口伝とは思いの継承だと体感し、私はやさしい風のなかで安らいだ微笑みを浮かべた。


「さて、次は瀬織さん。あなたの番やねぇ」

 姉に続き、裁きをくだすことを見届けるよう、水龍は笑顔で威圧した。それに負けじと瀬織は肩を張り、立ち上がって何の変哲もない弓を水龍に手渡した。

「水弓を求めます。たとえ力が借り物だとしても、弓巫女の家門に生まれたからにはお役目は変わりません。そして菊里を守る。もう二度と、失わない」

 瀬織の強い眼差しに、私は別方向から想いに貫かれる。

(あーん、もう! やっぱり私、瀬織が大好き‼)

心配することさえおこがましいほどに、瀬織は私の誇りだ。水弓を手にしていなくても、戦いを通じて巫女のあるべき姿を身につけていた。

(無知だったのは私だけ……だったけど! もう変わったんだ!)

たくさん恥じることはある。だけど嘆くよりも、明日の笑顔がよっぽど大事だ。今日という日も明日に繋ぐために、”責任感が強すぎる最高の妹”と肩を並べたいという気持ちが湧き、ワクワクが止まらなかった。

「オッドアイ。それぞれ良いところを継いだんですね」

 弓を受け取った水龍は、おもむろに瀬織の眼帯に触れ、私の目に視線を移す。

「? 良いところ?」

「藤色は破魔の色、金は生命の色。母たちの強いところを分けあったようですね」

瀬織は母の顔によく似ている。母は穏やかな顔立ちをしていたが、瀬織は気難しい表情をすることが多いので、印象はまったく違う。それでも根っこの強さは瀬織に引き継がれていると、やさしい気持ちに胸が膨らんだ。

これまで瀬織を守ってきたのは母だったかもしれない。だからこそもう、私は無能だなんて嘆かない。お姉ちゃんとして瀬織を守ってみせる、と私は空を仰いで母に感謝の想いを送った。

水がサラサラと流れる音がして水龍の手元を見ると、先に手渡した弓は水をまとって新たな武器となる。瑠璃色の弓幹ゆがらはしなやかに美しく、弦は透きとおるような一本の光として輝いていた。おそるおそる瀬織が弓を手に取れば、弓幹がキラキラと水光の揺れを映しこむ。

「キレイ……」

 涙ぐみ、瀬織は水龍に頭をたれる。ようやく報われた姿に、私も感極まって嬉し涙がこぼれていた。


涙が落ちつくと、ゴッと強い風が巻き起こり、目の前に二つの影が現れる。

「な……んだ?」

「うひょー⁉ びっくりした~‼」

「静芽さん! 遊磨さん!」

 風の中から静芽と遊磨が現れ、私と瀬織は困惑する。

「菊里? えっ……なんで」

「しーずめっ!」

「うわっ⁉」

風龍が静芽に飛びついて、今までのうっぷんを晴らそうとポカポカ頭を叩きだす。

「もぉー! 鈴里が剣を返してくれなかったから、約束が破れるとこだったじゃん!」

「いてっ! なんだよお前……!」

理不尽にポカポカと叩かれ、静芽は風龍を睨みつける。だがすぐにそれが”風龍”であることを理解し、口をつぐんだ。

この場には巫女しか入れない。静芽と遊磨が現れたとなると、水龍と風龍がこの場に招いたということだ。

これからが本題。関係するものを集めて、裁きを見届けるよう覚悟を持て、と言われているのと遜色はない。

「さて、ではケジメをつけましょうか」

おっとりとした口調で水龍は両手をあわせ、すこぶるキラッとした笑みを浮かべる。あまりに爽快すぎて、もはや胡散臭さに鳥肌が立った。

「んんん? ケジメって……」

 状況を理解していない遊磨が困ったようにこめかみをかく。静芽はなんとなく察したようで、苦味の強い表情で口の端を引きしめていた。風龍は鼻歌をうたいだし、まるで龍たちにとっては暇つぶしでしかない態度だった。

「常世、そしてかくりよへ行きましょう」

 水龍が指を振ると、水がアーチ状になり、空洞の先は何も見えない。顎でくいっとその空洞をさされた。この中に飛び込めと言いたいのだろう。

 あやかしをかくりよへ送ってきたが、自分たちがそこに行くのははじめてのこと。魑魅魍魎がいるのではないかと想像し、恐れから唾を飲む。

「菊里、手を」

右隣から皮の厚い大きな手のひらが差しだされる。

「菊里」

 左隣からは同じく皮の厚い小さな手のひらが差しだされた。

不安なのは皆いっしょ。手を繋いでともに向かおうと、私は勇気をもらってうなずいた。瀬織が反対の手で遊磨の手を取り、全員で並ぶとアーチの中に飛び込んだ。




*** 十一 ***


空間が歪む。私たちがあやかしをかくりよへ送るときと同じ。今は私たちが飲みこまれる側だ。前方から強い風が吹き、目を開けていられない。上昇しているのか、下降しているのか、わからなくなるくらい振り回されて、やがて動きが止まる。

おそるおそる目を開くと、真下にはいくつもの雲の島が浮いていた。そこには営みがあるようで、現世と似た町並みや荘厳な建物が見受けられる。あやかしが住まうかくりよとは思えないおだやかな場所だ。

「うひょー‼ すげぇ! これがかくりよか⁉」

 一番興奮しているのは遊磨で、想像よりもずっと鮮やかで楽しげな雰囲気に目を輝かせている。一人盛り上がる遊磨に、静芽は舌打ちをしてそっぽを向いた。

「ここはかくりよ。あやかしが住まう場所です」

 水龍がガイド役となり、かくりよの町並みをさして微笑む。よく見れば猫又や一つ目鬼といったあやかしが人間となんら変わりない生活を送っている。私たちが退治してきたあやかしとは異なり、温厚そうな者たちだ。もっと殺伐としたイメージを持っていた。

かくりよの定義は思っているのと違うかもしれない、と疑問に思ってると、雲に乗ってプカプカ浮かぶ風龍が肘をつきながら下を指して悪ガキの顔をする。

「かくりよは八つの層があるの。ここは一番上なんだよ! 悪いことをしたらどんどん落ちていく。それは人間も同じで、悪いことをしたら反省しなくちゃいけないのっ!」

 となれば、今見えているあやかしたちは善良ということ。むしろ現世よりも平和な世界だと、安堵に似た感覚に胸がムズムズした。

「龍神さまたちは普段はどちらに?」

 瀬織がたずねると、あいまいに微笑まれるだけで答えを得られなかった。

「俺の父はなぜ、かくりよでなく現世に?」

 静芽は複雑な心境のまま、眉をひそめて水龍と風龍を交互に見る。どちらが答えるか、と二人の龍は互いに見合い、説明上手な水龍が答えることとなった。

「現世にいる役割を持つあやかしもいます。あなたのお父上、天狗はあやかしであり、神聖な存在。はじめから現世に生まれ、自然に紛れて暮らしてきた者です」

 水龍の発言に、父・頼道の罪が合致した。神聖な天狗を殺害する。自然を冒涜したのと同意。父の手がいつから汚れたかはわからないが、決定的に血に染まったのは静芽の父を殺したときだと判明した。

 切なく苦笑する静芽に胸が痛む。静芽は天狗と人間の間に生まれた。人間に近くても神聖な存在。父・道頼を憎く思う心と、天狗としての立場が嚙み合わない。本当はその手で復讐を果たしたかったのかもしれない。そう思うと悲しくて辛くて、私は涙ぐんで静芽の手を強く握るしかできなかった。

「さて、では一気に下の層へ向かいましょう。見ていて気持ちの良いものではありませんから、目を瞑っておくことをおすすめします」

 物騒なことを明るく弾んだ声で言われると、なお不気味に聞こえる。一体どんな世界なんだと想像し、青ざめていると身体が下に引っ張られた。あまりに早く、風が体当たりしてくるのでまるで高い崖から真っ逆さまに落下している気分だ。恐怖から目を固く閉ざし、悲鳴をあげたくても怖すぎて無言になる。他の三人はどうだろうと気になったものの、風の音が強すぎて悲鳴は聞こえなかった。

そうして時間の経過を忘れた頃、ぼんやりといつ底にたどりつくのかと考えだす。やがて肌を突き刺すような冷たさが頬を撫で、全身が硬直する。ただ怖いだけではなかった。この冷たさからは“死”を感じる。永遠の死。熱さと冷たさが交互にやってきて、落下しながら死んだと錯覚に陥っていた。

「着きました。でも目を開けないでください」

閉じたまぶたの向こう側は真っ暗闇だ。視覚以外の五感で私たちは一番下の層のかくりよを知っていく。ドォーン、ドォーンと重低音の音が響き、近くには何かおどろおどろしいものが構えている気配がした。あまりの恐怖に歯がカチカチを鳴った。

(あ……)

 あたたかさが私を包む。左手を瀬織が、右手は静芽が。やさしい温度と、小指の熱さ。

 今、私たちは視界を奪われた状態で、まぶたの向こう側にある恐ろしい場所を感じている。もし、一人でいたら恐怖にのまれ、私たちは龍の忠告を破っただろう。

(大丈夫。これは約束だ。私たちは一人じゃない)

片割れと恋い慕う人、仲間がいれば何とかなる。私には大望があり、叶えるためならば手段は選ばない。そうして剣を手に、今の愛を勝ち取った。だから大丈夫だと胸をはって見えない向こう側と対面した。

「なんだ、ここは……。どこだ?」

 どこからか、声が聞こえる。空間の広さはわからないが、まわりの音は消え、声だけが鮮明に波紋していた。

(父上……!)

 これは父・道頼の声だ。向こう側に父がいるのだろうか?

 気になっても私たちは見ることが出来ない。見えないが、なんとなく父が焦燥感に振り回され、あたりを見回している。やがて苛立ちは外側に向き、現状をうみだした原因に吠えだした。

「なんだ⁉」

 驚いた父の一声。何か圧迫感のあるものが現れたようだ。真っ暗だったまぶたが、赤黒い光を得て黒い影を走らせる。

「姉上。それに鈴里……」

 耳に馴染むようになった名前にハッとし、目を開けそうになる。だがぐっとこらえて、唇を丸め込む。

相良さがら⁉」

 右隣りから息を吞む音がした。静芽がひどく動揺している。名前は聞いていなかったが、“相良さがら”とは静芽の父の名かもしれない。

 決して見てはいけない。だけどそこには私たちの会いたかった人たちがいると思うと、涙があふれだし、胸が詰まる想いだった。

「な、なんだお前たちは……。お前たちがこんな場所に連れてきたのか⁉」

 私たちの前では無口で、内面を見せることのなかった父。こうして荒ぶる声を聞くと、執着にまみれた人だと実感する。

「何か言えよ! お、俺を恨んでるとでも言いたいのか⁉」

 確信部に触れた。私は耳を澄ませ、父の言葉を一言一句聞き取ろうと前のめりになる。瀬織も同じようで、汗ばんだ手を握りなおし、深呼吸で冷静になろうとしているのがわかった。

「はっ……! お前たちは知らないだろうな‼ どれだけ俺が惨めな気持ちだったか‼」

 巫女として戦えない。無能だと誰からも期待されない日々。その痛みは私がよく知っている。だが暴力に走ろうと思ったことはない。惨めになるとは、鈴里と相良が影響していると思われるが、何がそこまで父を黒く染めてしまったのか……。

「お前らと比較された屈辱! 鈴里! お前は刀巫女として優秀だった! 幼なじみなのにお前はいつも巫女の頂点に立っていた‼」

 次に怒声が向けられたのは相良だ。

「お前と出会ったこと、今でも忌々しく思う! お前は亜矢子を奪った! 亜矢子は俺の婚約者だったのに‼ お前が! お前が全部壊した‼」

 それが殺害に至った理由。ようやく父の劣等感が見えてきた。父と母・亜矢子、鈴里は幼なじみであり、優秀な巫女二人と無能の男だった。筆頭家門という点で鈴里に劣等感を抱き、亜矢子に対しては恋心を抱いていた。役立たずでも、能力の高い亜矢子を娶って筆頭家門を繋ぐ。そう考えていたのだろう。――天狗の相良が現れるまでは。

「残念だったな! 俺ははじめからお前がダイキライだった! 友情なんてあるわけないだろう!」

 何も見えない。それなのにどうしてか、相良の悲しみが伝わってきた。父の言葉に傷ついているのだろう。相良は死ぬ間際まで、父との友情を信じていた。信頼する友人だったから、相性の悪い海に近づいた。なぜ、珊瑚の指輪を持っていたのか。それだけがわからないが、相良は海で亡くなった原因が判明し、悲痛さに涙が溢れた。

「壊れてしまえ、そう思った。こんな苦しみを与えた巫女なんて滅べばいいと! 姉上、あなたはいつも俺を憐れんでいた! 大した力もないくせに……。なにが筆頭家門だ! 終わらせてやる! 全部消してやろうと思ったさ!」

 今度は私たちの叔母であり、父の姉から憂いが届いた。筆頭家門として当主の座についたものの、能力面から自信がなかったようだ。その後ろめたさに、父が弓巫女を終わらせると当てつけで殺害に至った。父ははじめから、弓巫女の衰退を望んでいたと判明した。

 その後、母の亜矢子は白峰家に嫁いだ。すでに相良は亡くなっており、静芽を出産してすぐのことであった。静芽は鈴里に託され、ひっそりと生き永らえた。

 弓巫女は終わる。終わるはずだった。

(私と瀬織が生まれたんだ。刀巫女の私と、弓巫女の瀬織。途絶えるはずだった力を瀬織は持っていた。それも群を抜いて強い巫女として)

 父は相当驚いたのだろう。だから母を離れに追いやったままにしたのかもしれない。いずれにせよ、父は劣等感と傲慢さから手を血に染めた。同情はすれど、あまりに犠牲が多すぎて救いようがない。似たような感情を抱いたことがあるからこそ、私は父に対して煮えきらぬ腹立たしさを抱いた。

「弱虫っ! 父上はただの弱虫よ‼」

「菊里⁉」

 姿を見ることの出来ない父に向かって叫ぶ。それに驚いた瀬織が私の手を引き、後ろに追いやって盾になろうとする。それでも私は吠え続けた。

「能力がないからって何よ‼ 悔しかったんなら戦えばよかったじゃない‼」

 この叫びが父に届いているかわからない。言わずにはいられない、私が味わってきた屈辱と、あきらめなかった心を――。

「あんたには信念がなかっただけよ! 無能だと嘆いて何もしなかった! 弱虫! 何もしないで欲しいものが手に入るなんて思うな!」

「菊里……」

 消え入りそうな声で瀬織が私を呼ぶ。汗ばむ瀬織の手を、私は硬く握りしめた。

「道はあったはずよ……。出来たことはたくさんあったはずよ。何もしなかったのに、何も得られなかったと腹をたてるのは、あんたが可能性をもちながらもそれに手を伸ばさなかったから。悔しさはわかっても、あきらめた心はわからないわ‼」

 目を閉じているのに、ボロボロと涙が溢れて目尻からこぼれていく。鼻水が垂れそうになり、鼻をすすっては唇のしょっぱさに口角を横に引っ張った。

「もういい……。ごめんなさい。あたし、菊里をたくさん傷つけた」

 瀬織の謝罪に私は首を横に振り、気配をたどって瀬織の肩に寄りかかる。

「私には瀬織がいた。だからあきらめなかった。瀬織はね、私の生きる希望だよ」

 傷ついてもよかった。それ以上に瀬織がいとおしかったから。

 お姉ちゃんが妹を守るんだって決意が、私を生かしてくれた。

「全部、菊里だった……」

「えっ?」

「ううん……なんでもない」

 やさしい微笑みがそこにある気がした。きっと今までにないくらい、瀬織らしい顔をしていただろう。今はその微笑みを見れないけれど、いつかお互いに笑い合えたらいい。

「反応がないな……」

 黙り込んでいた静芽が重々しく呟く。聴力だけでなく、他の感覚も優れた静芽がそう言うということは、父には私の叫びが聞こえていないのだろう。それはありがたくもあり、同時にもう二度と声は届かないのだと悟った。

「オレ、よくわかってねーけど。あの親父さん、かわいそーだわ」

 瀬織の向こう側にいる遊磨が困ったように息を吐く。

「オレはあの親父さんと同じ立場だ。槍巫女の筆頭家門に生まれて、巫女にはなれなかった。姉が当主になるのはわかりきっていたし」

 まったく同じだ、とこの場で父の劣等感を一番理解できるのは遊磨と知る。違いがあるとすれば、幼馴染という存在がいたかどうか。恋仲に関しては、それも父と同じかもしれない。私が恋愛対象として好きになったのは静芽で、遊磨はこれからも付き合っていきたい仲間だったから。ここまで同じ境遇なのに、父と遊磨はまったく価値観が異なる。正反対といってもいい清々しさ。前向きな遊磨は、思いきり舌打ちをし、同族嫌悪だと声をはって父・道頼に悪態をついていた。

「強くなる方法はいくらでもあんだよ! てめぇに魅力がねぇから振られたんだろ! オレだって振られたけど、オレが悪いなんてちっとも思ってねぇ! だったら次は気持ちを向けてもらえるくらいイイ男になってりゃいいだけのことよ! バーカバーカ‼」

 真っ当なことを言っていたのに、最後は幼稚になっている。わざとそうやって私たちを傷つけないようにふるまっていると知り、こういうのはタイミングの問題だと理解した。

 遊磨を心から尊敬する。だからこそ、幸せになってほしいと願うばかりだった。


「ふふふっ。あなたたちは本当におもしろいですねぇ」

 さらさらと流水音がし、私たちの周りを泳ぐ水龍。

「声が届かないってことは、聞く耳がないってこと~。みんなが何を言ってもあの人は救われない。……今も悲しんで見ているのに、あの人は怒ってるだけ」

 水龍に続いて風がそよぎ、私たちの頬を撫でながら風龍がのんびりと語る。その言葉にすべて集約されている気がした。

 ここはかくりよの最下層。目を開けてはダメな場所。

 最後の審判は相良と鈴里、そして叔母の三人が行うのだろう。父・道頼を憐れみ、友人として家族として悲しみを抱いていた。たしかな情がそこにあったはずなのに、何も届かない。とっくに父の心は閉ざされており、独りで生きている状態になっていた。

(とてもとても、悲しい。ダイキライだけど、嫌いになりたくなかった人)

 最下層にきて最初に聞いたドォーンと響く音がした。太鼓をたたく音に似ている。だんだんと音が大きくなり、音の間隔も狭まっていく。

「やめろ、やめろっ! そんな場所は……‼」

 何が起きているかは見えない。だが今、審判が下ったと吹き上げる熱気をうけて知る。熱気と冷気が交互に肌を刺し、その場にいるわけじゃないのに責め苦を受けているみたいだ。これが父に下された審判。弓巫女の終わりと再生だった。


業苦に苛まれる激しい絶叫をあげ、だんだんと声が遠ざかっていく。ゴオオォォンと、除夜の鐘をつくような音が響き、強烈な熱さと極寒は一瞬で消えた。残った熱と寒さが混じりあい、肌に触れる空気はじめっとしている。目を開くことが出来ないまま、私たちはお互いの温もりだけで生きていると実感を得ていた。

(さようなら、父上。私はきっと、薄情な娘でした)

 涙はにじむけれど、後悔はない。一度たりとも父として見なかった。ダイキライになりたくなかった、ダイキライなままの人。別れだと理解しても、私は手を伸ばさない。この手は大事な人にしか向かない、頑固なものだから。

未来は希望に満ち溢れていると信じて、これまでの苦しさに別れを告げた。

――チリッ……チリチリ……。

「キャッ⁉」

瀬織と繋いだ左手。小指にハマる珊瑚の指輪が熱くなった。まだ目を開くわけにはいかない。心配する瀬織に向けて私は大声で「大丈夫」と伝えた。

この指輪は静芽の父が残したもの。焦げる心は、私を傷つけることはない。きっとこれは心残りだろうと、私は静芽の父を想って涙した。


「それでは戻りましょうか」

「「えっ……」」

 水龍がパンと手のひらを叩くと同時に、私たちの身体は下からの風に押されて上昇をはじめる。お腹を圧迫されるほどの強風に、呼吸ができない。叫ぶ以前に、それは不可能だと気が遠のきそうな渦のなかで目を回した。

「目、開けていいよっ!」

風龍の声におそるおそる目を開く。ずっと目を閉じていた影響で、目を開いても視界はぼやけて馴染むのに時間を要した。ようやくここはかくりよの最上部だと理解すると、目の前に雲に乗った風龍が現れた。

「あ……と、さっきのって……」

「満足されましたか?」

 風龍のとなりに並んだ水龍の問いに、私と瀬織は目を合わせて首を横に振る。

「満足、とは違います。悲しいのか、苦しいのかもあたしには答えが出せない。……見たくもない。見なくてよかったです」

(愛情を感じなくても、瀬織にとっては父親だったのかな?)

私には父でなかった。瀬織は良い気持ちではなくても、父を父と認識していた。審判が下されるのを感じて、罪悪感をあおられるのも無理はない。その憂いた想いも、瀬織だけに背負わせはしない。瀬織のお姉ちゃんとして、ともに抱えていこうと決めていた。

瀬織を守る。強いお姉ちゃんになる。

変わらない私の目標。これからも変わらない。何があってもあきらめない。

欲しいものがあるだから、強くなろうともがくのは私が生きているから。くじけそうになって、弱音を吐いて、うずくまることも出来た。涙に暮れたこともあった。

(瀬織は最高の妹だもの。お姉ちゃんが強くならないと、守れないから)

これからはもっと瀬織の言葉を聞いて、お互いの欠けたピースを埋めていく。いつまでも、この命尽きるときまで。瀬織の代も、その次も、弓巫女の発展に力となりたいから――。

「風龍さま。水龍さま。ありがとうございました。口伝は繋ぎます。約束をした。その事実を忘れないように、何度も約束をかわします。どうかこれからもお見守りください」

「あたしは、白峰家の当主としてみんなをまとめていきます。衰退なんてさせません。水龍さまに誇りに思っていただけるよう、弓巫女を……。三大家門と絆を結び、より一層、世の安寧に尽力いたします」

 これが私と瀬織の想い。静芽と遊磨を巻き込んだ未来への約束だ。

「自分たちの力で道を開き、おかえりなさい」

涼やかな声が導きをくれた。水龍が水となり、川のように流れて更に上にのぼっていく。風龍はニカッとはにかんで、雲にのったまま水龍のあとを追った。

 残された私たちは互いに目をあわせ、頷いて手を離す。それぞれの武器を手に、大きく深呼吸をして私たちの道を切り開いた。

「「およずれごと 斬る(射る・貫く)が務め」」

水をまとった弓が放たれ、私は風で花びらを回せるように刃を振り下ろす。

「「現世へおかえしくださいませ‼」」


















*** 十二 ***


現世に戻り、水弓を継承した瀬織は無事に白峰家の当主となった。私も刀巫女として、静芽とともに天野家に挨拶に向かう当主代理とはいえ、分家の人たちは刀巫女の主軸となりたがっていたようで、不服そうにしながらも剣を確認して退いた。筆頭家門ではない分家の人たちは内部抗争をしていたようで、刀巫女が荒れている理由を目の当たりにする。状況はまだまだよろしくない。何はともあれ、私は刀巫女の筆頭家門、天野家の当主の座に就いた。実力はまだまだ伴っていないので、これからのがんばりに期待だ。

(鈴里さまは意地でも私に繋ぎたかったのね。口伝を途切れさせてもまた戻る自信があったのかな?)

 疑問には思っても鈴里はいない。答えは鈴里のみぞ知ると、推測で補うしかなかった。

(刀巫女としてやっていくけど、瀬織から離れる気はないわ! 私の瀬織~‼)

刀巫女として力をつけること。それはもちろん大事なことで優先すべきこと。だからといって弱さに打ちのめされる気はない。私が強くなるための厳選は瀬織だ。瀬織と過ごす時間だけは削らないと、メラメラ気合いに燃えていた。そんなこんなで私は天野家と白峰家を行ったり来たりしていた。


今日は白峰家で剣の練習をする。そのまま数日は滞在する予定だ。まだまだ剣を自由自在に使えるほど、身体の動きはしなやかでない。動きやすい型を覚えつつ、どうやって風をまとった攻撃を繰り出すか、私なりの戦い方を模索していた。

現状、静芽に支えられながらあやかしを斬りつける攻撃が、最も力を発揮できる。だがそれでは力が足りない。私の目標はこれからも瀬織に並ぶ強いお姉ちゃんになることだ。いつまでも静芽に頼りきりではいけない。あきらめないと、試行錯誤をしているわけだが……。

「あの……静芽さん?」

「ん?」

「触ってる場所、おかしくないですか?」

「いや、おかしくない」

 静芽に剣術を教わっているが、以前とあきらかに変わった点がある。恋人同士になったことで、静芽の甘えん坊スイッチが入ったようで、物理的に距離が近くなった。

(だからって腰をギュッとされるのってどうなのぉ⁉)

 人に見られたくない。静芽と想い合うのは好きだが、人に見られると恥ずかしさが上回る。生真面目な静芽が意外にも平然としているので、負けた気がして悔しくなる。頬をふくらませ、静芽の胸を突き飛ばすと御神木に避難した。それを静芽は追いかけ、手を伸ばして私の手首を掴む。

「菊里」

 魅入られる。紅玉の瞳が私を映している。藤色を表に出した、期待と不安に揺れる私の恥ずかしい顔。充分すぎる恥じらいに、静芽が艶やかに微笑むものだから限界値を越えて破裂しそうだ。ギュッと抱きしめてきて、私の頭に頬を寄せる。耳元に甘い吐息がかかって、胸の高鳴りと火照りに目を固く瞑った。

「少し、このままで」

「は……い……」

静芽と触れあうのは金平糖のように甘いけれど、いつまで経っても落ちつくことが出来ない。それでも離さないでほしいという乙女な心もあって、ソワソワしながら静芽の背に手を回す。

甘く爽やかな香りが好ましい。もっと香りに包まれていたくて、もっと距離を詰めたくなる欲に背伸びをする。幸せの受けとめ方は、思った以上に難しく、悩ましい。

「菊里、好きだ」

「んっ……」

 本当に、急に積極的になったとモヤモヤを抱く。真面目さが強引に変わりつつあると、危機感を抱きながらも執拗な口づけは拒絶できない。こうも毎日情熱を向けられれば、心臓がいくつあっても足りないと理解してもらいたいものだ。静芽の求愛行動をすんなり受け止めるには、私はまだまだうぶい。恋愛の経験はゼロ。全力瀬織愛に生きてきた私には難題ものだった、

「静芽さんのバカ」

好きという気持ちはあるのに、素直に口にすることは難しい。やけくそに胸に飛び込めば、静芽の鼓動が少しだけ早くなったことに気づく。緊張が強いのはお互い様だと知り、くすぐったい気持ちなった。

(犬の静芽さんもかわいいのよね。モフモフ……したいなぁ)

「刀巫女、か……」

「え?」

「菊里でよかった。……母が俺にくれた最高の出逢いだ」

たまに静芽は直球すぎる愛を口にする。不意打ちを食らうと頬がポッと熱くなった。

(ずるい。好きになるよ、こんなの。……好きになってほしい。自信はまだないけど、これから作っていく。好きだけは譲れないもの)

今まで瀬織のことを言われれば、”静芽に理解してほしい””否定しないで””直球の言葉は痛い”と散々わがままを訴えた。対して、静芽は私の気持ちに寄り添う姿勢をみせ、力を貸してくれた。納得はできなくても、私の想いをないがしろにしない。そのやさしさがなによりもうれしかった。

頼りない想いは、静芽が寄り添ってくれたことで勇気に変わった。


――ジャリッ……。

音に振り向けば、母屋から弓を持って歩いてくる瀬織がいた。玉砂利を荒々しく踏み、ズンズンと近づいてきて、皮の厚い小さな手で私の頬を引っぱった。

「いたたたたたたっ⁉」

「何ニヤニヤしてるのよ、バカ」

「せせせ、瀬織⁉」

(わ~わ~っ‼ 見られた! やだ、恥ずかしい! お姉ちゃん、生きていけない!)

恋の恥は調整が難しい。つまり、愛すべき妹に見られるとは生き恥ということだ。

「ここは白峰家の敷地内よ。御神木と清めの滝がある神聖な場所なんだから、破廉恥なことはしないで」

「はっ! ち⁉」

(破廉恥⁉ ちがうわ! これはちょっとキスしただけで)

 言葉にならず、目の前がグルグルした。前もどこかでこんな言いわけをしたような……。はっきりと思い出せないが、瀬織に嫌われたくない一心で静芽を突き飛ばし、瀬織の背中に身を寄せた。それを見て、静芽が眉をひそめて首をかしげる。

「一番のライバルだな」

「なによ?」

「別に」

 麗しい兄と妹。見ていて飽きのこない美しさだが、共通しているのは眉間のシワ。機嫌が良かろうが悪かろうが、しかめっ面になりやすい。将来の眉間が心配なので、私が努力で二人を守ろうと気合を入れた。

(お母さま、感謝いたします! こんなに最高の二人を産んでくださり‼)

「よっ! 仲良しだねお二人さん!」

「遊磨さん!」

 どうやら今日は遊磨も来ていたようだ。修行として滞在するのはやめたが、今後の交流としてひんぱんに顔を出してくれる。弓巫女と槍巫女の架け橋になってくれるだろう。遊磨の姿に私は勇気をもらい、刀巫女としてがんばろうと想いを強めた。

「んで、犬っころは尻尾をふってばかりだなぁ(イチャイチャしてんじゃねーよコラ)」

 遊磨は鼻で静芽を笑い、ふんぞり返って腕を組む。

「あぁ、おかげさまでとても仲良しだ(菊里はオレのだ、ざまぁ)」

 相変わらず犬猿の仲であり、遊磨の挑発に静芽はかってでた。

「ちょっと手合わせしてもらえるかなぁ?(ぶっ○す!)」

「もちろん」

二人の間がバチバチし、これは面倒だと私はそそくさと御神木の裏へ逃げる。先に裏側に避難していた瀬織が御神木に触れて、木漏れ日を見つめていた。

「絶対にあなたを白峰家から追い出してやるって、決めてたのになぁ」

 瀬織の皮肉交じりの微笑みに、横顔を黙って見つめる。過ぎた日々だとしても、瀬織にとって罪悪感があるようだ。弓巫女を立て直すことも、私の安全も守れないと判断し、何も悟らせないように辛く当たった。

瀬織いわく、”いじわるな妹”を目指して嫌われたかったらしい。普通ならば嫌っていたかもしれないが、私の瀬織への愛情は舐めてもらっては困る。母から託され、本物の想いとなり、守ろうと決めてようやくたどり着いた。

妹だから守りたかったと言えばいいが、私にとって瀬織を愛することは当然すぎて何のためらいもない。これからもこの想いは貫くだけ。私がそう生きたいから。

「あたしのお姉ちゃんはバカ正直だから‼ お母様の遺言を守ろうとしちゃうからね‼」

その恋しい単語に私は強い衝撃を受け、口をぽかんと開く。

【姉】【姉!】【姉‼】

「瀬織ぃ~‼」

喜びにワッショイと祭りを踊るよう騒ぎだす。

「バカ、離しなさい‼」

肩をバシッと叩かれるも、私は瀬織を抱きしめるのをやめなかった。少し華奢だがやわらかく、心地よい。おずおずと抱きしめ返してくれるのは特にあいらしい。ずっと守りたかったかわいい妹だと、あまりの喜びに最上級の笑顔に満たされた。

「大好きだよ、瀬織! だいだいだーいすきっ‼」

「えっと……あたしも、大好き……ょ……」

【世界でたった一人の私の双子の妹】

風が吹き、私たちの髪がなびく。

「おそろいのオッドアイ。あなたに救われたあたしの金色よ」

指先で自身の左の眼帯をなぞったあと、瀬織は私の右の眼帯に指を滑らせる。慈しむような微笑みに、私は嬉々として笑い返した。

「これはね、ハチミツ色だよ」

「ハチミツ?」

「瀬織の甘さに染まった色。そして藤色は私に勇気をくれた大好きな色だよ」

「……そうね。あたしは、この藤色も大好きよ」

髪をおさえ、二人で御神木を見上げる。木漏れ日の心地よさに背伸びをして、静芽と遊磨に大きく手を振った。

「静芽さん、遊磨さん。ここでお花見でもしませんか?」

「えっ⁉ 花ねーみたいだけど⁉」

「桜。春には満開に咲き誇るんです。来年見れる桜を想像して楽しみましょう」

「バカじゃないの? ただの日向ぼっこよ、それは」

「いいじゃないか。二人はもう少し広い心を持て」

「はあー⁉ 犬っころには言われたくねぇー‼」

「黙れ。別にお前はいなくてもいい。菊里が呼ぶから仕方なく、だ」

「あはは! お二人は本当に仲良しですね!」

私のやや皮肉な言葉に二人は目くじらを立て、「仲良くない!」と突っぱねる。ケンカするほど仲がいい、と私は二人を見て感じるようになっていた。

「憎いのも、大好きなのも、どちらもあなただった」

「瀬織……?」

「……ううん。なんでもない」

――やさしい風に、瀬織の言葉は隠された。聞きたかったけど、聞こえなくてもいいやと私は瀬織の手を掴む。振り返って、静芽と遊磨に笑って手招きをした。

いつも私たちを見守ってくれる御神木に感謝を告げて。巡りめぐって、私は大好きな人たちに会えたと、隠れていた蜜の甘さに笑った。



「了」



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