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藤に隠すは蜜の刃 『中』

*** 三 ***


蔵の窓から朝日が差し込み、まどろみから目を覚ます。

「まぶた……」

腫れぼったくて目が開きにくい。目元をこすり、乾きだした小袖を胸に寄せる。

窓からの陽射しがあたたかく、湿っぽさからの晴れやかさに心が安らいだ。

「起きたか」

「ひぁっ⁉」

背後から低音の声が突き刺さり、驚いて身体を起こす。

「静芽さん……?」

振り返れば絶賛不機嫌な表情の静芽がいる。腕を組み、あぐらをかいて私をジロジロと見下ろしていた。静芽がいつも着ている上衣がないことに気づく。あせあせと身体を揺らせば私の膝に衣が被さっていた。布団替わりにかけてくれたのだろう。

「あ、ありがとうございます……」

「ん」

いそいそと上衣を畳んで静芽に返すも、なんとなく決まりが悪い。手首を縛っていた縄はなく、小袖は半乾きだ。巫女たちのイタズラならへっちゃらなところ。現実は瀬織の拒絶。思い出すと、寒さとの区別がつかない震えがした。

「あの……どうしてここに?」

その問いに静芽は眉をしかめ、細い目を向けてくる。

「お前こそ、なぜこんな場所に」

どうしよう、と考えて瀬織が思い浮かび、私はとっさに口角をあげて笑みを繕った。

「さ……探し物でここに。夜も遅かったのでつい寝てしまって……」

苦し紛れの言いわけで静芽を騙せるはずもなく、「お前バカにしてるのか?」と威圧感満載の目を向けてくる。誤魔化しが下手すぎると、笑いながらも涙目になってしまう。こんな調子なので、先に折れてくれたのは静芽だった。

「まぁいい。さっさと出るぞ」

「きゃっ⁉」

上衣を腕にかけ、流れる動作で私の脇下に手をまわすと肩に抱きあげてきた。あやかし討伐でもないので、不意打ちを食らい、恥じらいが強く出てしまう。

「あっ……あの、歩けますから……」

「いいから。このまま」

必死のお願いも虚しく、静芽はサッサと蔵から出て扉を荒々しく閉じる。わざとらしく玉砂利を蹴飛ばして歩き、ズンズンと母屋に向かっていた。機嫌が悪いのは一目瞭然。目立つ気満々の態度に、止めたくても言葉が出てこない。まわりへの挑発も兼ねているのだろう。私は目を固く瞑り、静芽にしがみつくしか出来なかった。

「誰も見てない。下ろすぞ」

 パチッと目を開けば、見慣れた畳の部屋。身体を下ろされ、敷きっぱなしの布団の上でまばたきを繰り返す。長い指が私の頬を撫でたあと、白銀の髪が横に揺れた。

「静芽さ……!」

一瞬、紅玉と視線が交わるも襖が閉じてしまう。何も弁解できないまま、静芽は去ってしまった。誤解されたままでは嫌だと膝をたてるが、すぐに意気消沈しへたり込む。

そうしているうちに。襖の向こう側から風が巻きおこる音がした。腕を擦り、冷たい肌着に心細くなって息が止まる。

(どうして蔵にいたんだろう? 私、静芽さんは離れにいるからって……)

離れならば人目を避けることが出来る。私の部屋からも近いので、好きに使ってくれて構わなかった。そこに静芽がいるんだと安堵さえ感じていた。なのに今は物足りなさがある。こんなことを感じてしまうのは自分の貞操観念を疑ってしまう。

(私、欲張りになってる。なんでこんなに……)

さみしくて、さみしくて、たまらないのだろう?

今まで知らなかった静芽の温度に擦り寄りたくなる。こんなのは女々しくて気味が悪い。前に進むことができなかった私に、希望をくれた人。それだけのはずなのに、いつまでも隣で語らいたいと思うのは、女の顔が前面に出すぎである。ちょっとやさしくされたからとなびくのは単純すぎると、嫌悪感に首を横に振った。

(いつから蔵にいたんだろう。出る時は鍵が開いていたし、探してくれたのかな?)

そこまで考えて、ふわふわの感触が寄り添ってくれたのを思い出す。

(あのお犬さんはどこに行ったのかな?)

暗がりではっきりとは見えなかったが、大きさや感触からして犬だろう。ネズミにしては大きいし、猫にしてはちょこんとした冷たい鼻があたった。指先で感じたのはしっかりとした固めの毛並みで、脳内補完で大きめの白い犬を思い浮かべた。

(ちょっと静芽さんに似てたかも)

瞳は見えなかったが、きっと静芽と同じ紅玉色だ、と想像しハッと顔をあげる。

「なーんて。いくらなんでもかわいすぎるよ……」

静芽は天狗のあやかしであり、見目麗しい容姿だ。犬が愛らしいとはいえ、キレイな静芽を同一視するのはいささか不謹慎である。

(あれ? ちょっと待って……)

軽々しく想像しておきながら、”天狗”というキーワードに血の気が引く。天狗といっても見た目は一括りに出来ない。一般的に連想されるのは”烏天狗”、黒い翼に長い赤鼻だ。静芽は空を飛べるが、外見はいたって美しい人間。みょーんと伸びた長い鼻はない。

(鼻は高いかもしれないけど……)

それは人間の価値観で美しいと思える、くっきりとした輪郭でしかない。天狗には”犬の妖怪”という括りもある。知らなかったわけではないが、あんまりに美人な静芽とイコールで結びつかなかった。面目なさに、私は声にならない悲鳴をあげる。

(あのお犬さんは静芽さん⁉ 私、なんてことを……!)

 畳に突っ伏して頭を抱える。あの時の私は弱りきっていた。止まらない涙と声を押し殺すため、姿の見えない犬にすがりついた。震える私に擦り寄ってくれた存在に救われた。情けない姿を見せてしまったと、次に静芽とあわせる顔がないと苦悶する。

「もう……もうっ! もおぉーっ‼」

こうなれば開き直るしかない。気にしてません、を前面に出そう。これ以上、静芽に迷惑をかけないことが優先だ。

気持ちをシャキッとさせるため、髪の毛を硬く縛って巫女装束に着替える。一度顔をあわせてしまえば、あとは忘れるくらいに平然を装うだけ。何も怖いものはないと、勢いよく襖をあけて、日の差しこむ縁側を駆けた。


離れの横には空高く茂る御神木がある。トタトタと縁側を進めば、幹に背を預け、ウトウトと目を閉じる静芽を発見した。風がそよぐと木漏れ日が静芽の顔に光の波を打つ。

(やっぱりキレイだなぁ)

白銀の髪が一本一本きらめいて、滑らかなラインの顔から目をそらせない。時折、赤色のメッシュが静芽の気品を引き立てる。殿方にしては繊細な美しさの持ち主だと感嘆の息がでた。

「さっきからなんだ?」

「あ……」

長いまつ毛が上向きになり、ひときわ目立つ赤い目に魅入られる。見つかってしまった、とおずおずと近寄り、静芽の隣に立つ。じっと見上げられると恥ずかしくなり、やけくそになって正座をした。背筋を伸ばして深呼吸、からの壁破りだ。

「静芽さんって犬なんですか⁉」

(あぁぁ……何を言ってるのぉ……)

気合いを入れて口から飛びだしたのは、なんとも間抜けた質問だ。もう少しクッションを置くとか、さりげない問いにするとか、色々出来たはずなのにどうして私は直球しか投げれないんだと頭を抱える。

反応を見るのがおそろしい。そーっと静芽に目を向ければ、やはりギョッとした顔が待っていた。困らせていると、焦って両手を振っていると、罪悪感にめまいがした。

「犬ではない」

ブスッとふてくされた顔で、静芽は眉間を摘まむ。

(犬じゃないんだ……)

 怒った反応ではなかったと安堵する。

ではどんな姿だったのだろうと想像してみるが、曖昧な姿しか思い浮かばない。目は紅玉、色は白、毛並みは少し固め。私の身体と比較するとどれくらいの大きさで、手足にはフニフニしたくなる黒い肉球がついているだろうか? 案外、桃色の肉球かも。

いろんな姿を想像し、膨らませていく。具体的な姿を知りたいと好奇心が湧くが、静芽のオーラがそれを寄せつけない。マイペースに想像していた分。罪悪感が四方八方から刺さってくる。なんとか静芽の機嫌を戻そうと、私はニコニコと静芽との距離を詰めた。

「あ、あの姿で蔵にいたんですか? 私てっきり離れにいるのかと……」

「離れには……いる。あの時はたまたま蔵にいただけで……」

苦し紛れの返答に私は首を傾げ、静芽の袖を掴む。静芽のことを知りたいのに、どこまで突っ込んで聞いていいのか迷ってしまう。知りたいなら知りたいと口にすればいいのに、私はかわいらしい尋ね方を出来ずにいる。ふてぶてしさの迷子だ。

支えてもらっているわりに、静芽の力にはなれていない。あまりに善意に甘えすぎているのでは、と勝手に落ち込み、忙しなかった。

「……新月」

「えっ?」

一言呟いて、静芽は悩ましそうに目を反らす。私は反射的に膝をたて、はやる心に静芽の目を見ようと身を乗りだした。

「し、新月が……?」

紅玉に私が映り、直後に甘い上品な香りが鼻をくすぐる。どんな言葉でも受け止めようと、固唾をのんで待ちの姿勢に入った。

「――俺は新月になるとあの姿になる。喋れないんだ」

(しゃべれ……ない?)

 そういえばお犬様は鳴き声をあげなかった。身を引きしめて答えを待ったわりに、質問から反れたかわいらしい返答だ。つい目を丸くして静芽を見ていると、静芽は赤っ恥をかいたと言わんばかりに頬を朱に染める。

「他は一般的なあやかしと同じだ」

最も夜が更ける頃、満月であればあやかしは強くなり、新月では弱体化する。月の満ち欠けがあやかしの強さを示すと言っても過言ではない。

「いっそ笑ってくれ……」

 手で顔を覆い、どんよりと影を背負う。静芽にとっては犬(仮)の姿は屈辱的なようだ。何もしゃべれないので、私が蔵に投げ入れられたときに無力さを感じたらしい。

(本当にこの人は……)

 かわいすぎる告白だ。

「ふふっ……!」

笑わずにはいられない。静芽は笑いやがったと、目尻をつりあげて睨んでくる。

「お前、何なんだよ。怖いもの知らずか? 強じんの心臓でも持っているのか?」

「あははっ! だって静芽さん、とってもかわいいんだもの!」

嘘のつき方も下手だが、素直すぎる人だと胸がくすぐられる。隠しきれないお人好し。真っ直ぐすぎる感情のぶつけ方。いつも相手のことを考えて悩んでいるから、気難しい顔が多いと思えば、いじらしくてたまらない。

「ありがとうございます」

唇をとがらせて、静芽は煮え切らない様子で髪をかく。

「もう平気か?」

「はい」

いろんなことを思い悩んだが、静芽の励ましで元気が出てきた。沈んでいた気持ちが、今はポカポカして花が開くようだ。そのままうれしさに笑っていると、静芽は恥ずかしさに耐えられなくなったようで、私の肩を突き飛ばしそっぽを向く。腕を組んでブツブツと言い訳を口にする姿はやっぱりあいらしい。瀬織のとなりに並びたいと必死になる私に、安らぎをくれる人だと口角がゆるんだ。

それから静芽は自分のことを少しだけ話してくれた。寝る時は犬(仮)の姿の方が楽だとか、人に犬の姿は見られたくないから蔵にいたとか。年相応に軽い口ぶりで話す静芽に、私は憂いを忘れる。いろんな方面で私に力をくれる人だ。静芽がいれば、私はまだまだがんばれる。夢が夢じゃなくなったと、希望に背筋は伸びていた。

「すぐに助けることが出来なかった。……すまない」

 話すだけ話したあと、静芽は声のトーンを落としてポツリと呟く。ようやく一番伝えたかったことを口に出来た、と静芽は悔いる気持ちをあらわにした。そんなやさしさに少し泣きたくなったが、私は微笑むことを選ぶ。

「寄り添ってくれたこと、嬉しかったです」

私の手をすっぽりと覆ってしまう大きな手に、指先を触れさせる。あまり女らしい距離感にならないよう、力を欲していた巫女の顔をしてはにかんだ。

「ありがとう、静芽さん」

おそらく静芽は感謝に慣れていない。褒められることに慣れていないとでも言うべきか。目を細めて笑う姿は幼さが垣間見える。手を握り返してうなずくと、身を乗り出して私の髪に指を触れさせた。

「髪、きつく縛りすぎじゃないか?」

「変ですか?」

「……いや」

ふいっと目を反らし、静芽は名残惜しそうに髪から手を離す。

「別に。菊里がそれでいいならいい」

「なんですか、それ」

たしかにきつくしすぎたかもしれない。頭皮が引っ張られるかのような感覚に、私は紐を解くといつもと同じようにくくった。やはりいつも通りが落ちつく。うんと大きく伸びをすれば、静芽がやさしい眼差しを向けてきた。

「体調は大丈夫か?」

「はい。静芽さんがいてくれましたから」

「あまり言いたくないが……」

一呼吸おいて静芽が片手をつき、身体を私に向けてくる。

「水をかけて閉じこめるのは見過ごせない。真冬だったらどうなってたか……」

相当腹を立てていたのか、やや強めな口調になっている。黙っていようか悩んでいたのだろう。実直なやさしさに、どう返事をすべきか悩んでしまう。

静芽は私の安らぎになりつつある。だが長年の瀬織への想いが、私に止まることを許してくれない。私が瀬織に対して何も文句を言わない。怒りたいとも思わない。狂った価値観に、静芽はどこまで見て見ぬふりをするか、許容範囲を思案しているようだ。

瀬織への愛情が判断基準を鈍らせる。どうすれば静芽が腹を立てないでくれるか。そう考える時点で普通ではないのだろう。余計に適切な言葉が思い浮かばなかった。

 だからこれから語るのは、瀬織を特別いとおしく想っている私の歪さだ。

「静芽さんが見てくれているから。私って“そう”なんだなぁとわかってきました。もちろん、瀬織に冷たくされると悲しい。でも私、怒ってないんですよ」

蔑ろにされて自己嫌悪はしても、瀬織に憤りを感じたことはない。”嫌い”を向けられても私は”好き”を返す。嫌われ続けて好きでいるのは、異常な愛情だ。

(時々不思議に思う。だけど好きだからいいの)

”好き”という感情は、きっと素晴らしいものだ。私の場合はそれが行き過ぎてしまうので、静芽のようなブレーキ役がありがたかった。

「瀬織は周りをよく見る子なんです。必要だと判断すれば平気で悪役になる子で」

「それで姉を虐げるのは許されると?」

「巫女として自覚が足りない。責任感の強い瀬織には無責任な姉を置いておくより、外に追い出した方がスッキリするんですよ」

瀬織の厳しさは、弓巫女筆頭家門の正当性だ。まわりの手本となり、強いリーダーであることを求められるのが筆頭家門の巫女。そこに”能無し巫女”という醜態をさらすことが、耐えがたい恥と思っているだけ。私がおとなしく引っ込んでいれば、瀬織にここまで嫌われることもなかったかもしれない。

(なんて……無理よ。私だって強くなりたい。それは瀬織でも譲れないから)

結局、長年の衝突はお互いの頑固さが起因していた。

「瀬織は私の絶対」

嫌われても、あなたが笑っていてくれるならそれでいい。

母の愛した妹を守るのがお姉ちゃんだ。

欲を言えば、いつかあなたが私を姉と認めてくれたら……。

「今、認めてもらえなくても。強くなれば力になれる。今をがんばれば、未来の瀬織が笑ってくれると信じているんです」

叶わぬ願い。過剰な期待。全部ひっくるめて、私は瀬織のお姉ちゃんでありたい。

「……とんだ妹バカだな。相手はそう簡単に変わらないぞ」

それでよかった。大バカ者の頑固さを理解できなくても、静芽はどうにかして受け止めようとする。その寄り添う姿勢が好ましいと、私はやっぱり笑ってしまうのだった。

「ありがとう」

何度でも、この言葉にたどりつく――。


「きゃああああああああああっ‼」

――突如、屋敷の隅々まで悲鳴が響いた。

巫女としての意識が前面に出ると、すぐさま白峰家の門からだと目星をつけ、急いで立ち上がり正門に向かって走り出す。

「きゃっ⁉」

「捕まってろ」

静芽が私を抱き上げ、腕に乗せて軽々と空に飛びあがる。妨げるものがない風をあび、静芽の袖を握りしめた。上空から正門を見下ろすと、門番の巫女が見知らぬ男性と口論しているのが見える。軍服を着て、背中になにやら武器を背負う風変わりな男だ。

「と、突然何です⁉ ここは弓巫女の地ですよ!」

「だ~か~ら~! オレは槍巫女、沼津家の者なんだって!」

「あなた男じゃないですか! 巫女ではありません!」

「男でもあやかしと戦うことは出来る! かくりよへ送れねぇが、戦いに関してはすげぇ実力の持ち主でぃ!」

男は見せた方が話は早いと、背負っていた武器を布からあらわにする。鎖のついた槍だ。それを器用に振り回し、誇らしげに石突で地面を叩く。

「このとおり、自由自在に使えるってわけだ」

「きゃ……きゃああああああああっ‼」

男の行動に再び巫女が悲鳴をあげたので、男は慌てて槍を背に戻す。

「え、おい、うそだろ? そんな叫ぶことあった?」

「あなた何⁉ 男が巫女の槍を持つとは!」

動揺する男に向かい、責任感の強い凛とした声が飛ぶ。正門まで駆けてきた瀬織が弓を構え、切っ先を男に向けて警戒をみせる。瀬織は絶対に弓巫女を守ると強い意志を持っていた。能力差は関係なく、弓巫女の鏡であろうと必ず最前線に出る。その分、ならず者には容赦なく殺気立てていた。

「違う違う! オレは本当に槍巫女の沼津家の者だって!」

よろしくない状況に、男が急ぎポケットから紙きれを取りだす。ぐしゃぐしゃになったそれに男は苦笑いで誤魔化していると、瀬織が怪訝な顔をしてそれを受け取る。中を確認すれば眉間に指をあてて、深いため息を吐いていた。

「たしかに、沼津家の紋章と署名ね」

「瀬織!」

静芽に正門でおろしてもらうと、男と瀬織の間に立ち、両手を広げて牙を剥く。

「むやみやたらに巫女たちを怯えさせないでください!」

 私だって筆頭家門の弓巫女だ。弱くても身内の盾になる気概はある。

「眼帯の巫女ちゃんが二人……」

男は不思議そうに私と瀬織を見比べる。軍服を自由に着こなし、アッシュの髪をツーブロックに整えるとは、まさに傾奇者。堅実に生きる巫女たちに、このような身なりの男性は恐ろしくてたまらないだろう。

(なにより! そんなに瀬織を見ないでよっ!)

過剰な愛はすぐさま暴走する。

「いいですか⁉ 瀬織に指一本でも触れたら許しませんから!」

「ちょっと……」

瀬織のように美しい女人を見れば、大抵の男は惚れてしまう。実際にあやかし退治に出た際、村人に求婚されたこともある。これくらいの威嚇は瀬織を守るために必要だ。

(私が納得できる相手じゃないと、瀬織はあげないんだから!)

独りよがりに食ってかかると、瀬織が私の肩を掴んで後ろに押す。

「邪魔よ。アンタが関わっていいことじゃない」

「あうっ……」

バランスを崩して後ろに倒れそうになると、傾奇男がサッと私の腕を掴んだ。

「あっぶねぇ。大丈夫か?」

「あ……。はい、ありがとうござ……」

 顔をあげ、ギョッと目を見開く。

(待って⁉ 顔近っ!)

助けてもらったのでお礼を言おうとしたが、あまりの至近距離に言葉が続かない。腕を掴んだままじーっと見つめられると、どう対応すべきか頭を悩ませてしまう。傾奇男は私を見て、瀬織に視線を移し、また戻して眩しい笑顔を浮かべた。

「はぁー、かわいい巫女が多いんだな。キミも弓巫女?」

「そうですけど……」

「オッケーオッケー! 眼帯弓巫女ちゃん! そっちの巫女ちゃんもお揃いか」

私と瀬織を並べて満悦顔。

「どちらもかわいいな! だが好みで言えばオレは清楚系が好きだ!」

「ひぇ……」

帝都で増えつつある軟派男。巫女として生活をしていると、世の中の流れに疎くなるので、男性の普通がわからない。この傾奇男が普通なのか、そうでないのか区別がつかずに頭がぎゅうぎゅうに締めつけられた。

この目の輝かせ方からして、男は眼帯をただのオシャレと認識しているようだ。私たちは表向きに目が見えないことにしている。表に出すのは藤色の瞳で、異なる色は眼帯で隠す。オッドアイは不吉と言われており、弓巫女に余計な混乱を招かないための対処だった。父はオッドアイを忌々しく思っているようだが、私にとっては違う。

(瀬織が双子だって信じられる証……)

瀬織と双子だとは誰も想像しない。それくらいに瀬織と私では月とスッポンだ。オッドアイが共通しているからこそ、たしかに私と瀬織は双子だと認識できた。

これが私と瀬織を繋ぐ細い糸。

「なぁ、名前教えてよ!」

「わ、私は……」

男から逃げるタイミングを失い、背中に汗が伝う。煮え切らない態度でいる私に、瀬織が挑戦的な目つきで男の腕を引いた。

「沼津家の方。当主のところへ案内します」

「わぉ、いい腕っぷし……。またあとでな、片割れの眼帯巫女ちゃん!」

 瀬織に引っ張られ、男は笑顔で手を振り去っていく。まるで嵐だ。毅然とした態度を貫き、男を案内する瀬織の背はどこまでも凛々しかった。

(沼津家……か)

槍巫女の筆頭家門。勢力は三大家門でトップ。弓巫女はかろうじて当主がいるので次点とし、刀巫女は混乱状態だ。そうなっているのは、刀巫女も弓巫女と動揺に口伝が途切れているから。前当主が姿をくらませ、そのまま引き継がれることがなかったらしい。安定しているのは槍巫女だけ。なんとも情けない話だと、ため息ものだった。

(当主不在だと、刀巫女も勢力が大きく変わるんだろうな)

私が刀巫女であることは、どう影響してしまうのだろう。

今は何が何でも隠し通すしかない。

瀬織が弓巫女の中心に立ち、家門を立て直そうと奮闘している。そこに「双子の姉が実は刀巫女でした」なんて言い出せば、不穏な空気となる。下手すれば争いの火種だ。

弓巫女の筆頭家門の血筋から、弓巫女以外が生まれるはずがないと。裏切りとも捉えかねられないので、私は影から瀬織を支えたいと願っていた。

「あの男、腹立つ」

「静芽さん……!」

玉砂利を踏む音に振り返れば、イライラを前面に出す静芽がいた。傾奇男が好かないようで、声も一段と低い。私は静芽の腕に手を添え、首を横に振って顔色をうかがった。

「ごめんなさい。お客様だったみたいで……」

「別に。それはいいんだ」

ならば何をそんな不満げにするのか。静芽はプイっと顔を反らし、やきもきした様子で元来た道を戻っていく。まだまだ静芽の気持ちは読めないと、私は首を傾げ、静芽の背を追いかけた。同時に傾奇男を想像し、静芽との相性を考えてみる。

(静芽さんは生真面目だからなぁ)

 傾奇男は初対面でわかるほどに、気さくでじょう舌だ。相性としては良くないかもしれないと、今後の流れを想像していささか不安を抱く。

 静芽には感謝している分、リラックスしてほしいと願うようになった。むすっとしがちな横顔より、おだやかに微笑んでいる方が魅力的。とはいえ、不機嫌な顔はどことなく既視感があるので、悪くないと思っていしまう。心底私は意地が悪いと、反省に浸った。


***


黄昏時になると、いつものように離れの前で静芽と剣の特訓をはじめる。木刀を振るのは安定してきたので、次は攻撃の型を身体に叩き込もうと邁進していた。

 前向きな気持ちで順調……だったのに、唐突に静芽はまとう空気をピリッとさせる。

ご神木に視線が移り、追いかけるとそこにへらへら笑う傾奇男がいた。

「ヤッホー‼ 眼帯巫女ちゃん!」

飛び石を一つ飛ばしに、嬉々とした様子で傾奇男は距離を詰めてきた。

「あんまり弓は得意じゃないの?」

「きゃっ!」

顔が近づいてニコニコとされたものだから、つい驚いて短い悲鳴をあげてしまう。静芽で慣れてきたとはいえ、不意打ちには弱い。傾奇男はまったく悪気がなかったようで、まずいと手を引っ込めて、シュンと落ち込みをみせた。

「ごめんなぁ。驚かせるつもりはなくってよォ」

「いえ……」

「えっと、菊里ちゃんだったよな? 白峰家の娘さんでいいよね?」

まったく人見知りしないのだろう。謝るとすぐに切り替えて、私に陽気な笑顔を向けてくる。私はおずおずとうなずくも、気後れして話を続けることが出来ない。

「やっぱりなぁ! あの瀬織って子、めちゃくちゃ強いって聞いててさ! 菊里ちゃんと姉妹なんだ!」

私と瀬織の顔立ちは、双子とは思えないほど似ていない。お互いに眼帯をつけていなければ、誰にも気づかれないだろう。血縁関係を彷彿させるのはオッドアイだけ。

和やかに笑う彼にはどう見えているのだろう。槍巫女にも瀬織の名は行き届いているだろうが、私は弓巫女でしかないので、知られていないはず。実際に無垢の目で見られれば恥ずかしくてたまらなかった。

「瀬織は器量も良いし、巫女としても有能です。白峰家にそぐわないのは私で……」

「ふーん。それはそれでいいんじゃないの? 菊里ちゃんは菊里ちゃんジャン」

あっさりすぎる返答に拍子抜け。これでは思い悩む私がおかしいみたいだ。

劣等感を抱いているのは私だけであり、瀬織と一緒くたにする理由がわからないのだろう。瀬織が優秀だろうと、私が不出来だろうと、端からみればそこまで卑下すべきことではない。これまで散々比較されてきたのも、足元をすくいたい連中が声を大にして言うだけだ。まるでジョークを語るように彼はゲラゲラと私の悩みを笑いとばした。

「オレは沼津 遊磨だ。槍巫女として絶賛活躍中だぜぃ」

「はっ、えっ……でも男性には」

「かくりよには送れないが戦闘不能には出来る! 強さなら槍巫女イチだぜ!」

なんと大胆で意気揚々としているのか。弓巫女は全体的にじめっとしている。遊磨だけかもしれないが、前線に出る人がハツラツとした笑顔を浮かべ、何事もポジティブに変換するのであれば、現場も相応に明るいはず。巫女の能力がないことを、遊磨はまったく引け目に思っていなかった。

 捉え方が一歩どころか斜め上に進行する遊磨に圧倒される。私は卑下するばかりで、常識の枠に当てはめる行動しかとらなかった。

「言ってやったぜ」と誇らしげに鼻を高くする遊磨は輝かしい。太陽のような笑顔で遊磨は私の手を両手で挟んできた。

「瀬織ちゃんはすごい。すごいのはわかる。だ~がっ! オレは硝子のような女の子を守りたくなっちまうタチでねぇ」

「は、え……?」

「というわけで菊里ちゃん、オレと結婚してくれ!」

 ……何を言われた? と面を食らう。突然の求婚に理解が追いつかず、ポカンと口を開いて固まってしまう。反応が遅れると、遊磨は照れくさそうにこめかみを指でかきだした。

「け……けっこ……」

「結婚! オレさぁ、そろそろ結婚しないとまずいかなーと思っててさァ! 菊里ちゃん、かわいいなーって」

「瀬織と間違えていませんか⁉」

「間違えてない、間違えてないサ」

見事なまでに思考が追いつかない。答えを迫られて、舌がまわらずにアタフタするばかり。サッと受け流せない姿は見苦しかったのだろう、黙っていた静芽が前に出てきて手刀で遊磨の手を弾く。遊磨は兎のように軽く後退すると、高揚した気持ちのままに静芽を指した。

「あんた、あやかしか?」

「菊里に近づくな」

「ははーん。わかった。あんた、犬だろ?」

カチン、と遊磨の挑発に静芽は青筋をたてたような気がした。

「犬じゃない。菊里はお前と結婚しない」

「ほーん? 決めるのは菊里ちゃんだけど? 犬じゃねぇってんなら何だって?」

(あ、これはダメだ)

二人がバチバチに火花を散らして睨みあう。私が間に入ろうとしても隙がない。遊磨は遊磨でイタズラが過ぎるようで、静芽は手のひらで踊らされていた。

(静芽さん、真面目だから……)

「えっと! ごめんなさい! 結婚は出来ません!」

 とにかく私が答えを出さなくては、と焦って頭をさげる。遊磨はポカンと口を開き、静芽はあくどく笑んでいた。

「ん~と、理由は? オレ、顔はいい方だと思うんだけど」

「いやっ、私がまだ結婚とか考えてなくて! 瀬織が結婚するまでは安心できないと言いますか!」

 瀬織の幸せ優先! 先に落ちつくべきは瀬織だ。私が納得できる相手に出会ってくれるまで、私の人生に結婚の選択肢はない。

「つまりオレは振られたと……」

「……ごめんなさい」

本気か冗談かはわからないが、私なりに誠意をもって返事をした。遊磨を嫌と言いきるまでには、お互いをまだ知らない。色めく話は、瀬織のことで不安がなくなるまでは考えたくなかった。

(考えないようにしてたんだけどな……)

チラリと静芽を横目で見れば、同じように静芽もこちらを見ており、恥ずかしくなって背を向ける。熱くなる頬をおさえてもじもじしていると、遊磨は興ざめしたようで「わかった」とうなずいた。

「振られたけど、好きでいるのは自由だよな‼」

「なっ⁉」

 遊磨は気持ちをすぐに切り替え、振られたこともポジティブにとらえてニンマリしている。爽やかな宣言をする遊磨に、私は思いがけずにボッと頬が焼けた。いち早く反応したのは静芽で、年相応の男の子の顔をして遊磨に牙を向く。

「おい、お前。ふざけたことを――」

「オレ、こう見えて一途なのさ。菊里ちゃんを幸せにしてみせる!」

「えっ……えっと……!」

 遊磨は静芽の言葉を無視し、声を上乗せする。静芽はカチンときて唸りだすが、私は視界がグルグルして、何がどうなっているのか認識できずにいた。何か言わなくては、とパニックになりながら、肺に溜まっていた酸素ごと気持ちを吐きだした。

「私を幸せにするのは瀬織だけですっ! どうせなら私じゃなくて瀬織を幸せにするお手伝いをしてください!」

「「……は?」」

ようやく静芽と遊磨の息があったようで、声をそろえて私に振り返る。音が重なってゲッと青くなり、二人はそれぞれに頭を悩ませる。こんな爆弾発言、受け止める方が苦労するというもの。私もまた羞恥心に火を吹き、その場にしゃがみ込む。

目線が低くなったことで、今まで見えていなかった光景が広がった。風が琥珀色の髪を撫で、藤色の瞳が冷めた温度に揺れる。

「せ……おり?」

「バカじゃないの」

ドン引きとだと、瀬織はそそくさと離れていく。ショックを受けるのは当然私だ。

「ち、違うの! 待って瀬織‼」

 静芽と遊磨の反応なんてどうでもいい。瀬織に嫌悪されるのは耐えられない。

違わないけど、変に誤解されるのは嫌だと手を伸ばして追いかける。大慌てばかりな私はやはり肝心なところでおっちょこちょい。縁側に足を踏み入れようとして、足をぶつけてしまった。生理的な涙があふれ出すも、瀬織への想いに関しては折れていられないと勢いだけで走り続けた。

その後、必死に説明したが瀬織に相手にもされず……。

ペイッと外に追い出され、プロポーズ話は強制終了した。


*** 四 ***


父の道頼に呼びだされ、瀬織と並んで正座する。何度も繰り返してきたことだが、父と向き合うのは好きになれない。さっさと終われ、と反骨精神に眉をひそめていると、父と目があってしまい、決まり悪さに目を反らした。父はため息をつき、瀬織と向き合って口を開く。あからさまな一面は反吐が出ると、顔に出さないように悪態をついた。

「他家の巫女が対応していたが、こちらに救援を求めてきた。帝都近辺の川が氾濫したようで手が回らないそうだ」

「その氾濫はあやかしの仕業でしょうか?」

「うむ。ハッキリとしたことはわからぬが、並みの巫女では歯が立たないと」

(そっか。それで瀬織に話が回ってきたのね)

 なかなか厄介そうだと、何のあやかしかを想像して対処を考えてみる。

「わかりました。他家で厳しいとなればわたくしが対応するしかないでしょう」

「数が多い。菊里にも出てもらう」

父の指名にホッと安堵する。瀬織と行動できないことも多々とあるので、いっしょに行く許しが出来たときは、父をおだやかに見ることが出来た。頬の緩みを引き締め、シャキッと背を伸ばす。着実に力がついてきている今、少しでも多く瀬織と戦える機会がほしかった。

「なぜですか? それほどのあやかし相手だと足手まといです」

とはいえ、瀬織からすると不満でしかないようだ。スパッとした切れ味は、具現化すると吐血になるだろう。瀬織の拒絶は刃のようだ。一瞬、傷つきはする。それでも瀬織というだけで甘くなるので傷はすぐに癒えてしまう。刃にハチミツといった具合だ。

渋い顔をする瀬織に父は首を振り、億劫そうにこめかみをおさえた。

「最近は菊里も討伐がスムーズになったと報告を受けている。なんでもあの天狗が役立っているとか」

 チラッと鋭い視線が刺さって肩が浮く。”天狗”と言われるとどうしても肩が上がり、敏感に反応してしまう、父が静芽のことを口にする際、声がワントーン低くなるのでなおさらかもしれない。私が実績を出しはじめたから許しているだけであり、根本的には静芽をよく思っていないようだ。

静芽も父を嫌悪している。対面したのは一度だけだというのに、静芽はずいぶんと敵意を向けていた。

ピリピリ、ピリピリ。互いに接点をつくらないよう距離を取っていた。

(静芽さんのおかげで戦えるようになってきた。剣を使っているの、バレてないよね?)

 絶対に知られてはいけない。カギを握っているのは瀬織だと、尻目に顔色をうかがう。瀬織はわかりやすいくらいに、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。

瀬織は黙ってくれている。静芽が言った通りだと安堵するとともに、瀬織のそばにいれる喜びは胸がポカポカした。

「沼津家のせがれも同行する。討伐は二人と出たいと」

「……あの男が?」

 遊磨のニヤッとした顔が脳裏によぎる。

「沼津の当主から文が届いた。しばらく白峰家で修業をさせたいと」

槍巫女筆頭家門の沼津家。遊磨は現当主の弟だ。三大家門でもっとも勢力が強いのが槍巫女だ。比較的裁量が大きいこともあり、遊磨の活躍の場が広いのだろう。当主自身も前線に出るので、現場第一主義といったところだ。当主は年若い女性ということもあり、柔軟性に優れている。同じ筆頭家門でも、勢力さがあり父でも無下にはできなかった。

「小娘が……。男性を……に……ば秩序……うと考えないのか……」

それでも若者に台頭されるのはおもしろくないらしい。舌打ちをして、槍巫女のことを悪く呟いていた。忌々しいと言わんばかりのしかめ面で、父は畳に爪をたてガリガリとかきむしりだす。

こういう時、父のプライドの高さと劣等感を垣間見る。それもどうでもいいので、瀬織に視線を向けて目の保養に努めた。父の発言は聞き流し、ぼんやりと巫女の在り方について思案する。

(遊磨さんは当主になりたいのかな? あまり他家のことはわからない)

遊磨は十九歳。私と瀬織は十七歳と年齢はほとんど差がない。年齢で考えれば遊磨が当主の座についても問題ないだろう。実際、白峰家では男性の父が当主の座についている。男のプライドで地位を欲さないのか疑問に抱くも、あの気さくな遊磨のことだ。口ぶりからも、当主より現場派だとメラメラ燃えるはず。楽しんで行動するのは、自分のためにも周りのためにも良い。瀬織とは違った肩の預け方ができる人だと、考えて私にもみるみるうちに力を与えてくれた。

「私、がんばります。静芽さんもいますから」

 人の影響は大きい。私の原動力は瀬織だ。そこに力を貸してくれるのが静芽。遊磨は巫女として目指したい明るさだろうと、想像だけでもワクワクした。

たとえ、私の言葉に父は返事をしなくても。私も父に期待はしていない。当主と巫女、父と娘。表面上だけはそれらしく振る舞うだけ。私の家族は母上と瀬織だけだから。

「お父様。やはりここはわたくしにお任せください」

「……なに?」

 父が命じたのは瀬織と菊里、そして遊磨をつれてのあやかし退治だ。多少の抵抗はするものの、今まで目立って何度も否定することはなかった。珍しい瀬織の言動に首を傾げていると、父は眉をひそめて足裏で畳を強く踏みつける。

「沼津家の者が同行するならば、能無し巫女の実態をさらすのは白峰家の恥になるかと。役に立つところか、白峰家の弱みをみせるのは賛成いたしかねます」

「……それで。お前は白峰家が落ちぶれているとでも言いたいのか?」

「いいえ。そのようなことは決して……」

「お前は巫女なのだからただ戦っていればいい! 家長にものを言うとは、お前こそ恥知らずだ!」

 ――パァアアアアン‼ 足裏がドンッと畳を鳴らしたかと思えば、父の身体が前に出て勢いをつけて瀬織の頬を平手打ちする。

「瀬織っ⁉」

 傷つけられた姿に私は悲鳴をあげた後、すぐに瀬織の身体を支えようとする。だがそれを瀬織は手を突きつけて拒絶した。

「申し訳ございませんでした。わたくしはただ、得体のしれない現場に行くなら少数精鋭にしたかっただけでございます……」

「ふん。お前が歴代最強の巫女なのは認める。だがな、女は慎ましく言われたことをやれば良い。お前は巫女以前に女だ。そもそも女に学は不要。たまたま巫女の家系だっただけで、巫女として言われたことも真っ当出来ぬなら、実力はあれど不出来な女で……」

「それまでです、父上」

 ベラべラ早口で瀬織を侮辱する父に、私は前に出ると極寒の瞳で見据える。声はいつもよりオクターブ低く、抑揚もなくてやたらと周りの空気を巻き込んで冷えていくのを感じた。

「女の身に自由が少ないのはわかっています。ですが父上こそ、誤解なきよう。ここは巫女の家系。ここにいる最強巫女があやかしから人々を守っています。巫女がいて、父上がいる。私たちが求めるのは立派に弓巫女をまとめあげてくださる当主です。父上にそれが――「菊里っ‼」」

 今度は瀬織から菊里に平手打ちが飛んだ。歯ぎしりをして、鋭い眼差しで私をその場に射抜いてしまう。動けなくなった私に瀬織は消え入りそうな声で「能無し巫女は黙って」と釘をさす。そして乱れた髪を指で梳き、怒りに殴りかかりそうな父に土下座した。

「申し訳ございません。わたくしが能無し巫女をコントロールできずにいるせいです。討伐に同行させ、巫女の立ち位置を再認識させてまいります」

「ちっ……! それでいい。……瀬織、お前に期待するのは名声をあげること。弱い姉がても、民も含めて守る最強巫女。……戦う以外は求めておらん」

「はい。承知いたしました」

「もう行け」

 

 それから父と謁見した間から出て、襖が勢いよく閉められる。私は父への憤りを感じながらも、それを表に出すとまた瀬織を困らせると判断し、奥へ奥へと引っ込めた。何重にも鍵をかけ、いつも通りの目標に向かって全力の姉の顔に戻った。

「瀬織。私、がんばるからね!」

「……足手まとい」

辛辣でも異常者な私にはときめきだ。返事があるだけで充分にうれしいこと。

うつむいていたばかりの日々も、今は瀬織に近づけていると道が開けていた。

瀬織の姉であることは誇らしいが、肩を並べて惚気てみたい。剣の練習をすればするほど、欲張りになっていた。


***


静芽に会いに行こうと離れへ向かう。御神木に背を預け、目を閉じる静芽を発見して足音をたてないように近づいた。白銀の髪がキラキラしていると見惚れながら、ジッと整った寝顔を観察する。

(キレイだな……)

頬杖をつきながら、中性的な美しさに嫉妬する。この美貌に魅了され、触れようと手を伸ばすのは破廉恥だ。そう思いつつ、近くにいて許される特権は優越感にひたれる。まっすぐなやさしさに触れると、意識してしまうのは無理もない。

早すぎると思いつつ、私は欲しがりなので頬に触れようとした。

寸前で、静芽のまぶたが上がってしまい、短く悲鳴をあげて尻もちをついてしまうドジはデフォルトかもしれないと、トホホと心で泣いた。

「……菊里? 大丈夫か?」

「うぅ……大丈夫です。お恥ずかしいところを……」

「別に……」

カァッと頬を染め、ためらいがちに手を差しだしてくる。私は惚けてその手をしばらく見つめ、うれしさにそっと手を重ねた。

(この熱に浮かれる感覚、キライじゃない。でも早い……)

それからあやかし退治のため、瀬織と出る旨を告げた。刀巫女として行動し、そのサポート役として支えてくれる。相棒、といってもいいだろうか。静芽の横顔をチラ見して、胸の高鳴りに目を反らす。

そうして乙女な気持ちになっていると、母屋からハツラツとした声が聞こえてきた。「きーくりちゃんっ!」

「ひゃっ⁉」

遊磨は母屋と離れを繋ぐ縁側から飛び降りると、飛びつくように私の肩に手を回す。

アタフタしていると、静芽が雑に遊磨を引き剥がす。うざったそうに遊磨を後ろに押しこむが、お調子者の遊磨はまったく気にも止めずに前に出ようとする。

「討伐、一緒に行けて嬉しいぜ! オレに送る力はないからよろしく頼むな!」

「はい。よろしくお願いします」

今まで私はあやかしを送れないことに劣等感を抱いていた。前向きな遊磨を見ていると、私は私なりに戦えばよかったのだと、凝り固まった価値観がやわらいだ。どんな形であれ、頼ってもらえるのは嬉しい。ささやかな幸福に、がんばろうと上を向いた。


***


白峰家から二刻ほど歩いた先に、報告のあった村がある。帝都とさほど距離も離れていないので、被害を拡大させないよう警戒しつつ状況把握に努めた。氾濫した川は水路がひかれ、帝都とも繋がっている。今回の報では氾濫した川に出没したあやかしを退治するよう求められていた。

「菊里ちゃんは瀬織ちゃんと双子なんだよな? どっちがお姉ちゃん?」

「わ、私がお姉ちゃんですっ! お恥ずかしながら……」

「そっかぁ。なんかわかるなぁ。瀬織ちゃんは妹って感じ」

 意外な回答だと目を丸くする。出来損ないの姉のため、しっかり者の瀬織が妹だと知れば逆だろうと言われるのがオチ。遊磨の視点は人と異なるようだ。

村までの道のりも遊磨のおかげで、和やかなものだった。気さくに会話を広げていく姿は見習うべきものがある。瀬織のとなりに立つにはコミュニケーション能力も必要だと意気込み、未来に胸を膨らませた。

「瀬織ってホントーにすごいんです! 美人で賢くて。それでいてとっても強くて!」

瀬織のすばらしさを表現するにはどの言葉も物足りない。適切な表現がなく、単純明快な語彙で語るしかなく、苦悶するばかり。私と瀬織が姉妹であり、かつ私が姉と認識された状態で語れるのはいつもの倍嬉しく感じた。

浮かれて話していると、遊磨がニカッと八重歯を見せて指で丸サインを作った。

「菊里ちゃんもすごい」

「えっ?」

「そんな風に愛される瀬織ちゃんは幸せ者だな」

「……そんなこと」

瀬織はそれを煙たがっているのに。私の愛情は重くて重くて、厄介なものだろう。

少しずつ自分の中でかみ砕いてきた気持ち。静芽は不服ながらも受け止めてくれて、遊磨はあやすように認めてくれる。ポンと頭を撫でられると、涙が溢れそうになった。

「ウワサなんてあてにならねぇな。実際会ってさ、菊里ちゃんが瀬織ちゃんのことめちゃくちゃ好きで。それで頑張ってんのがわかったからサ」

遊磨は本当に太陽のような人だ。影がかかった気持ちを吹き飛ばす爽やかさがある。褒めてもらうと、今まで歩んだ道は無駄じゃなかったと、涙にうれしさが増す。一人では不安定だった想い。静芽に支えられ、遊磨に肯定され、怖いものなしだと胸を張った。

「そろそろ離れろ。気安く触るな」

静芽はずっと腕を組み、こちらを見ないようにしていたが、我慢の限界がきたようで遊磨の手を振り払う。対して遊磨は余裕そうに鼻で笑い、胸を膨らませていた。

「お前さぁ、オレに突っかかってくるけど”何様”なわけ?」

「はっ?」

「相棒かもしれねぇけど、それ以上でも以下でもない。女々しい犬っころだろ?」

「ふざけんな、クソ猿」

「ケンカ売ってくんなら同じ土俵に立ってから言え」

ワナワナと震える静芽に、遊磨はしてやったりとほくそ笑む。飛び跳ねるように数歩前へ出て、背中に担ぐ槍を握って華やかな見返りをしていた。自信家で、槍巫女として戦うことに誇りを持っている。まぶしい太陽。瀬織に似ているようで、表情にかかる影は真逆だと魅入った。

(すごいなぁ。それによく見ている。ちょっと意外だけど。やさしさは人それぞれね)

遊磨の気持ちを受け入れることは出来ない。いちおうお断りはしたが、どこまで割り切っているのか見えてこない。槍を握る手をピースサインに変え、ニカッと笑いかけてくれた。おそらくこれは静芽への挑発だ。あえてそうするのは余裕なのか、面白がっているのか。うれしい気持ち反面、罪悪感がつのった。

この人はたぶん、”そういう人”だ。自己犠牲の多いタイプだが、それを上回る陽気さで悲しみも楽しみに変えていくのだろう。

(先に出会っていたら……)

 瀬織によく似た人を異性として意識したかもしれない。

こういうのは誰かのイタズラと思える出会いの配分だ。今の私は、胸の高鳴りを音にして違う方へ向いている。憂いるだけだった私の手を、最初に引いてくれたのは静芽だった。あの時以上の希望を越えるものはない。瀬織を愛する心は、恋愛に当てはめる感情と違う。相手へ向ける感情は、選べない。コントロールは不可能だった。


***


川の氾濫で被害を受けた村の様子は把握し終えた。すでに村人は帝都に避難しているが、村は水没しており復興には時間がかかりそうだ。近辺まで探索してみたが、川を氾濫させた原因のあやかしは見つからず。歯がゆい思いに拳を握りしめた。

「時間が中途半端ね」

瀬織の一言に空を見上げる。一度白峰家に戻るにしては、太陽が傾き情熱的な色に染まりつつあった。夜道を進むのは得策ではないが、村は水没しており休む場所もない。

あやかしの襲撃を食らうのはもっとも避けたいが、悩ましいもの。チラッと瀬織の様子をうかがうも、青白い顔からは何を考えているか見えてこなかった。

(私、うじうじしてばかりね)

頼れる姉とはこういう場面で、バシッと道筋を示せる人だ。「瀬織のために」と口ではベラベラ語るくせに、行動が伴っていない。結局、瀬織に決断をゆだねている。どうせ私が何を言ってもムダだと、卑屈に考えているのがわかりやすく行動にでてしまっていた。

「菊里、大丈夫か?」

静芽が私の乱れた髪を耳にかけ、顔を覗きこんでくる。至近距離に恥ずかしくなって、赤い瞳を直視できずに顔を反らした。

「大丈夫です。どうしたらいいのかなって……それだけですから」

あいまいな態度に困ってしまうのは静芽だ。悩んでいると表情にだす自分のあざとさは嫌気がさす。瀬織の力になりたいと思っておきながら、自力ではなく他力にすがる情けなさにうなだれた。

「なぁ、瀬織ちゃん」

暇を持て余していた遊磨がノロノロと身体を揺らし、瀬織のとなりに並ぶ。すまし顔の瀬織にニヤッとすると、水路に沿って指をさした。

「帝都、行ってみねぇ?」

思いがけない提案に瀬織があんぐりと口を開く。

「もう遅いしサ。ここからなら帝都の方が近いな~と思ってね。せっかくだし、みんなで寄ってみてもいいんじゃねーか? これ、提案ね」

「休めるなら他のとこでもいいわ。わざわざ帝都に行かなくても……」

「えー、いいじゃん。オレが、久しぶりに帝都行きてぇんだよォ。槍ちゃんもメンテナンスしてやりてーし」

槍の柄を撫で、思いを語って頬を染める。弓巫女は自分で武器の手入れを行なう。

遊磨の槍は装飾が派手なため、定期的に武器職人の力が必要らしい。それも理由の一つだろうが、単純に帝都で遊びたいのだろう。瀬織の許可がおりるよう、早口に間を置かずに詰めよっていた。

「はぁ……まったく。遊びにきてるんじゃな――」

「瀬織、帝都に行こう!」

遊磨の提案にのり、私は弾んだ声をあげて瀬織の左側に立つ。左目に眼帯をしていることで反応が遅れてしまい、サッと私から距離をとる瀬織。隙を突かれたのは、完璧主義な瀬織には屈辱的なこと。私は笑って誤魔化すも、すぐに一途な想いをぶつけた。

「帝都、行こう」

他力はやめてみよう。「気づいてください」みたいな態度をとって、失敗すれば「別に平気だ」と言い訳に走る。”取るべき行動はそうじゃない”とわかっているくせに。

ぐずついてばかりの私は、生き恥をさらしているようなものだった。

「帝都に行ってどうしたいの」

藤色の瞳がまっすぐに私を映しこんでいる。

能無しと疎ましく見る目。家門の恥だと憎まれ口を叩く。それが許容に変わった。

「村の……」

震える声に一度言葉を引っ込めて。

「村人は帝都に避難したんでしょ? 今後のためにも、帝都側と話せたらなって」

息がはやる。真っ当なことを言えているか、判断力はない。でも今の私は前の私と違う。静芽と出会ったことで、大きな一歩を踏みだせた。今の私が弱音を吐けるのは静芽の腕の中かもしれない。だけど勇気をだして、前を向く私を見てほしい。うつむくばかりの私ではなく、がんばろうともがく私を好きになってほしいから。

(もう認めていっか。時間なんて関係ないもの)

「わかった」

「えっ?」

ハッと顔をあげると、瀬織が頬を赤らめている。聞き間違いかもしれないと首を傾げれば、ご機嫌斜めの返答がきた。

「帝都に行くわよ! 着いたら宿に入る!」

瀬織の決定に、きっと私の表情は晴れやかになった。

「よっしゃあ! 帝都だ、上がるぜぇ!」

 調子よく遊磨はガッツポーズをとり、飛び跳ねながら帝都方面に進む。

「明日、すぐに国都家に行くわよ。夜のうちに文を送らなきゃ」

暗くならないうちにと、早歩きで帝都に向かう。夜でも明かりは灯ったままで、まぶしさで眠るのも一苦労だ。幸いにも宿をとることができ、瀬織とおしゃべりして眠りたいと妄想する。案の定ではあるが、瀬織はさっさと布団に入ってしまったので、私は一人で月見をした。満月を目指して大きくなっていく輝きに見惚れ、やがてウトウトして眠りについた。

















*** 五 ***


ひらりひらりと紅葉が踊る。帝都管理者である国都家に向かうことにした。

巫女としてのお務めではあるが、ちょっとした憩いの時間に浮足立つ。

「瀬織! 洋装の人がたくさんいるわ!」

「ちょっと、あんまり騒がないでよ」

巫女装束は手荷物にまとめ、いつもとは違う華やかな着物をまとう。色違いの藤模様の着物に、赤紫の袴、せっかくだからと髪型も少しだけ変えて。

「瀬織は何を着てもかわいいわ。髪も、いつもの二つ結いもかわいいけど。三つ編みもよく似合ってる。何より藤色の着物は瀬織の高貴な雰囲気を引き立てて――」

「うるさい。うざったい。少し黙って」

あまりに愛らしいと顔がとろけ、早口に語っていたが、瀬織にバシッと切られてしまう。だが私のふてぶてしさはこの一か月で強さを増した。言葉に出せないならせめてボディタッチ、瀬織の腕を掴んでベッタリと身を寄せる。互いに譲れないものがあり、瀬織は手厳しく腕を振ってツカツカと先へ進んでしまった。その後ろ姿に見惚れ、うっとりと両手をあわせる。

(怒っていてもかわいいわ! でもやっぱり笑顔が一番ね!)

「いやぁ、ごめんごめん。帝都は人が多くて参っちまうなぁ」

 遊磨が軽い足取りでトントンと隣に並ぶ。洋装の男性も多くいるが、遊磨はどこにいても目立つようだ。進むほどに女性に声をかけられていた。華やかな顔立ちに、型にはまらないつかみどころのなさ。とはいえ、尖ったカッコつけでもなく、自由でおおらかな雰囲気だ。女性がつい手を伸ばしてしまうのも、気持ちはわからなくなかった。ところどころ聞こえてきたのは”火遊び”という単語。がんじがらめな現実に夢をみたいようだ。

「ところであれ、大丈夫か?」

チラリと後ろを見れば、どんよりとした暗雲を背負う静芽がいる。どうしたって目立ってしまう容姿を隠すため、フードをかぶって真っ黒な外套で身体を見せないよう徹底するも、それはそれで怪しいなりだった。

「静芽さん、大丈夫ですか? ムリをしなくても……」

「いい。猿みたいな虫がたかってくる。こんな場所、放っておけるか」

「あはは……」

警戒心むき出しというか、苦笑いで済ませていいのか。こうして一緒に過ごすようになって、静芽は過保護だと知った。他人に興味がなさそうなのに、私を指さす巫女たちをけん制する。

(こんなに大事にされたことないわ……)

どういう顔をするのが正解だろう?

こそばゆさに熱くなる頬を両手で包み隠した。

「菊里ちゃん、そういう髪型も似合ってるねぇ!」

遊磨がくるりと振り返り、私の頭を指さしてニカッと笑う。私ははにかんで、編み込みで飾った髪に触れた。

(えへへ。瀬織の色違いのリボンなんだよね)

さすがに髪型を完全に真似するのは怒られそうなので、私は一本の三つ編みにした。大きめのリボンは私が赤、瀬織は紫色を選んでいた。

「なんだかんださ、瀬織ちゃん浮かれてんなー」

「え?」

「ちゃんとフツーの女の子じゃん。菊里ちゃんと一緒だよ」

 遊磨の視線を追えば、私にはいつも通りの瀬織がいる。普通の女の子、と言われて私は瀬織の後ろ姿をぼんやりと眺めた。

巫女として意識が高く、自信に満ち溢れている。月明かりを散りばめる水面の精霊みたいだ。外様巫女たちも瀬織を尊敬しており、外見と実力が伴う姿は孤高だった。

普通の女の子と言われると、「フィルター越しにしか瀬織を見ていなかったのでは?」と引っかかる。ずっと隣に立てるように強く、妹を守れる姉になりたいと願ってきた。

どこか浮世事のように考えていたかもしれない。静芽と剣の特訓をするようになり、強さの輪郭は見えるようになってきた。それでもまだ、瀬織のとなりに立つ立体的な自分が思い描けなかった。


***


「わぁ、立派なお屋敷ね……」

帝都の中心街から少し歩けば、ひときわ大きな洋館が視界に飛びこんでくる。このあたりは富裕層が住まう土地で、和洋折衷な建物が軒並んでいた。白峰家の屋敷は昔ながらの平屋で、敷地面積は道に迷うくらいに広い。

「うひょー、何度見てもすげぇわ」

遊磨は帝都に遊びに来ることも多いようで、わりと土地勘がある。だが中心街から出ることはないようで、目的地だった国都家の屋敷に圧倒され、目を輝かせていた。

「あまり騒がないでちょうだい。白峰家を代表して来てるんだから」

「そんな浮かれた格好してそれ言う~?」

「うるさいわね! 巫女装束だと変に目立つからよ!で」

瀬織にとって遊磨はとりつくろう必要のない相手のようだ。棘混じりの態度で接しているのは喜ばしいこと。私の気持ちをキレイな言い方にすれば祝福。本音はポンポンと会話が飛び交う姿に、だいぶ嫉妬していた。

「姉貴は国都家の長と会ったことあるけど、いけ好かねー奴だってキレてたなぁ」

「何はともあれ、村人の避難先を用意してくれたのはありがたいわ」

気難しい顔をする瀬織の横顔に私は昨日の出来事を思いだす。村は川の氾濫により家屋が浸水、作物もダメになった。復興の目途も立たない。なんとか村人は脱出できたが、帰る家をなくして先行きの不安に嘆いていた。

そこに助けの手を出したのが国都家だ。家長は異国文化を積極的に取り入れる人らしいが、帝都の外側に関心は薄い。富裕層第一主義、難民といった貧しい人は切り捨てると耳にしていたが……。避難先をいち早く用意してくれたのは意外だった。


門番に声をかけ、応接室に通されて家長が来るまで茶を飲みながら待つ。橙色を貴重としたガラス細工の照明。複雑な幾学模様のペルシャ絨毯。家屋を支えるこげ茶の柱。

白峰家と異なる西洋食の強い建物は落ちつかず、肩に力が入った。

「おまたせしました」

波打つ黒髪に、西洋人形のような顔立ちをした女性が応接室に入ってくる。ゆったりとスカートを広げて挨拶をすると、私たちも慌ててお辞儀を真似る。からくり人形並みのカクカクした動きでは、比べものにならないと恥を知った。

女性は可憐に微笑み、私たちに椅子へ腰かけるよううながす。向かい側に女性が座ると、白い前掛けをした下仕えが流れるような動作でホットコーヒーをテーブルに置いていった。

 瀬織はシャキッと背を伸ばし、弓巫女の顔をして女性に口を開く。

「突然の訪問にも関わらず、お時間をいただきましてありがとうございます」

「いいえ、こちらこそ。わたくし、国都こくと 亜照奈あてなと申します。白峰家の瀬織さんと菊里さん、沼津家の遊磨さん。あとは……」

壁に腕を組んで背を預けるのは、顔を隠した静芽だ。どう見ても不審者で、亜照奈も反応に困って微笑み方に悩んでいた。

「護衛ですよ。女性だけの移動は何かと不便ですから」

「まぁ……。巫女様の護衛とは相当腕が立つ方なのでしょうね」

亜照奈はそれ以上は突っ込まず、決まりの良い笑みで瀬織に視線を戻す。

「せっかく来てくださったのにすみません。父は病に伏せっておりまして。今はわたくしが国都家の課長代理をしております」

災害時の受け入れ体制が万全な理由がわかった。富裕層の声を重視し、外交に力を入れる人が突然貧しい人に助け舟を出す。外の貧しい村の人を受け入れるのはなかなか骨が折れるもの。亜照奈が指揮をとっているならば、父親と考えも異なり、難民支援に素早い対応が出来たのも納得だった。

「あやかしが被害を出すまでに対応出来ず申し訳ございませんでした」

「こればかりは神の采配。私どもに出来るのは困ったときは助けあうこと。それくらいですわ」

「……ありがとうございます」

実態はあやかしの悪さのためで、退治ができなかったのは巫女の落ち度。神の采配だとしても、巫女の考え方では赤っ恥であった。

亜照奈が協力してくれたのは非常にありがたいこと。気を張っていた瀬織はようやく安堵の息をついていた。私も瀬織の緊張が解けたことにホッとし、コーヒーに口をつける。

「げほっ……」

はじめてのコーヒーに撃沈し、苦さに身もだえした。


***


亜照奈との話し合いでは、今後の帝都でのあやかし出没時の対応や、避難民の保護について意見交換をした。人々の安全を守る巫女の視点とは別に、亜照奈の積極性は非常に刺激となって、有意義な時間を過ごせた。

そうして日が暮れる前に国都家を出ようと、席を立つ。

「それではわたくしどもはこれで失礼します」

話し合いの結果を白峰家に持ちかえって、また改めて帝都におもむくことで話は終わる。用件は済んだと瀬織が区切りをつけると、亜照奈が慌てて立ち上がり、物寂しそうに視線をチラチラ向けてきた。

「もうお帰りに?」

「? はい。元々ご訪問が目的でしたから」

「そうですか……」

晴れやかに笑っていた亜照奈が、今は寄る辺ない微笑みを浮かべている。まつ毛が伏せると、色白の肌に影ができ、少しだけ私たちとは顔立ちが異なることに気づく。

(亜照奈さんって、異国の血を引いているのかしら?)

透きとおる肌は、日に当たることを知らないほどにキレイだ。例えるならばシルクだろうか。瀬織が凛とした美しさならば、亜照奈は儚さのある清楚さに見惚れてしまう。陽気で活発な美男子の遊磨と、女神を連想させる美の化身・静芽。この部屋の中には美形しかいないと、おぼこい顔をした私は落胆した。

「あの」

亜照奈が唇をきゅっと結び、強張った目をして私たちを一瞥する。どうしたのだろうと首をかしげると、亜照奈は意を決して思いの丈を叫んだ。

「今日は! 我が家に泊まって行かれませんか⁉」

「えっ……?」

唐突な申し出に瀬織は目を丸くする。想定外の誘いだったようだ。

一方、勇気を出したものの瀬織の反応に亜照奈はバツが悪そうにうつむいてしまう。瀬織への愛で連敗記録更新中の私には亜照奈の気持ちが痛いほどわかる。居ても立ってもいられず、テーブルに強く手をついた。

「ぜひ! 泊めていただけるならありがたいです!」

「はっ⁉ ちょっと、なに勝手に」

「まあ! せっかくですから楽しんでいただきたくて!」

「まっ……!」

「白峰家のご当主には電報を出しておきますわ。一晩だけになりますが、ゆっくりなさって」

「そりゃテンション上がるなあ! これこそ帝都に来た醍醐味ってやつでぃ!」

 振り回される瀬織を気にしつつ、嬉々として話が決まっていくのは気分がいい。

遊磨も乗り気で、私たちは楽しいお泊りになりそうだとキャイキャイと花を咲かす。あぜんとするのは瀬織と静芽だけ。ここまで盛りあがった空気になると、瀬織も拒否はできなくなる。こうして私たちと亜照奈は、宿泊という名の遊ぶ時間を獲得した。


頭が痛いと瀬織が椅子に腰かけ、ルンルンの亜照奈は部屋を用意すると言って退室した。残された私たちは各々に興味関心に動きだす。遊磨はなかなかお目にかかることの出来ない部屋の装飾に興奮しており、狩猟用のライフル銃のパーツを隅々まで観察していた。私も普段とは違う楽しい時間を想像し、勢い余って苦いコーヒーを一気飲みする。

(ううう、苦い。でもにやける顔を誤魔化すには最高かも)

それくらい、私には非日常でウキウキせずにはいられないこと。巫女としてあやかし退治に出るときくらいしか、瀬織と関わる機会がない。家では瀬織が絶対に喋りたくないと、壁が厚くなるので近寄るのも困難だった。

観光がてらに遊ぶのははじめてで、巫女装束以外の瀬織を目に焼きつけようと凝視する。今まで見たことがあるのは、せいぜい正月の振袖か夏場の浴衣くらい。貴重な体験に胸がポカポカと温かくなった。

「菊里」

沈黙を貫いていた静芽が隣に立つ。

「どうしました、静芽さん?」

顔を隠す布をめくるも、相変わらずのしかめ面で目をあわせようとしない。それどころかいつも以上に険しい表情だ。気にかかって首を傾げると、私にしか聞こえない声で話しだす。

「気をつけろ」

「えっ?」

「嫌な気配がする。どこがとは断定出来ないが」

 気配に敏感な静芽が言うとなれば相当なこと。とっさに瀬織に目を向けて様子をうかがうが……。

「おまたせしましたぁ! ささ、部屋に案内いたしますね!」

静芽の言葉をさえぎる形で亜照奈が戻ってきて、続きを離すことは叶わなかった。


 移動の際に、亜照奈は頬を染めながら私と瀬織に振り返る。

「さて、お二方にお願いがありますの。き、聞いて下さりますか?」

静芽と遊磨はいない。ゴクリと唾を飲みこみ、何が起きるかと警戒した。

***


 国都家のメイドがテキパキとカメラを設置し、私たちをバルコニーに並ばせる。

「それでは撮りますよー」

合図とともに、私と瀬織はカッと目を開いて亜照奈の頼みごとを遂行した。

「見ざる!」

「聞かざる!」

「言わざる!」

亜照奈、私、瀬織の順に決め言葉を発し、ポーズをとる。私は耳をふさぎ、照れつつも笑顔を固定し、カメラのレンズを見つめた。

(うう~ん。結構長いぞ~?)

「あの……これはいつまで?」

 ポーズを維持するのはなかなか大変なもので、二の腕がプルプルと震えだす。瀬織は口元を隠しているが、生真面目に応えて完璧な笑顔を浮かべていた。とはいえ、あまりに長いポーズ意地に困惑し、問わずにはいられなかったようだ。亜照奈は「ふふふ」と笑うだけで、どんな目をしているかは手で隠され見えなかった。

 ようやく解放され、その場にしゃがみ込む。

「写真になるまで時間がかかりますわ。現像出来たらお渡ししますね」

あやかし退治で使う筋肉とは違うので、はじめての疲労感に腕を揉む。女の子の遊びとは骨が折れるものだと学んだ。


応接室に戻ると、今度は甘いもの尽くしと宝石のようなスイーツが運ばれてくる。

艶めくフルーツに、香ばしい焼き菓子。巫女として口にしてきたのは甘いもので金平糖、一度遊磨にチョコレートやらを分けてもらったくらいだ。口にふわふわのスポンジケーキを運ぶと、極楽浄土に行ったかと錯覚するほどに甘く幸せな気分となった。

「こういうのが帝都では流行っているのですか?」

瀬織の問いに亜照奈はニコニコとうなずく。

「私のまわりではそうですね。異国のお友達が多いからかもしれません」

「異国……」

「お友達といってもよくわかりませんわ。どうしたって価値観が異なりますし」

人によってどう感じるか分かれる繊細な面。亜照奈がポツリと悩みを口にする。どこまでお互い本心で接しているのかわからず、言葉に悩むことが多いそうだ。

帝都を守る国都家の娘。上辺だけの付きあいなのでは、と疑心暗鬼になっていた。

「瀬織さん菊里さんとお話できてうれしいですわ。とっても新鮮な気持ちですの」

そう言われると悪い気はしない。私も勇気を出してよかったと、満たされる想いだ。亜照奈の声かけがなければ、瀬織の女の子らしい顔を見ることはなかった。流行りのファッションを楽しみ、普通の女の子みたいに珍しい遊びをする。甘いものを頬張り、安らいだ微笑みを浮かべているのは貴重な姿。巷で流行りだしているパンケーキとやらに蜂蜜をたっぷりかけて、口に運ぶ姿は花が咲いたようにあいらしかった。

スイーツで腹が膨れたところで、国都家の庭園を散策する。庭師によって整えられた西洋式の庭は、白峰家の古風なものとまったく違う。全体的に曲線をえがくのに対し、国都家の庭は四角く切り取られた規則正しいものだった。

「キレイですね。これはバラですか?」

少しずつ緊張がほぐれ、亜照奈との会話が増えてくる。桜や梅、椿はよく見かけるがバラはあまり見ないので、一面に咲き誇る鮮やかさは目を見張るものがあった。

「えぇ、秋バラですわ。私、バラが一番好きなんですの」

「どうしてですか?」

問いを投げかければ、亜照奈がポッと頬を赤らめる。

「愛の花ですから。ご存知ですか? バラは本数によって愛情の表現が変わるんです」

「愛情の表現……」

思い出したのは遊磨からの求婚だった。断ったものの、バラを送る場合は何本渡されていたのだろう。差しだされたところで私の気持ちが遊磨に傾くわけでもないが、女の子として憧れるのは理解できる。

「贈ってほしい殿方がいらっしゃるので?」

「えっ⁉ え、あ、いや!」

 何を言うんだと亜照奈を睨めば、余裕めいた笑みで一歩先を歩く。

「恋は素敵なもの。どうしたって女性が選ぶのは難しい。ですが夢を見るのは自由です」

亜照奈の言葉に急速に気持ちが冷めていく。静芽といて浮き立つ気持ちでいたが、静芽が私をそういった対象として見ているかはわからない。今回は遊磨個人としての申し出だったが、もし当主を通じての求婚であれば断ることはできなかっただろう。

自由な恋愛とは指をさされることも多く、親同士が決めた政略結婚が一般的だった。

(私、静芽さんとどうなりたいんだろう)

瀬織を守れる強いお姉ちゃんになりたい。

ワガママに付き合ってもらっている状態で、刀巫女としては師匠のような人。

かけがえのない存在だが、恋愛として意識すれば小恥ずかしい。夜に浮かぶ月のような美しさの殿方と並ぶには、自信がないと胸に手をあてた。すると小指にはまった珊瑚のピンキーリングが目に入る。静芽はこれを”誠意”だと主張していたが、大切なものを私が持っていていいのか、いまだに迷いはあった。

(それにお父上の形見だと……)

気がかりはなかなか口に出来ず、私はモヤモヤを抱えてバラの花弁に触れた。

「そういえばずっと気になっていたことがあるんです」

亜照奈も同じようにバラに触れながら、私と瀬織を見比べる。

「お二人の眼帯はその……怪我をされているのでしょうか?」

双子が両方眼帯となれば目立つというもの。だが女性にズバズバと聞いていいことなのか、繊細な問題ととらえられることが多い。実際に質問を受けるのは珍しく、つい息を止めてしまった。

「そうですね。わたくしたち、生まれつき目が見えないのです。あまり見て気持ちの良いものでもないのでこうして眼帯をつけているだけですよ」

「まぁ、そうだったんですね。姉妹とは事前に知っておりましたが、眼帯がなければわかりませんでしたわ」

 さらっと答える瀬織は答え慣れている。私のいないところで聞かれることが多いのかもしれない。私と瀬織は姉妹と思えないほど似ていないので、誰もが関係性を気にする。左右の眼帯があるから、双子と認識してもらえるようなものだった。

(瀬織はお母さまにそっくり。目の色が同じじゃなかったら私だって信じられないもの)

藤色の瞳が私たちを繋いでいる。眼帯に隠した瞳があるから双子だと信じられる。

それ以外に私たちを繋ぐものは、一つもない……。

「白峰家はどちらが継ぐか決まっていますの? 巫女の家系は女性が当主になりやすいと耳にしております」

瀬織と話したことのないデリケートな問題だ。私はずっと”能無し巫女”であり、弓巫女としては論外だ。次期当主は瀬織と言われており、考えるまでもなかった。

今は悩むことが変わった。弓巫女でない私は一体何なのか、と。

「白峰家はわたくしが継ぎます。姉には当主になれるだけの能力がありませんから」

言葉が突き刺さる。瀬織はわざとトゲだらけの言葉で外堀を埋めていく。

巫女としての瀬織は強く美しい。山で瀬織の素晴らしさを叫び、コダマが返ってきたら会話をしたくなるほどに尊敬している。だからわざわざ劣等感をあおるようなことは口にしなくていいのに、と罪悪感を抱く。

どんなに言葉が氷の雨となって降りかかっても、瀬織というだけでそれは甘い刃にしかならなかった。

「ずけずけと聞いてごめんなさいね。あ、そうだ。お二人とも、薬湯に入りませんか?」

「薬湯?」

「あやかし退治でお疲れでしょう? たまには身体をあたためて、ね」

珍しい造りの風呂だから楽しんでほしい、と亜照奈が薦めてくるので私も瀬織もぎこちなくうなずいた。

***


研磨された石を積み重ねた造りの大浴場。普段は巫女たちが代わるがわる室内風呂に浸かるか、泉での水浴びをするか。あたたかい湯に浸かるのはちょっと特別な気分となる。くわえて瀬織といっしょとなれば、もう気持ちの高揚はおさまらなかった。

「瀬織! とっても広いお風呂ね! うちにあるお風呂とはまた違うわ!」

「うるさい」

ぴしゃっと会話を切られるも、私はにやけ顔のまま湯に浸かる。瀬織は裸になってもラインが美しく、女神と崇拝したいものだ。もはやド変態の目をして瀬織を観察した。

(えへへ。ちょっとお得な気分。にしてもこのお湯、すごい匂いだなぁ)

薬湯と言っていただけに、独特な匂いが漂っている。色も茶色みが強い緑だ。湯気でハッキリと見えないが、華奢な瀬織の身体にはいくつも傷跡があり、少しでも癒されてくれればいいと祈った。

(たくさん、あやかしと戦ってきたのよね。それこそ私の何倍、何十倍と)

瀬織が傷ついて帰ってくるたびに己の無力さを呪った。

どうして私には弓巫女としての適性がないの?

あやかし一匹かくりよへ送れない、役立たずの能無し巫女。

静芽に出会い、剣を握って少しはまともに戦えるようになった。同時に自分はなぜ弓巫女ではないのか、疑問は濃くなるばかり。

弓巫女が減っているなかで、私だけが別世界。瀬織にだけ責任が集中して、追いつめられる。父が命令だけする上辺の家長だとしても、文句ひとつ言わずに前を向き続ける。反動で私に怒りが飛んできても何ら不思議はなかった。それを受け止めることこそ私の役割、そばにいれるなら何でもよかった。

「刀巫女になって良かったと思ってる?」

「えっ?」

お湯が跳ねて、瀬織に向かって波紋する。瀬織の静かな眼差しが私を拘束した。

「いつでも父上に言うことは出来るわ。でもあたしは波風を立てなくないの。あんたが巫女をやめてくれればもう何も言わないわ」

「――それは出来ないよ、瀬織」

立ち上がって、瀬織の前に出る。拒絶されても知ってほしい想いがあると、瀬織の手首を掴んで引き上げた。無理やり立たされて、瀬織は眉をひそめて手を振り払う。

「私は瀬織のとなりに立ちたいから刀をとった。守るってお母さまと約束した。弓巫女になれないのは悲しいけど、無能なままでいたくない」

「それが恥知らずだって言うのよ! 弓を握って生きてきたくせに誇りはないの⁉」

「何だっていいよ‼」

喉が引き裂かれる。目頭までも熱くなり、興奮に身をまかせて思いの丈を訴えた。

「何だっていい……。私は瀬織と一緒にいたい。強くなりたい、強くならせてよ!」

「あんたなんか姉じゃない‼」

カッとなった瀬織に突き飛ばされて湯に沈む。手足をばたつかせ、水面から顔を出して瀬織を見上げる。苦痛に満ちた瀬織の表情に、いつもなら平然と伸ばせるはずの手が動いてくれない……。

「あたしは白峰家の当主になる。弓巫女のことはあたしが背負うもの」

その責任を分けあいたい。ずっとそう思ってきたのに、業苦に苛まれた顔を見てしまえば何も言えなくなる。

憤り、悲痛、そして虚無。

「静芽を選びなさい。あんたにはそれが平穏な道だから」

「私、バカだから瀬織の言いたいことがわからない。私は本当のことが知りたい。瀬織だけに辛い思いをさせたくない。すぐには役にたてないけど、いっしょに考えることは」

「知らなくていい」

 ピシャリと私の言葉は途切れてしまう。

「これは弓巫女の問題だから。あんたは弓巫女じゃないの。……邪魔をしないで」

 濡れた琥珀色の髪が水をはらう。浴室から出ていく背中をぽつねんと見送るだけ。

一人残された私は、音もなく涙を頬に伝わせた。だんだんと呼吸がままならなくなり、苦しさを誤魔化そうと湯に沈む。

――私は誰? 瀬織の姉ではないの?

弓巫女になれない私は刀を手にしても無力のまま。藤色が私たちを繋ぐ細い糸。姉であることを否定されたら、姉である事実を奪われたら……。

私はこの世界で生きていけない。

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