豆まき戦記
両の手から提がるスーパーの袋が重い。
僕が“オニ”というあだ名を冠しているのは、僕の“王仁”という何が言いたいのか分からない名前が関係した訳ではない。ただただ単に僕の誕生日が、日本国民による鬼退治の日と重なっただけである。
つまり今日本日二月三日は、僕が生まれてからきっかり丁度十七年であることを祝うべき日であって、芸人コンビ麒麟の声が渋い方――川島明の誕生日であると同時に、朝から晩まで全国的に豆の降る日、鬼の出る日なのである。
一言で言おう、今日は節分だ。
そして学校からスーパーへ寄り道した僕は今、溜息をこらえているところである。“赤坂”と表札のかかった三階建の我が家の前で。
この理由を語るには、昨日の晩――約二十時間前に遡る必要がある。
「今年は豆まきをや・る・ぞ~」
実の親であるどころか現実の人間であることさえ信じたくない僕の父が、トンデモナイ提案をしたのが始まりだった。
「ほら、これまではさ、おうにクンの誕生日しかしたこと無かったじゃん♪ たまには豆まきもやろうってハ・ナ・シ」
リビングでの家族会議でのことだった。
「あい、かーさんも賛成しちゃうぞ! おうにタンも好きでしょ? 豆まきみたいな殺し合いゲーム」
アンタは豆まきを何だと思ってんだ?
「俺はどっちでもいい」
引きこもりの兄は特にこだわりが無いらしい。
「じゃ、豆まきで決・定だな」
「待てよ、千代がまだ帰ってきてないだろ? 千代の意見はどうすんだよ? 僕は豆まき反対派だ、千代の意見次第で豆まきは可決されない」
僕の唯一の味方は、今ピアノレッスンに出かけていた。そして、
「いない人の意見は、議長である父さんが代弁するのが今日の家族会議♪ 千代は豆まきに賛成だー」
「やっぽー!」
どこまでもイヤすぎる両親だった。
世間一般の豆まきは知っているが、我が家でそんな常識が通じるとは思えない。増して豆まきはこれまで行われなかったイベントだ。万全を期して挑むべきだろう。
僕は油断しない。
袋から大豆の袋を一つ取り出し、同じく袋から取り出した升に装填、両の腰に取り付けたホルダーに嵌めこむ。
昨日夜遅くまでかけて即席で作った、升専用の皮ホルダーだ。ぴったりくるサイズの升がなくて少しだぼだぼになってしまっているが、さして問題はないだろう。
残りの豆は置いていこう。
準備は万端だ。
さあ、
「殺死愛といくか」
ドアの取っ手を掴み、引く。閉じる音が豆まき開始の合図だ。無駄に広い玄関に入り、靴から足を半分出す。
「よーい、」
取っ手を離した。
バタン。
「おかえり、オウニ兄さん」
豆まきが開始されて僅か数秒で、妹――千代が自分の部屋から現れた。一般的な家の数倍の長さを誇る廊下を、パタパタとやってくる。
そう、パタパタと。
僕の妹は、今現在進行形で、キグルミに身を包んでいた。コスプレ状態だった。
「……その格好は何なんだ?」
「ガチャピン」
なんでだよ。
「鬼は子供を食べるって聞いたから、一応それっぽい格好をしてみたの。似合う?」
「あ~、とっても似合ってるよ」
自分で頬が引きつるのが分かる。
「ひどい!」
怒ってしまった。似合うのが嫌なら聞かなければいいのにとも思った。
ガチャピンの皮膚が石タイルの上に投げ捨てられる。キグルミの下は上下ともジャージ姿だった。
どいつもこいつも、豆まきを何だと思ってんだ?
「豆まきって、豆で鬼を退治する祭りでしょ?」
祭りじゃないけどな。大体正解だよ。
「で、“鬼は外、服は家”って叫びながら、追い払った鬼に持ってかれないよう洗濯物を取り込むんでしょ?」
溜息。
ホントにどいつもこいつも……。
と、
その時、
背中に凍土が生まれたかのような寒気を感じる。
同時に突き飛ばされる衝撃。
「すっきありいいいいいいィア、覚悟しろ、おうにィィィィ!!!!!」
廊下の突き当たりの部屋から、僕の兄が飛び出してきた。否、奇襲してきた。
手にしているのは
電気駆動式のフルオートサブマシンガン(の模型)
が、火を噴いた。
無数としか表現のしようのない程の6mmBB弾が僕目掛けて一直線にならんで飛来するのと、僕を突き飛ばした千代が狸の木像の陰で笑うのが同時に見えた。
裏切られたか。日常茶飯事だけど。
「いだだだだだっだっだ、兄貴、サブマシンガンは、赤坂家のオタワ条約で、禁止されてるだろうが! それに、千代を、また裏切りに使いやがって!」
BB弾の殺到をもろに喰らいながら僕は叫ぶ。オタワ条約とは第一次世界大戦後に結ばれた、対人地雷を規制する条約である。
本当にどいつもこいつも……。
「うるせー、勝てば官軍、これが我が家の法で節分のしきたりじゃねえか!! 勝利を得ようとするには、それ相当の卑怯が必要だ! これが我が家の真理だと、俺は今でも信じてんだよぉ!」
どこのアルフォンス?
「どうしたどうした? 俺はまだ豆すら使っちゃいないぜ? なのにお前は、鳩ならぬ鬼が豆出鉄砲を喰らったみてーなざまじゃねえか」
当たり前だ。こうかはばつぐんじゃないか。
「とにかく、一旦弾幕をやめろ。話せば解る」
「問答無用。(引きこもってて買いにいけず)豆が無いなら、BB弾でいいじゃない」
いいわけあるか。
「だったら、ビッグシールドガードナー召☆喚!」
「ほあ? っだだだっだっだだだぁ!」
狸像の陰から千代を強引に引きずり出し、盾にする僕。はがい絞めに持ち込んだ。
「そんな小さな子供を盾にするとは、貴様それでも軍人かぁ!」
そんな小さな子を撃ちまくってるてめえが言うな。
「勉強嫌いの兄貴に、歴史を教えてやるよ」
千代を盾に僕は一歩踏み出す。
「江戸時代のえたひにんとぉ、ヨーロッパ諸国における奴隷とぉ、南北戦争以前のアメリカにおける黒人とぉ」
更に一歩。僕は走り出す。
「我が家における裏切り者に、人権は無えええぇ!」
この世のどこかには、弟に対してモデルガンを乱射する兄と妹を盾やハンマーに変形させて闘う弟、裏切り者の妹からなる三兄弟がいるらしい。
というか、僕らだった。
イヤすぎるわ!
本当に、どいつもこいつも……。
「やったねオウニ兄さん、必殺の合体技で、にっくき兄貴をやっつけたよ!」
また裏切ってるし。
本当に……。
「もういい、もう僕は知らない。オタワ条約は止めだ! オワタ条約だ! も~ど~でもいいや。オワタ、オワタ。ついでに俺リンピックも大開催だ。競技は全部スプーンという名のサジの遠投! 僕も本気を出そう。変身してやるとも。ほら千代、これ持てよ」
千代は嬉しそうに僕からサブマシンガンを受け取る。
「さあ、二階へGOだね」
この豆まきにおける鬼の役――ラスボスにあたるのだろう――は父さんである。とりあえず父さんを倒せばなんとか事態は収まるだろう、多分。
そして僕と千代は兄の部屋の前の角を曲がり、母さんの待つ2階へと階段をのぼってゆく。
が、僅かな物音を聞き分け、僕は千代を残して階段から離脱。即隠れる。
僕が最後に見たのは千代の戸惑った表情と、階段の上にあらわれた鬼面だった。
「ガッハッハ、不意打ちに加え圧倒的な立ち位置のアドバンテージと壺一杯の豆! これがまさに“鬼”のごとし強さじゃあぁああ!」
僕が影に隠れると同時に、時雨の如く大豆が階段の千代に降りそそぎ始めた。逃げ遅れた僕の襟足が何本かちぎり取られた。
断末魔を上げることさえ許さない、死の雨が千代に降り注ぐ。
……大人げねえ。
ザアアアアアアアアアアアア……。
静寂。
雨が上がると、そこには、階段のから転げ落ちて、豆にまみれた、小柄な屍が一つ、存在していた。
「全く本当に……」
どいつもこいつも。
「三階でまっとるぞお、オウニ!」
鬼は裏声まで使ってノリノリだし。
溜息。
鬼の言葉を信じることはせず、慎重に二階へ上ってみたが僕だが、二階では誰とも遭遇しなかった。二階にはだれもいなかった。
そう、誰も。
二階には、鬼である父も母さんもいなかった。
それはさておき、ここで僕は自室に戻り、装備を整える機会を得た訳だ。が、特に両の腰に付けた升より頼りになる装備のあてはない。
これは升が特に強力な武器であるというわけでもなく、また僕がこの升に何か仕込んで兵器にしている訳でもなく、ただ単に僕の部屋の内装が平和的な趣味であるということだ。
そして千代に預けたサブマシンガンは豆によって大破してしまい、僕は何の変哲もない升二つと中に詰めた豆のみでラスボス(父)を倒さなければならない。
……家出しようかな。
「あの夕陽を見ていたら、お前が来るような気がしたぞぉ。オウニ」
三階に位置する父の書斎。まるで引っ越し直後で荷物整理がまだであるかのように、棚が無秩序に乱立している。
そしてリビングより広いこの部屋の一番奥に、ソレはいた。
鬼面。人格までなりきってしまったどうしようもない僕の父。
「豆まきについて調べるうちに、ワシは気づいたんじゃ。豆まきの必勝法に。勝ちたいのなら……」
そういって落日の赤光の中振り返り、面を上げる鬼面。僕の……。
「鬼になれ。鬼になれば勝てるんじゃ」
母!?
鬼面の正体は、父でなく僕の母だった。
「そんな、馬鹿な、じゃあ父さんは? 父さんはどこなんだよ!」
予想外の展開に取りみだしてしまった僕に、鬼面を外した母は部屋の一点を指で示す。
そこには、
書類とアルバムがごちゃ混ぜに詰め込まれた大型の組み立て式の棚と、
植木があった。
植えられていた、生えていた。
人間の――ダボダボのジーパンという僕の父と全く同じ格好をした――足が。
天を目指すかのように直立不動で。
そう、大豆がいっぱいに詰め込まれている壺には、僕の父が植えられていた。
「さあ、オウニにも豆まきの真理を、身を持って教えてやろう」
再び面が降ろされる。眼窩から覗く双眸には、暗い炎が宿っていた。
「本当に……」
どいつもこいつもどいつもこいつもッ!
僕の頭の中で何かが弾けた。理性の枷がブチ壊れる。
辺りの大気が微細に振動し始め、
殺気が弾ける。
激闘の後、二つに増えた植木の傍らに僕は茫然と立っていた。豆が散らばる中、直立不動で立ちつくしていた。
千代も兄も父も母も、僕自身もが人でなく鬼だった。いや、この世界には鬼しかいないのかもしれない。朝登校するときすれ違う何十というヒト。同じく帰り道目線のあうヒト、コンビニに溜まるヒト、通りでゴミのように溢れかえるヒトヒトヒトヒトヒトッ! 全員例外なしに一切合切漏れなく鬼デアル。
「本当に、どいつもこいつもどいつもこいつも僕が退治してやるよ」
床に落ちた、僕を見上げる鬼面を拾い、装着。
強くなれた気がした。
散らばる豆を拾い集め升に装填、腰のホルダーに嵌める。この重さは僕に落ち着きと行動力をくれる。
窓を開け放ち、夜闇の支配するベランダへ出る。夜風が傷口を撫でてゆく。
この空間から俯瞰する街は、比類なき美しさであり絶景の極みと言って差し支えない。
しかし眼下に一匹のヒトが現れた。否、正鵠を射る表現を適応しよう。鬼がいた。
さあどうしてくれようぞ。
脚力のみでベランダ手すりへ跳躍、さらに闇へ飛び出し、升を構える。
「悪い子いねがあああああああああああああああああああああああぁぁぁぁ!!!?」
これが後に街を恐怖のどん底に陥れる、西宮三怪人の一角「豆夜叉」誕生の瞬間だった。