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再生の桜 -偽りと真実-

作者: *sho

30歳の隆志たかしは、会社の経営者としての顔を持ちながらも、どこか心が渇いている自分を感じていた。人付き合いは苦手ではない。むしろ、コミュニケーションのスキルには自信があった。しかし、彼の側を去っていく人々、恋人や友人、そして退職していく社員たちの姿を目の当たりにするたび、彼の中には漠然とした不安が膨らんでいった。


彼はその不安を埋めるように、次第に人に依存するようになっていた。特に近しい関係の人が離れていくと、彼は深く落ち込んだ。人に期待し、裏切られるたびにその傷は深くなる。そのたびに隆志は「感情をシャットアウトしよう」と決意するが、その決意も長くは続かない。彼は自暴自棄になり、金と時間を使って刹那的な楽しみに溺れるようになった。


ある夜、彼は高級クラブで美優みゆと出会った。彼女は隆志よりも少し年下で、美しいがどこか冷めた雰囲気を持つ女性だった。二人は互いの寂しさを埋め合うように、夜を重ねていった。だが、それは本物の愛情ではなかった。美優もまた、自分の人生に空虚感を抱え、隆志との関係を心の支えとしていただけだった。


その一方で、隆志にはもう一人の女性がいた。彼女の名は由香ゆか。彼女は隆志の従業員の一人で、真面目で心優しい性格の持ち主だった。彼女は隆志の苦悩をなんとなく察し、陰ながら支えようとしていた。しかし、隆志は彼女の優しさに甘えることができなかった。美優との関係に逃げ込むことで、由香の純粋さに向き合うことを避けていたのだ。


隆志は夜な夜な美優と共に高級レストランやラウンジを巡り、酒に溺れ、金を使い果たしていった。気が付けば、仕事にも身が入らなくなり、会社の経営も傾き始めていた。そんなある日、彼は美優から別れを告げられる。「あなたとはもう続けられない。私も自分を見つめ直したいの」と、彼女は冷静に告げて去っていった。


隆志は一人残された夜、バーで酒を飲みながら、自分が何をしているのか分からなくなった。目の前に広がる夜景は美しいはずなのに、彼には味気なく映った。彼の心は完全に凍りつき、無感情な自分に苛立ちを感じた。


そんな中で、ふと由香の顔が脳裏に浮かんだ。彼女の純粋さと優しさが、隆志の心の奥深くに小さな温もりを残していたのだ。彼は意を決して、由香に会いに行った。


由香の家の前で、隆志は震える手でインターホンを押した。久しぶりに見る彼女の顔に、彼は言葉を詰まらせたが、なんとか謝罪の言葉を口にした。「ごめん、俺は本当に自分勝手だった。君に支えられていることに気付かなかった。」


由香は黙って聞いていたが、やがて静かに口を開いた。「私はただ、あなたが自分自身を見つめ直してくれたらって思っていただけ。だから、今のあなたを見て少し安心しました。」


彼女の言葉に、隆志は初めて涙を流した。自分の中に閉じ込めていた感情が、少しずつ解き放たれていくような気がした。


それから数か月、隆志は会社の経営に再び力を入れ始め、デザインの仕事にも熱を入れた。彼の作品には、自分の失敗や痛み、そして再生への願いが込められていた。由香もまた、そんな彼をそばで支え続けた。


彼のデザインは、世間で大きな注目を集めることはなかったが、少数のファンからの評価を得るようになった。それは、隆志にとって小さな幸せだった。彼は成功を求めるよりも、ただ自分の内面を表現できることに満足感を覚えた。


彼は今も時折、自分の弱さと向き合いながらも、少しずつ前に進んでいる。彼が見つけた幸せは、大きな成功ではなかったが、彼にとっては十分なものだった。


夜、由香と共に見上げる星空は、かつてとは違って見えた。味のしない景色が、少しだけ温かみを帯びていた。


こうして、隆志は自分の中にあった闇と向き合いながらも、彼なりの幸せを見つけた。彼の人生は決して輝かしいものではなかったが、彼自身が納得できる形での終着点を見つけたのだった。


季節は冬から春へと移り変わり、桜の花が街を彩り始めていた。隆志は、いつものようにデザインの仕事に取り組み、空いた時間には由香と一緒に食事をする日々を送っていた。二人の関係は穏やかで、お互いを必要以上に干渉せず、かといって離れすぎることもない心地よい距離感だった。


ある日、由香は隆志にこう切り出した。「最近、仕事が忙しそうだけど、無理してない?」彼女の言葉には本当に隆志を気遣う気持ちが込められていた。隆志は一瞬、笑顔で応えようとしたが、素直に胸の内を明かすことにした。


「実は、仕事が思うようにいかない時もあるんだ。デザインが評価されないのは慣れたけど、たまに自分が進むべき道がこれでいいのか、分からなくなる時がある。」


由香は隆志の手を優しく握りしめた。「あなたが描くデザインは、いつも心に響くものばかりだよ。私はそれが好きだから、きっと他の人たちにも伝わると思う。焦らないで、自分のペースで進んでね。」


その瞬間、隆志の中で何かが解けたように感じた。彼の胸に積もっていた雪が、少しずつ溶けていくような温かさだった。


桜が満開を迎えた頃、隆志は久しぶりに大きなプロジェクトを依頼されることになった。クライアントは小さなカフェのオーナーで、店のロゴデザインと内装のアドバイスを求めていた。隆志はその仕事に真剣に取り組み、かつて自分が感じていた「味のしない景色」をテーマにデザインを描き上げた。


彼の提案したロゴは、一見シンプルだが、よく見ると細部に温かな感情が込められているようなデザインだった。カフェのオーナーはそのデザインに心を打たれ、喜びと感謝の言葉を何度も繰り返した。隆志にとって、それは大きな達成感だった。


プロジェクトが無事に完了した夜、隆志と由香はカフェの開店祝いに招待され、夜空を眺めながら語り合った。


「あなたは変わったね、隆志さん。前は、いつも何かを急いで追い求めている感じだったけど、今は少し余裕ができたように見える。」


「そうかもしれない。君のおかげで、自分を少しずつ受け入れられるようになったんだ。完璧じゃなくても、少しずつ前に進むことができるってね。」


由香は微笑み、隆志の肩にそっと寄り添った。二人の間に流れる時間は、かつての隆志が知っていた時間よりもゆっくりと、そして心地よく感じられた。


しかし、平穏な日々は長く続かなかった。隆志の会社に突如として資金難が襲ったのだ。大きな取引先からの契約が急遽打ち切られ、経営状況は急速に悪化した。スタッフたちの給与や事業資金をどうにか捻出しようと、隆志は昼夜を問わず奔走したが、状況は改善しなかった。


ついには、隆志自身のデザイン業務も減り、会社のオフィスも縮小せざるを得なかった。従業員たちの中には、他の職場へと移っていく者も現れ、再び隆志は「自分が何もかも失っていく」という感覚に襲われた。


彼の中にわずかに芽生えていた希望も、またしても失われていくように思えた。


その夜、隆志はひとりきりのオフィスに残り、いつもと同じように酒に手を伸ばした。けれど、何杯飲んでも酔うことはなく、むしろ心の中の虚しさが広がるばかりだった。やがて、涙がぽつりと零れ落ちた。


「俺は、何をやってもダメなのかもしれない。」


そんな呟きを、背後から由香が聞いていた。彼女はそっと隆志の肩に手を置き、優しく抱きしめた。


「ダメじゃないよ。あなたは頑張った。自分を責めすぎないで、私がそばにいるから。」


隆志はその言葉に救われたような気がした。自分にはまだ、誰かに支えられる温もりが残っている。そう気付かせてくれた由香の存在が、彼にとっての最後の拠り所となった。


その後、隆志は会社を縮小し、デザイナーとしての個人活動に専念することを決めた。経済的には厳しい日々が続いたが、それでも彼は自分の作品を作り続けた。失敗や挫折を作品に込め、少しずつ認められるようになった。


そして、数年後。隆志と由香は小さなアパートでささやかな生活を送っていたが、そこにはかつて彼が追い求めていた派手さや贅沢さはなかった。しかし、彼の顔には微笑みが浮かんでいた。満開の桜を見上げながら、由香が言った。


「私、あなたがこんな風に笑えるようになって、本当に嬉しい。」


隆志は答えた。「俺も、今の自分が嫌いじゃないんだ。派手な成功はなかったけど、俺にとってはこれが幸せだと思える。」


彼の過去は消えることはないが、今の自分を受け入れることで、新しい景色が少しずつ見えてきた。味のしない景色に、彼は自分の色を塗り替えることができたのだ。


春風に乗って、桜の花びらが舞い散る中、二人は手を繋いで歩き続けた。その姿は、決して完璧なものではないが、彼にとっては最高の終わり方だった。


隆志の心の中に広がる新しい風景は、味のしないものではなくなっていた。そして、彼はその風景に、心から微笑むことができた。

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