第二章 たぬきと戦争 ① (本編の章管理)
二人はタヌキ達が動物でありながらまるで人間の子のように接します。
本当の家族のように。
第二章 たぬきと戦争 ①
手稲山は札幌市中心部から1時間とかからない市民にとっては馴染の山だ。標高は1,000メートル程度。かつてオリンピックの競技場となった斜面もあるが、夏はゴルフ場、冬はスキー場と、札幌市内に向かっては比較的なだらかな勾配となっている。車で中腹まで上がり、そのあと登山道を徒歩またはゴンドラで山頂へあがることができる。札幌市内や遠く石狩湾も一望できる観光スポットでもある。義明はここ手稲山をタヌキ達が初期段階で立ち寄る最初の修行スポットと考えていた。
「たぬたぬたぬたぬたぬ」ねえ、いつ手稲山に行くの?いつものように床に寝そべりながらタヌタヌがつぶやく。タヌキ達は少しずつであるが魔力を備えつつあるように見えた。
エゾtは人間の言葉を少しずつではあるが覚え「だあだだだだだ、たぬうき」と何か呪文のような「ダダ語」を唱える。ただし何も起きはしないが本人は手ごたえを感じているのかダダ呪文を唱えたあとは「だだだだ」よしよしとうなずくしぐさを見せる。
エゾリンはでんぐり返しをして変身をしようとする。でんぐり返しをしても何も起きないのだが、でんぐり返しをしたあと鏡に映る自分の姿を確認するようになった。何も姿は変わった様子はないが、鏡に自分の姿をみて「えぞりん」よしよし、とうなずく。
タヌリンは偉大な魔法使いになりたいと思っている。多少の予知能力があるようだ。テレビの天気予報士が今日は一日中晴れ、と言っても「たぬりんたぬりんたぬりん」お昼頃雨が降ると思うよ、と言ってその通りになったことがある。
また、春美と一緒に昼寝をしているときに見た夢が正夢になったことがある。郵便屋さんが家の前で郵便物を風で飛ばし、散歩中の犬がそれを口でキャッチして届けてくれる、という夢だ。呼び鈴の音で目が覚めた春美にタヌリンが「たぬりんたぬりんたぬりん」きっと郵便屋さんだよ、犬もくるよ、と言う。タヌリンとエゾリンと春美が同じ夢を見たと確信し玄関へ行くと、郵便屋さんが「風で郵便物を飛ばしてしまいました」と言い、郵便屋さんと春美が二人で外へ出るとイヌを連れた散歩中の男性が「風で飛んできた郵便物を思わず口でくわえてしまいました。少し汚してしまいまして」と謝っている。夢と少し違う。夢では犬が郵便物をくわえて持ってきたが、郵便物をくわえて持ってきたのはイヌではなくおじいさんだった。だがおおむね夢の通りだ。郵便物はNHK受信料のお知らせだったが、くっきりおじいさんの入れ歯の歯型がついていた。
ポンは言葉やイメージしたものを現実の世界に出す練習をしている。「ポンちゃんの花火が見たい、私の顔の花火、上げれる?」そんな春美からのリクエストもあり、夜になると庭に出て「ポン」「ポン」と空中に何かを上げる練習をしているようだった。ある夜、「ぽんぽこぽん」できたと、庭から居間へ大声を出しながら入ってきたポンが、春美に、外へ出てほしいと言う。義明と春美、タヌキ達が庭に出ると。ポンが深呼吸をし、両手を上に上げながら「ポン」そう叫ぶと、シュルシュルシュルと光が上空へ上がり、パンとはじけると変な顔をした春美のイメージが光った。すごい、やったね、と喜ぶタヌキたち、満足そうなポンを見て、「すごいねポンちゃん」そう春美がいうと「ぽんぽこぽこぽこぽんぽこ」大王様そっくり、と言ってポンは得意そうにし、タヌキたちがみな、うんうんうなずく。春美はちょっと顔をひきつらせながら、「そうだけど、もうちょっとかな。もう少し似ているといいなあ」そう言うと、ポンはうつむき、でも「ぽんぽこぽんぽこ」わかった、もっと頑張るね、と答えた。「そう、その調子、ねえ、龍のポン出してね」そういうと5匹は眼をまあるくしていた。
これまでいろいろな動物が我が家に、庭に出現しているが、他にもっと動物園のようにいろいろ出てくるものかと思えば、そうでもないということを義明と春美は分ってきた。だが春美はどうしても龍が見たかった。義明にも「龍は出てこないものかなあ」とねだるが、せいぜい木彫りの龍がお寺の軒先に出るくらい。
よく出てくるのは、キタキツネ、野ネズミ、エゾリス、スズメ、カラスと、要するにあたりに生息する生身の生き物であり、想像のたまものなのか、野生動物が立ち寄ったのかの区別に迷うこともある。
日本ザルや日本カモシカなど、本州にしか生息しないような動物は出てこない。北海道に生息する動物であってもなかなか出てこないのが、エゾシカ、野ウサギ、鳴きウサギ、クロテン、オコジョなど。ウサギは義明の「ウサギとタヌキはライバル」という固定観念が邪魔するためか、めったに出てこない。シカも主な生息地は道東と決めているせいか、イメージをしても出てこない。オコジョやエゾクロテンは義明も春美も真近で見たことがないためか、出てきても姿はおぼろで顔かたちがはっきりしない。
「動物園に行って動物を観察しようか」
と、義明が春美に持ちかかけたが、「いいよ、うちはタヌキ達だけで」と言い動物園にも当分行かないことにしている。自分たちが生み出したタヌキもこれで合っているのかどうかの自信もなかったが、「うちはうちのタヌキでいい」そう春美も義明も考えていた。いまのタヌキが一番、うちのタヌキが一番、と思っていた。
スズメが2羽、よくベランダに来ている。「ぴーよぴーよ」と鳴く。この2羽にはスズリン、スズタン、と名付けた。
「スズメってチッチッって鳴くんじゃないの?」
春美がそう言うが、野生のスズメと見分けがつくのでそれでよしとした。庭に郵便屋さんなどの来客があると、窓のほうに近寄り「ぴーよぴーよ」と鳴く。お腹をすかせた小鳥がベランダにいれば「ぴーよぴーよ」と鳴いて「エサがたりないよ」とアピールする。「ぴーよぴーよ」カモメが飛んでるよ、と、スズリン、スズタンが教えてくれる。
このところカモメが家の近辺を飛んでいるのをよく見かける。自宅はいちばん近い海から4㎞ほど。それほど近くもまた遠くもない。陸のカモメとかいうが、近年は札幌市中心部にもエサを求めてなのか、カモメがよく飛来していると聞く。だから、義明の自宅近辺にカモメが飛来してもおかしくはない。ただこのカモメはどこか野性味がなく、実は義明が出した空想の産物であった。
龍をはじめ、伝説の生き物や多種多様な生き物が出てくるということはあまり現実味がないことがわかってくると特にそのことには執着もせず、ただタヌキが居ついて懐なついて、彼らとの日常生活が平穏であればほかに「どうしても出てきて」と望むものはなかった。タヌキ達のパワーアップもそれほど望んではいなかった。花火を見せてくれたりの成長はうれしいが、いつまでもいままでのままでいてくれる、ということで春美は充分だった。
まるで人の親になったようだ。子の成長はうれしいがさびしくもあるということがわかる気がする。ただ、人生には目標が必要なのだ。
花火の観賞が終わり、そろそろ中に入ろうか、と言って居間へ戻るとき、春美が
「ポンちゃんも、エゾtもタヌリンもエゾリンもタヌタヌも、いつの日か立派な龍を見せてね」そう言うと、みな立ち止まって目をキラキラさせてうんうんうなずくなか、タヌタヌが少し浮かない顔をしている。
「たぬたぬたぬたぬたぬたぬ」僕は空を飛びたい。龍は出せそうにない、と言う。そして、
「たぬたぬたぬたぬたぬ」ねえ、手稲山にはいつ行くの?
そう言って義明の方を向いた。義明が最初に設定したタヌタヌの能力は「空を飛ぶ」だった。空を飛びながら竜巻をだし悪いタヌキをこらしめる。タヌタヌはそれを忠実に実行しようとしているのだ。少し涙目になっているタヌタヌを見て、義明は、「よし、じゃあ今度の休みに手稲山に行こうか。そこで飛び方を教えてくれる先生から飛び方を教わるんだ」そう言うと、春美が、
「だめだめ、手稲山になんか行かないよ、さあもう中に入ろう」そう言ってひとりでベランダから居間へ入った。
春美はタヌキは空を飛べないと決めつけていた。また、仮に飛べたとしても墜落したりするのではないかと、タヌタヌの身を案じているのだ。義明は、
「タヌタヌが竜巻を出すのが見たいな、空を飛べるようになるには風を自在に操れるようにならないとね」と言うと、「たぬたぬ」風を?ぽつんとタヌタヌがつぶやく。
「そうだよ。手の平から風を出せるようになったら、魔物もびっくりして逃げ出すかもね」
「たぬたぬたぬたぬ」竜巻も龍なの?とタヌタヌは空を見上げた。タヌタヌは少し元気を取り戻したようだ。
「何してるの、外は寒いから早く入ってきて」
春美の声に5匹と義明は顔を見合わせ、内緒の話に「しーっ」と封をして居間にあがった。
外は雪が降り積もり本格的な冬が訪れた。めったに来客はない家ではあるが、玄関前はこまめな雪かきをする。冬場の運動不足解消にもなるし、春美にとっては退院後のリハビリにも丁度いい。
庭木の冬囲いは春美が入院中に義明がすませてくれていた。家の屋根には雪が降り積もっていて、この近辺を見下ろす空のカモメからは、スコップを持った春美のほかは縄むしろの頭とサクラの木、そして、手つかずの真っ白な雪の平地を踏み荒らすタヌキ達しか見えないだろう。
タヌキ達にとっては初めての冬と雪。雪の中を歩くのは好きなようだ。タヌキたちは家の中の床、外の地面には触れることができる。雪の上では刹那くっきりと足跡がつき、タヌキの姿が見えない人にとっては透明タヌキが歩いているかのように映るだろう。タヌキ達は雪上を走り回り雪を跳ね飛ばし、はしゃいだ。
カモメがタヌタヌの頭上をかすめ雪煙をあげながら雪原ぎりぎりに飛んで行った。
「あのカモメさんが来ているね」
独り言を春美が言うとタヌキ達も庭を踏み荒らすのを一時やめてカモメが舞い上がった空を見る。あのカモメの目には自分達がどう映っているのだろう。
「ねえ、こっちにおいでよ」
そう春美が叫ぶと、カモメは大きく半円を描いて庭に着陸しようと試みるが、屋根にぶつかりそうになり、バランスを崩しながらあちらの方へ飛んでいき、またこちらめがけて飛んでくるが、今度はサクラの木にぶつかりそうになって、またバランスを崩しながら、海の方へ飛んでいった。どうやらまだ飛ぶのが苦手なようだ。
「たぬたぬたぬたぬ」僕も飛べるようになるかなあ、タヌタヌがそんなことをつぶやいた。春美はそんなタヌタヌの独り言を横目に聞きながら、
「さあ、みんな、クリスマスの飾りつけをするよ」
そう言って、玄関からランプ付のコードとリースを出してきた。タヌキたちはみな何が始まるのかと目をキラキラさせた。12月の夕刻、日の入りは早い。4時にもなるともうあたりは薄暗い。春美がベランダの真ん中、高いところにリースを吊り下げ、電気のコードを左右に展開させ壁のコンセントにソケットを指しこむと、チカチカと、赤、青、黄、緑のランプが点滅をはじめた。
「だだだだ」「えぞりん」「たぬりん」「ぽんぽこ」「たぬたぬ」わあっ、とみなが見入っている。
「ぽんぽんぽこぽん」とてもきれいだなあ、とポンがつぶやいた。
義明も春美もクリスマスにそんなに派手な飾りつけは好まなかった。大通公園や札幌駅前商店街など街なかには豪華な飾りつけがそこかしこにあり、クリスマスをもりたてているが、この田舎の雪深い一軒家にはこのくらいがちょうどいいし、毎年ひとつひとつ飾りつけを増やしていけばいいと思っていた。ほんの小さなこと、たった一つでもいいからずっと記憶に残るものができたら、と春美は思っていた。
雪かきの道具を物置にしまって、ベランダに戻ると、タヌキ達はまだ飽きずに電飾のチカチカを眺めていた。
「もうおうちに入るよ、おうちの中でツリーを飾ろうね」
そう言ってもなかなか中に入ろうとしないポンに「さあさあ」とうながし、春美と5匹は居間に入った。居間にはツリーの入った箱を用意していたが、悪ダヌキが先を越すようにツリーを組み立て、キッチンのたわしや義明の靴下をぶらさげていたので、
「こらっ」と春美は怒って見せると、悪ダヌキは「わるわるわるわる」いい感じでできたよ、と、いい「あっかんべー」をして二階へ駆け上がった。
「しょうがないなあ」
春美はそれでもニコニコして見せながら、箱の中から星やモールなどの小物を取り出し、興味深々のタヌキ達の前で飾りつけをはじめた。
義明も春美も年末年始はごく一般的な動きを教えるつもりであった。宗教は仏教でも神道でもキリスト教でもイスラム教でも、どれか何かということではなく、良い教えがあれば部分取りいれ、生きる糧にするというのが、義明と春美の共通する考え方であった。ただ年末年始は基本的にジングルベルのあとは寺の鐘、年始は神社で鈴緒に柏手、が恒例と決めている。
クリスマスはみんなで楽しむもの、だから悪ダヌキが多少の悪さをしたとしても笑顔で許すという寛容さはクリスマスという行事の良いところだと思っている。
「争いのない平和な世の中になりますように、って、心に念じて、平和っていいねって、みんなでお祝するんだよ」そう春美はタヌキ達に話した。
義明は小売業に従事しているため、クリスマスも大晦日も帰宅が遅い。春美は結婚してからというもの、義明の仕事の忙しさは理解しつつも、年末年始はひとりぼっちでさみしかった。今年はそうではない。
クリスマスイブの食事の支度をしていると玄関でクリスマスキャロルの歌声が響いた。「いい声」いまどき聖歌隊なんて、と、玄関のドアを開けると、
「え、はっ?」
聖歌隊の衣装をまとったタヌキ達が聖歌を歌っている。タヌキ達はカエルやセミなど動物や虫のまねをし、時にスーパーの店員や警備員などになりすましてのパフォーマンスを見せてくれるが、テレビの影響だろうか、生まれもっての才能だろうか、絶対音感があるらしく、コーラスのものまねはとても上手で、コーラスの時だけは「ダダ語」や「ポンポコ語」などではない、正確な人間の言葉を発生する。ベレー帽をかぶって少年少女合唱団員になったり、正装をしてベートーベンの第九を歌ったりと、年末年始は家の中をタヌキの歌声が彩った。
「この子達も一緒に食べられるようになるといいのにな」
そう思いながら、クリスマスイブの日はチキンを焼き、大晦日はTVを見ながらお蕎麦を食べ、元旦はお雑煮を食べた。食卓には義明と春美の2人分のほかに、タヌキ達の分も少量ずつ盛り付けして、2人と5匹でお祝いをした。5匹はふたりと同じように食事をするパフォーマンスをし、みなでの食事を楽しんだ。タヌキ達のために取り分けた食べ物は義明がきれいに平らげる。それでも2人と5匹は満足で幸せに満ちたひとときを過ごした。
おせち料理は簡素に春美の手作りのものを中心に重箱に詰められた。義明の好きな玉子焼きを多めに、黒豆の煮つけ、きんぴらごぼう、栗きんとん、市販の蒲鉾、伊達巻などが入っている。タヌタヌが伊達巻を見て義明に、「たぬたぬたぬたぬ」それは竜巻なの?と聞くので、
「そうだよ、一番強い竜巻だよ」
「たぬたぬたぬたぬたぬたぬ」じゃあ伊達巻を出せるようにがんばるね、そんなことを言った。
春美があきれてそのやりとりを聞いていた。空を飛ぶよりは伊達巻を出すほうが安心か、とも思った。
神社へは混雑を避け、三が日が明けてから初詣に出かけた。さい銭箱の前で、一礼し、二礼し二拍手し、いまの幸せを感謝し、今年もよい年でありますように、と2人と5匹で願う。神社はどの宗教とも深いつながりはなく、それぞれの解釈で日頃の感謝と祈願をする神聖な場だという。それほど信心深い二人ではなかったが、クリスマスイブから大晦日を経て元旦を迎えるこの流れはとてもリフレッシュができ、新しい家族といっしょにその場をともにすることがとても幸せに思えた。
タヌキ達は何を祈ったのだろうか。変身したり呪文を唱えたり空を飛んだりしなくてもいい、ただ一緒に健康で仲良く暮らせたらいい、そう春美は思っていた。
1月は荒れた天気の日が多かった。外に出られない日は家の中で春美は5匹に絵本を読み聞かせしたり、トランプやすごろくをして遊びを教えた。タヌキ達はモノに触れることができないが、サイコロを振ったり、コマを動かしたりは春美がひとりで行い、それでもゲームは成立し、それぞれ楽しんだ。
小学生用の書道セットを買ってきて、書初かきぞめをすることにした。新学期が始まるとタヌキ達もお寺で習字をするかもしれない、などと思ったからだが、文具店で書道セットを見るついでに、色鉛筆や筆箱など、タヌキ達に必要なものを見繕っておかねばと思った。それが正しいのかどうかなどはもう考えない、人並みの教育をしなければと春美は真剣だったし、そういう道具を買いそろえるのが楽しかった。
新聞紙を敷いて半紙を並べ、それぞれに「好きなことを書いてみて」、と言う。それぞれ筆にも墨汁にも触れることはできないが、イメージのパフォーマンスでエゾtが書き始めた。エゾtは新聞を読むときも絵本を読むときも、なぜかさかさまに読むが、習字もどういうわけか逆向きだが、器用に『春美』と書いてくれた。
「すごおい、エゾt上手」
エゾtは新聞やテレビを見ながら少しずつであるが人間の言葉を理解しはじめているようだった。ポンは、というと「大王」と書いているようだ。ポンもまだ幼稚園児並みかそれ以下の文筆力ではあるがエゾtをマネて人間の言葉を形で覚えようとしているようだ。だができあがったものは『太王』だった。エゾリンやタヌリンも見よう見まねで「春美」「大王」の文字を書いている。
タヌタヌが「龍」という字を書こうとしては失敗し半紙を取替える動作をする。「タヌタヌ、龍はねえ、こうだよ」
タヌタヌと一緒に筆を持つポーズをし、一緒に書初めをした。
「たぬたぬたぬ」やったあ、とタヌタヌは満足げだった。春美も小学生以来の書道が楽しかった。みな文字を書くことに夢中になり、いろいろな文字を新聞紙をみながら書くパフォーマンスをしていた。
書初めを終えて、春美とタヌタヌが一緒に書いた「龍」の字のみがリアルに残りその他の作品は、すうっと消えてしまった。春美は龍の書初めを額縁におさめ、居間の目立つ場所に飾った。タヌキ達はうれしそうに眺めていた。
タヌキ達との生活が始まってもう1年以上が過ぎた。二回目の春。まだ遠くに見える山々には残雪が残るものの、足元には暖かな春が訪れていた。
春美が植えた多年草や球根で一番先に咲くのがエゾエンゴサク。サルビアのように突起したいくつものラッパ状の小さな花弁は水色をしていてみずみずしさを感じる。もうすぐサクラの木が満開となる。百花繚乱というが、北海道の短い春は様々な花で彩られる。
食卓テーブルに朝食の用意ができた。春美と義明は手をあわせいただきます、をする。横でタヌキたちもテーブルにつきイメージの食べ物を前にしてそれを箸を使って食べるそぶりをする。ふと春美は、義明がおいしそうに玉子焼きをほおばるのをタヌキ達がじっと見つめているのに気が付いた。タヌキ達も義明に似て、春美が作る玉子焼きが好きなのだ。ただ、このタヌキ達はモノに触れることができない。現実のものを食べることもできない。春美達もタヌキに触れたことがない。義明のお弁当箱に玉子焼きを一つ、二つ詰めながら、タヌキ達にもお弁当を持たせてあげられたら、と春美は思った。
タヌキの学校は義明がイメージしたお寺だが、「だだだだだたぬうき」新学期が始まったと、エゾtを先頭にタヌキ達は朝から出かけていった。みな黄色い帽子をかぶり、黄色いバッグを持って2本足で歩いていく。春美のイメージで子供のころの春美はそうだったらしい。もっともそれは幼稚園児の頃のことで、タヌキ達の学年はいま何学年なのかはよくわからない。お寺の学校へ行って何を学んでいるのかもおぼろげでよくわからない。
昼をすぎてタヌキ達が学校から帰ってくると、満開の桜の木にしばらく抱き着いて離れない。タヌキ達はこのサクラの木をよほど気に入っているらしい。ベランダから庭に下りて洗濯物を干している春美がそのタヌキ達の様子をにこにこしながら眺めている。ふと、タヌタヌが木に登り始めた。
「あ、また、こらっ」
一番低い枝から手足を伸ばして、飛んだつもりだったのだろうがあえなく墜落した。タヌキは人やモノに触れることはできないが、地面にはたたきつけられる。「たぬたぬたぬたぬ」痛たたた。とタヌタヌは顔をしかめた。駆け寄った春美がタヌタヌを抱きかかえる。
「はっ」
として春美はタヌタヌを見つめた。タヌタヌも春美を見、他のタヌキ達もその様子をまじまじと見ている。
「触れた」
ほんの一瞬だったが、春美は確かにタヌタヌを抱きかかえた。だがするりとタヌタヌは春美の腕やひざをすり抜け、透き通って地面に伏した。
「大丈夫?」
春美はタヌタヌがケガをしていないか、身体を触ろうとするが手がすり抜ける。
「でもいま確かに触ったよね」
そうタヌタヌ、他のタヌキ達にも確認し、タヌタヌを触ろうとするが、やはり手がすり抜ける。ポンが頭を出して「なでて」と言うようなポーズを見せる。ポンの頭を撫でようとするが、手がすり抜ける。他のタヌキも起き上がったタヌタヌも、頭を向けて「なでて」と言わんとしているかのようだったが、どのタヌキを撫でようとしても手がすり抜ける。
「まだなのかな、ここまでなのかな、パワーアップしたら撫でてあげれるのかな」
そう、春美はタヌキ達の前でひとり言を言ってため息をついた。
春美はタヌタヌが大丈夫そうなのを確認し、物干台のほうへ戻る。風が吹いた。サクラの花びらが舞い散って花びらがひとつふたつ、タヌキ達の頭に乗っていた。
町内会の役回りで義明は今年一年班長の役を担う。義明の自宅は家が点々としかないような市郊外のはずれではあるが、町内会は住宅が密集している団地の会館を拠点にしての様々な行事を行っている。これまで世帯主として町内会費は払っていたが、町内会の行事に誘われ、町内会役員の顔ぶれを確認したのは今年が初めてのことであり、町内会に関わる様々な顔を見た。
休日、外で義明が草むしりをしていると、
「はいこれ、班長グッズ一式ね」
数十メートル離れた隣家のご主人が、回覧板やら集金袋やらが入っている段ボール箱を持ってきてくれた。隣家の様子は子供のころから何となく知ってはいるが、世帯主同士での会話といえば不思議とこれが初めてであった。よく家の前を通りかかるこのご主人とは会釈程度の挨拶はしており顔は見慣れていて、そしてどこか懐かしい。このご主人もご両親から家を譲り受けた二世である。
「ああ、その木の箱はもう何年も使っていないから捨てていいって前の班長さんから言われていましたけど、まあ、お任せしますね」
口髭を蓄えた50代くらいに見えるそのお隣さんがグッズ一式の中から「投票箱」と書かれた木箱を取り出して持って見せた。
「何に使っていたんでしょうね?」
「さあね、僕も班長は一回しか経験していないものですから」
そう言って義明の庭を見て、
「お庭、いい感じになってきましたね。これからの時季、楽しみですね。野菜はやらないの?」 そう聞かれ
「ええ、まあ、何かおすすめの野菜ってありますか?」
「ここ一帯はもともと砂地だから」
そういって、口髭のおじさんはひとしきり野菜づくりのうんちくを語り、そして深呼吸をしながら、散り際のサクラに目を細めた。
「いいね、このサクラ。うちにもサクラあるけど枯れてしまったのか、芽ぶいてこないんですよ。この桜とうちの桜、たしか同じに植えたんですよ。どこかの田舎の農家さんがダンプカーに乗せて持ってきたのをうちと、お隣と、あっちの家でもらったって親父が言ってました。大事にしてたんだけどなぁ」
あっちの家とは、髭のおじさんの家と反対側の隣家のことだ。義明は子供のころは庭木や草花に全く興味はなく、それほどの執着心もなかったのだが、言われてみると両隣にはこちらと同じように似たようなサクラの木があり、花を咲かせていたような記憶がある。いまはあっちの家にサクラの木は無い。
「ねえ、今度、花が終って7月頃になったら実をつけますよね。さくらんぼみたいなのじゃないけど、黒いちいさいの。それ何個かもらえませんか。うちにもう一度同じの植えて育ててみたいんです」
「ええ、実ができるころいらしてください。お好きなのを取って行ってかまいませんから」
「どうもね~」うんうんうなずきながら、隣のおじさんは数十メートル先の自宅へと戻っていった。
「へーこれが班長グッズ。その投票箱すてる?」
奥から出てきた春美が義明が手にしている投票箱を見てから義明の顔をのぞきこむと、タヌキ達も同じように義明の顔を見上げている。
「来年の班長さんに任せるよ」
と言って苦笑いした。
春美が、「ねえ、タヌキ達には町内会ってないのかしら?」そうタヌキ達にたずねると、
「タヌキ達にも町内会の組織はある」という。タイムリーに野ネズミのおじさんが回覧板をかついで持ってきて、 ポンが「ポンポンポンポコ」ご苦労様、と言って受けとった。タヌキ達は回覧板の中身に目を通すしぐさをし、隣のウサギへ回さなければならない、という話になり、誰がウサギ宅へ行くかと、じゃんけんをはじめたが、なかなか決着がつかない。カモメの郵便屋さんを呼んで届けてもらうことにした。
「え、カモメの郵便屋さん?」
カモメが郵便屋さんになる空想はしたことはなかった。ただ、情報伝達の役目を担っているという点においては義明の想定通りではある。いずれそのカモメはタヌキ達の水先案内を務めることになるのだが。
「ねえ、来た?」
玄関先で空を見上げるタヌキ達に春美が問いかける。ふいに1羽のカモメ、あのカモメがスゥーッと頭上に、家の前の電線に止まった。
「あれあれ、普通カモメは電線になんか止まらないよ」
そう春美が叫ぶと、カモメはしまった、という顔をしてフワリと浮き上がり、どこか平な場所はないかとふらふらしながら、庭の平石に着地した。黄色い足ひれがある白いカモメ。羽のふちのほうが少し灰色がかっている。目はパチクリしてかわいらしい顔をしている。義明、春美、タヌキ達が玄関前にそろってカモメを見つめると、
「義明様こんにちは、はじめまして、大王様、タヌキのみんな、僕はカモメのカッちゃんです」
日本語をしゃべるカモメだった。これも義明としては想定外であったが、もとより、カモメが「ダダ語」や「ポンポコ語」などを話すのはおかしいし、そもそもカモメが何語を話すかなどは考えてもいなかったので日本語なのであろう。
「また私が大王で義明が義明様なの?」そういう春美や、義明やタヌキ達に丁寧ていねいにおじぎをして、
「ご用件は何ですか」そう義明の方を向くと、
「カッちゃん、今日はね、タヌキ達がお手伝いをしてほしいんだって」
「だあだあだだだだだたぬうき」回覧板をウサギさん宅に届けてほしい、そういうと、
「わかりました。お安いご用ですよ」
「ぽんぽんぽこぽこぽん」じゃあ、これお願いしますね。そうポンから回覧版を渡されたカモメのカッちゃんは、いつの間にか郵便屋さんのユニフォーム姿になり、
「では回覧板をお預かりしました。また何か御用がありましたらお呼びください」そう言って、
「あれ、手に持つと飛びにくいなあ」
右の羽、左の羽、と持ち替え、あげく足でつかんでとでも思ったのか、地面に置いた回覧板を見て春美が、
「カモメは足で物を持ったりしないよ」そう言うと、
「ああ、それもそうですね」カッちゃんはくちばしに回覧板をくわえて、隣のウサギ宅へと向かったようだった。春美にも義明にも隣のウサギがどこに住んでいるのかはよくわからない。
カッちゃんを見送って、みなは家の中に入っていったが、義明がふと振り返るとタヌタヌがまだ飛んでいったカモメを見送っていた。
「たぬたぬたぬたぬたぬたぬ」いいな、空を飛んでみたいな、そうタヌタヌがつぶやいていた。
その夜、春美は寝室でタヌキ達を寝かしつけたあと、居間に戻って義明とお茶をすすりながら、
「あのね、カッちゃんはタヌキ達を修行の場へ案内する係なんでしょ?」そう義明に聞くと、
「うん、そういう時期に来ているのかもしれない。カッちゃんが現れたということはそういうことなんだ」
「タヌタヌ、空を飛びたそうだけど、それは・・・」
そう言いかけて居間のドアのほうを見ると、タヌキ達がドアの向こうで聞き耳を立てている。
「こら、もう寝る時間だよ。歯は磨いたの?」
そう言って春美はタヌキ達を寝室へ連れ出した。義明は残りのお茶を飲みほし、
「春美はタヌタヌが空を飛ぶのに反対なんだなあ、どうしたものかなあ」
とつぶやき、ベランダに立って手稲山を眺めた。大きなオレンジ色の三日月が、山とくっつきそうな距離にあり、義明はその月に坐ったり、滑り台のようにして遊ぶタヌキとウサギの姿をイメージした。
北海道の短い夏はあっと言う間にやってきて、庭のサクラも草木もイキイキとした緑色を誇らしげに太陽へ向けている。義明と春美はタヌキ達を連れて海へ出かけることにした。家のまわりばかりではなく、タヌキ達にはもっといろいろな世界を見せてあげよう、そう義明も春美も思っていた。自宅から北へ向かうとほどなく石狩川にかかる大橋にさしかかる。タヌキ達は橋の上を走る車から川の流れを珍しそうに眺める。やがて小高い丘の上にある義明の先祖が眠る墓地の横を通りすぎ、下り坂になると白波がたつ海岸線が見えてきた。
「えぞりん」たぬりん」「たぬたぬ」「だだだだ」「ぽんぽこ」海だ、と皆が一斉に声をあげた。駐車場に車を止めて海水浴場へ向かうと、まだ7月の初旬というのに親子連がまばらに来ていた。
タヌキ達は大はしゃぎで砂の上をかけまわり、波打ち際で水しぶきをあげた。タヌキは水はあまり恐くないようだ。犬科の動物だし義明も春美も海は好きだから、タヌキ達も当然にも海は好き、と思っていた。駐車場の係員にも、海水浴客にもタヌキ達の姿は見えない。犬を連れた海水浴客のその犬が少しこちらを気にして見ていたほか、義明と春美の二名にしては広くシートを敷いているのを違和感もって見ていた人がいるくらい、タヌキの存在は義明と春美だけのものだった。
ひとしきり遊んだそのあと、タヌキ達はそろって前足で砂をかき、砂に潜り頭だけを出して昼寝を始めた。
「顔を日焼けしないかしら」
春美がビーチパラソルを開いてタヌキに直射日光が当たらないようにしてやった。
春美は海は好きだが泳ぐことはしなかった。まだ体調が万全とはいえないし、久しぶりの海水と強い日差しで皮膚に湿疹ができるかもしれないと思ったからだ。そう思っていると、サングラスをかけたエゾリンとポンが日焼け止めのクリームを塗るしぐさをはじめた。エゾtは春美のコンパクトを借りて鏡を見、
「だあだだだだだたぬうき」目のまわりが黒く日焼けしている、と、冗談なのか本気でそう思ったのかわからない焦りのアクションをしていた。
「エゾt大丈夫、いつもと変わらないよ」そういう春美に、「だだだだたぬうき」それならいいけど、と言ってコンパクトを返してきた。春美はハッとして、
「コンパクトを手渡しで返した」
タヌキにはさわれないと思っていたが、何かモノを手渡しできるようになったのだろうか、そう思った。
お昼時、春美が手作りの弁当を広げる。春美と義明のふたり分だったが、義明が好物の玉子焼きは少し多めに作っていた。朝キッチンで玉子焼きを作っている最中、タヌキ達は食べたそうにフライパンで玉子焼きが出来上がる様を見つめていた。食べられないだろうとは思いつつ、タヌキ達のぶんも、と多めに作っていた。
広げたお弁当を「おいしそう」と見つめるタヌキ達と義明。春美はついさきほどエゾtにコンパクトを手渡しができたことからの期待をこめ、箸でつまんだタヌキ一口大の玉子焼きをエゾtの口元に運んでみた。すると、
まるでスローモーションのように義明と春美には映った。映画の一こまのような感動的な一場面であった。
「食べた」
我に返って今更のように驚き、春美の目に涙が浮かんだ。エゾtは至福の表情となり、舌なめずりをして「だだだ」もっと、と言っている。他の4匹が四つ足になり犬の子のように鼻を突きだしておねだりをしている。ビーチパラソルをななめに下げ、近くの親子や後ろのカップルに見えないよう、一匹一匹に与えようとしたが、他の子には玉子焼きも箸も通り抜けて食べさせることができない。エゾtにもう一度与えると、
「また食べた」
箸は前歯にはふれない。玉子焼きだけ口の中に入り、エゾtはモグモグと口を動かし、「だだだだだ」とてもおいしい、と言って玉子焼きが何も残っていない口の中を見せ、「だだだ」もっと、と言って真ん丸なつぶらな目を輝かせている。春美は「手で触れられるようになったか」と思い、エゾtの頭や前足に触れようとしたがすり抜ける。もう一口、他のタヌキが羨ましそうに、春美の箸の導線を追った。玉子焼きの入ったタッパからエゾtの口元まで、その三くち目の玉子焼きがエゾtの口の中に吸い込まれる様をまじまじと見ている。
太陽が輝き青い海がキラキラと反射している。義明も春美も夏の海辺でそれまでに味わったことのないキラキラとした至高のひとときを迎えていた。
エゾtは三切れの玉子焼きを平らげ、満足そうに昼寝を始めた。タヌタヌとポンは波打ち際で遊び、エゾリンとタヌリンはあたりの散策さんさくを始め、貝殻やカニの抜け殻や海水パンツを前後ろに穿いているおじさんを見つけては義明と春美に報告をしにきた。義明と春美はお弁当を食べながら、
「遠くに行かないんだよ」と、ときどき注意をしながら5匹の様子を眺めていた。
「海、また来ようね、楽しかったね」
そう言って、春美はそそくさとお弁当の容器や水筒、ビニールシート、パラソルを片付け、荷物を義明に持たせると、「さあ、行こう」そう言って海を背に駐車場へ歩いた。日は傾きかけていた。義明とタヌキ達は春美についていって、それぞれ車に乗り込み、海水浴場をあとにした。タヌキたちは名残惜しそうに車中から海をながめ、「だだだ」「えぞりん」「たぬりん」「ぽんぽこ」「たぬたぬ」またね、と、海にバイバイをしていた。
家に帰ると日は沈み、東の空から赤味がかった大きな満月が上りはじめていた。春美はすぐに「晩御飯の支度」と急いでキッチンに入り、「義明はシャワーを浴びて。タヌちゃんたちもね」
そう言って、ガサゴソとフライパンや食器を出し、冷蔵庫の中を見て思案している。
「海を出るときからなんだかせっかちだな。なにをそんなに急いでいるのかな」
義明はシャワーを浴びにバスルームへ、タヌキ達も義明に付いてバスルームへ行き、シャワーを浴びるパフォーマンスをする。パフォーマンスではなく、それぞれ湯を気持ちよさそうに浴びているのに義明は眼を見はった。
「春美、見て」
義明が春美を呼んだがこちらへは来ない。気を取り直しシャワーの続きをする。
「砂や塩水を落とさなくちゃね」
義明の手はタヌキ達に触れることはできないが、シャワーの湯は確実にタヌキ達の身体を濡らした。
「目をつぶって、頭を洗うよ」
そういうとタヌキ達は横一列に並び四つ足で頭を低くし目を閉じた。頭、背中、しっぽと湯をかけてあげる。
「お腹のほうも洗うよ」
そういうと、みな仰向けになりお腹を見せて目を閉じる。義明はタヌキ達のお腹めがけて湯をかけると、みな、うっとりと気持ちよさそうな顔をした。
シャワーが終わると脱衣所だついじょに出て、タオルで身体を拭いてあげようとすると、「プルプルプル」みな身震いをして水気を吹き飛ばし辺り一面に水しぶきが散った。「うわっ」と義明はたじろいだが、身体を拭いて、とタヌキ達がすり寄ってくる。
「触れる」
タオルを通して確かにタヌキ達の身体の骨格が毛の厚みが手に伝わる。春美がいつの間にか脱衣所に来ていて、目を潤ませている。もう一枚タオルを追加し、二人で一匹一匹、丁寧に拭いてあげた。タヌキ達も嬉しそうだった。直接手で触れることはできない。タオルを通してだった。でも確実にタヌキ達は現実に生きた生き物としてこの三次元の空間に姿を現し始めていると確信した。
春美はタヌキと義明がシャワーを浴びている間に、晩御飯の支度をしていた。テーブルには玉子焼きが大皿に盛られていた。大目に作っていたお弁当の海苔巻や稲荷寿司も並べられ、取り皿と箸は7組、春美のと義明のとタヌキ達のものが置かれていた。イスは四脚、一脚は義明、一脚はエゾtとタヌタヌ、一脚はエゾリンとタヌリン、一脚には春美と春美の横にポンが乗っている。
「いただきます」「だだだたぬうき」「えぞりんえぞりん」「たぬりんたぬりん」「ぽんぽこぽん」「たぬたぬたぬたぬ」そういうと、早速、春美は玉子焼きを箸に取り、ポンに食べさせようとした。くんくんと匂いを嗅いでいたかと思うと、パクリ、ポンはおいしそうに玉子焼きを食べ、「ポンポコポン」おいしい、と、春美の顔を見上げた。
義明もエゾt、タヌタヌに、春美はエゾリンとタヌリンに玉子焼きを食べさせる。
「みんな食べれるようになったんだね」
春美はぽろぽろと涙をこぼした。ポンが春美の膝の上に乗って、前足をテーブルに乗せ、春美に振り返りながら、「ぽんぽこぽんぽこ」もっと食べたい、と言い、春美の顔をぺろぺろなめた。
「ポンちゃん」
春美はポンをギュっと抱きしめた。エゾtが、エゾリンが、タヌリンが、タヌタヌが、僕も私もと、春美の膝に乗ってきた。タヌタヌがあぶれて床に落ち、義明の膝に乗ってきて、「たぬたぬたぬ」抱っこ、と言い、義明はタヌタヌの背中を両手で支え、目と目を合わせ、鼻と鼻を突き合わせた。
いつの間にか、悪タヌキがテーブルの上に坐り、箸も使わず大皿に顔を突っ込んで、がつがつと玉子焼きを食べている。
「あっ、こらっ!」
満月の力だろうか、海の力だったのだろうか。この日を境に少しずつ、2人とタヌキ達は本当の人間の家族のように接する日々となっていった。
*
ものを食べることができるようになったタヌキ達。平凡でも静かで平和な日々を
過ごします。