第1章
「ああ、魔法使い、いいよなあ……俺も異世界でこう、ズバッと詠唱してファイアボールとか撃ってみてえよ」
薄暗い蛍光灯がチカチカと瞬く、いつもの秋葉原。
週末でもないのに人でごった返すこの街の一角、古びたビルの3階にある行きつけの書店で、俺、天城リクは、ライトノベルの新刊を立ち読みしながら、そんな壮大な夢に想いを馳せていた。
目の前には、カラー口絵で描かれた『魔法剣士の大冒険XIII』の主人公。
腰に長剣を提げ、ローブをはためかせ、その手には燃え盛る炎の球――ファイアボール。
まさに王道、これぞファンタジー!
「はぁ……かっけえ。冒険者ギルドで依頼受けてさ、剣と魔法でズバズバ無双して、ついでにエルフの美少女とか獣人のロリっ娘とか、そういう可愛いパーティメンバーとキャッキャウフフ……」
脳内ではすでに、ハーレムパーティを引き連れて魔王城に乗り込む俺の姿が完璧に再生されている。
現実の俺は、彼女いない歴=年齢の、ごく平凡なオタク高校生だってのに、妄想だけはいつだって英雄級だ。
「ま、現実は課題とバイトとソシャゲのイベント周回だけどな!」
自嘲気味にひとりごちて、読み終えたラノベを棚に戻す。
ふとスマホを取り出すと、お気に入りのなろう小説の更新通知が来ていた。
タイトルは確か、『スキル強奪で成り上がる俺の異世界無双録』だったか。
「これもアツいんだよなー。やっぱ異世界転生っしょ!」
ニヤニヤしながら画面をタップし、小説を読みふける。
周囲の喧騒なんて、もはや俺の耳には届かない。
物語の主人公が新たなチートスキルを覚醒させるシーンに、俺のテンションも爆上がりだ。
「最強の魔法使いに、俺はなる!」
心の中で高らかに叫び、気分はすっかり異世界の勇者。
顔を上げたその瞬間――視界いっぱいに広がったのは、大型トラックのフロントグリルだった。
キキーッ! というけたたましいブレーキ音と、運転手の絶叫がやけにスローモーションで聞こえる。
「……え?」
次の瞬間、俺の身体は宙を舞っていた。
ああ、走馬灯って本当にあるんだな、なんて冷静に分析している自分と、まだ美少女と手も繋いだことねえのに死んでたまるか! と絶叫している自分がいる。
「うわああああ! まだ童貞なのにいいいぃぃぃぃ!」
それが、俺の人生最後の叫びだった。
……のはずだった。
◇
「――お疲れ様でした♪ ささ、異世界転生のお時間ですよ~」
次に目を開けた時、俺はまばゆい光の中にいた。
いや、光の中というか、光そのもので構成されたような、純白の空間だ。
床も壁も天井も、どこまでが何なのか判然としない。
ただ、足元はふかふかとした雲のような感触で、ほんのり温かい。
空気は清浄そのもので、心が洗われるような……って、何だここ!?
混乱する俺の目の前には、ふわふわと宙に浮かぶ、とんでもない美少女がいた。
腰まで届くプラチナブロンドの髪、青く澄んだ大きな瞳、そして頭上に天使の輪っか。
純白のドレスをひらひらさせながら、彼女はにこやかに微笑んでいる。
その顔面偏差値、軽く見積もっても測定不能レベル。
「えっと……天使、さん? もしかして俺、死んだ?」
「はい、ご名答♪ わたくし、この神殿で転生業務を担当しております、女神ユフィーナ・レイラと申します。以後お見知りおきを~」
女神様が、くるくるっとその場で一回転する。
天使の輪っかまで楽しそうに揺れている。
ノリ軽いな、この女神。
「異世界転生……マジで!? やったあああああ!」
俺は叫んだ。
さっきまでの混乱なんてどこへやら、ラノベやなろう小説で散々読んできた、憧れの展開がついに俺の身に!
気づけば俺は、女神様の足元(雲の上だけど)に土下座していた。
「女神様! お願いします! 俺、魔法使いになりたいんです! どうか! 魔法を使えるようにしてください!」
そう、これだけは譲れない。
剣もいいけど、やっぱり男のロマンは魔法だ。
詠唱して、魔法陣展開して、ドカンと一発!
あれをやらなきゃ異世界転生の意味がない!
「あらあら、魔法がお好きなんですね?」
ユフィーナ様は、ポンポンと手を叩いて、嬉しそうに俺の頭を見下ろす。
「うんうん、そういうことなら、わたくしにお任せくださいな♪」
女神様はにっこり微笑むと、俺の頭にそっと手を置いた。
ひんやりとして、でもどこか安心するような、不思議な感触。
「それでは、天城リクさん。あなたに【魔砲の祝福】を授けましょう♪ 新しい世界でも頑張ってくださいね~えいっ!」
「まほうのしゅくふく……! あ、ありがとうございます、ユフィーナ様あああ!」
やった、これで俺も魔法使いだ!
感激に打ち震える俺の足元が、眩い光に包まれていく。
視界が白く染まり、身体がふわりと浮き上がる感覚。
これが転送ってやつか!
「うおおおお! 行ってきます、女神様! 俺、立派な魔法使いになってみせます!」
最後にそう叫んだ俺は、期待と興奮で胸をパンパンに膨らませながら、光の中へと完全に飲み込まれていった。
◇ ◇ ◇
……静寂が戻った純白の神殿。
女神ユフィーナは、リクが消えた空間をしばらく見つめていたが、やがて小さく首をかしげた。
「あれ? 今の子、魔法使いになりたいって言ってたわよね……わたくし、確か【魔砲の祝福】を授けたような……」
手元の、まるでタブレット端末のような形状の聖典にサラサラと指を滑らせる。
「ええと、魔法と、魔砲……あら? 同じ読み方ですわね。うん、まあ、同じ読み方だし大丈夫よね?」
女神はあっけらかんとそう呟くと、ぱちんと聖典を閉じ、次の転生者の準備に取り掛かるべく、鼻歌交じりに神殿の奥へと消えていった。